ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝6 ― 乗っ取られたイギリス(上)

 前回見た「るいネット」の記事の中にあるこの一文「黒い貴族は地中海貿易から大西洋貿易に移るためにヴェネチアからオランダへ、さらにイギリスへと移動」、この視点が極めて重要です。
 私たちは歴史を見る際に国家対国家の視点のみで見るように条件付けさせられてきました。例えば、身近なところでは北朝鮮対日本、北朝鮮対アメリカと言った具合に。
 北朝鮮と日本または北朝鮮とアメリカは、これまで長年敵対関係にあったとするのが常識見解でしょう。この見解を全否定は出来ません。しかしこの見解だけでは現実は見えてきません。
 国と一口で言ってもそれは一体何を?誰を?指すのでしょうか? 利用するため国家を都合よく動かしている存在があるのです。
 「黒い貴族」はそういった存在です。歴史の表舞台の裏にいる文字通り黒幕の存在です。彼らがイギリスの東インド会社のみならず、オランダ東インド会社をも用いて国家を動かしてきたと見ると、歴史の色合いは大きく変わるでしょう。
 イギリス東インド会社とオランダ東インド株式会社の間には流血の抗争があり、それを元とした英蘭戦争があったのは事実です。しかしそれは単なる敵対関係として、イギリスとオランダ国家、そしてイギリスとオランダの両東インド会社が抗争と戦争を繰り返してきたのだろうか? どうも単純な敵対関係とは全く違う意味がありそうです。
 今回はこれらに関する歴史事実を中心に追っていきます。
(seiryuu)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝6 ― 乗っ取られたイギリス(上)

1600年代イギリスの重大な動き ~イングランド銀行設立へ


27歳のウィリアム3世(1650-1702)
Wikimedia Commons [Public Domain]

1600年、エリザベス1世の勅許によりイギリス東インド会社が設立されます。この1600年代にイギリス国家は、そしてイギリス王室は大きく変動し、また変質もしていきます。このイギリスにおける極めて重要な変動を『ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表』は端的に次のように指摘しています。

「1649年 オリバー・クロムウェルは、イギリス議会から支援を受けて、国王チャールズ1世反逆罪の廉で処刑した。その後、クロムウェルは1290年にエドワード1世が発布した「ユダヤ人追放令」を事実上撤回し、イギリスのユダヤ人の受け入れを再開した。この追放令は、ユダヤ人をイギリスから永遠に追放し、1290年11月1日以降に国内に留まるユダヤ人は処刑すると定めたものである。」

「1688年 A・N・フィールドは、1931年出版の著書『すべてをつなぐ真実』で、この年のイギリスの様子を説明している。これが、クロムウェルがユダヤ人入国禁止の法を無視する決断をし、ユダヤ人が法に背いてイギリスに戻ってからわずか33年後の状況である。「クロムウェルがユダヤ人をイギリスに入国させるようになってから33年後、オランダの王子(訳注:ウィリアム3世ユダヤ金融の中心地アムステルダムから大勢のユダヤ人を引き連れてやって来た。義理の父をイギリスから追い出した王子は、イギリスの王位に就くことをありがたく承諾した。当然の結果として、6年後、王室に金を貸す目的でイングランド銀行が設立され、国債が発行された。ユダヤ人がやって来るまでのイギリスは借金などしたことはなかったにもかかわらずである。」」

pixabay [CC0]

王政が敷かれてきたイギリスが、共和政に取って代わられイギリス王が処刑。これをオリバー・クロムウェルによるピューリタン(清教徒)革命といいます。イギリスではその後王政復古したものの、やがてはオランダの王子がイギリス王へと。このいわば無血クーデターで、ウィリアム3世が英国王に就いたのを名誉革命といいます。ピューリタン革命と名誉革命を併せて英国革命ともいいます。

この英国革命によって、英王室、つまり国家に金を貸し付ける世界初の近代中央銀行イングランド銀行の設立へと繋がったのです。英国革命からイングランド銀行の設立、これはその後の世界に対して多大な影響を与える重大な変化です。

この動きは無論イギリス国家とその王室を重大に変化変質をさせます。そして取り上げた『ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表』文書の内容は、これらの歴史事実が一連の動きであったこと、つまり全てはグルになって仕組まれて起こされており、背後にあってそれを意図し操った存在がいて、それが「ユダヤ人だとしているのです。

オランダ東インド会社の所有ファミリー ~英国革命を通し誰が英国王になったか?


