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20/07/13 フルフォード情報英語版: アメリカは如何にしてバビロニア奴隷国家になったのか

 フルフォード氏が夏休みに入りましたので、これから3回分のリポートは最新時事情報ではなく、歴史のおさらいになります。
 昨年は「19/7/29 フルフォード情報英語版:世界将来設計機関の詳細な計画が、300人委員会に提示される」で、戦後日本で成功していた経済システムを見ていきました。また「19/8/5 フルフォード情報英語版:世界政府【創設】の交渉【に加わっている】諸勢力をざっくり見る」では世界の宗教や秘密結社を見ていきました。
 今回は、ハザールマフィアによる日本そしてアメリカ奴隷化計画の解説です。得意になって多くを語り過ぎた偽ユダヤの一人、ハロルド・ウォーレス・ローゼンタールは、今回引用されたインタビュー直後に不審死を遂げています。ということで偽ユダヤなんざ性質が悪いだけで、それほど賢くないのかもしれません。
(Yutika)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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アメリカは如何にしてバビロニア奴隷国家になったのか
投稿者:フルフォード

読者の皆様へのお知らせ:このニュースレターを含め、これから3回分は、筆者が毎年恒例の長期休暇に入るため、事前に書かれたものとなる。本当に重要なことが起こった場合は、最新情報をお届けするつもりだ。


フルフォード氏個人の戦いの出発点


ハザールマフィアとの私の戦いは、日本で始まった。最前線のジャーナリストとして30年のキャリアの中で、首相が次々に殺害され、成功していた経済システムが解体されていくのを見てきた。

私が取材を始めた1985年当時の日本は、一人当たりの所得が世界で最も高く、貧富の差が先進国の中で最も小さかった。これは何十年にもわたって二桁の経済成長を続けてきた結果であり、所謂「日本の奇跡」と呼ばれていた。

今や、日本はハザールマフィアのヘッジファンドとその奴隷どもに支配されている。現在の日本は、OECD諸国の中で貧富の差が米国に次いで2番目に大きく、平均的な日本人は何とか暮らすのがやっとだ。

私がこの国を解放する道へと歩み始めたのは、日本人がされてきたことへの怒りからだった。自分たちを奴隷にした連中へ、貢ぎ物を納めるのは止めるよう説得しようと試みたのだ。

これは個人的な【戦い】だ。私が知り、尊敬していた多くの日本人ジャーナリスト、中央銀行の行員、政治家がこの連中によって殺害されてきたのだから。このことを突き止めたのは、自分らはハザールマフィアの下請けだと告げた日本のヤクザのボスどもからだった。


より大きな視点


アジアの複数の秘密結社が、日本や残りの世界をハザール支配から解放するために手助けするとの合意に至り、我々と話をするべく、【それまで身を】隠していたあらゆる種類の秘密結社のあらゆる種類の人間が出てきた。

とりわけ有力な情報源だったのがマイケル・ヴァン・デ・ミーア博士、またの名をマイケル・メイリングというイギリスの上級諜報員だった。彼は私に幾つかの読書課題を与えてくれた。お蔭で私は、自分が何を相手にしているのかを正確に知ることができた。

ヴァン・デ・ミーアは何十年もハザール勢と戦ってきたが、その代償も大変なものだった。爆弾によって両足を吹き飛ばされたのだ。彼曰く、仕掛けたのはジョージ・ブッシュ・シニアとデイヴィッド・ロックフェラー配下の工作員どもだったそうだ。


彼が教えてくれた情報により、私が日本で直接目の当たりにしていたのは、ゆっくりとした奴隷化のプロセスで、アメリカでは既に完成したのだと気付くに至った。エイブラハム・リンカーン、ジョン・F・ケネディ、マーティン・ルーサー・キングなど大勢を殺したのはこの連中だ。

興味深いのは、大いに期待されたケネディ暗殺に関する公文書が公開されたにもかかわらず、彼の殺害を命じたのは誰だか、これを報じたメディアが一社もなかった点で……

それは、当時のイスラエル首相ダヴィド・ベン=グリオンだった。そしてベン=グリオンに命じていたのはハザールマフィアの連中で、エルサレムから世界を支配するために、人類の90%を殺害し、残りを奴隷にするという奴らの計画の一環としてだった。

