アーカイブ: ニール・キーナン

金塊の歴史年表7:DFFIを取り戻すためのキーナン側の反撃 【後半】

翻訳チームからの情報です。
 "続きはここから"以降にモナコで開催された57ヶ国会議のことが出てきます。記事にも57ヶ国会議の成果の1つがBRICsだとありますが、竹下氏の2013年9月28日のコメントにも"私はこの会議によって、その後の世界の様相は一変したと考えます。この57ヶ国会議に出席した国と人々が核となって新しい世界が形作られる大きな流れが出来ました"とあります。
 この時の記事にもジェイ・ロックフェラーが会議へ招待をされなかったばかりか、無理やり参加しようとしてつまみ出されるエピソードが紹介されていましたが、なんと今回の記事で、体を張って摘み出した人物がニール・キーナン氏だったことが分かります。
(編集長)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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金塊の歴史年表
転載元より抜粋翻訳)

7.11 キース・スコットがダル・ボスコとOITCに関して暴露



2010年11月 ‐ 以前、OITC閣僚の長官を務め、レイ・C・ダム博士閣下の特使および執行人となり、さらに閣僚の議長となったキース・F・スコットがキーナンに書面で接触して来た。スコットはDFFIをドラゴン・ファミリーが法的な根拠に基づき、正当に所有しているとはっきりと述べ、2010年6月のデイヴィッド・セールの話と真っ向から異なる立場を取った。

【2006年3月3日、フィジー諸島で開かれた記者会見の場で、悪名高いメルキゼデク自治領に登録された企業コンソリデーティッド信用銀行の執行役員キース・フランシス・スコットがフィジー政府に対して30億米国ドルを請求する自社の取引証書を見せている様子。 ※この自治領とやらは、1990年にアメリカ人がコロンビア沖や南太平洋のフィジーなどに属する無人島を利用して勝手に独立を宣言した“なんちゃって国家"で、世界規模の金融詐欺に使われていたみたいです。】

【2006年3月3日、フィジー諸島で開かれた記者会見の場で、悪名高いメルキゼデク自治領に登録された企業コンソリデーティッド信用銀行の執行役員キース・フランシス・スコットがフィジー政府に対して30億米国ドルを請求する自社の取引証書を見せている様子。
※この自治領とやらは、1990年にアメリカ人がコロンビア沖や南太平洋のフィジーなどに属する無人島を利用して勝手に独立を宣言した“なんちゃって国家"で、世界規模の金融詐欺に使われていたみたいです。】


スコットは、キーナンのことをフルフォードが「歴史的債券の盗難」について書いた一連のネット記事で知ったそうだ。スコットによると、その2週間後にレイ・ダム博士へ知らせた際、ダムは怒りを露にしていた。ダムによると、問題となっている債券へのアクセス権を有するのはデイヴィッド・セールであり、【だからこそ】セールは債券のコピーを自分に送って来れたのだと、そのコピーを見せながらスコットに説明した。

自身の経験から言っても、さらには国際統合口座群(国際親登録口座(IPRA)の封鎖口座群)の本当の所有者名や全ての記録が詳細に記載されたリストで、ダムが「暗号管理手帖」と呼んで長年所有している資料と照らし合わせても、これら債券は本物だとダム自身が確信しているとのことだった。

【※ここの「国際親登録口座」ですが、連邦準備制度の「機関的親登録口座群」を書き間違えている気がします。3.02と5.01の章に言及されている、アメリカが中国から借り受けた金銀で立ち上げた口座です。】

スコットによると、様々な秘密の取り決めによってドラゴン・ファミリーは巨額の資産を有しており、その点についてはキーナンに「ドラゴン・ファミリーからどの位の金塊が預けられたのかを示す公的な銀行の秘密資料のコピー」を見せることで実証してみせた。

ドラゴン・ファミリーはスイスの民間銀行口座群に黄金やその他の貴金属や資産を預けていることで名の知られた存在であり、DFFIとは実のところドラゴン・ファミリーの所有する口座(IPRAの一部)の封鎖された資産に対する連邦準備制度の債務である、とスコットは主張した。
【※要するに、「債券は偽物だ」といちゃもんつけては借金の返還を渋る欧米に対して、「ドラゴン・ファミリーの方が正しい」とスコットだけでなく上司のダムも認めてましたよ、証拠も色々ありますよ、と言いたいのでは。】

世界中で閲覧可能なネット上の投稿で、デイヴィッド・セールもOITC自身の記録を調べればダル・ボスコとの書面による初めてのやり取りが2010年2月上旬だった点の検証は可能だと最近になって認めている。セールはさらに、2010年3月にダル・ボスコとOITCの間で交わされ、「ダムによって正式に作成された」合意文書の関連項目を幾つか公表するに至った。これでキーナンの疑いは動かしようのないものとなった。【※キーナンはOITCがダル・ボスコとぐるになって債券を盗んだと疑っていたので。】