英国革命が起こされ、イングランド銀行が設置された一連の動き、この発端はイギリス東インド会社と、1602年に設立されたオランダ東インド株式会社の絡みからです。

オランダ東インド会社とは、イギリス東インド会社と同様に「会社といっても商業活動のみでなく、条約の締結権軍隊の交戦権植民地経営権など喜望峰以東における諸種の特権を与えられた勅許会社であり、帝国主義の先駆け。」(「ウィキペディア」)です。

オランダ海上帝国
Wikimedia Commons [CC BY-SA]

オランダ東インド会社は、イギリスに先駆けて東アジアや東南アジアを支配する一大海洋帝国を築きます。莫大な収益を得る勅許特権会社でした。しかもその内容は、会社の方針や経営内容など一切は実質として17人会と呼ばれる重役が仕切っていた模様です。寡頭独占ファミリー群が経営する超国家会社です。オランダ東インド会社もまた「黒い貴族」ファミリーが所有構成する会社であったに間違いないだろうと私は見ています。

Wikimedia Commons [Public Domain]
Wikimedia Commons [Public Domain]
pixabay [CC0]

1623年にモルッカ諸島アンボイナ島のイングランド商館を、オランダ商館が襲撃し処刑するアンボイナ事件が起きます。香辛料貿易を巡る争いの中で起きた衝突です。これでイギリス東インド会社は方向転換し、東南アジア貿易から撤退し、インド進行侵掠に向かうのです。このようなオランダ東インド会社とイギリス東インド会社の争いが元で英蘭戦争が起きます。

英蘭戦争は、内実として元々は民間会社の間の抗争とその民間会社の要請によるものからだったのです。
🔯第1次英蘭戦争は1652~54年で、49年にチャールズ1世を処刑したクロムウェル政権下にて。
🔯第2次英蘭戦争は1665~67年、王政復古したチャールズ2世が新世界アメリカ侵略、オランダ領ニューアムステルダムをニューヨークと改名し、これへのオランダの反発で勃発。
🔯第3次英蘭戦争は1672~74年、チャールズ2世がフランスと共謀しオランダを攻めます。

これをオランダは総督ウィレム3世を中心に迎え撃ち侵攻を阻止しました。実はこのオランダのウィレム3世こそが1688年にイギリス議会の要請でイギリスに上陸し、義父ジェームズ2世を追い出し、翌年英国王に就いたウィリアム3世、その人です。いわば敵国の王として英国と激しく戦争した相手の主が、名誉革命と評される無血クーデターにて、何と英国王になっているのです。

そしてオランダでの取り巻きを引き連れたウィリアム3世が英国王に就任し、そのウィリアム3世が認可することで、私的企業であるイングランド銀行が中央銀行として設置され稼働していくのです。

イングランド銀行憲章の調印(1694年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

イギリスとオランダ抗争の勝者は? ~オランダのオレンジ家とは?


イギリス東インド会社とオランダ東インド会社は、事実として死者を出す流血の抗争をも起こし、それが元で英国とオランダは戦争(内容的には海上戦に限られていた様子)を繰り返してきました。

さてしかしそれでは、この抗争と戦争の勝者とは誰でしょうか?
時が下り、オランダ東インド会社が獲得してきた植民地も、最終的には英国に摂取され英国は大英帝国として世界支配国家となります。従って国家の戦争と両東インド会社の抗争も、英国が勝利者であると歴史では描かれます。世界中にそのイメージが浸透してもいます。

1921年のイギリス帝国の版図とオランダ海上帝国の版図を
重ね合わせたもの
Wikimedia Commons [Public Domain]
Wikimedia Commons [CC-BY-SA]

・・・しかし英国の勝利??そうだとすれば英国の誰の勝利でしょうか? 英国民衆か?そんな筈は無いです。違います。それでは英国王家か?違います。1689年時点で既に英王家は、敵側オランダの王子だったオレンジ家のウィリアム3世へとすり替わり、もとのそれ以前の英王家は消えているのです。

さて、戦争に必要なのはいつでも莫大な戦争資金です。英蘭戦争を行った当時の英国の主であるクロムウェルそしてチャールズ2世は、その資金をどうやって調達したのでしょうか? 言うまでも無く融資によるでしょう。それではどこから融資を受けたのか? 当時金融の中心拠点へと移っていたのがオランダのアムステルダムです。

戦争の勝者はいつでも銀行家です。彼らは敵対する勢力のどちらにも資金融資します。それによって利子を得るだけで無く、融資先をコントロールするのです。それは相手が国家であろうと同様です。

英蘭戦争を戦った英国側の主クロムウェル、そしてチャールズ2世に資金を貸し付けていたのがアムステルダムに居住していた金融勢力です。この金融勢力こそが「オランダの王子(訳注:ウィリアム3世)がユダヤ金融の中心地アムステルダムから大勢のユダヤ人を引き連れてやって来た。」と表現される存在でしょう。

そしてそのユダヤ人たちとは特権ユダヤ宮廷ユダヤ人、つまり黒い貴族」たちでしょう。
何故そう言えるか? ウィリアム3世のオレンジ家こそが「黒い貴族」の主要ファミリーだからです。


1600年代イギリスで「黒い貴族」たちが画策実行したこと、それは以下のようになるでしょう。
🔯イギリスとオランダの東インド会社の争いを通しながら英国の支配中枢部の奥深くへと侵入
🔯ピューリタン革命と名誉革命で英王室を破壊。それと平行し英蘭戦争などの戦争の資金を融資
🔯貸し付けにより英国を支配コントロール下に置く。英王室の乗っ取りに成功してイングランド銀行設立

pixabay [CC0]
pixabay [CC0]


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

これまでのseiryuu氏の寄稿記事はこちら


Comments are closed.