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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第2話 ― 満洲国設立へ

日本は今もなお「満洲」の呪縛に囚われたままであるように私には見えるのです。
 その著書『満洲暴走 隠された構造』のプロローグの中でこう語られているのが安冨歩氏です。この呪縛とは日本に植え込まれた「植民地根性」であり、「立場主義」であるとの見解です。
 またこの呪縛とは、満洲を植民地化、つまり都合で支配したことを意識化せず眼をつむっているうちに自分が「被植民地化」している事実、支配されてしまった不自然な状態にあることに気づかず、その被植民地の状態で与えられた「立場」のみを重視し、本来の自分とは遠く隔絶した状態に縛られている事実、こういう言い方もできるでしょうか。

 安冨歩氏はこの著書の中で語ります。
この植民地化された魂は、日本を、特に支配的な地位にいる政治家・官僚・大企業の経営陣などなどを、覆い尽くしています。
 現在の日本、まさにこの安冨歩氏の指摘どおりです。現在開かれている国会中継を視聴すれば、「植民地化された魂」が、そして支配された立場からその立場を死守しようとする「立場主義」が、続々と延々と登場しているのに気づくでしょう。
 話の論点をすり替えて誤魔化して事実を隠蔽しようとし、事実が表に現れていないうちは平気でウソを通し、事実が表に出てきてもなお誤魔化し隠蔽しようとする…。
 彼らが必死で守ろうとしているのはいかに大きな既得権益があるかは知りませんが、支配される中で与えられた小さな部所であり、立場に過ぎません。
 そして、そうやって彼らが本来の自身の生命を削りながら奴隷根性で立場を死守しようとする行為は、法治国家や民主主義を破壊していく暴走でもあるわけです。
 こういった現在の日本の姿は満洲支配呪縛の継続でもあったようです。

追記:石原莞爾のドイツ留学の年号(正しくは1922年)とそれに続く一文を訂正させていただきました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第2話 ― 満洲国設立へ

満洲支配への背景


満洲、その地域についてはウィキペディア記事では以下のようにしています。

おおむね北辺はスタノヴォイ山脈、南辺は長城、西辺は大興安嶺、東辺は鴨緑江・図們江 (豆満江) の内側を想定している。しかしながら、マンチュリアの範囲は歴史的変化に伴い、その範囲は伸縮していた。

日本で満洲と呼ばれる地域は、満洲国の建国時の地域全体を意識することが多く、おおよそ、中華人民共和国の「東北部」と呼ばれる、現在の遼寧省、吉林省、黒竜江省の3省と、内モンゴル自治区の東部を範囲とする。

満洲(マンチュリア)の範囲
Wikimedia_Commons [Public Domain]

日本から言えば、いわば満洲とは満洲と蒙古、つまり「満蒙」とういうことになります。この地域に流れる中心河川がアムール川です。このアムール川(黒竜江)にちなんで玄洋社(=白龍会)の内田良平が中心となって黒龍会を組織したのが思い出されます。

要するに、八咫烏並びにその政治組織である五龍会は、早くからアムール川(黒竜江)の流域地域を掌握していくことを見越して行動していたということでしょう。

また、明治天皇(大室寅之祐)の曾孫を自認・自称する張勝植氏が主張する“高句麗”は、地域としてはその範囲は更に大きく拡大しますがこの満洲、満蒙の地のことも指しています。

張勝植氏のその著書のP32~33にて“高句麗”は中国(清国)を含み、ユーラシア大陸の大半、南はコーカサス山脈から北はウラル山脈、その一帯より東側は全て“高句麗”の版図だとしています。

また、蒙古のチンギス・カンも高句麗家そのもので、その象徴が八咫烏だと語っています。

チンギス・カン時代のモンゴル帝国最大版図
Wikimedia_Commons [Public Domain]

張勝植氏が奉じていて、明治天皇(大室寅之祐)も奉じていたとされる「教旨」とは、神ではなくハイアラーキーの計画書でした。また一方、八咫烏の背後にはハイアラーキー、銀河連合、星の教団がありました。

要は、日本が朝鮮半島から満蒙の地を併合していくのはハイアラーキーや銀河連合の計画であり、八咫烏にしても明治天皇(大室寅之祐)もその司令に順じていたということになるでしょう。

