2022年5月1日 の記事

記事「ブチャの大虐殺を行ったのはウクライナ軍である」 の要点と疑問点 ~遺体から発見された金属製のダーツは、2014年以来、ウクライナ軍によってドンバスの住民に対して広く使用されていた

竹下雅敏氏からの情報です。
 4月29日の編集長の記事で、フランス国家憲兵隊の法医学部門の専門家18人とキエフの法医学調査チームの調査によって、「ブチャの大虐殺」はウクライナ軍が行った銃撃で民間人が死亡したことを証明したという事でした。
 その「ブチャの大虐殺を行ったのはウクライナ軍である」という記事の要点をまとめてくれているツイートがありましたので紹介します。
 解剖を行なったウクライナの法医学者ピロフスキー氏は、「私達はこの地域の同僚と、遺体から金属製のダーツを発見しました。」と言っていますが、それらは通常長さ3〜4センチメートルで、戦車の砲弾や野戦砲に含まれる一種の榴散弾だということです。
 この金属製のダーツは、2014年以来、ウクライナ軍によってドンバスの住民に対して広く使用されていたもので、ロシア軍はこの戦争でこのD-30榴弾砲を使用していない。
 記事には、「戦争の初めから、ウクライナの砲兵隊はヴォクザルナヤ通りのロシアの縦隊に砲撃した。…ロシア軍がこの地域から撤退する数日前の3月下旬、彼らは再び発砲し、ロシア軍がキエフとチェルニーヒウ地域を離れるとすぐに攻撃を繰り返した。…民間人はウクライナ軍によって行われた銃撃で殺された。」と書かれています。
 ただ、こうした説明では理解できない疑問があります。記事にも書かれているのですが、“なぜいくつかの死体は手を縛られた状態であったのか?”です。
 また、「ブチャの集団墓地、最大300人の遺体埋葬か」と題する記事が4月6日にロイターから出ており、4月22日にはBBCが、「マリウポリ近郊に集団埋葬地か、3月末から拡張見られると=米衛星画像分析」と言う記事を出しています。
 “ウクライナの地元当局は、ロシア軍が殺害したマリウポリ市民を埋葬していると非難している。…ウクライナや西側の同盟国は、民間人の大量殺人の責任はロシア軍とロシア政府高官らにあると非難している。”として、民間人殺害をロシア軍によるものとしています。
 しかし、PickUpさんの検証「ブチャの集団埋葬の真相」と題するツイートによれば、“遺体の人々が誰であったかはまだ分からないが、2月25日からゼレンスキーが、誰にでも武器を大量に配り始め…3月3日には、ゼレンスキーはさらに、全ての民間人がロシア兵を殺害することを認める法律に署名している。この背景には、民間人の犠牲者が増えても、それは後でロシアのせいにできる、という計算があったのではないか。…キエフ周辺では、新たに武器を手に入れ武装した多くの「民間人」が、ロシア軍だけでなく、ウクライナ軍や、民間人同士で攻撃し合っていた。…遺体が集められ、墓が掘られたのは「3月12日」で、ロシアの占領期間中ではない”とのことです。
 “手を縛られた状態の死体”に関しては、4月5日の記事の「特殊部隊によるウクライナ人を一掃する特殊任務」が発表されていた事と、4月6日の記事の「殺害現場を目撃した人のツイート」の内容から、ロシア軍全部隊がブチャから撤退後に、ブチャでロシア軍と協力関係にあるウクライナ人がウクライナの特殊部隊によって殺害されたと思っています。
(竹下雅敏)
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配信元)

 

 

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[YouTube]コカインの摘発

竹下雅敏氏からの情報です。
コロンビア警察がコカインを摘発する様子。どうやってコカインを中に入れたのか?
(竹下雅敏)
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Cocaine in avocados
配信元)

ままぴよ日記 95 「ドキュメンタリー映画『夢見る小学校』」

新緑が照り輝く季節になりました。
フキノトウから始まり、つくし、わらび、せり、ノビル、フキ、ウド、筍‥‥田舎に住んでいると自然に集まってきます。昨日はワサビ菜を頂いたので、夜遅くまでワサビ漬けを作っていました。私にとって春は保存食を作る季節でもあります。瓶に詰めたらひと安心です。

今年の春は、母の介護、愛犬の病気、コロナワクチン等で、心穏やかでいられないのですが、野草と触れ合っていると落ち着き、元気をもらいます。

私の隣で愛犬が寝息を立てています。今日は少し調子がいいようです。
さあて、久しぶりに子育ての事を書こうかな。
(かんなまま)
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日本の学校、アメリカの学校


アメリカに住んでいる14歳の孫が「自分の性格はあまり好きじゃないけど、自分の事は大好きだよ!」と言いました。8種体癖なので何かにつけてややこしい自分を知っているけれど、そんな自分を含めて好きと言えるのは最高です。

4年前、日本の学校に通っていた時は、自分を抑えて先生の期待に応え、クラスでも目立たないように頑張っていました。先生にとっては何の問題もない子でしたが、本人はとても疲れて帰ってきていました。家で弟に意地悪をしたり、ちょっとしたことで爆発して泣き叫んでいた時期がありました。

4歳年下の弟も自分の好きなペースで好きな事に没頭したいのに、それが全くできない学校で神経をすり減らしていました。先生から注意されるのが怖くて、家に帰ってきてからも息を抜くことができずに宿題に取り組んでいました。

字がマスからはみ出したらやり直し。定規で線を引いていないとやり直し。ドリルのページを書いていないだけでやり直し。次々に宿題が上乗せられて膨大な量になります。その全てが嫌で泣きながら宿題をするので時間はかかるし、宿題がトラウマになっていきました。

忘れ物をしても宿題が増えるので、何度もランドセルをチェックします。二人とも学校に行く前に緊張してトイレに駆け込むようになりました。


それがアメリカの学校に行ってから、すっかり解消されたのです。振り回されていた宿題がない。評価されるテストがない。姿勢を注意されることもないし、ソファに座ったり、絨毯に寝転んで授業を受けても誰も何も言わない。自分の思いついたことを言っても認めてくれるし、人と違ったことを言ったり、したりすると逆に「凄いね!」と褒めてくれるのです。

重たいランドセルもなし、教材や文具は全て学校にあるので忘れ物がありません。塾もないので2時に学校が終わったら自由!!

孫達は日本の学校を経てアメリカの自由な学校を体験したので、まさに水を得た魚のように学ぶ楽しさを感じ取ることができたのです。学校が楽しくて仕方がない。休みなんかないといいのに…と信じられない事を言い出す始末です。

世界を見渡したら、そんな学校の方が多いのに日本の子ども達は知りません。

授業も、学年で履修しなければいけないカリキュラムはありますが、それをいつどういう風に教えるかは先生に任されています。学年専任の先生なので熟練工のようなものです。どんな授業をしたら子ども達が楽しく学ぶか?先生も授業づくりに工夫を凝らします。

ほとんどの授業はチームで課題に取り組むプロジェクト学習です。子どもに選択肢が与えられて、みんなで考え、調べて、実践したことを発表します。

日本の先生は教える教科書、教材も指定されて、綿密なカリキュラムに縛られています。教え方も、初めに「めあて」があり、その期待された答えに導きます。例えていうなら子どもに塗り絵をさせるのが日本の教育です。線をはみ出さないように、指定された色を丁寧に塗る。それはきれいですが、これでは自分がどうしたいのか?がわからない子になってしまいます。


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