【キーナン側の】キース・スコットとウィンストン・シュラウト【がハワイのラジオ局の】独占インタビュー【を受ける:】「1兆ドル訴訟の内部情報」

【キーナン側の】キース・スコットとウィンストン・シュラウト【がハワイのラジオ局の】独占インタビュー【を受ける:】「1兆ドル訴訟の内部情報」



7.12 ダル・ボスコ、ブルーノ、イタリア共和国、イタリア財務警察そしてベルルスコーニ企業に関する12月の暴露


2010年12月 ‐ 当月中旬あるいはその前後に、キーナンはブラジル人資本家カルロ・アルフレード・ナシメント・ダ・シルヴァ2008年9月の始め、彼の弁護士ルーベン・マリアーニの手助けによって、スイス・チティーノ州のルガーノ商業銀行をイタリアの元首相シルヴィオ・ベルルスコーニのために購入しようと画策していたことを知った。

【ベルルスコーニ元首相】

【ベルルスコーニ元首相】


ダル・ボスコ、ベルルスコーニ、そしてブルーノ、さらにはイタリアの財務警察を退職したマウリッツィオ・ファネリ、イタリア人弁護士ピエーレ・ルイジ・マンツィオーネ等がこの企みを支援し、焚き付けていた。

加えて、盗んだ債券をルガーノ商業銀行やその他のスイスの銀行に預けて融資枠を設定し、複数の取引計画(国連の20年統治計画のこと。人類のためのものでも国のためのものでもなく、ベルルスコーニだけが利益を得るための計画)に投入することも織り込まれていた。預金に回されようとしていた盗難資産には、イタリア財務警察が2009年にキアッソで押収し保有し続けている全DFFIや、ダル・ボスコが2010年に盗み保有し続けている全DFFIも含まれていた。

この情報は、2010年5月にジュネーブでマリノフがダル・ボスコとブルーノと行った話し合い(電話会談)の記録によっても裏付けられている。

【※オグニアン・マリノフ氏はブルガリアの高名な元諜報部員で、当時ダル・ボスコがブルーノとの電話会談をキーナンに聴かせて、賄賂を受け取るよう説得した現場に同席していた。その証言記録のこと。】

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金塊の歴史年表7:DFFIを取り戻すためのキーナン側の反撃 【前半】

翻訳チームからの情報です。
 今回は2010年後半から2011年後半までです。キーナン氏はドラゴン・ファミリーの代理人として、DFFI(彼らが欧米に貸し付けた資産を元手とした金融商品)を現金化して、PPP(世界救済事業のための私募発行計画)を実現しようと奔走していました。P2ロッジから派遣されたダル・ボスコをうっかり信用したら、DFFIを横領されてしまい、自分の手で取り返すことを決意したところまで前回ご説明しました。
 今回はDFFIを取り戻すために、キーナンとその仲間が訴訟やタレコミや暴露といった様々な手段で、共犯者を芋づる式に引き摺り出してはガンガン攻めてます!なのですが、途中で友人を暗殺されてしまいます。国連とか世界経済フォーラムとか、ほんと闇ですな、腐ってます。OITCは国連の出先機関もどきで、外交特権を1つ2万ドルで売りさばく詐欺集団。ドラゴン・ファミリーの国際担保口座群の正当な所有者は自分だと主張しており、ダル・ボスコがDFFIを渡した相手のようです。
 そういえばフルフォード氏の関連記事を調べてて知ったのですが、アメリカの金本位制の新通貨「アメロ」を発行するしないの話で、アメリカが借金している国々に交換レートが持ちかけられてたみたいです(現行のドルで借金しているので、それをアメロに幾らで換算するかという交渉)。2010年秋の時点で中国は最高額、日本は最低価格をアメリカから提示されていたとかorz わたしゃ一人パソコンの前で意識飛ばしかけましたよ。今週強行採決されたTPPに限らず、日本の外交手腕は穴掘って永遠に葬り去りたいくらいに低レベルでしたわ(泣)。今回出てくる様々な参考記事での日本の登場の仕方がもう情けないの極み。歴史に名を遺すであろう超重要モナコ会議に呼ばれない時点で完全に終わってます。日本、あかん。日本、やばい。
 あと今回、元記事の英語がどーひっくり返しても理解不能な箇所が幾つかございまして、その場合は独擅でフランス語版の解釈を採用しておりますので悪しからず。
(Yutika)
編注)明日、【後半】を公開予定。 

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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金塊の歴史年表
転載元より抜粋翻訳)