さてこの満洲ですが、安冨歩氏は満洲地域には、その経済社会形態が他の中国の各地域のそれとは大きく異なった特徴があると指摘されています。

安冨歩氏は『満洲暴走 隠された構造』の中で満洲の経済社会構造の研究をされた石田興平教授と米国の地理学者・人類学者・歴史学者G.W.スキナーが、第2次世界大戦直後に四川省で行ったフィールドワークに基づいて提唱した「定期市ネットワーク」を比較します。

そのことによって満洲と華北などの他地域での中国地域の経済社会形態の相違と満洲の特殊性を明かしています。


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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第1話 ― 闇から始まった昭和期

 テレビで流れてくる映像では、くたびれた背広をまとったちょび髭の老人、ぼやっとしたような風情で、他者とのやり取りでは「あっ、そう」と短く答え、決して自分の意志ではなく、周囲の求めに応じて物事に対処してきたと思わされる人物、その人が昭和天皇でした。現実のドロドロの人間関係とは全く隔離した、清浄な温室育ちで野心のかけらもないというイメージです。
 しかし本来の昭和天皇の実像は、テレビ映像でイメージ付けされた像とは異なっていたことが分かってきています。非常に鋭い知性の持ち主で、几帳面かつ神経質、そして野心家、これが本来の昭和天皇の実像に近いでしょう。
 昭和天皇の上位には堀川辰吉郎があったのは間違いないところで、彼は世界天皇となるべく動いていたことが見て取れます。
 しかし、昭和天皇もやはり大きな野心を有していた模様です。朝鮮半島に引き続いて満洲・蒙古を併合し、世界に君臨する大日本帝国の統治者としての天皇を昭和天皇は見越していたようです。内閣や軍部からあげられてくる計画や素案に、単にメクラバンを押して「おまかせ」にしていたわけでは決してないのです。
 背後には堀川辰吉郎がいてその代役としてですが、日本と英国、米国は裏で手を結ぶことになる第2次世界大戦の内容に合意する「1921年国家間条約」を調印したのは当時の裕仁親王です。極秘事項を所持している昭和天皇が、内閣や軍部に種々の指示を出すなど強い影響を与えていたのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第1話 ― 闇から始まった昭和期

歪な形で始まった昭和期 〜暴力テロを闇に葬る意味と影響


1926年12月25日、大正期は終焉し昭和期が始まりましたが、それは大正天皇の崩御によるものではありませんでした。このあたりについては「歴史の襞の中から」シリーズで見てきたところですが、改めまして。

ガーター騎士団の正装をした大正天皇
Wikimedia_Commons [Public Domain]

時期としては1922年以降でしょう、大正天皇が行方不明となります。徳川慶喜たちの拉致・軟禁によるものでしたが、宮中では大正天皇が行方不明となり、その対応に苦慮していたと思えます。

ところがその大正天皇の消息が明らかになります。大正天皇の拉致・軟禁を実行した側である徳川慶喜の下にいた瀧山一族が不満を抱き、昭和天皇宛に脅迫?の手紙を届けたのです。

これで宮中は状況を把握し、大正天皇が帰城することはなく大丈夫との判断を下し、大正期を終焉させ、昭和期を始動させたと考えられます。決して正式な形での大正期の終焉と昭和期の始まりではなく、非常にいびつな形での昭和期のスタートだったのです。これが昭和に常に黒い影を落とさせていたように感じます。

大正天皇が崩御したのではなく、何らかのアクシデントによって行方不明になっていたことぐらいは、宮中のものの全員は無論のこと、政府高官や宮内庁職員などは皆知っていたでしょう。

大正期はわずか15年足らずでしたが、大正天皇排除の動きは早くから始まっていました。1921年の裕仁親王の欧州外遊、そして摂政着任など、その大正天皇排除の動きの末の現れです。

1921年、イギリスの首相ロイド・ジョージらと会う皇太子裕仁親王
Wikimedia Commons [Public Domain]

もうこのあたりで既に大正天皇の社会的生命はほぼ失われていたのです。宮中の人間、政府高官、宮内庁の職員、これらの者の中には大正天皇排除に積極的なもの、消極的なもの、排除に反対だがやむを得なくついていったもの、様々だったでしょう。

