願望の成就と幸福について

「東洋医学セミナー」教材より

宗教的な教えはふたつの道があり、ひとつは願望の道で、もうひとつは放棄の道です。 願望成就は前者に属し、真の宗教的な教えに到る準備段階に相当するということを、認識しておく必要があるでしょう。

大きな夢をもち、夢に向かって努力し、夢を実現することが美徳のように考えられています。今や教育においてすら、生徒の学業に対する意欲の向上のために、明確な目標をもつことの重要性が説かれるようになってきました。 しかし、宗教的観点からはこのような考え方ははっきりと誤りであるといえます。第一に重要なのは正しい認識です。真理は、愛を通してのみ得られ、社会的地位や、名声、ましてや富を獲得することが人生の目的ではありえないということをはっきりと自覚できなければなりません。この自覚をもつ者のみが、才能を開花させ、その才能を社会に生かすべく、明確な目標をもつことを勧められるのです。

たとえば、「医者になりたい」という願望が単に社会的、経済的理由からくるのであるならば、それは真実の望みとはいえないでしょう。仮にそのような人が本当に医者になってしまったら、おそらく人の命よりも病院の経営の方を優先するようになるでしょう。それは、その人個人のレベルだけではなく、社会全体にとって不幸なことだといわねばなりません。 実現させたい夢が単に自己中心的な欲望からくるものなのか、それともそれ以上のものなのかを十分に吟味する必要があります。

人生に明確な目標をもち、その実現に向かって黙々と努力する人は決して多くありません。ましてやその目標が自己中心的な欲望に基づくのではない人々はほとんどいないといってよいかも知れません。 多くの人々は自分が何をしたいのかすらもはっきりとはわからないものなのです。しかし、才能を開花させそれを社会のために役立てたいと切に願う人々がまず最初に行なうべきことは、徳を積むことなのです。 明確な目標をもちながら成功する人と失敗する人の違いは、一言でいってしまえば、その人がもつ徳によります。徳を積んだ人には他者からの援助が得られ、徳のない人は自力からくる限界という壁に突き当たります。

徳を積むというと、奉仕活動をしたり、困っている人々に対して寄付をすることをまず考えるでしょう。それは徳を積むという意味において、最も基本的な態度といえるでしょう。 それに加えてぜひ、禁戒(ヤマ)と勧戒(ニヤマ)を勧めます。これら十項目を常に日常生活の中で実践している人は、「徳の高い人」だといえるでしょう。禁戒、勧戒の実践は徳を積むという意味において、王道といえるのです。

三年間徳を積み続けてください。不思議なことが起こり始めます。人生に明確な目標のなかった人でも、自然に自分の中に眠っている深い願望が浮かび上がってきます。そしてあなたを援助してくれる人々があなたの回りに集まってくるでしょう。 こうしてあなたの夢は大きな努力をはらうことなく、少しずつ実現の方向に向かっていくでしょう。 この過程の中で、人生の明確な目標がはっきりと定まる人もいるでしょう。そうしたときに、神々に祈ることを勧めます。 どのようにして祈ればよいのでしょうか? 言葉にして祈ってもよいし、願いが実現している様をイメージとして思い描いても結構です。大切なことは、祈りの最後にそれらの言葉やイメージを天高く持ち上げ、天上の神々に祈りを送り届けるように意識を高く持ち上げることです。以上があなたの願望を叶える最短で最も容易な方法です。

徳を積まず、イメージトレーニング(視覚化)による強引ともいえる願望成就の方法がよく紹介されていますが、あなたが不必要なカルマを積まないようにするためにも、このような方法に頼るべきではありません。

自分の望むことをして生活ができ、自分の仕事が人々に喜んでもらえるならば、それは素晴らしいことといえるでしょう。そうした人生を生きるためにも禁戒、勧戒を生活の基本においた人生設計を考えていだたきたいと思います。

竹下 雅敏