アーカイブ: 明治天皇(替え玉)

[Martin Island 他]落合秘史「堀川政略」で幕末史の謎を解く 〜孝明天皇の偽装崩御 気の感覚から分かる死亡日時〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 初めの記事は、落合莞爾氏の堀川政略について簡潔にまとめてくれています。孝明天皇は幕末の1866年に35歳で亡くなったことになっていますが、実は偽装崩御であって、その後も生き延びたことが示されています。
 “続きはこちらから”以降の記事は非常に興味深いもので、この記事の内容が事実だとすると、孝明天皇は“少なくとも1904年まではご存命であったのは確実”とのこと。
 2014年10月25日の時事ブログのコメントで、“実際には1908年(77歳)頃まで生きていたと思います”と記しているのですが、そんなに間違ったことを言っているわけではないのがわかっていただけると思います。
 この部分は私の直観に基づく判断ですが、取り立てて難しい技術を使っているのではありません。単に孝明天皇の肉体に意識を合わせると、1900年ではまだその存在が感じられるのに対し、例えば1910年では感じられないのです。こうして間を狭めて行くと、死んだ年代だけでなく、日時まで特定することが可能になります。
 気の感覚を開けば、誰でも同じことが出来るようになります。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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落合秘史「堀川政略」で幕末史の謎を解く -2-
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[竹下雅敏氏]孝明天皇と中山慶子の養子に入った睦仁親王(初代裏天皇) 〜重要な役割を果たした伏見宮家、鷹司家〜

竹下雅敏氏からの情報です。
 ウィキペディアで明治天皇の后である昭憲皇太后を調べると、下の写真の2枚が出て来ます。この2人は別人です。和服姿が本物の昭憲皇太后で、洋服の方は替え玉です。顔は似ていますが、ラグビーかアメフトの選手だったのではと思える替え玉のたくましい肩を見て、華奢ななで肩の本物と同一人物だと思う方がどうかしています。
 よく言われることですが、明治天皇の后なのだから、昭憲皇后が本当のはずです。それを皇太后と呼ばなければならなかったことからも、明治天皇が替え玉であったということの傍証となります。
 さて、冒頭の記事にある通り、本物の孝明天皇と中山慶子との子・睦仁(祐宮)は、流産で死亡しているのです。写真にある初代裏天皇となった睦仁親王は、孝明天皇の子ではありません。この人物は、伏見宮貞教と鷹司積子との子を養子としてもらい受けたのです。この部分は、私の直観に依ります。明治天皇は、1852年に生まれたことになっており、2人が結婚したのが1855年なので、おそらくこの人物を養子としてもらい受ける間の3年間は、別の赤ちゃんを睦仁として育てていた可能性が高いと思います。冒頭の記事では、“誘拐して来た男児をすり替えて”とあります。鷹司積子が産んだ子供を、途中で入れ替えたのだと思います。そうすると、写真の人物(初代裏天皇)はおそらく3歳ほど年齢が若いと考えられ、実年齢は13歳ではないかと思います。
 系図を見ると、こうした陰謀の中心に孝明天皇が居たことはもちろんですが、伏見宮家、鷹司家が重要な役割を果たしているのが見て取れます。この両家の中に八咫烏の12烏の中の2名が居ると考えるのは自然なことです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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[YouTube]偽天皇と田布施システム【The False Emperor】

竹下氏からの情報提供です。
 竹下氏より「この動画は重要」とのことで、文字起こしと関連画像を付けて掲載しています。
 幕末に天皇のすり替えが起こり、本来、明治天皇になるべき睦仁親王が初代裏天皇になり、大室寅之祐という人物が教科書でよく見る「明治天皇」になりました。その後、大室寅之祐を明治天皇に仕立てた伊藤博文が初代総理大臣になり、そして、大室寅之祐や伊藤博文をはじめとする田布施関係者が現在に至るまで政権の中枢に入り込んでいることに驚きます。
 すり替えたことが、睦仁親王の顔を知っている女官や宮中の人たちにバレることを恐れて、東京に遷都したことがこちらの動画では指摘されおり、とても納得しました。また、東京では睦仁親王の顔を知るはずもない薩長の下級武士の娘たちが新たに女官になったようです。あと、伊藤博文はフルベッキ写真が世に出ることを嫌がり圧力をかけていたことも分かっているようです。
 日本から闇が消え、真に独立した国になるには、こういった本当の歴史を私たちが知ることが不可欠だと思いました。
(編集長)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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偽天皇と田布施システム【The False Emperor】
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[YouTube 他]睦仁親王にすり替わった大室寅之祐(明治天皇)の出自とフルベッキ写真に彼が写っている経緯

竹下雅敏氏からの情報です。
 フルベッキ写真の前列中央に、睦仁親王にすり替わった大室寅之祐(40.明治天皇)が写っています。動画は彼が後に明治天皇として即位したことを、実に見事に表現しています。
 “続きはこちらから”以降では、この大室寅之祐の出自と、なぜフルベッキ写真に彼が写っているのかという経緯を簡単にまとめました。
 これによると彼は、地家作蔵とスヘとの間に虎吉として生まれたとのこと。その後スへは離婚。南朝の血筋の大室家に、子供を連れて後妻として入ります。虎吉は大室虎吉と名乗ります。実は大室弥兵衛とスヘとの間に4代目となる大室寅之助が生まれるのですが、虚弱で1歳数か月で死亡。その後大室虎吉は大室寅之助に成りすますわけです。こうして南朝系の天皇を偽装し、のちに大室寅之祐と改名したようです。
 こうした経緯を見ると、背後に入れ知恵をした者が居るのではないかと勘ぐりたくなります。典型的な偽ユダヤの成りすまし詐欺だからです。要するに、私たちが日本史の教科書で習った明治天皇は、完全な偽物なのです。このように歴史は常に改ざんされ、真相を何も教えられずに、偽りの歴史を教え込まれているというわけです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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睦仁親王・大室寅之祐・明治天皇・フルベッキ写真
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[ログ速 他]華奢な少年の睦仁親王 と すり替わった明治天皇(大室寅之祐)

竹下雅敏氏からの情報です。
 フルボッキ、あっ、いや…フルボッコじゃなくて、フルベッキ写真も参照してください。
 上の中央の華奢な少年が、睦仁親王です。下の大男は睦仁親王にすり替わった明治天皇(大室寅之祐)です。16歳の即位当初にこの華奢で小柄な少年が、ステロイドを使用しても下の大男にはならないでしょう。明らかに別人なのです。
 “続きはこちらから”以降では、大室寅之祐の出所を明らかにした記事と、様々な証言があります。この記事では、大室寅之祐は南朝の血筋ということになっていますが、元記事には、実は大室寅之祐は母親の連れ子であって、血筋の者ではないということです。私の直観でも同様になります。大室家自体は、確かに南朝の血を受け継いでいたようですが、500年前に一度皇統の断絶があったとされています。さらに大室寅之祐自身が大室家の人間に成りすましたわけで、まったくの偽物です。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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