アーカイブ: ホツマツタヱ

ユダヤ問題のポイント(日本編) ― 基本情報2 ― 天皇の血統

 瀬織津姫様を大君とする神団が降臨されて「天界の改革」がスタートしました。2007年元旦がその始まりでした。以来13年になろうとしています。
 幸い私はその最初からほぼリアルタイムに情報提供を受け、実際に立ち会いもして体験もしています。そしてこの地球を含む大宇宙全体(天界)が、神神によって秩序だったシステム構造で運営されていることも教えていただき、私にとっては神神や天界の存在は全くリアルな現実となっています。
 しかし、一般には神や天界などは大変縁遠いものでしょう。この物質世界では確認のとれない性質のものでもあります。それで私自身は、必要最低限以外は霊的世界にはできるだけ触れないように記述はしてきたのです。しかし日本を見ていくのには天皇の存在を絶対に欠かせません。そして天皇を見るには天照大神を始めとする「ホツマの神」に触れないわけにはいけないのです。
 先週11月5日の記事で竹下さんが改めて明らかにされていますが、天照大神は日本人として生活されており、その血統が天皇に繋がっているのです。
 ところがこの日本の天皇をメシア=キリストに置き換えようとするとする動きは事実としてあったのです。幾度も指摘してきたように、メシア=キリストとは一口で言えばユダヤ王です。現在の世界情勢から見ればユダヤ王=世界統一王ということになりそうです。当然ホツマの神に繋がる日本の天皇とユダヤ王は全く異質です。
 「日ユ同祖論」で日本人のルーツが古代イスラエルならばユダヤ王も成立するでしょう。しかし事実は違います。元々の日本人のルーツはホツマの神に繋がるのです。それを隠蔽して古代イスラエルに日本人のルーツがあるとする「日ユ同祖論」は、日本でユダヤ王(世界王)を誕生させようとする運動の一環と見て取れます。
 ユダヤ式の統治システムが一概に悪だとなど言えません。それが日本で成立していた時期もありました。しかし、事実を隠蔽や改竄した上でユダヤ式の統治システムを勝手に構築するのはやはり到底許されないでしょう。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本編) ― 基本情報2 ― 天皇の血統


天皇の任務 〜地球の霊的統治の中心は日本


2007年に始まった「天界の改革」にて、太古から日本が地球の霊的統治の中心にあり「日高見の地」があったこと、そして現在の日本にある中央と東西南北の5つの「日高見の地」がどこになったのかを竹下さんが明かされました。

5つの「日高見の地」中央が那須の茶臼岳、北が北海道の大雪山、東が宮城の栗駒山、南が奈良の弥山、西が宮崎の高平山です。現在の「日高見の地」とは「スバルからの光」が降りている場所を指すとのことです。

私達の太陽系はシリウス星系の一端にあり、シリウスシステムといいます。もしくは「ホツマの神」が統治していることからホツマシステムともよびます。

私たちの12のシステムの宇宙におけるシリウスシステムとスバルシステム

2007年まで天界のホツマの神神の中にあって天帝の地位にあったのが天照大神で男性神です。天照大神は天界の天帝でしたが、太古に地球上で人間として生活もしていました。「ホツマツタヱ」を読めばこの日本で天照大神たちが実際に生活していて、天照大神と瀬織津姫の出会いなども生き生き描写されています。そして、天照大神の血筋が男系を通して神武天皇以下の天皇に繋がるのが分かります。

天照大神から神武天皇までの系図

この私達のシリウスシステムの上位システムがスバル星団のスバルシステムだとの事です。スバルからの光とは異次元からの光ということになります。

「日高見の地」の中心で最も位階が高いのが中央の「日高見」那須であることが明かされています。ただし2007年までは南の「日高見」になる奈良、京都のあたりが長く地球の霊的統治の中心地だったのです。それで奈良・京都に天皇の都が築かれ、古い日本地図には南北が逆転した地図があったのでした。奈良・京都のあたりが位階も最も高かったのです。

