アーカイブ: 天皇・皇族

[竹下雅敏氏]皇室問題のタブーを示す記事群と事実に基づいた系図

編注)今上天皇の父親に関してこちらの記事で訂正しています。 

竹下雅敏氏からの情報です。
 冒頭の記事は衝撃的なものですが、私が調べたところ、間違いなく全て真実です。どうやらDNA鑑定をしたようですが、どうやってサンプルを集めたのでしょう。裏事情を知りたいものだと思います。
 2つ目の記事は鬼塚氏の見解で、鬼塚氏は朱貞明=貞明皇后と考えています。しかし前回の記事で指摘したように、朱貞明の娘が貞明皇后(替え玉)なのです。その他の部分は正しい内容だと思います。
 こうした事実に基づいて、“続きはこちらから”以降では写真入りの簡単な系図を作りました。皇室問題がタブーである理由がわかると思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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渡辺監督が語る最新作『天皇伝説』の過激な内容とは!?
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山口県田布施町の怪③ 明治天皇は孝明天皇の子ではない/昭和天皇も大正天皇の子ではない
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[竹下雅敏氏]貞明皇后の本物と替え玉 〜替え玉の貞明皇后が産んだ昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 大正天皇の后は貞明皇后ですが、彼女には替え玉が居ました。替え玉の貞明皇后の母の名が朱貞明です。したがって、大正天皇の正式な妃は九条節子で、貞明皇后は替え玉の名前と考える方が自然だと思います。しかし混乱を避けるために、ここでは貞明皇后には、本物である九条節子と、替え玉である朱貞明の娘が居たということにします。
 朱貞明の経歴は、2つ目の記事の通りです。この記事では朱貞明=貞明皇后になっていますが、ここの部分だけが誤りで、他の部分は正確です。
 記事では“維新の後、一旦は、中山忠能が預かり”とありますが、これは朱貞明を妻にしたようです。後に貞明皇后(替え玉)となる娘を産みますが、高齢であった夫は死んでしまいます。元々中山家は裕福でなかった上に夫に先立たれたことで、生活は相当に苦しかったのではないかと想像します。
 鬼塚氏が触れているように“貞明皇后(替え玉)は騙されて遊女にさせられた”後、九条節子の替え玉として大正天皇の2人目の后となったのだと思います。
 貞明皇后には昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮の4人の子が居ますが、全員父親が異なるばかりでなく、替え玉の貞明皇后との間に生まれた子たちです。これは大正天皇に子種が無かったことと、彼女が遊女であったことが大きな原因だと思います。しかしそれ以上に、私は関係者が皆フリーメーソンだったのではないかと考えています。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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貞明皇后 三笠宮崇仁親王
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貞明皇后
転載元より抜粋)
貞明皇后(ていめいこうごう、1884年(明治17年)6月25日 - 1951年(昭和26年)5月17日)は、大正天皇の皇后。旧名は、九条節子(くじょう さだこ)。

スクリーンショット 2015-11-12 12.51.22               配偶者 大正天皇
              子女  昭和天皇
                  秩父宮雍仁親王
                  高松宮宣仁親王
                  三笠宮崇仁親王
              父親  九条道孝
              母親  野間幾子

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系図

[竹下雅敏氏]民俗学の大家が”おののいた”被差別部落と皇室の本質に迫る論考 

竹下雅敏氏からの情報です。
 民俗学の大家である柳田国男氏は、「巫女考」や「毛坊主考」という論考に力を入れたとのこと。以下の記事を読めば、“土地を持たぬまま各地をさすらう漂泊の民”の根源は“仏教以前の「ヒジリ」にさかのぼる”、彼らは“町や村のはし、すなわち境に住んでいた…死穢(しえ)にからんでいた”とあります。重要なのは、次の部分です。“国男の考察は、はっきりと被差別部落の聖性に向けられている…そのヒジリの頂点には…ヒジリノミカドが鎮座ましましていた”。
 ヒジリノミカド(聖帝)とは天皇のことです。柳田国男氏は、被差別部落と皇室の本質に迫る論考によって、“思わずおののいたのではないだろうか”とあります。
 何を言っているかわかるでしょうか。鬼塚氏は明治天皇にすり替わった大室寅之祐の出自である田布施村を、“はっきり申しますが朝鮮部落です”と断言しています。昨日紹介した八瀬童子ですが、ウィキペディアの概要をご覧下さい。また、八咫烏の12烏と見られる前原誠司は、かつて部落解放同盟青年部長でした。これらの事を考慮すると、意味がよくわかるだろうと思います。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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■山島民譚集
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[YouTube]偽天皇と田布施システム【The False Emperor】