ツイートはシャンティ・フーラが挿入

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第26話 ― 政府紙幣

 「覆水盆に帰らず」。コロナからの「復興」が盛んに喧伝されています。復興とは以前の状態に戻すこと、しかし時を戻すことは不可能。第一、コロナ前の日本に戻す? 政・官・民・マスコミが完全腐敗し機能不全を起こし、消費増税の大不況でGDPが大きく落ち込んだ日本、既にそうなっていた日本へ復興? 私達は前に向かって進んでいく以外にありません。コロナをくぐり抜けて、まともで豊かな日本を築く方向にです。
 そのための方策はあるか?といえばあります。というか、これ以外にない方策が政府通貨発行権の活用です。
 政府通貨❓ 現在の日本のお金が全て政府通貨だと思いこんでおられる方のほうが大多数に思えます。違います。貨幣、つまり100円玉等のコイン全ては確かに政府通貨です。しかし1000円札など紙幣は全て日本銀行券です。紙幣は政府通貨ではなく、紙幣発行権は実質として政府は日本銀行に奪われているのです。
 根本的には、この政府紙幣発行の権限を取り戻し、活用する以外には現在の日本の窮状脱出の術はないでしょう。山本太郎氏とその周辺はこのことを熟知されているでしょう。
 政府紙幣といえば、米国ではリンカーンのグリーンバックスです。外伝47に記していますが、政府紙幣が発行されると、
「政府は何ら費用を負担することなく資金を供給できることになる。それで負債はきれいさっぱりと完済される。そして商取引を維持するのに必要な金のすべてが確保されるのだ。
そうなれば世界の文明社会の歴史の中で前例がないほど裕福な政府となる」
のです。
 しかし政府紙幣の発行の絶対条件があります。政府への民衆の信用です。それには政府がすべての公的情報を全て透明にオープンに、特に金融経済は完全ガラス張りにするのが絶対条件となります。従って現在のウソと隠蔽しかない政府の退場が、政府紙幣発行への絶対的に必要な道筋になります。
 また、政府紙幣発行の根拠として、実は日本では既に政府紙幣が発行されたことがあるのです。「太政官札(だじょうかんさつ)」といいます。発行した主体者は三岡八郎(由利公正)です。
 彼は画期的な思想を有していて、(政府通貨発行のための)「国富」とは国民の労働力の結集(つまりGDP)であり、経済とは「蓄財」するものではなく「循環」させるものだ、としたのです。
 この思想は映像配信・家族の絆 〜夫婦(90)の中で語られていることと同じなのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第26話 ― 政府紙幣



三岡八郎(由利公正)という人物 〜坂本龍馬の刎頸の友


「箱コネマン」さんのツイートのプロフィールには次のようにあります。

坂本龍馬は由利公正の明治政府紙幣「太政官札」発行の黒幕として、後に民営会社「日本銀行」の大株主となるロスチャイルド家(兵器会社ジャーディンマセソン商会、グラバー商会を傘下)に暗殺されたなど、史実を暴露するぜ!


坂本龍馬は言わずと知れた維新の最英傑ですが、由利公正を知っている方は少ないと思います。ところが、実は坂本龍馬が暗殺される少し前、坂本龍馬が越前藩(福井)の宿で昼夜を問わずに、今後の日本の行方に関して熱心に会話と議論を交わした相手が三岡八郎、後の由利公正なのです。


ウィキペディアの「坂本龍馬」の記事に次のようにある通りです。

後藤象二郎の依頼で、慶応3(1868)年10月24日に山内容堂の書状を持って越前へ出向き、松平春嶽の上京を促して三岡八郎(由利公正)と会談したあと、11月5日に帰京した。帰京直後に三岡の新政府入りを推薦する後藤象二郎宛ての手紙「越行の記」を記し、さらに11月10日には福井藩士・中根雪江宛てに三岡を出仕させるよう懇願する手紙を記している。