先祖霊である天照大神を中心としたホツマの神を祭祀する大神官が天皇なのです。大神官の役割は天皇以外に務められないのです。天照大神から神武天皇、そして代々の天皇は男系を通してその血統がずっと繋がっているからその役割を担えるのです。そしてそのホツマの神神がこのシリウスシステムを霊的統治しているのです。本来としてホツマの神を祀る社が神社なのです。

天皇の役割はどのような宗教的権威でも、例えばローマ法王などでも担えません。ローマ法王はホツマの神と血統として全く繋がらないのです。それにローマ法王が祀り繋がる最高の神格はサナット・クマラまでで限界です。

サナット・クマラはホツマの神ではなく神霊になります。もとはホツマの神でしたが、転落し神霊に格下げされているのです。従ってサナット・クマラは本来は神社で祀ることはできず、寺院でしか祀られないのです。ちなみにサナット・クマラを祀る寺院が京都の鞍馬寺なのです。

鞍馬寺奥の院魔王殿

» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(日本編) ― 基本情報1 ― 秘密結社八咫烏の結成

 今回は日本の裏というか闇の歴史を理解するための基本となる情報を記します。
 「日ユ同祖論」があります。ウィキペディアの同記事の冒頭に次のようにあります。

「日本人(大和民族)の祖先が2700年前にアッシリア人に追放されたイスラエルの失われた十支族の一つとする説。 但し、ユダヤ人(古代イスラエル人のうちのユダ族、ベニヤミン族、レビ族)ではなく、ユダヤ人と共通の先祖ヤコブを持つ兄弟民族である。」

 兄エサウに成りすまし家督を継ぎ、イスラエルを名乗ったヤコブが日本民族の祖? この説自体はデタラメです。この説だと日本人の起源はいくら辿ってもヤコブ誕生の紀元前1680年頃が上限です。そして実際にユダヤ人と兄弟民族の日本人が日本列島に住み、文化を築き出したのは北イスラエル滅亡の紀元前721年以降となるでしょう。
 こういった言説が全くナンセンスなのは「ホツマツタヱ」を読めば明瞭です。そうでなくても縄文時代や三内丸山遺跡に目を向ければこういった「日ユ同祖論」がありえないのははっきりしています。「日ユ同祖論」を主張する方々には日本には縄文時代が無かった、もしくは縄文人は日本人ではないことになっているのかな?と首を傾げます。
 ただし、多くのユダヤの文化が日本にもたらされて、その強い影響のもと日本が形作られてきたのも事実です。その中の一つと言えるかどうか…、ユダヤ人末裔が結成し、日本の歴史に大きな影響を与えてきた秘密結社が「八咫烏」です。「八咫烏」組織の基本的な特徴だけを箇条書きで示しておきます。

秦氏(ユダヤ人末裔)によって結成された日本最古最強の霊能集団
藤原氏の敵対勢力として結成。
③レビ族がその中心にありカバラを駆使するカバラ熟達者集団
④カバラの源流が原始エルサレム教会なので、
a 思想として終末論と救世主到来を持つ。
b メシアつまりユダヤ王(世界王)を自分たちから輩出する目的を持つ。
c 基本的にはホワイト・ロッジ(悪魔崇拝でない)に所属。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(日本編) ― 基本情報1 ― 秘密結社八咫烏の結成

神武東征を導いた八咫烏 〜「ホツマツタヱ」では八咫烏は老翁


八咫烏に導かれる神武天皇
Wikimedia Commons [Public Domain]

日本の歴史上、初めて八咫烏が登場するのが有名な神武東征です。日本の初代天皇と記録される神武天皇を導いて“ヤマト入り”を成功させたのが八咫烏とされているのです。

ただ八咫烏の前に神武天皇について少し。神武天皇は大陸からやってきて朝廷を打ち立てたとか、天皇を「スメラミコト」と呼称するところから「シュメール」が起源であるといった説がネットなどで散見されます。

どうも日本人のルーツは日本列島ではなく大陸に、あからさまには日ユ同祖論の日本人のルーツをユダヤ等に求める主張のようです。

確かに日本とユダヤは緊密な関係にありますが、日本とユダヤは同祖ではなく、日本人のルーツは日本の地そのものにあります。「日本書紀」、「古事記」にそのことは記されていませんが、「ホツマツタヱ」では27アヤに神武天皇が皇子の時に近畿から帆船(ワニ舟)で九州に渡ったことなどが記されています。そこから神武は東征しているのです。

