アーカイブ: *生き方

hiropanの 絵と詩で泳ぐ 心の世界と島暮らし ~swimmer 第1回

 読者さんの中に、「hiropanさん」を覚えている方がおられるでしょう。
そう、「hiropanのAfter 3.11 ~震災後に見えてきたこと~」という連載をされていた方です。震災、原発、多くの人生を込めた「3.11」に遭遇した若い方が、素直にご自身を見つめた連載でした。読んでいると「3.11」への多くの気づきを与えられ、我が事として考え、反省し、励まされました。
 彼女はどうしているだろう。
その思いに応えてくださったhiropanさん、再登場です。
 彼女は、あの時のように真っ直ぐに語ってくれました。
(まのじ)
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お久しぶりです。hiropanです。8年ぶりにシャンティ・フーラで記事を書かせていただくことになりました。
After3.11の連載から、ずいぶん時が過ぎました。初めましての方もいらっしゃるとことと思います。私は、10年前に、福島から、広島県の離島に移住してきました。詳しいことは、After3.11の記事を読んでみてくださいね。

当時20代前半だった私も、現在では2歳と6歳の子供を育てるお母ちゃんになりました。毎日子育て奮闘中です。自分が子供を産んで育ててみて、改めて、世界中のお母さんたちの偉大さを思い知りました。

日常はギフトに溢れています。

子供達への愛情と尊敬と日々の小さな感動と。
それから疲労も苦労も葛藤も!(笑)

子育ては一筋縄では行かないけれど、5年後10年後、今がどれほど愛おしい時間だったかと、満足感の中で振り返ることができるようにと、願いながら、日々、奮闘しています。

そんな中、あるきっかけがあり、今年1月に、イラストレーターとして開業届を出すことになりました。家事・育児の隙間に、自分の特技を活かして、家でできる仕事を今からでも少しずつ始めていこうと思ったのです。
開業届を出して、ほんの数日後、シャンティフーラさんから時事ブログでの記事作成の依頼を打診するメールが届きました。
開業したこと、まだ誰にも言ってないのに!
それにしてもすごいタイミングです。

もしや、見られてる?(笑)


これも一つの流れかなと思い、この度、再び記事を書かせていただこうと決めました。
不定期の投稿になるかとは思いますが、皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

今日は、一つ、詩を書いてきました。

ずっと以前、私が個人のブログに書いた詩を時事ブログに掲載していただいたことがありました。
実は、当時の私は、ただ自分の思いを文字にして並べていただけで、自分では詩だとは思わず、ブログを書いていました。それを、たまたま、竹下さんが詩として評価してくださったことで、「自分てそんな特技があったの??」と照れ臭くも、嬉しかったのを覚えています。

ずっと子育てが中心で、絵を描くことも、詩を書くこともすっかり遠のいていたけれど、自分の中で、また少しずつ創作意欲が働き始めたのを感じています。

疫病、戦争、エネルギー危機に、食糧危機。
先々、見通しの効かない、不穏な空気が世界には漂っているけれど、その向こう側にある自然界の澄んだ声に意識の標準を合わせ、少しでも、心の中の平和を見失わないようにしたいものだと思います。

「真新しい日」

東の空が淡く白んで
地平線から 太陽がやってくる
真新しい1日が始まる

朝の清しい光の粒子を 胸いっぱい吸い込んで
目を閉じて そっと祈る

今日という日が 素晴らしい日でありますように

東の空が淡く白んで
水平線から 陽が昇る
真新しい1日が始まる

全てのものが 黄金色に輝いて
草木はぐんと 伸びをした

今日という日が 幸福でありますように

東の空が淡く白んで
連なる山々の向こうから 太陽がやってくる
真新しい1日が始まった

眩い光は束になり 凍えた大地を温め始めた
生まれたばかりの赤子のあくびが 白い息になって天に昇っていった

今日という日がどうか平和でありますように
 
やがて光は全てを照らして
命の核を揺さぶった
夜は静かに去っていった

生きろ

生きろ

生きろ

真新しい日がやってきた




Writer

hiropan

イラストレーター。
福島県出身。現在は瀬戸内海の離島に暮らしながら、夫と協力して二人の子供と2匹の猫を育てている。
2023年からイラストと詩で創作活動をスタート。
趣味で自然農の家庭菜園をしている。

Instagram👉https://instagram.com/pepocreation?igshid=YmMyMTA2M2Y=


In Deepさんに届けられた臨死体験の語り 〜 人類の岐路を決定するのは名も無き多くの人々

読者の方からの情報です。
 難しい論文や海外の翻訳記事ではない、InDeepさんの記事でした。やさしい日本語で語られた、ある女性の「臨死体験」と言ってよいかと思います。
InDeepさんが「妙に迫力のある文章の内容」と感じ取られ、「もちろん創作である可能性が高いのですが、創作でもよくできています。」と書かれているのは、創作であっても本質を突いているということかと思いました。
その女性は「地上」に戻ってこられました。戻ってこられた意味を、この語りで私たちも共有しました。
見えない存在の多くの協力を得て、地上の光を集める時なのだと。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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あくまで創作としてお読みいただきたいですが、今の現実と死後の世界を妙に示しているのかな、とか
転載元)
夏のある日に