7.09 DFFIを取り戻すためにキーナンが取った訴訟行為


2010年6月~7月~8月 ‐ キーナンが自身の権限を強化し、ダル・ボスコの行為を拒絶するために取った対応は以下の通り

6月20日:キーナンはダル・ボスコに対して排除停止命令を送達し、DFFIの返還を要求。当該文書にて、ダル・ボスコの信頼反故行為と、ボスコが国連やイタリアや諸機関へDFFIを売却しようとしたこと、ベンダナにDFFIを返却することを拒否したこと【※ベンダナ氏はキーナンの友人で、前回スイスまでDFFIを回収しに来たのにボスコにすっぽかされた】、OITC【=国際財務管理機構】との共謀行為、国連・その上位の代表者たち・ブルーノ・世界経済フォーラムおよび/または世界経済フォーラムUSA等の援助を受けてキーナンを贈賄しようとしたことについて言及した。

【※上文の前者「世界経済フォーラム」はスイスのジュネーブを拠点とする非営利団体で、ダボス会議で有名。後者「世界経済フォーラムUSA」はアメリカNYを拠点とする非営利団体で、前者の北米調整役っぽい存在。ジャンカルロ・ブルーノはその両方のメンバーで、本家スイスの金融部門のトップ】

6月22日:山口からダル・ボスコに対する別個の排除停止命令の発行。訴状にはダル・ボスコが9,890億米国ドル相当のDFFIを違法に所持していること、そしてOITCへの譲渡をダル・ボスコが脅してきたことも明記してある。

7月2日:山口による東京のイタリア大使館を通したもう1つ別の刑事告訴。その他の罪状に加えて、とりわけ「重財産罪、詐欺罪、共謀罪、重窃盗罪、そして教皇への身体的危害を加える陰謀とバチカンに向けられた暴力行為の罪」でダル・ボスコを訴えている。訴状では、ダル・ボスコがイタリア政府の人間数名と結託して「ドラゴン・ファミリーから巨額の金を引き出すべく」試みたことを非難。

7月21日:国際刑事警察機構へ、ベンダナが宣誓陳述調書を提出。2010年6月にダル・ボスコからジュネーブで「1兆ドル以上の価値のある債券を取り戻そうとした」件について陳述。

7月26日:ウェールズ氏自身のダル・ボスコに対する「即時施行の排除停止命令」の発行。【※ウェールズ氏はキーナンが模索していたDFFI現金化を手助けしようとした人物で、おそらくボスコが預かっていたDFFIが出資金となる筈だったのではないでしょうか。当事者でないと独自に訴える権利ないですし。】

7月27日:国際刑事警察機構の仏国リヨン本部へキーナンが情報提供。イタリア人ダニエーレ・ダル・ボスコによる「約1兆米国ドルの金融商品の窃盗を白日の下に曝す」

7月29日:キーナンは、1992年10月ドミニカ共和国とバラゲール【元】大統領のために催された祝賀会で面識を得ていた、バチカン国務省長官ベルトーネ枢機卿猊下への手紙をしたためる。イタリアの市民都市およびフランスのディヴォンヌ・レ・バンの枢機卿にお知らせするには真に残念ながら、バチカンの財務顧問でメーソンの会計係だと自称するダル・ボスコが2010年6月、キーナンに託されていた「約1兆米国ドルと日本国債と共に失踪」した、という内容の手紙だった。

7月31日:ベンダナ氏が国連の潘基文に宛ての手紙に、配達証明書付きの証明郵便で届けられた関連情報を同封し、ニュージャージー州の彼の住居から送付した。手紙の中で、キーナンはイタリア人ダル・ボスコが約1兆米国ドルや其の他債券を持ち逃げしたこと、それらはキーナンに預託されていたが本来ドラゴン・ファミリーに帰属するものであることを潘基文に知らせた。

加えて「国連こそがダル・ボスコを債券の売却ないしは私募発行計画【※同じ名称ですが、キーナンのPPPのことではなく、ボスコが勝手にDFFIを元手に金を集めようと計画したのだと思います】に移動させるよう、突き動かした当の本人である」が故に、この手紙を書いているのだと説明し、「ジュネーブの国連事務局内部にはダル・ボスコを知る人物が複数おり、彼に1億米国ドルを提示した」筈だと指摘した。

おまけにダル・ボスコの“国連のお友達方"とやらは【厚かましいことに】、ドラゴン・ファミリーの山口氏はこの取引に関与して欲しくない、とまでキーナンに伝えてきたのだ。ドラゴン・ファミリーのために、彼はびた一文受け取れないことにされていた。

【※要するに、国連の連中はドラゴン・ファミリーには一円も支払う気がなかった。…元々ドラゴン・ファミリーの債券を横取りして金儲けしようという話なんですけどね、オイ。