神武天皇
Wikimedia Commons [Public Domain]

「ホツマツタヱ」には皇統の血統などが整合性をもって記されており、日本が非常に古くから文化を築いていたことが明らかになります。

さて、神武東征の時期ですが、年代ははっきりしませんがウィキペディアによると紀元前660年台頃のようです。

八咫烏は「ホツマツタヱ」29アヤに出てきていて、八咫烏は老翁とされています。八咫烏はご存知の通り三本足の烏の図になっていますから、色黒で痩せ型の杖をついた老人で特殊能力、霊能力者だったのでしょう。この老人は竹下さんが度々指摘されているように古代イスラエルから渡来してきていたレビ族の長老だったと考えられます。

熊野那智大社の八咫烏
Author:m-louis [CC BY-SA]

南北に分裂していた北イスラエルがアッシリアによって滅亡させられたのが紀元前721年です。これでアラビア半島アシール地方から古代イスラエル人たちは世界に離散していきました。彼らの肌の色は当然浅黒かったのです。その中で日本に到来していた古代イスラエル人もいて、そこには祭祀に特化したレビ族もいたのでしょう。

日本では周りと比べて特別肌の色が黒い古代イスラエル人、その中のレビ族長老が霊能力を駆使し、祖霊と通信をとりながら険しく道なき道の峰々をかき分け、神武天皇の皇軍をヤマトに導いていった、こうとすると八咫烏がピッタリと収まります。

» 続きはこちらから

ホツマツタヱを素直に読むと、超古代に富士山麓に「富士王朝」があったのは確実!〜 その王朝の血筋はあべぴょんではなく伏見(宮)家など八咫烏が守護する北朝の家系

竹下雅敏氏からの情報です。
 昨日の記事で、「不二阿祖山太神宮」は、“「宮下文書」を根拠として、200~300万年前の富士山麓(富士高天原)に天皇を頂点とする「富士王朝」(古代富士王朝)があったとする世界観を教義としている”ということでした。
 このような世界観は、一般人にはトンデモで完全にナンセンスだと思いますが、ホツマツタヱや神智学の世界観では、十分に整合するものなのです。
 ホツマツタヱには、鈴木暦、天鈴暦が記されており、年代を正確に知ることができます。3月4日の記事では、「日ユ同祖論」の誤りを指摘しました。この中で、ホツマツタヱの年表を紹介しました。この年表は、ところどころに計算間違いがありますが、そのほとんどは正確なものです。年表の冒頭にある紀元前3億年は誤りで、正確には紀元前33,000,717年が鈴木暦の開始です。
 記事の「日本古代史年表」は、イザナギ、イザナミの婚礼から始まっていますが、先の年表によると、これは紀元前1,794,718年のことです。原見山というのは富士山のことで、紀元前1,793,187年に天照神が誕生します。イザナミは子をはらんで96か月(8年)の後に天照神を生んだとされます。天照神が原見山(富士山)の安国宮に遷座したのは、紀元前1,793,100年です。
 「日本古代史年表」の引用元をご覧になると、天照神の寿命は1,732,500歳で、先の年表では紀元前60,687年に神上がっています。約173万歳というのは特別なものではなく、先の年表によれば、天児屋根命は156万歳。積葉八重命は84万歳。また、紀元前5年に、倭姫命は208万歳になる猿田彦命に会ったと書かれています。
 また年表では、大己貴命(奇杵)が出雲に大社を築いていることが発覚し咎められ、国譲りをしたのは大己貴命が5,620歳の時のことであり、紀元前1,555,090年となります。ホツマツタヱには、このような驚くべき情報が正確に記述されているのです。
 多くの研究者は、あまりにも数字が大き過ぎるので、75万年は75年だろうと勝手に解釈して、自分の世界観に合うように辻褄を合わせているのですが、実のところ、文字通り受け止めるべきなのです。というのは、これらの数字は私の直感と完全に合致するからです。何度調べてもこの数字になります。アカシックレコードが正確に読める人なら、同じ結論になると思います。もっとも、アカシックレコードが正確に読めるようになるには、進化段階が4.0以上なければならないかも知れません。
 “続きはこちらから”をご覧になると、“ハラミ山麓が古代から文明の一大拠点だったことは疑いない”と書かれているように、ホツマツタヱを素直に読むと、超古代に富士山麓に「富士王朝」があったのは確実だと言えるのです。
 しかし、その王朝の血筋とあべぴょんは何の関係もありません。現在、この王朝の血筋を受け継いでいるのは、伏見(宮)家など、八咫烏が守護している北朝の家系です。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
神武天皇東征の真実
引用元)
(前略)