あのデス根 (いい加減にしろ、最初から)。

いや、メルマガの読者様が「拾った文章です」として送って下さったものがありまして、いただいた時間が、もうお酒とか飲んでいる時間だったのですが、読みまして、

「うーむ……」

と思わざるを得ない、妙に迫力のある文章の内容でしてね


「私は2022年8月に死にました。」で始まる文章です。

もちろん創作である可能性が高いのですが、創作でもよくできています

それで DEATH ネ (いい加減にしろ)、その文章を載せること自体には問題がないと思いましたので、皆様にも読まれていただきたいと思いまして。

あんまりいろいろと前振りで書くのも粋ではないですので、その文章をご紹介させていただきます。

あくまで娯楽としてお読みいただければ幸いです。

改行以外は、一切の手を加えていません。

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ままぴよ日記 105 「家族団らん」

 久しぶりにコンサートに行きました。

 ショパン作曲のピアノ協奏曲第1番。オーケストラの演奏に導かれてピアノが始まり、突然悲しくて切ないメロディが流れてきました。不意に私の胸が震えて涙が溢れてきました。なぜ泣くのだろうと思いながらも止まりません。
 「ああ、私は悲しかったのだ」と思いました。それも自分の事ではなく、娘と一体になって悲しみに耐えている、と知りました。
 恥ずかしいのですが、このまま泣いていいと思い、鼻水じゅるじゅるのコンサートでした。

 さて、今回はお正月の里帰り第2弾です。
(かんなまま)
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涙、涙、涙の再会


娘家族を乗せた車が家に着きました。

それを待ちわびていたのはオーストラリアの妹とフィンランドの弟でした。お姉ちゃんは2人の顔を見て気が緩んだのか涙が溢れてきたようです。みんなウンウンと頷きながら抱き合って泣いています。言葉になりません。

あらあら、気が付けば、向こうで、やっと椅子に座ったばかりの娘婿を抱きしめながら夫が泣いています。最初に病気の知らせを受けたのは夫です。それから半年。病状を心配しながらも一度も会いに行けなかったのです。人前で泣く人ではなかったのに、年を取って涙もろくなったようです。

従妹同士になる子ども達も小さいころに会ったきり。でも、すぐに打ち解けて遊び始めました。あれれ?子ども達も大人もみんな英語で話しています。日本語がわからない人が3人居るので自然にそうなったのでしょう。日本の我が家で家族同志が英語で話しているという不思議な光景です。


賑やかな家族の団らん


さあ、賑やかな家族が戻ってきました。そして・・・私は一気に料理マシーンになりました。

お持ち帰りのうどんを作るだけでも大騒動です。大きなどんぶりが足りないのでバイキングのようにテーブルに具を並べて何度でもお代わりができる方式にしました。「どうぞ、好きなものを好きな場所で食べてくださーい!」と叫びます。

一瞬で家が散らかり、子ども達は家中を探検してまわります。最初に愛犬にだけは注意を払うようにと言いましたが、当の本人(犬)は見えないし、聞こえないのが幸いして安全なテーブルの下でグーグーいびきをかいて眠っています。

娘婿も会話に入りながらニコニコしていますが、実は帰る3日前に急に意識が遠くなり、何を聞いても「うんうん」と頷くだけで、身体も動かなくなっていたのです。

早く対処できたので1日の入院だけでよかったのですが、その時、先生に里帰りをする予定だと伝えたら「今のうちに帰った方がいいですよ」と言ってくださったそうです。何が何でも連れて帰りたいという思いが奇跡的な生還に繋がりました。

だから、お互いに顔を見ることができた時の喜びもひとしおでした。家族同志だから泣いていい。わかり合った上で一緒に前を向いて普通の生活をするために集まったのです。幸い、子ども達の存在が容赦なく日常に戻してくれるので助かります。

娘婿も初めは疲れた様子でしたが、家族のおしゃべり、子ども達のはしゃぐ声、生活の様々な音を聞きながら、だんだん穏かな笑顔になっていきました。

食欲も出てきたようで、何でも「おいしい!」と食べてくれました。一緒の食卓に座れたのには驚きました。娘から病状を聞いていたので介護用のお箸やスプーン、特別食まで用意していたのですがそっと隠しました。