竹下氏からの情報提供です。
 竹下氏より「この動画は重要」とのことで、文字起こしと関連画像を付けて掲載しています。
 幕末に天皇のすり替えが起こり、本来、明治天皇になるべき睦仁親王が初代裏天皇になり、大室寅之祐という人物が教科書でよく見る「明治天皇」になりました。その後、大室寅之祐を明治天皇に仕立てた伊藤博文が初代総理大臣になり、そして、大室寅之祐や伊藤博文をはじめとする田布施関係者が現在に至るまで政権の中枢に入り込んでいることに驚きます。
 すり替えたことが、睦仁親王の顔を知っている女官や宮中の人たちにバレることを恐れて、東京に遷都したことがこちらの動画では指摘されおり、とても納得しました。また、東京では睦仁親王の顔を知るはずもない薩長の下級武士の娘たちが新たに女官になったようです。あと、伊藤博文はフルベッキ写真が世に出ることを嫌がり圧力をかけていたことも分かっているようです。
 日本から闇が消え、真に独立した国になるには、こういった本当の歴史を私たちが知ることが不可欠だと思いました。
(編集長)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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偽天皇と田布施システム【The False Emperor】
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[竹下雅敏氏]日本に八咫烏を中核とする裏天皇組織が存在することを示す事例 〜3代目裏天皇の即位と2代目裏天皇の死亡した年の符合 / 正当な天皇の血筋を受け継いでいる中丸薫氏〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 記事の太字にした部分をご覧下さい。これを見ると、天皇が即位したのは、昭和41年(1966年)だとわかります。もちろん昭和天皇はこの時ご存命で、一体誰がこの時に天皇の位についたのか、ということになります。
 これまで八咫烏の記事をご覧になった方は、これは3代裏天皇・前田ゴロウ(オクラディッシュ・ハーマン)が、この年に新しく裏天皇の位についたのだと推測出来ます。
 以前の時事ブログの記事のコメントで、初代裏天皇は大室寅之祐ではなく本物の睦仁親王であり、2代目は堀川辰吉郎、3代目が前田ゴロウだと指摘しました。
 “続きはこちらから”以降の記事をご覧ください。堀川辰吉郎は、昭和41年(1966年)に死亡しています。この後を前田ゴロウが継いだわけです。先の記事の11月23日という日付は、おそらく前田ゴロウの誕生日だと推察出来ます。
 このように様々な事実が、日本に八咫烏を中核とする裏天皇組織が存在することを示しています。堀川辰吉郎の略歴を見れば、彼の娘を名乗る中丸薫氏は、自らを「明治天皇の孫」としていますが、これは正しい表現です。明治天皇にすり替わった大室寅之祐ではなく、本物の睦仁親王の孫なのです。
 すでに前田ゴロウは亡くなっており、現在は前田ゴロウのクローンが存在しているに過ぎません。本来なら4代目裏天皇として中丸薫氏が即位しているはずなのです。
 彼女の経歴を見てください。世界中の要人にインタビューをしています。ロスチャイルド家当主、デーヴィッド・ロックフェラー、キッシンジャーなど、名だたる要人と一緒に写っている写真を目にすることが出来ます。特殊な血筋の者以外には、このような事は出来るはずがありません。
 堀川辰吉郎や中丸薫氏をペテン師だと考える人も多いのですが、私の直観では、正当な天皇の血筋を受け継いでいるのは中丸薫氏の方であって、現代の皇室ではありません。
 こうした事が公になると、日本は大混乱になると考えています。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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JAL123便墜落事故-真相を追う-2015年の慰霊(4)
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