(以下略)
————————————————————————
日本古代史年表
引用元)
●二神の婚礼 仲人 事解之男命(ことさかのを) (2-8)
 高仁尊、伊佐子。西南の筑波の伊佐宮で婚礼が行われる。
 伊奘諾尊、伊奘冉尊となる。
 伊奘諾尊(40歳) 伊奘冉尊(31歳)

●筑波山の伊佐宮で昼子姫の誕生
 伊奘諾尊(40歳) 伊奘冉尊(31歳) 昼子姫(1歳)
 伊奘諾尊(42歳) 伊奘冉尊(33歳) 昼子姫(3歳) (3-4)
 ・天の節に当たり、葦船に乗せて流す。(3-5)

●淡路(近江)の八尋殿でヒヨル子、流産する。

天の原見山(富士山)の原宮で天照神の誕生。 96ケ月(8年)後に。 (3-9)

●伊奘諾尊、伊奘冉尊の足跡
 ①日高見
 ②筑紫
 ③葦原淡国(全国国作り)
 ④原見山

●筑紫、月隅(九州)で月読尊の誕生。(3-10)

●熊野宮(素戔:ソサ)で素戔鳴尊の誕生。(3-11)

●熊野(伊奘冉尊の神上がり)(5-6)

天照神、原見山(富士山)の宮へ遷宮。(6-1)

●十二后制定(6-2)
 ②日高見仙台宮
 ・忍穂耳尊は豊受神より天の道の奥義を学ぶ。30年間。
 後に、この宮は忍穂耳尊が天照神より譲り受ける。(28-)
 ③大山本日高見安国宮(富士山)(6-2)

(以下略)
————————————————————————
天照神の年表(『完訳 秀真伝』の巻末資料、『 注釈 上紀(うえつふみ) 』より)
引用元)
(前略)



(以下略)