龍馬が暗殺されたのは、この「三岡八郎を新政府の要職に!」という懇願の手紙を出した5日後の11月15日(旧暦)のことです。龍馬の懇願もあり、三岡八郎(由利公正)は参与として、つまり官僚のトップとして明治新政府の財政を担当することになります。龍馬が惚れ込んだ三岡八郎(由利公正)は福井藩の財政を興隆させた文武両道の人物のようです。

江戸後期から末期、ほとんどの藩は財政的に激しい疲弊状態にありました。福井藩も同様です。その中で三岡八郎(由利公正)は藩の財政再建をかけて殖産興業を、より具体的には養蚕興業に取り組みます。その絹糸の貿易を外国と行い収益をあげ、福井藩は財政的には最も裕福な藩となります。

実際に勝海舟が神戸海軍操練所を設立する当たっては、「海舟は塾の資金調達のため龍馬を越前(福井)へ派遣、以前から親交のあった越前福井藩主松平春嶽から5千両を借りることに成功しました。」(日本銀行 高知支店HP)とのことです。

また慶応4(1868)年3月14日、天皇が天地の神々に誓うという形式で宣布された明治新政府の基本方針が五箇条の御誓文ですが、この明治新政府を船出させた五箇条の御誓文の原文が三岡八郎(由利公正)が起案した「議事之体大意(ぎじのていたいい)」五箇条です。


更にこの「議事之体大意」五箇条の基にあったのが龍馬の「船中八策」であり、「議事之体大意」は明治新政府を起動させるため、三岡八郎と坂本龍馬で練られた案だったようでもあります。坂本龍馬と三岡八郎は「刎頸の友」とも表現できる関係だったでしょう。

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ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)4 ― 水戸光圀の事業 ―

 「水戸黄門の全国漫遊記」で高名な水戸光圀こと徳川光圀。ウィキペディアの彼の記事でも、光圀が特異な人間であることは確かに見て取れます。
 記事の光圀の人物像に「肉食が忌避されていたこの時代に、光圀は5代将軍徳川綱吉が制定した生類憐れみの令を無視して牛肉、豚肉、羊肉などを食べていた。」とあり、後世の蘭癖大名を彷彿させます。光圀はノーマルな徳川の人間の枠に全くはまらないタイプでした。
 前回紹介した落合氏の説では、光圀は楠木正儀からの血流の摂津池田氏、天海の差配で水戸徳川の世子に繋がったとしています。この説が事実かどうかは分かりません。しかし事実として光圀が実施した事業は、陰謀計画実現に向けた工作になっています。
 また光圀が楠木正成の子孫だとすれば、彼の行動に納得がいくところも大なのです。光圀で特記すべきは「南朝が正統」と提唱し「大日本史」の編纂を始めたことです。
 江戸時代は代々北朝天皇で、光圀自身が皇室関係者であったのにも関わらずの、「南朝が正統」との光圀の提唱。これが水戸学になっているのです。
 ウィキペディアの記事を読めば、水戸藩は財政難にあったのに「大日本史」そして水戸学に、財政が傾くほどの莫大な資金を投入しているのが分かります。光圀から始まる水戸学が明確な狙いを持っていたのが明白です。
 水戸学のベースは朱子学でありミトラ教でした。天海と同様に光圀の出生がどうかは分かりません。しかしこれも天海と同様に、光圀が陰謀団に所属の中心人物であったことは間違いないでしょう。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)4 ― 水戸光圀の事業 ―


光圀の出生は影の事柄 〜光圀は楠木正成の子孫?


水戸光圀
Wikimedia Commons [Public Domain]

さて、ボチボチ出発としようか。今日は黄金の話に戻らなきゃね。

いや、ご隠居その前に…、水戸光圀のこと…。
光圀は楠木正儀から連なる摂津池田氏の出、だったんで?

ふむ、前回の続きだね。
そうだね。寄り道になるが、水戸光圀に触れないわけにもいかないようだね。

へい。ご隠居は、光圀が摂津池田氏ならば色々なことの辻褄があうと語っていやしたが?

そうだね…、うーん、先ずだが、光圀の出生は通史上でもいわく因縁がらみなんだ。

へ? 光圀は確か徳川家康の孫でやしたね。
天下の将軍の孫の誕生が因縁がらみ?