8月:山口は宣誓陳述書の中で、“由緒あるケネディ債券"と呼ばれているものやその他10のケネディ債券に言及し、それらは2009年5月にニール・キーナンへ預けられたものと全く同一のものだと述べた。「アメリカ政府は何年も前にドラゴン・ファミリーから巨額の借財をしている。資金提供の根幹となったのは金と銀だ。よってアメリカ政府は当時の連邦準備制度を介して、巨額の米国ドル債券を発行することが可能となったのだ」と説明している。

さらに「我々ドラゴン・ファミリーはアメリカ政府への資金提供に対して、利息の支払いを請求した。利息は連邦準備債券と日本国債とケネディ債券で支払われた。【つまり】ケネディ債券は、ドラゴン・ファミリーに対する利息支払いのためにアメリカ政府が発行したものだと私個人は認識している」とも供述している。【以下要約:当該利息支払いの取り決めは1963年のグリーン・ヒルトン・メモリアル合意に含まれていること、ケネディ債券は市場では売買譲渡不可だが連邦準備制度を通してより良い世界を造るための人道的計画に充てるのであれば権限行使可能であること、インドネシアのスカルノ大統領が1967年の軍事クーデターで政権の座を追われて以来、アジア諸国に対する救済計画が頓挫していることも山口氏は説明した。】

8月30日:キーナンはブルーノ個人に対して、スイスの世界経済フォーラム本部宛てに証明郵便で手紙を発送し、ダル・ボスコではなくキーナンこそがDFFIの受託者であることを念押しした。そしてなかんずく:

①ブルーノが1億米国ドルを一切の質問を受け付けないキャッシュ【※つまり出所が怪しいお金ってことでしょうか】で提示したこと。

②山口氏には債券から何【の恩恵】も受け取らせず、債券の全部または一部をブルーノと彼の組織(世界経済フォーラム)が扱う連邦準備制度の投資計画に移す、というのが①の支払いの条件とされたこと。

③ダル・ボスコに対して国際的訴訟が5件起こされており、1つは国際刑事警察機構に対するものであること。

④マンハッタンの連邦地方裁判所にキーナンが民事訴訟を起こし、その中でブルーノと世界経済フォーラムが名指しされていること。

⑤そしてダル・ボスコがDFFIは連邦【準備制度】商取引計画に組み込まれ、国連が保管していると主張しており、しかもそれはブルーノが2箇月以上前に提案したことだと主張していると聞き及んでいること。
の以上を指摘した。

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金塊の歴史年表6:ドラゴン・ファミリー金融商品(DFFI)の横領事件

翻訳チームからの情報です。
 前回はキーナン氏が金塊史に関与するきっかけをご説明しました。ドラゴン・ファミリーの使者として、二人の日本人がDFFI(ドラゴン・ファミリー所有の債券)の一部をキーナン氏に手渡そうと試みるも、イタリアのキアッソで警察にいちゃもんつけられて更にその内の一部を没収されてしまいます。
 今回は、無事キーナン氏の手元に届けられた残りのDFFIのお話しです。こちらもやっぱりイタリア人に横領されます。うーむ、国家権力から銀行家まで駆使して手段を選ばず蛮行を繰り返してます。…てことは、最初のキアッソ盗難にもPS2とかバチカンとか裏で絡んでないかね?などと疑ってしまう訳者でした。国連なんぞはただの使いパシリでしょう。やはり悪の親玉はイルミナティでしょう、カバールでしょう。
 ちなみにDFFIはこれまでの金塊史に登場した連邦準備券とか日本国債とかケネディ債券とか、金の亡者垂涎のシロモノの寄せ集めなようです。その危険な魅力に屈することなく、世界を良くする事業計画の資金源に充てる方を選べるキーナン氏やドラゴン・ファミリーの方々は凄いです。しかも今のところ、かなりの労力に関して無償ですよ、キーナン氏(←成功報酬は約束されている模様)。おまけに思いっきり試されている気がするんですけど…。盗まれても再発行可能な金融商品を餌に敵と味方をふるいにかけましたよね、ドラゴン・ファミリーの皆さん?恐るべし、”中国四千年の歴史”。
(Yutika)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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金塊の歴史年表
転載元より抜粋翻訳)

7.05 ダル・ボスコがニール・キーナンに紹介される


2009年7月 ‐ 自称フリーメーソンの33位階でモンテカルロのP2(プロパガンダ・ドゥエ)ロッジ所属のミスター・レオ・ザガミという男が、真実(解明)運動のアジア特派員でジャーナリストであるベンジャミン・フルフォードと話すために来日した。ザガミがフルフォードに教えたところによると、山口とワタナベはキアッソで「嵌められた」のであり、当地でのDFFI【=ドラゴン・ファミリー金融商品】押収に関する「内部情報」を彼自身が有しているという。