» 続きはこちらから

神武天皇はナカクニ(近江、琵琶湖周辺)にお生まれになられた実在の日本人 ~天皇は純粋な日本人であり、天皇を守護した集団がイスラエルの末裔である

竹下雅敏氏からの情報です。
 時事ブログでは、基本的に天皇は「ホツマの神」だと説明しています。豊受大神、天照大神は男神で、ホツマツタヱでは、天照大神の12后の名前が記されています。また、ホツマツタヱでは、神武東征がなぜ起きたかも詳しく語られています。
 ホツマツタヱを読めば、神武天皇が実在の人物だったことは、疑いの余地がありません。
 冒頭の動画の3分以降をご覧ください。3分11秒の所で、神武天皇は多賀大社で生まれたと言っています。また、「神武天皇東征の真実」という記事では、日本の地図が上下逆さまに記述されており、地図に地名が書かれています。記事では、神武天皇が、“ナカクニ(近江、琵琶湖周辺)にお生まれになられた”と書かれています。
 神武天皇の父君であるウガヤフキアワセズノミコトは、神武天皇が5歳の時に農業指導のためにツクシ(九州)へ行幸され、神武天皇は“ツクシ、ミヤザキの地で成長”したとあります。この記述から、神武天皇は日本人であることがわかります。
 天皇は、男系でつながっているため、天皇の父方を辿ると、必ず神武天皇、さらには天照大神に辿り着くはずなのです。ところが、天武天皇以降の天武系の天皇と南朝の天皇は、そうではないのです。彼らは、本来なら天皇になれない者たちで、先祖は半島から来たイスラエルの血筋です。
 簡単に言えば、聖徳太子以降、日本の天皇家をイスラエルの血筋にすり替えようという陰謀がずっと続いているのです。彼らは、この目的のために神社の祭神すら入れ替えようとします。「日月神事」をはじめ、まるで日本の神から降りてきた通信文のように見せかけて、実は、ハイアラーキーが日本の神を偽って降ろした通信文であるということばかりが続いています。
 神武東征の詳細を伝えるホツマツタヱでは、夢から目覚めた神武天皇の前に、「ヤタノカラス」という翁が現れます。「ヤタノカラス」の導きで、神武天皇は大和に入ることになります。
 私の直感では、この“ヤタノカラスという翁”は、渡来したイスラエルの長老だったはずです。以前コメントしましたが、おそらく色が黒く、杖をついていた(三本足)ので、ヤタノカラスというあだ名で呼ばれたのでしょう。ヤタの語義は、こちらをご覧ください。
 天皇(裏天皇)を守護する八咫烏と呼ばれる集団は、この“ヤタノカラスという翁”の子孫の集団だと考えられます。ホツマツタヱの伝承から、天皇はイスラエルの血筋ではなく、純粋な日本人であることがわかると思います。そして、天皇を守護した集団が、イスラエルの末裔なのです。
 ところが、天皇をイスラエルの血筋にすり替えようとする人たちは、共通して天武系(南朝)を正統とし、天武天皇はもちろんですが、神武天皇までも半島から来たというのです。彼らがホツマツタヱを読んでいたら、このような誤りを犯すことはなかったでしょう。
 例えば、張勝植氏の著書「朝鮮名は張基元 朝鮮半島から[万人幸福の世界作り]を目指した明治天皇」のp19には、“天武天皇は、高句麗から名古屋にやってきました。また、神武天皇が秦国から最初に来たところは、九州の長崎です”と書かれています。天武天皇が半島からやってきたのはその通りですが、神武天皇が秦国から来たというのは、誤りです。
 張勝植氏がこのような誤りを犯すのは、氏を霊導しているのがハイアラーキーだからです。氏は、自分が日本の神々に導かれていると信じているのですが、実は、彼はハイアラーキーの陰謀に巻き込まれ、騙されているのです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
神武東征の秘密【CGS いときょう 縄文ホツマツタヱの旅 第33回】
配信元)
————————————————————————
神武天皇東征の真実
引用元)
(前略)
日本書記も古事記も共通して抜かしているのが、「神武天皇」が、ミヤザキに来られる 前に、ナカクニ(近江、琵琶湖周辺)にお生まれになられたことです。
(中略)… 記紀の矛盾により、古代史は誤解と混乱に満ち満ち、あげく、神武天皇は存在しなかったことにされる始末・・・。
(中略)

(中略)
父君、ウガヤタケフキアワセズさまは、ミヅホの宮(琵琶湖東南)をタガ(多賀、こちらも琵琶湖の近く)に移して即位なさいまして、アマテルカミより「ミヲヤアマキミ」の名を賜りました。

ナカクニ(琵琶湖周辺)でお生れになったタケヒトさま(神武天皇)が5歳の時、ウガヤフキアワセズさまは農業指導のためツクシ(九州)へ行幸されます。
(中略)
そして10年、寿命を悟られ(中略)… ツクシのアマキミからの使いが来たため、
タケヒトさまと守りのタネコさまが、タガの宮(琵琶湖の近く)より、ミヤザキに向かいました。
(中略)
「我が代わりに、タネコを補佐役にして治めるように」と、ご遺言を残されて、ミヤザキヤマにカミアガリなさいまして、日向の神と祭られました。
(中略)
この時、タケヒトさまは15歳であられ、そのまま、ツクシ、ミヤザキの地で成長なさいます。有能なタネコを補佐役にツクシを治めておられました。

二朝並立時代の一方の朝廷の家臣であるナガスネヒコが中央で「世継ぎフミ事件」を起こします。
 (以下略)
————————————————————————
タケヒト・大和討ち
神武東征
引用元)
(前略)
 飛鳥への山路は険しくて、時として分け入った道の末が絶えて消えてしまい、何日もさまよった挙句に同じところに戻ってきた辛い行軍でした。天皇(あまきみ)は、野に暮れて星降る夜のしじまに、岩根に身を横たえまどろむうちに、夢に天照神のお告げあり、「ヤタノカラスを道案内とせよ」と。