光圀の父は家康の11男の頼房、水戸初代藩主だ。母は久子で、光圀は頼房の三男として誕生している。
ところが、母の久子は頼房の正式な側室でもなかったようで、光圀の兄もそうだったのだが、光圀を身ごもった久子を堕胎させるよう頼房は家臣の三木仁兵衛夫妻に命じる。この主命に反して三木仁兵衛夫妻は自分の邸宅で久子に光圀を産ませている。
詳しくは徳川光圀のウィキペディア記事の幼年時代を見れば分かるよ。

あ、ほんとでやすね。光圀もそうでやすが、兄も堕胎させるよう頼房は命じてやすね。これがホントだとすれば何とも薄情な父親だ。
で、兄も光圀も三木仁兵衛によって救われている。そして三木邸で出生した光圀は幼年期は三木邸で過ごしていやすね。それで光圀は4歳の時に水戸城に入城し、5歳で世子に決定したとありやすね。
ふーむ、しかし…、この話のたてつけなら、何とでも…。

そう、記事に「光圀になぜ堕胎の命が出されたかは不明」とあるが、家臣の邸宅で生まれ育ったと言うならば、光圀は本当に頼房の息子なのか? 確認は?
子供の入れ替えでも何でもできてしまいはするね。

そうでやすね。
これが通史説で、落合氏説は光圀は三木邸で生まれ育ったのではなく、摂津池田氏の子息として生まれ育ち、光圀が4歳の時に水戸城に入城し、5歳の時に世子に決定したとしているんでやすね。

そういうことだね。落合説が事実か否かは分からんが。ただ通史の話もとってつけたような何とも言えない内容ではあるね。
いずれにしても、光圀の出生と幼年期は世間の目と日の当たらない影の事柄だ。

ふーむ、そうでやすね。
何とも言えやせんが、落合説はありうる感はしやすね。そうだと裏で天海が動いていたということに…。
ご隠居、で、落合説が事実ならば色々と辻褄が合うという、その内容は?

その前に落合説は、光圀は摂津池田氏で楠木正儀の子孫としているが、編集者さんが指摘されたように、摂津池田氏は正儀の兄の正行からの流れではないかな。
まぁいずれにしても楠木正成の子孫ということになる。

落合史観による水戸光圀の系図

楠木正成の子孫…、あっそうか、湊川神社だ。
明治早々に、神戸に楠木正成を神として祀る湊川神社が創建されていやすが、本編の第2話で「光圀が南朝の忠臣であった楠木正成を讃えたのが湊川神社創設の伏線」とありやした。
またこの第2話では「『南朝正統』の光圀の提唱が水戸学となり」とも指摘していやすね。

その通り。光圀に対する落合説には2つのポイントがある。
一つは光圀が楠木正成の子孫であること。もう一つが光圀が水戸藩の世子に決定したのは天海の差配によること。つまり、光圀は最初から天海の陰謀グループに所属していた、ということさ。
整理すると、

光圀は楠木正成の子孫
光圀は陰謀団に所属

これが落合説から見える光圀像の2つのポイントとなる。

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第23話 ― 渡来集団のサンカ

 私達にとって、教えられるなどして最初に植え付けられたイメージの影響力は、その後を決定づけるほど甚大です。最初に植え付けられたイメージがくびき・呪縛となって、そこから離れて自由になることは困難となるのです。
 私達一般人が植え付けられたサンカのイメージとは、“定住せず自然と一体になって山を川を移住する漂泊の民”で、どうもこの漂泊の民が縄文人の原日本人だというものでしょう。質素簡素に清貧生活を送る精神性の高い人々のイメージもあります。そして確かにこのような戸籍を持たず漂泊の生活を送る人々は存在したでしょう。
 しかし気をつける点があります。サンカと称された漂泊の生活を送る人々は、自ら自身を「サンカだ」と名乗ったのでしょうか? そうではないでしょう。
 彼ら漂泊の民をサンカと名付け、多くのサンカの物語を創作し、一般的なサンカのイメージを構築させたのが作家の三角寛氏でした。サンカの物語は他にも多くありますが、そのベースとなっているのが三角氏のサンカ物語でしょう。
 ただし、サンカの一般的なイメージの埋め込みは三角氏一人によるものではなく、三角氏のバックがいたというのです。そのバックこそがサンカ勢力だと落合莞爾氏は語ります。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第23話 ― 渡来集団のサンカ


落合氏のサンカ分類 〜サンカの主力はタカス族?