しかし、事実を知るものは全員が大正天皇排除の共犯者にさせられたことになります。共犯者である以上は、いよいよ沈黙が強いられます。この大きな問題は、都合次第では正式に即位した天皇でさえも首をすげ替えられる力を有するものが存在していたということです。

そして現に、天皇の身近に天皇に暴力を加えられる装置が備えられていたことです。天皇に危害を加えられるのは、天皇の身近なものなのです。

実際には、大正天皇の排除や暗殺命令には昭和天皇その人が関与していたと見るのが自然です。そしてその関与はある部分は成功です。しかしその大正天皇に向けた刃は諸刃の刃です。いつ逆にその刃が昭和天皇に向けられるかも分からないのです。そして実際に昭和天皇の香淳皇后、そして皇太子候補数人にその刃が向いたようです。

裕仁親王と妃良子女王及び照宮成子内親王(1925年)
Wikimedia_Commons [Public Domain]

更にこれが問題なのは、暴力テロの首謀者や実行部隊が何らの咎めを受けず、闇の事件として葬られていることです。こうなってしまった以上、天皇は可能性としては暴力テロの標的になってしまいます。

昭和天皇は外見とは裏腹に野心的な人物のようです。しかし反面こうなると、天皇もどこまで自分の意志で動けるのか?誰かの代弁者のお飾りにならないか?ということが当然ながら問われてきます。

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歴史の襞の中から6 ― 医療界の闇より ―

 「新型コロナの切り札となるワクチン接種を。」国会でメディアでこの言葉を聞くたびに心底うんざりとします。
 それでも、ようやく国会の中で「イベルメクチン」のことが取り上げられ、田村厚労大臣の口からもイベルメクチンのことが語られていたのは、一縷の光になるかな?との思いもあります。
 今回の新型コロナワクチンのとてつもない危険性といおうか、害毒についてはシャンティー・フーラの記事で多く取り上げられてきました。人間としての生命を終了させてしまうようなワクチンが、今回のコロナワクチンと言えるでしょう。
 しかし、マスメディアではその実際の危険性と害毒を決して取り上げず、報じません。それどころか、過去から現在に至るまで、マスメディアはワクチンの実態を取り上げるどころか、その偽りの効能を喧伝してきたのです。製薬会社を含めた日本の医療界とマスメディアが結託した日本民衆への洗脳行為です。
 マスメディアと結託し、それが「医療行為」だと宣言されれば、それが本当は生体実験であったとしても、その医療界の行為は全て許されてきた。実際に集団予防接種や大量被爆が強いられるX線検査を強制された私などには、この感が強いです。
 医療界もまた大きな問題といおうか、深い闇を抱えていたようです。そして、その闇とは結局人間をどう見るか?にかかってくるようです。
 医療界は日本の民衆を利用価値の有無の視点から、そしてゴイムと見る傾向が強かったのでは?と思わされます。
(seiryuu)
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歴史の襞の中から6 ― 医療界の闇より ―



表沙汰になった日本の臓器移植問題 〜日本の医療界を抉った石垣純二氏


ご隠居、今日でこの旅路も終了のようでやすが、一連の話の語り手、歴史の証人であった瀧山澄子さんの父親であった石垣純二氏にはいくつもの裏の顔があったとのことでやしたが、具体的には?

そうだね。石垣純二氏については、2015年12月の公開された情報の中で既に次にのように語られている。基本的にはその内容が全てともいえるかもしれないね。

彼は今上陛下の家庭教師の一人でした。日本国の裏の特捜のドンでもありました。マッカーサー元帥やケネデイ家とも親交があり彼らとは親友だったと聞いております。また内務省出身という立場で国内外の悪人退治を昭和50年病で倒れるまで行っていました。

ふーむ、「マッカーサー元帥やケネデイ家とも親交があり彼らとは親友だった」。これは石垣純二氏の祖父、そして母がイギリス系だったことにやはり関係が?

