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[Pars Today]日本自衛隊、南スーダンで襲撃を受けたか 〜重大ニュースを隠蔽する特定秘密保護法を出来るだけ早く破棄すべき〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 “南スーダンに駐留している自衛隊の数名が、武装勢力の襲撃を受けた”ということです。こうした重大ニュースは、マスメディアでは報道されません。おそらく特定秘密保護法で何が起こっているのか、国民には知らされないようになっているはずです。
稲田防衛大臣が、南スーダン視察を中止したという件があったことから、この情報は正しいものと思われます。
 日本は、仮に自衛隊が戦闘に巻き込まれ、自衛隊員が死亡したとしても、国民には何も知らされない、異常な事態になっています。出来るだけ早く、特定秘密保護法を破棄しなければならないと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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日本自衛隊、南スーダンで襲撃を受けたか
転載元)
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南スーダンの治安筋が、同国の国連キャンプに駐留している日本の自衛隊数名が、武装勢力の襲撃を受けたと発表しました。

ジャパンタイムズによりますと、自衛隊員が駐留している国連のキャンプ付近にて、武装勢力の襲撃が発生したということです。

この報告によりますと、この襲撃の被害に関する正確な情報は伝えられていないということです。

また、南スーダンの治安筋の話では、日本の自衛隊員は、武装勢力の狙撃兵からの銃撃を受けたとされています。

2012年から現在まで、日本の自衛隊は国連の平和維持活動の中で、この地域に駐留していました。

南スーダンでの激しい衝突や、中国軍兵士2名など、国連平和維持活動の参加者数名が死亡していることを受けて、日本は危機的な状況のために、自衛隊参加者を同国から撤退させるとしていました。

南スーダンの衝突は現在も続いており、これにより270人近くが死亡しています。国連の拠点も、この衝突の中で危険にさらされています。

南スーダンはおよそ5年前、スーダンから分離し、世界と最も新しい国として独立宣言しました。7月に発生した首都ジュバでの激しい衝突により、アフリカ諸国の首脳陣は、南スーダンにおける地域的な軍事力の駐留を求めました。

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配信元)

[櫻井ジャーナル]自衛隊が派遣されている南スーダンは米国が石油目当てに内乱を起こし、ダルフールはイスラエル 〜安倍が従っているのは9.11を引き起こしたブッシュ・ナチ陣営のネオコン連中〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 自衛隊の部隊が韓国軍に銃弾1万発を提供したという事件によって初めて、自衛隊が南スーダンへ派遣されているという事実を知りました。ほとんどの国民が、私と同様にこの紛争地域に自衛隊が派遣されているということを知らなかったのではないかと思います。スーダンの状況は、この記事で非常に簡潔にまとめられています。もともと日本はブッシュ・ナチ陣営につながっているわけですが、この記事でその確認がはっきりと取れます。記事を見れば、安倍が従っているのが9.11を引き起こしたブッシュ・ナチ陣営のネオコン連中だということが、よくわかります。安倍政権の強引な動きを見ても、彼らが今や追い詰められ、死に物狂いの抵抗をしていることがよくわかります。抵抗するだけ早く滅びることになると思いますが…。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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自衛隊が派遣されている南スーダンは米国が石油目当てに内乱を起こし、ダルフールはイスラエル
転載元)
南スーダンへ派遣されている自衛隊の部隊が韓国軍に銃弾1万発を提供したという。それだけの銃弾を持ち込んでいたということ。

かつて南スーダンはスーダンの一部だったが、1983年から2005年まで続いた内戦で自治権を獲得、2011年に独立している。この内戦のキーワードは石油。1974年にアメリカの巨大石油会社シェブロンが油田を発見したのだが、その場所が現在のスーダンと南スーダンの国境周辺。スーダン西部のダルフールにおける戦闘も資源争いが原因である。

1980年代に入ると反政府軍が活動を開始するのだが、その集団、SPLM(スーダン人民解放軍)を率いているジョン・ガラングはアメリカのジョージア州にあるフォート・ベニングで訓練を受けた人物。この基地は特殊部隊の本拠地でもあり、ガラングは2005年に死亡するまでアメリカ政府の影響下にあったと考えるべき存在だ。

なお、フォート・ベニングには現在、ラテン・アメリカの軍人に暗殺や破壊工作のテクニックなどを教えるWHISCもある。この施設はかつてSOAと呼ばれ、パナマにあったのだが、1984年に現在の場所へ移動、2001年に名称も変更された。

スーダンでは1990年代の終盤になると自国の石油企業が成長し、アメリカの石油会社は利権を失っていき、中国やインドなど新たな国々が影響力を拡大し始めた。そうした最中、2001年9月11日にアメリカではニューヨークの世界貿易センターにあった超高層ビルへ航空機が突入、アーリントンの国防総省本部庁舎が攻撃される。

それから間もなくしてジョージ・W・ブッシュ政権は先制攻撃計画を作成しているが、そのリストに載っていたのはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、そしてスーダン。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官が統合参謀本部で聞いた話だ。

ブッシュ・ジュニア政権はイギリスやノルウェーと手を組み、スーダンの南部を拠点にしていたSPLMとスーダン政府を「飴と鞭」で停戦させ、油田地帯が両者で分け合う形になった。そして南部は南スーダンと呼ばれるようになるわけだが、その歴史を考えるとアメリカの傀儡国家としての色彩が濃いと言わざるをえない。

一方、ダルフールでの戦闘は2003年から激しくなったと言われている。当初、欧米諸国がダルフールの殺戮を無視していた一因は、南スーダンの石油利権に関する話し合いに影響することを恐れたからのようだ。

それに対し、アメリカのネオコン(親イスラエル派)やキリスト教原理主義(聖書根本主義派)はダルフールへの介入に積極的。この2勢力は「ユダヤ系シオニスト」と「キリスト教系シオニスト」で、1970年代から同盟関係にある。

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