【フルフォードとザガミ】

【フルフォードとザガミ】


イタリアに戻ったザガミは、フルフォードとローマで会う手筈を整えた。そこでもキアッソのことが話し合われ、スカイプ通信を通してダニエーレ・ダル・ボスコをフルフォードに紹介した。この男はザガミの代理人で、信頼の置けるバチカン銀行家であり、P2フリーメーソン・ロッジと繋がりがあるとのことだった。ザガミはフルフォードに、ダル・ボスコなら「イタリア財務警察によって押収された債券を現金化する」手助けをすることができるだろうと述べた。

この話し合いの結果、ダル・ボスコは照会先としてザガミの名を挙げてキーナンに面会の申込みをしてきた。ダル・ボスコとキーナンは9月に直接会うまでの約6週間、ほぼ毎日スカイプで話し合った。ダル・ボスコは単にザガミ個人だけではなく、バチカン【教会】、バチカン市庁国、ローマ市の財務顧問を務めており、ローマとモンテカルロのPSフリーメーソン・ロッジにおける会計責任者でもあると主張していた。

2009年9月 ‐ キーナンはダル・ボスコにDFFIの管理を任せることが、彼にとって最良の選択だと納得するようになっていた。9月8日、アレッサンドロ・サンティという非常に親しい友人と会うため、キーナンはイタリアへと飛んだ。キアッソ没収事件に先だって山口も会っていた人物である。ダル・ボスコがサンティにキアッソ事件で自分が知っていることを話したがっていたので、キーナンとサンティはミラノでダル・ボスコとも合流することにした。

DFFIを手渡されてからというもの、ヨーロッパでの旅の間中も含めてだが、キーナンは万全を期すために全てのDFFIを自分自身で所持していた。そしてこれまでは、出歩く前にDFFIをホテルに貴重品として預けていた。

【しかし】9月18日にスイスへ戻った際、ブルガリアの自宅へチューリッヒ空港から帰る前に、キーナンはそれまでの両者の話し合いで決めた通り、DFFIをダル・ボスコに手渡した。

以降ヨーロッパやチューリッヒ中を何度も旅する間、ダル・ボスコはキーナンと会っては、キーナンが所持するDFFIを出立時まで預かるようになった。【中略】

2010年1月 ‐ キーナンはダル・ボスコを連れて、金融トレーダーのH・エドワード・ウェールに会いにスイスのジュネーブへ行った。これ以外にも少なくとも2度、ダル・ボスコはチューリッヒでの会合に【キーナンから預けられた】DFFIを持参して来た。それが保管人としての役割であり、とあるPPP【=ドラゴン・ファミリーの世界救済計画】にDFFIを投入するというキーナンの計画を容易にするという理由からだった。

7.06 ダル・ボスコに対する疑念



2010年2月 ‐ キーナンがチューリッヒに滞在中、ダル・ボスコは唐突にそして驚いたことに、ジャンカルロ・ブルーノと世界経済フォーラムを介して国連の高官と接触することを提言して来た。そうすれば自分たちは、DFFIに含まれていた米国連邦準備券と引き換えに1億USドル得られるとのことだった。

2010年2月 ‐ キーナンが気付かない内に【中略】、ダル・ボスコはドラゴン・ファミリーという存在と彼らの所有する様々なDFFIの価値に強い興味を示し、【中略】独自の調査を開始していた。イタリア政府やイタリア財務警察の内通者から、キアッソで押収された連邦準備券とケネディ債券が本物だったと教えられると、ダル・ボスコはさらなる関心を抱くようになる。

2010年2月 ‐ 以上のような調査や繋がりの結果として、デイヴィッド・セールやOITC【=国際財務管理機構】、レイ・ダムといった連中(被告)を知らされることになるとはキーナンは思ってもみなかった。彼らは2010年3月16日付けで、ダル・ボスコと書面にて契約を取り交わしている。

この契約によると、OITCはダル・ボスコがキーナンからDFFIを盗み出し、OITCへと渡す目論見を完全に認識している。DFFIを受け取った後は、国連憲章や国連の“国家主権免責”保護云々の取り決めに基づいた権利とやらを振りかざし、OITCが所有権を主張する手筈だった。
ダル・ボスコのヨーロッパにおける繋がりは、国連と直接接触することのできるジャンカルロ・ブルーノや世界経済フォーラムも含まれていた。

【ジャンカルロ・ブルーノ】

【ジャンカルロ・ブルーノ】


以降、これら様々な人物と組織が獲物を狙って様々な犯罪計画に参入するようになる。ダル・ボスコはキーナンやドラゴン・ファミリーの受託者としての全責務を反故にして裏切り、自らの私利私慾のためにDFFIを盗み、その所有権を書き換えようとしていたことを、キーナンは後に知ることとなる。

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金塊の歴史年表5:ニール・キーナンとドラゴン・ファミリーから派遣された二人の日本人