うむ。そうだね。
滝山氏は幼少時に石垣純二氏のはからいによって、ケネディjr.とキャロラインの兄妹と遊んだことがあったと語られていたね。あの暗殺事件の後、ケネディ兄妹はしばらく日本に避難していたようだ。
石垣純二氏とケネディ一家とは相当の深い繋がりがあったのは確かなようで、その背景には石垣純二氏の祖父、そして母がイギリス系だったことが、やはり関連してくるのだろうね。

なるほど。
で、石垣純二氏は日本の内務省にあって、裏の特捜のドンとして指揮をとっていたとのことでやすね。

そうだね。
石垣純二氏が日本の裏の特捜のドンであったとの情報、これは表情報のどこにも出てこないので情報の裏取りができず、深入りはできないが、…
うん、まぁしかし、あくまでも想像の世界だが多少の推測もできないこともないね。

そうでやすね。
石垣純二氏についてコトバンクには、
内務省衛生局に入り、厚生官僚の道を歩む。
また、
日本医師会などを批判し、43年の和田寿郎の心臓移植手術では“和田心臓移植を告発する会”を組織するなど、医療、福祉全般にわたり鋭い評論活動を続けた。
とありやすね。

そう。
石垣純二氏が裏の特捜のドンだったとすれば、彼が内務省の厚生官僚であったのは表情報からも確かだから、石垣純二氏は主には医療関係の犯罪捜査に従事していただろうとは想像できるね。

「43年の和田寿郎の心臓移植手術」、これはいってぇどんなものだったんで?

昭和43年(1968年)、札幌医科大学胸部外科チームを主宰していた和田寿郎が起こした事件だね。
和田寿郎たちは溺死事故を起こした21歳の男子大学生から摘出した心臓を、18歳の心臓弁膜症の男子高校生に移植した。心臓移植を受けた男子高校生は一時的に回復の傾向を見せたが、結局は手術後3ヶ月もたたずに死亡した。
この心臓移植手術を巡るドス黒い事件だね。

右から二人目が心臓移植手術をする和田教授

ドス黒い事件❓ ふーむ、脳死・臓器移植に関する問題でやすね。
昭和43年1968年か、確か脳死・臓器移植が日本社会で大きな話題になったのは立花隆著の『脳死』が発表された1986年以降でやしたから、随分早い時期でやすね。
それでこれがドス黒い事件とは?

この事件は、ネットでも詳しい情報があるからそれを参照すればよいが、まず溺死したとされる21歳の男子大学生に対し、札幌医科大は蘇生への適切な処置を行わず、脳死判定の適切な処置も全く行っていなかった。この男子大学生への殺人罪が疑われる。
そして心臓移植を受けた男子高校生、こちらも心臓移植を希望していたわけでもなく、心臓移植が必要な病状でもなかった。それにも関わらず男子高校生から心臓が摘出され、代わりに溺死したとされる大学生の心臓が移植され死亡に至っている。男子高校生の摘出された心臓はしばらく行方不明だったようだ。こちらの高校生への殺人罪も疑われる。

ウワーッ❗ひでぇ話だ。
始めから臓器移植の実験、生体実験ありきで進められた手術のようでやすね?

そうだろうね。
和田寿郎は殺人罪等で刑事告発され、嫌疑不十分で不起訴となっているが、ただし、限りなくブラックに近いグレーでの不起訴の印象だね。
この事件の捜査に石垣純二氏が携わっていたんだろうね。

ふーむ、ひでぇ事件でその実行者が不起訴に終わっていやすが、調べ直すと、心臓移植手術がその後日本で再開されたのは1999年でやすね。
日本の臓器移植手術が約30年間止まっていたのは、この「和田寿郎の心臓移植手術」事件とそれに対する石垣純二氏たちの対応が大きな影響を与えたようでやすね。