國體忍者となったタカス族とアヤタチ』214頁で落合莞爾氏は「(京都皇統からの)伝聞の順に従い」と前置きし、「厳密に分類したわけでなく重なっているものもある」として詳しい考察は今後の課題と断りながらも、サンカを以下のように分類しています。

上田サンカ … 丹波亀岡の上田氏で渡来イスラエル支族から選ばれたアヤタチと自称する。
❷朝鮮サンカ … 古墳時代に朝鮮半島から渡来したツングースを主力とする族種をサンクァと呼ぶ。
❸小目名サンカ … 林業に携わる「ヤマゴ」で東南アジア山岳民を比喩的にサンクァと呼ぶ。
地サンカ … 稲作地帯で農業補助作業を行う「箕作」を意図的に山窩と呼んだ
❺山渡りサンカ … ステップ・ロードやシルク・ロードを経由して羅津(らじん)から渡来したタカス族を主力とする民族。
❻海渡りサンカ … 南島を経由して薩摩に渡来したタカス族。
タカス古代エジプトのミイラ職人の末裔で外科医、桶屋、臓器製薬業者


以上を見ると❺❻❼ともタカス、もしくはタカスを主力とする集団になりますが、続いて落合氏は次のように記しています。

私見ではこのの「タカス」がサンクァ概念の中心と考える。

古代エジプトのミイラ職人から発祥したタカスが、古くから全世界に拡散したのは、言うまでもなく広範な科学知識と精密な技術を体得していたからである。

古墳時代に日本に渡来したタカスが、大和朝廷のために基本設計をしたのが巨大古墳で、その築造に当たったのが『土師氏集団』である。また現場の土木作業員として働いたのは朝鮮半島の東岸から渡来したいわゆる“新羅人”である。

タカス族が古代エジプトのミイラ職人の発祥で、古墳時代に日本に渡来してきて、巨大古墳の基本設計をしたとの主張です。

また同書では、古墳の築造に当たった「土師氏集団」は小目名サンカ、土木作業員の“新羅人”は朝鮮サンカに当たるとしています。更には同書の225〜226頁に「造り酒屋にサンクァが多い」「上原勇作ら薩摩武士までも山窩と呼んでいた」ともあります。


これらの分析は今回は置いておきますが、ただ全体としてこの落合氏の説ならば、サンカとはもとを糺せば外国からの渡来集団がそのほとんどとなります。更には市街に定住していた数多くのサンカもいたことにもなります。

このサンカの見方は、“定住せず自然と一体になって山を川を移住する漂泊の民”との一般的なサンカのイメージとはかけ離れています。

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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第22話 ― 「異界」との境界

「穢れ(けがれ)とは、忌まわしく思われる不浄な状態。死・疫病・性交などによって生じ、共同体に異常をもたらすと信じられ避けられる」
(ウィキペディア「穢れ」)

 この一文で共同体、つまり里の民は「穢れ」を忌み、里の外れに放逐しようとしてきたのが窺えます。
 里の民とは江戸時代でいうならば士農工商制度のうちにある民です。「里」の外は「異界」になりますが、その結界というか境界があります。川がその境界になる場合も多くあり、その場合は、川の内側は里で川向うは異界となっていたでしょう。
 そしてその境界に生活する人々もいました。「河原者」などと呼ばれていました。河原は昔は多くは葬送の場所で、遺体を棄てる場所でもあったのです。
 河原の住人は里から必然的に出てくる「汚れ」を処理する役割を担ったりしていました。死牛馬の処理や屠畜などのはその代表的なものです。それで「穢多」という蔑称がでてきたようです。また「河原者」には旅芸人なども含まれ、「河原乞食」と呼ばれていました。
 一方、里の民に対して異界の民がいました。その最たる存在が異国人です。謎の山窩(サンカ)もそうでしょう。境界の住人が異界の民と繋がった窓口的な役割を果たした様子でもあります。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 明治編) ― 第22話 ― 「異界」との境界