翻訳チームからの情報です。
 いよいよニール・キーナン氏個人が関わってくる年代に突入しました。東洋による反撃開始編ですね。戦後、ブレトン・ウッズ協定で西側が世界をより良くしてくれると期待していたアジア・アフリカ諸国を裏切り、カバールが金融独裁を推し進めていました。50〜60年代にはケネディが立ち上がりますが、連邦準備制度に金を差し出したルーズベルト同様に暗殺されます。スカルノを始めとした、志の高い非同盟諸国の政権も西側の工作によって次々転覆。
 この状況を打破するべく、キーナン氏が2008年にドラゴン・ファイミリーの助っ人としてリクルートされる訣なのですが、それまでの仕事っぷりって世界を股に掛けた交渉人とかフィクサーみたいですね(笑)。職業名がどこにも明記されてないから余計に想像の翼が羽ばたいてしまいます。今回話題に上っているキアッソの盗難訴訟のせいで、彼のことを「弁護士」として紹介しているサイトもあるのですが、彼は法律の専門家というよりも法律・経済・政治の世界を縦横無尽に渡り歩いて、利害関係を調整するのに特化しているのではないかと思うのです。で2008年からは、表に出ると西洋の銀行家カバールに暗殺されちゃうドラゴン・ファミリーを対外的に代表する顔になった、と。
 あと本文中の経済用語ですが、私のような庶民には「なにそれ?くいもんっすか?」的な「金融商品」とは、株券や国債や為替や金銭など金融取引となるものの総称、なんだそうです(たぶん)。その一部を「私募発行計画」、つまり元々ドラゴン・ファミリーが所有権を持つ国際担保口座群の一部を元手(=担保)として、新たな債券か何かを発行し、出資者から得た資金で世界を救済するプロジェクトを実行するって話だったのではないでしょうか。あるいは、持ってる債券の一部を換金するか移動させて別口座を開設するのかな…うーむ。ま、どっちにせよ最終目標は金融商品を資金源にした世界救済ってことで(←超テキトー)。
 そのために、なんと二名の日本人がドラゴン・ファミリーの金融商品の一部を(当時ブルガリアに居を構えていた)キーナン氏の下へ届けようと頑張ってます。←イタリアで一部、”没収”されちゃいますけど。中国や台湾文化のファンであり、第二次世界大戦で日本軍が西洋のパシリとしてアジア諸国から金銀財宝を強奪したことを大変心苦しく思っていた私めとしましては、ドラゴン・ファミリー側にも日本人が採用されていることがなんだか嬉しかったです。
(Yutika)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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金塊の歴史年表
転載元より抜粋翻訳)

7.00 ニール・キーナン:この7年間を時系列で 
7.01 金融独裁の【実態を知る】前のニール・キーナンの人生


デイヴィッド・ウィルコックの記事「金融独裁」でニールの巨額訴訟が知られる前まで、ニールは世界中を旅しては様々な商売、そして誰も引き受けたがらない構造改革計画の類に携わってきた。アンデスからサントドミンゴに至るまでの複数の発展途上国で国々のトップと仕事をしては、善人・悪人、あらゆる階層の人々と接触を重ねた。【以下要約:彼はどんな人とでも意思疏通できる才能に恵まれている。日々様々な人々とコンタクトをとっている情報の宝庫であり、さらにはその情報を整理して、誰の命をも危険にさらすことなくどこまで公表してよいのか選り分けることが出来るのだ。】

【ニール・キーナン氏】

【ニール・キーナン氏】



7.02 挑戦とその先に続く道のり



【ドラゴン・ファミリーの一員アルバート伯爵とキーナン氏】

【ドラゴン・ファミリーの一員アルバート伯爵とキーナン氏】


2008年8月 ‐ 全ては、ニール・キーナンにドラゴン・ファミリーが山口アキヒコという名の外交代表を通して接触を図って来たところから始まった。以前キーナンが山口に対して手助けをし、政界への繋がりを紹介したことがあったため、ドラゴン・ファミリーの人道的計画を促進するための国際銀行取引や商取引へ直接の関与をするよう、山口がキーナンに強く求めるようになったのだ。

正式な銀行の承認を得た後に一定の日本の債券と連邦準備制度債券とケネディ債券を「私募発行計画(PPP)」へと移すため、山口は「ドラゴン・ファミリー金融商品(DFFI)」をキーナンに提供した。ドラゴン・ファミリーは、彼らに全体の85%が帰属する国際担保口座群からDFFIを作り出し、それが支える計画やプラットフォームを主導するようキーナンに依頼してきたのだ。