 目が覚めてみると、丁度目の前にヤタノカラスと言う翁が尋ねて来て、翁は飛鳥の嶺嶺を越えて道なき道を切り開いて軍を引導し、先陣を行く軍師ミチオミは、ヤタノカラスに従って嶺嶺をいくつも越えて、やっとウダのウガチ村にたどり着きました。
(以下略)

神社本庁と日本会議と「大本教」系神道宗教、その共通の宗教的ルーツは、岡本天明が自動書記で記した預言書「日月神示」 ~自らを「国之常立神」と偽って、この神示を降ろした霊の正体

竹下雅敏氏からの情報です。
 カレイドスコープさんの大変面白い記事を紹介します。神社本庁と日本会議と「大本教」系神道宗教との関係についてです。彼らの宗教的ルーツは、岡本天明が自動書記によって記した預言書「日月神示」だと言うのです。これは非常に納得できます。
 岡本天明に神示を降ろした霊は、自らを「国之常立神」と名乗ったとのことですが、明らかに偽りで、この霊の正体は、かつて天海大僧正として転生に入っていた者で、ハイアラーキーの覚者となって、光の銀河連邦を指導していたと思われます。
 なので、全く神を名乗る資格のない者ですが、なぜ彼が「国之常立神」を名乗ったかというと、彼を祀る「天日津久神社」は、記事に書かれているように千葉県成田市の麻賀多神社内の末社です。この麻賀多神社の御祭神は稚産霊神(ワクムスビ)で、古事記ではトヨウケヒメ(豊受比売神)を生んだとされています。トヨウケヒメは、伊勢神宮外宮に豊受大神として祀られています。
 伝承が混乱していますが、ホツマツタヱによれば、豊受大神は男神で、約3,300万年前に「国之常立神」として地球に初めて転生に入ったホツマの神です。
 “続きはこちらから”のホツマツタヱの系図をご覧ください。「国之常立神」は、その後、「木之常立神」(初代高皇産霊尊)、さらに豊受大神として生まれ変わります。
 系図をご覧になると、神々の名前が書かれている中で、2代、 3代、4代の高皇産霊尊(タカミムスビ)だけが役職名のみであり、個人名が書かれていません。
 これは、私の調べなのですが、実は2代高皇産霊尊は、後に石筒之男神(イワツツノオ)として生まれ変わります。3代高皇産霊尊は、後に迦具土神(カグツチ)として、4代高皇産霊尊は、後に稚産霊神(ワクムスビ)として生まれ変わります。
 要するに、イザナミノミコトの父である豊受大神を生んだ4代高皇産霊尊は、後の転生でイザナミミコトの孫である稚産霊神として生まれ変わるのです。
 麻賀多神社の祭神である稚産霊神は、過去の転生において豊受大神の父であった4代高皇産霊尊なので、末社である「天日津久神社」は子の豊受大神に相当し、豊受大神は、過去世で「国之常立神」だったわけです。
 「日月神事」を降ろした天日津久神(天海大僧正)は、こうした経緯から、自らを「国之常立神」と偽ったものと思われます。
 この例のように、神でないものが神の名を騙り、ハイアラーキーの預言書を降ろし、人心を惑わすということが、どこの国でも起こっています。この手の悪事に加担した者たちは、これが最後のチャンスです。心を入れ替えなければ、根こそぎに滅ぼされるでしょう。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————
日本人の「神の遺伝子」と女系天皇・皇位継承の「罠」
転載元)
(前略)
神社は、安定した収入を確保しようとして、さまざまな“神社メニュー”を用意します。(中略)… 中でも「神宮大麻」(一般に「じんぐうたいま」。正確には「おおぬさ」)の販売には、どの神社も苦労しているようです。
(中略)
「神宮大麻」とは、御神体が宿っていると見なす御真(「ぎょしん」あるいは「ごしん」)と呼ばれる板材に和紙を巻き付けて、表面に「天照皇大神宮」という伊勢神宮内宮の別号を記した伊勢神宮の御神札(ごしんさつ、御札)のことです。
(中略)
この「神宮大麻」から上がる収入は莫大で、この一部が伊勢神宮の式年遷宮に使われるのです。(中略)… 「神宮大麻・代理店制度」は以下のような仕組みになっています。
(中略)
「神宮大麻」を授与する伊勢神宮は、「神社本庁」に「神宮大麻」の販売と集金業務の一切を任せています。しくみは、神社界の頂点に立つ伊勢神宮が、各県の神社に「伊勢神宮の神がかかった神宮大麻」の販売権を与えます。