蘭癖と天忠党の関係 〜蘭学者の起こり


外国勢力を招き入れ「英領日本」を導いた人物群の一角に「蘭癖」と称された人々がいたことを前回見ました。蘭学者や九州の外様大名などで、外国勢力と彼らは繋がっていました。その「蘭癖」の代表が薩摩の島津重豪。重豪の子である奥平昌高・黒田長溥や、曾孫の島津斉彬」とのことでした。

島津重豪とその 曾孫の島津斉彬は共にその娘を将軍家に嫁がせて権勢を振るったのですが、天忠党には「諸国同士」の同盟者として島津斉彬の名が上がっています。

蘭癖大名の筆頭・島津重豪
Wikimedia Commons [Public Domain]
島津斉彬
Wikimedia Commons [Public Domain]

天忠党は八咫烏の倒幕と親政を目的に結成された政治組織であり、天忠党こそが明治維新の中核組織であったことは既に度々見てきました外国勢力を招き入れ「英領日本」を導いた「蘭癖」の一群と、天忠党は協働していたということでしょう。

天忠党図の下部には天忠党の仲間、もしくは下部組織として薩摩以外にも筑後久留米藩、肥後藩、筑前黒田藩、豊後岡藩、以上の九州の藩名が上がっています。この中、特に注目すべきは筑前黒田藩でしょう。

筑前黒田藩(福岡藩)はバテレン大名の黒田孝高(官兵衛・如水)の息子で同じくバテレン大名の黒田長政から始まっています。ウィキペディアの「福岡藩」には次のようにあります。

「10代・斉清は、江戸時代後期、蘭癖大名として世に知られ、肥前長崎の黒田家屋敷に何度も往来して見聞を広げている。」

11代・長溥は、薩摩藩・島津氏からの養継嗣。正室は斉清息女、純姫。父や養父と同じく蘭癖大名であった。」

黒田藩(福岡藩)黒田長溥
Wikimedia Commons [Public Domain]

蘭癖島津重豪の子である黒田長溥とは、筑前黒田藩(福岡藩)の11代藩主であったわけです。バテレン大名から始まり、蘭癖大名が治めていたのが筑前黒田藩で、長い期間にかけて外国勢力と繋がっていたと見るのは自然でしょう。

また 筑前黒田藩の7代と9代は「御三卿・一橋徳川家からの婿養子」ともあります。 筑前黒田藩が注目なのはバテレン大名、蘭癖、島津氏と繋がっていたこともありますが、後の玄洋社に繋がっていくからでもあります。

秘密結社八咫烏の政治組織天忠党と蘭癖がどうやら深く関わっていた様子なのですが、一方この蘭癖に関して前回に挿入されていた「本物黒酒」さんのツイートには次のようにありました。

「蘭学者はもともと、出島に四足を供給する穢多で、その解体と肉加工に従事する間に蘭語や徳語や英語を覚え、通訳・翻訳家・蘭医になった人々。特に鉱脈に詳しい山窩が英米に喜ばれ、外患誘致した」

この内容によると、蘭癖の中でも蘭学者は被差別部落民の穢多から元々は出来上がり、その中でも鉱脈に詳しい山窩が重要な役どころになっていたとの見解です。

サンカとして紹介された人々の暮らし
毎日新聞社「毎日グラフ(1954年3月31日号)」より
Wikimedia Commons [Public Domain]

山窩といえば前回記事で昨年12月26日の竹下さんの記事から「日本のサンカと呼ばれる勢力が日本のゴールドを海外に流出させて、それが『アメリカ独立、フランス革命、ナポレオン戦争、そして、永世中立国スイスの誕生』に繋がった」とあるよう、サンカが外国勢力と深く繋がり、協働する勢力であったことを見ました。

果たして秘密結社八咫烏と蘭癖、被差別部落民、サンカがどのような関係にあったのか?が気になります。

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