グリーン・ヒルトン・メモリアル合意から数十年が経過しても【欧米に】何の動きも無かった事実を踏まえ、この十年ほどドラゴン・ファミリーの複数の派閥が【自分たちで直接、】多額のアメリカドルを数多の世界的な人道支援活動に充てようとの試みに着手していた。例を挙げれば、米国のハリケン・カトリーナ、ハイチや中国やインドネシアの大地震、チェルノブイリ原発事故など世界中の災害時の救援、グルジア共和国のインフラ再建、ケイマン諸島やバングラディッシュの水およびエネルギー資源提供などである。

7.03 ドラゴン・ファミリーによって法定代理人の地位がニール・キーナンに付与される



2008年10月 ‐ 一種の特別委任状とドラゴン・ファミリーのトップであるハーン将軍の承認により、世界のいかなる経済支援および人道的計画にもDFFIや債券を用立てることの出来る権限を、キーナンはドラゴン・ファミリーから書面で授与された。

【使用可能なDFFIや債券とは:】

「1934年のアメリカ連邦準備券」
  ・連邦準備券249枚、額面価格はそれぞれ5億【ドル】
  ・合計の額面価格は1240億
  ・それぞれ1934年以来、年4%の利札付き
「日本国債」
  ・日本政府国債2枚―57シリーズ
  ・額面価格はそれぞれ日本円で5000億【中略】
「ケネディ債券」
  ・ケネディ債券1枚、額面価格は10億USドル
  ・この債券は有効かつ適法でいかなる担保物権も付着していない

【以上の】連邦準備券、日本国債、ケネディ債券のPPP化に関する労働の対価として、キーナンは当該PPPの利益配当分から最低でも3割を享受することになっており、それらの利益はインフラ整備と経済開発計画に投資される予定だった。

2009年1月 ‐ キーナンはドラゴン・ファミリーを代表して連邦準備券・日本国債・ケネディ債券をPPPへ投資すべく、これらの債券を所有し管理する任務と、スイスのチューリッヒにおける【代理】責任を直接引き受けた。
 
国債や債券を確かめている山口とキーナン

国債や債券を確かめている山口とキーナン


2009年5月 ‐ キーナンは利子を含めると今日の価値が1兆ドル以上となる当該DFFIを全て授受したことを書面で追認した。ドラゴン・ファミリーが蓄積してきた富のこの部分は連邦準備制度に登録されており、中期債や長期債に交換されたものだ。

【次に掲載されているパスポート写真などから、向かってキーナンの左側にワタナベ氏、右側にいるのが山口氏だと思われます】

【次に掲載されているパスポート写真などから、向かってキーナンの左側にワタナベ氏、右側にいるのが山口氏だと思われます】



当該DFFI全体に対する特別委任状により、キーナンは最終的な詰めの交渉を担当し、PPP関連の現金の増加および/またはプロジェクト取引を行う権利が与えられた。【中略】このような資産を人道的目的の様々な計画に活用することが、ドラゴン・ファミリーの望みだった。

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金塊の歴史年表4:本物のM1(口座管財人)を排除し、偽M1にすげ替えたCIA

翻訳チームからの情報です。
 今回は、非同盟運動(NAM)の立役者の方々の悲しき末路について。オバマの実の父&母&継父、全員そろってがっつり関わってて、まー黒い黒い。彼はCIAのサラブレットですな。ちなみにオランダ王室もちょっろっと登場します。なぜでしょう?過去記事「[竹下雅敏氏]裏のイルミナティの位階の代表人物と関連の説明です」に答えが潜んでいるのではと個人的に解釈しております。
 実は訳者の私、中学校時代をインドネシアのスラバヤ(二番目に大きい都市)で過ごしまして、「日本人は華僑と間違えられ易いから有事の際には気をつけなさい、中国人はスハルトのクーデターの時に沢山殺されて、あの大きな川(多分スラバヤの「マス川」)が彼らの血で赤く染まったんだよ」という話を当時よく耳にしました。別にスカルノ支持云々じゃなくて、「華僑=お金持ち」「現地の人=使用人階級」という図式が東南アジアでは形成されることが多く、どさくさ紛れに次々襲撃されたとのことでした。子供相手に誇張していたのかと思いきや…今回の記事を読むと全然そーでもなさそー過ぎてコワイっす。
 また、欧米が勝手に選んだ「偽M1(口座管財人)」が誰だったのかもやっとこさっとこ判明します!以前の金塊史では偽者が誰か明らかにされていなかったのですが、真相を知ると、「だからこそ彼はあそこまで栄華を極められて、調子に乗っちゃって、最後は西側に潰されたのか~」とナットク出来ました(詳しい経緯は金塊史シリーズ第二回目にて)。
 そして記事最後、正当な所有者が口座を動かせない点については、投獄の危険もさることながら、シリーズ第一回目などでもご説明しました通り、正確には皆さん殺されてます。偽M1なんかは、その前に拷問も実施してて…あれ?そこら辺詳しかった二回目の元記事の1つ新しい明日さんも消されてる…嗚呼”はっぴぃ・はろうぃん”ですがなっヽ(ll゜д゜)ノ
(Yutika)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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金塊の歴史年表
転載元より抜粋翻訳)