その日はちょうどクリスマスだったのでオーストラリアの娘婿が特別のケーキを焼いてくれました。

子ども達は中学生のお姉ちゃん以外は皆でお風呂に入ります。


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インドから愛と光と不条理を受け取って🇮🇳 6

 皆様、お久しぶりです。インドではもう皆マスクもせず、中流層の暮らしが日々豊かになっている光景を目の当たりにしています。*スピード感があります。ウクライナ情勢について周りの人に聞いても「アメリカが背後にいるから」と冷静に世界情勢を見ているようです。

 最近はインドの競争社会に疑問を抱く若者たちに、原点回帰でリトリートファームの様な場所を作ったりする流れも目立つようになっています。

 そんなある日「アリヤ ヴィハル アシュラム」というガンジス川源流ヒマラヤ中国国境付近にあるアシュラムを訪ねることができました。インドにはたくさんのアシュラムがあり、精神性を高めるため日々努力されている人たちが大勢います。
(王蘇麗)
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インドのアシュラムにてサーダナ(精神修行)を経験した12日間



Q.アシュラムとはなんですか?

A.サンスクリット語の語源はsrama=解脱のために努力する、です。
古代よりグルー(サンスクリット語で特定の知識や分野でのエキスパート・メンター)の下、自然の多い山の中に庵を構え、世俗的な事柄から離れ、シンプルな暮らしによって心身の健康を増し、瞑想によって完全な静寂を得て真の自己に目覚め、内なる自由を得るための場所、と言われています。ヨガ(アーサナ・呼吸・瞑想)はアシュラムに欠かせません。


Q.なぜこのアシュラムに行ったのですか?

A.私はインドの優良(波動の高い)商品をご紹介する仕事をしているのですが、ある時デリーのお祭りの頃に年に1度だけヒマラヤ方面から下りて来て、手作りの石鹸を販売する人々に出会いまして。背の高いブロンド髪のヨーロッパ人達が多く、全員白のクルタとパジャマ(インドの民族衣装)を着ているので、めちゃくちゃ目立つ訳です。
毎回インド人客に囲まれ大盛況で、もみくちゃにされながら購入して使ってみるととても良い。そこで、そのグループの石鹸リーダーのスウェ-デン人に「売らせて欲しいの」と声を掛けまして、お付き合いが始まったわけです。10年前くらいになりますでしょうか。

通常、仕入れ先の現場には真っ先に出向く主義ですが、ここのアシュラムは最低2週間は滞在しなくてはいけない等の制約も多く、現場に行く事が何故か叶わないままになっておりました。
今回、まとまった時間を確保し、ついに訪れることができました。


Q.どのような人がどのように暮らしているのですか?

A.アシュラムの住人は、「グル・シシャ・パランパラ」と言われる古代から面々と続くインド徒弟制に基づき、師匠と暮らしを共にして学んでいます。こちらのアシュラムでも、20人ほどの弟子たちがインフラも整っていないガンジス川の水流の聞こえる川辺の土地で、規律ある暮らしをされていました。千年以上インドで脈々と続いてきたアシュラムの現代版だと感じました。

500ml一気に飲んで覚醒しそうになった人から、気を付けて少しづつ飲むように言われたガンジス川

グルーのギリダール・アディティヤ氏は若い頃はインド海軍に所属し世界中を回っていたそうですが、20代半ばには、ガンジス川源流の中国とインドの国境付近のヒマラヤの麓に自分の庵を構えたそうです。40年近く師を知る地元の村人は、師が裸足でヒマラヤのジャングルの中に入ったまま何日も食べずに瞑想をして帰って来る事、真冬の極寒のガンジス川で一日に3回沐浴する事、等の数々の逸話を話して聞かせてくれました。

アシュラムでの1日は、朝4時半の起床で始まります。離れにあるシャワーを浴びに、暗闇の中を数分歩きます。(シャワールームも、宿舎も、ホールも全てがセルフビルドです。)自分達で山から拾ってきた薪でお湯を沸かしますので、シャワーのお湯も熱々でまろやかで、石鹸は極上の手作り石鹸です。その後は、ヨガと瞑想で、日の出と共に太陽に向かって感謝を捧げ、太陽のエネルギーを頭頂からいただきます。朝食は朝9時、食事への感謝の祈りの後、自家菜園で採れたお野菜などのべジフード。

カルマヨガと呼ばれる労働の時間は11時から16時の約5時間。持ち回りで、毎日異なる労働を行います。今回、私は薪拾いにガンジス川周辺や森を歩き、石鹸を大判手製のチーズカッタ―の様なものでひたすら切り、落ち葉拾いや、庭掃除、図書室の掃除もしました。

石鹸バーを丁寧に1個づつ切ります。
鉄線ワイヤーがすぐ切れるので取り換え道具も近くに置いています

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竹下雅敏氏からの情報です。
31歳、12年無職の藪さんがホームレスを極める。
(竹下雅敏)
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配信元)