各都道府県の神社は、氏子たちに「神宮大麻」を販売し、その売上金の全額をいったん伊勢神宮に手渡します。伊勢神宮は、そのうちの半分の金額を「本宗(伊勢神宮)交付金」として「神社本庁」に交付し、さらに「神社本庁」から各都道府県の「神社庁」に流します。

「神社庁」は、「神社本庁」から流れてきた交付金の何割かにあたる金額を「神宮神徳宣揚費交付金」として、末端の販売代理店として「神宮大麻」を販売した各神社に交付し、残りは「神社庁」の活動費として懐に収めているのです。

つまり、各都道府県の神社から見れば、「伊勢神宮」の名前貸しによるロイヤリティーは100%。それを納めた後、「伊勢神宮」から○○%戻し→「神社本庁」→「神社庁」→各神社と、残った金額が戻されるのです。

まさに、神社界の「重層下請け構造」と呼ぶべき「搾取」の構造があるのです。
(中略)
「神社本庁」が、有名神社だけに肩入れする理由は、有名神社からの収益が上がるからであって、結局「金」なのです。(中略)… いってみれば、「神社本庁」と「神社庁」は、神社界において競争原理を働かせて神社を支配しており、「神も仏もないもんだ」の世界が、日本の神道界を覆い始めているのです。

「神社本庁」の総長は、現在、京都の神社の宮司でもある田中恒清氏が務めていますが(中略)… 田中恆清氏が、このまま総長の椅子に座り続ければ、早晩「神社本庁」は崩壊するでしょう。日本の神社を徹底的に破壊した後で・・・
(中略)
神社本庁と日本会議と「大本教」系神道宗教との関係は・・・
 
さて、疑惑山盛りの田中総長によって半ば私物化されている「神社本庁」と二人三脚で戦前の軍国主義復活のために尽力しているのが「日本会議」です。

「神社本庁」とは、言ってみれば、伊勢神宮の威光を借りて、宗教法人を偽装しながら日本の神社を「集金装置」にしている政治団体のことですが、いっぽうの「日本会議」の場合は、さらにカルト色が強くなります。右派の政治学者や文化人で組織されている「日本を守る国民会議」と、宗教団体が結集してつくった「日本を守る会」の二つが合併して1997年に発足したのが「日本会議」。
(中略)
これらの人々の宗教的ルーツは、岡本天明の自動書記によって記されたという預言の書「日月神示」で有名になった大本教です。つまり、「なにもかもが3分の1になるぞよ。日本がいよいよ絶体絶命の段になったとき、神一厘の救いが現れる」という日本の滅亡の後で本当の神代が現出するという神示を教理の根本に据えている宗教です。

「日月神示」とは「神道版・黙示録」と言われている預言を暗号化したものです。昭和19年(1944)6月10日、成田市の麻賀多神社の社務所で休憩中の岡本天明に降ろされたとされる神示です。

神示を天明に降ろしたとする別次元の高級心霊は「国之常立神」だとテレパシーで名乗ったとのことです。それを祀っているのが、麻賀多神社内にある末社「天日津久神社」です。
(中略)
こうした場所にやって来ると、なぜ「日本会議」が、安倍晋三首相の尻を叩くようにして「改憲」に追い立てているのか、その理由の一端が理解できるのです。

つまり、「外国は一つになって神の国に攻め寄せてくる。アメリカもイギリスは更なり、ドイツもイタリアもロシアも、外国は一つになりて神の国に攻め寄せてくるから、その覚悟で用意しておけよ」という第三次世界大戦の勃発によって、日本がいったんは壊滅的な破壊に導かれるという大本教の終末思想を信じている人々によって運営されているのが「日本会議」であるということです。

» 続きはこちらから