6.00 CIAが、とある政権と口座管財人M1を転覆させる



アメリカ政府とCIAの援助、さらにオーストラリアとイギリス当局の密接な支援もあり、1965年10月1日スハルト将軍下のインドネシアで軍事クーデターがセッティングされた(記事:「CIAによる他国政府転覆の仕方」)。結果として、大半の推計によると、スカルノの支持者や労働者や農民、学生、政治活動家や華僑の人々が最大100万人は虐殺され、何万人もの無抵抗の人々が投獄されたり強制収容所送りになったという。

左がスハルト将軍

左がスハルト将軍


当時スカルノは徐々に自宅軟禁状態に追い込まれ、(大統領宮殿のある)ボゴール市からジャカルタ市への移動だけが許されていた。スハルト将軍はスカルノ大統領を支持していた他の将軍たちへ接近していき、彼らが拒絶できないような申し出をしてみせた。

スカルノの娘、メガワティ・スカルノプトゥリがインドネシアのTVで語ったところによると、謀反革命が起こった際には父親の支援者たちが父の側に付くと思い込んでいたが、将軍たちは父親に対してもその家族に対しても何ら手を差し伸べなかったのだそうだ。スハルトのこの一手は、スカルノの自宅軟禁への反対論を完全に封じ込んだ。

スハルトとニクソン

スハルトとニクソン


1967年1月には、軍隊におけるスカルノへの主立った支持は全て取り払われた。1968年3月27日、スハルト将軍がインドネシアの大統領となる。彼は人民によって選ばれた訣ではない。彼が自ら選んでおいた議会によって選出され、任期5年の大統領の第一期目を務めることとなったのだ。

諜報機関(CIA)によって画策されたこの1965年のクーデターは、共に手を携え連邦準備銀行ならびにCIAを壊滅させるという、ケネディとスカルノの合意のせいだった。これは紛れもない報復行為だ。彼らはそれを謀反的革命だと言ってのけ、共産主義国を非難したが、実のところは西側が引き起こした革命であり、こんなことは“超大国"とやらのお言葉に従わなければ、世界のどこでだってしょっちゅう起こっている。

【上:BBRDW投資会社/ハワイ銀行/チェース・マンハッタン、左上:ハワイ行動科学大学、MKウルトラ、左下:スハルト/クレーン・グループ、右下:米国国際開発庁/平和部隊/フォード財団、右上:イースト・ウェスト・センター、ハワイ大学、中央:CIA】

【上:BBRDW投資会社/ハワイ銀行/チェース・マンハッタン、左上:ハワイ行動科学大学、MKウルトラ、左下:スハルト/クレーン・グループ、右下:米国国際開発庁/平和部隊/フォード財団、右上:イースト・ウェスト・センター、ハワイ大学、中央:CIA】


1965年後半から1966年前半にかけ、軍隊とイスラム集団が一丸となって日々最低でも1500人のスカルノ支持者を銃殺か斬殺か撲殺して行き、さらに時にはその首を棒に突き刺してはパレードしていた様子を、アメリカやオーストラリアの高官はそれぞれ自分たちの政府に肯定的に報告(プロパガンダ)していたことが文書に記されている。

この大量殺戮に対する欧米の大使館の熱狂ぶりは、戦略的および政治的な利害を深く反映したものだった。

クーデター以前の10年間、世界の主要国々はスカルノ大統領率いる不安定かつ国粋主義のインドネシア政権と日増しに軋轢を生じるようになっていた。1957年後半やさらに1964~65年になると、スカルノは労働者や農民の大衆運動をかろうじて抑え込むのがやっとだった。このようなストライキや立て篭もりは、まずはオランダの、そしてやがてアメリカやイギリスの諸銀行・企業・プランテーションを脅かしていった。
スカルノは自宅軟禁下の1970年6月に亡くなっている。

オランダ公式訪問中の1970年9月3日、インドネシア大統領スハルトとシティ・ハルティナ大統領夫人をスーストダイク宮殿で歓待するベルンハルト公とユリアナ女王

オランダ公式訪問中の1970年9月3日、インドネシア大統領スハルトとシティ・ハルティナ大統領夫人をスーストダイク宮殿で歓待するベルンハルト公とユリアナ女王


西側諸国と米国株式会社の復讐は思惑通りの、悪意に満ちたもので、全国土を席捲し、その爪痕は未だにインドネシアに残されている。今日もアメリカの巨大企業がインドネシアの天然資源を掠奪しているのだ。

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