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歴史の襞の中から5 ― 宮中の闇より ―

 幼少時、テレビ番組の中で退屈で嫌いな番組がありました。ところが、その番組が現在も放映していることを知り、驚きました。ある意味では感心もしました。その番組名は「皇室アル○ム」です。60年以上も継続している番組とのことです。記憶では、番組内容は皇室を賛美するもので、この番組の内容の基本路線はおそらく現在も変わってもいないでしょう。
 華やかさの中にも気品は高く、そしてお優しく美しい模範的で高貴な方々のお集まり、このような皇室イメージ作りの番組内容に、私自身は子供心ながら意図的な虚像部分を感じていたように思えます。そして、皇室を賛美だけするような路線はとても退屈だったのです。私だけでなく、この番組は多分ねじれ体質の人間には退屈で面白みがないのでは?とも思えます。
 しかし一方、これだけの長寿番組ですから、一定の固い支持層もおられるのは事実です。皇室に敬意と憧憬を抱き、日本には無くてはならないものだと考えられている多くの方がおられもするのです。
 ただし、現在は皇室の存続が問題になっているのも事実です。今後において皇室の存続が必要かどうか? 必要だとすればどうやって存続させるのか? これらは皆が話し合って決めれば良いことです。ただし、その話し合いには見せかけられてきた皇室の虚像ではなく、実態も皆に知らされなくてはならないと思います。
 私は皇室に対しては全然無関心で、当然ながら皇室への思い入れもないまま現在にまで至ってきました。思い入れがないのですから、皇室の思いがけない実態を知っても感情が強く働いたことはなかったのです。それでも事実を知らされるにつけて、皇室の見せかけの姿と実態のギャップには唖然としたり呆れたりはしました。
 見てきたところ、ドロドロの欲望が渦巻き、シッチャカメッチャカの性関係、そしてそれだけではなく、血にも深く塗れていた、どうも皇室の実態としてはこういったことは否定できないようです。
(seiryuu)
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歴史の襞の中から5 ― 宮中の闇より ―



基本情報2(石垣純二氏の血統関係)と基本情報3(昭和天皇皇太子テロ関係)


基本情報2
  • 大正天皇とイギリス系の女性、后(側室・石垣姓)との間に兄妹が誕生。
    滝山氏はBの人物を大正天皇と考えておられますが、私が調べたところそうではないようです。どうも石垣純二氏は伏見宮家の血筋のようです。北白川智成は17歳で亡くなっているのですが、娘が1人居たようです。この女性がイギリス人男性と結婚し、彼らから生まれたのがBの男性ではないかと私は考えています。
    2015年12月、竹下さんの見解。現在も同じ。)
  • この兄妹兄が石垣純二氏この石垣純二氏の実の娘が、後の瀧山澄子さん
  • 一方、石垣純二氏の(石垣姓)はドイツ系日本人の大学教授と結婚して、二卵性双生児が生まれた。その二卵性双生児の兄が現在の明仁上皇、妹が瀧山治子氏。
  • 石垣純二氏には恋人がいて、二人の間には既に子供ができていた。
  • 石垣純二氏の恋人、二人の間の子の母は、昭和天皇の正室である香淳皇后良子様の姉妹
  • 皇室関係のある大事件が起こり、石垣純二氏の恋人が昭和天皇の正室香淳皇后の替え玉として宮中に入る。石垣純二氏との間の子供(女子)は、香淳皇后の替え玉となった母が連れていき、昭和天皇が宮中で引き取る形に。
  • この香淳皇后の姉妹の母とともに宮中に入った子供が瀧山澄子さん。そして瀧山澄子さんが滝山善一氏の実母
  • 石垣純二氏の妻となったのが徳川慶喜の孫で、中田久松の娘である中田志げさんこの結婚の裏には大正天皇拉致・軟禁の一連の事件があった。
  • 石垣純二氏と妻となった中田志げさんとの間には子ができず、やがて離縁となり、中田志げさんは帰郷した。
  • 石垣純二氏と離縁した中田志げさんは、故郷の村の瀧山勇作氏と再婚した。勇作氏は西郷隆盛の孫
  • 離縁・帰郷の際に中田志げさんは、昭和天皇が引き取っていた石垣純二氏と香淳皇后の姉妹の子、つまり後に瀧山澄子さんと名付けられる女子を皇室から連れ出して、帰っていった。
  • 中田志げさんが皇室から連れ出した女子は、瀧山勇作氏との間の子として戸籍に入り、その女子は瀧山澄子さんと名付けられた。二卵性双生児で明仁上皇の妹も瀧山勇作氏と中田志げさんの間の子として戸籍に入り、瀧山治子さんと名付けられた。
  • 瀧山澄子さんは、加賀前田家の直系の末裔である古川栄徳氏と結婚。二人の子として滝山善一氏が誕生した。

基本情報3
  • 昭和天皇には男子が誕生しなかった。それで皇太子家を創設したが、皇族テロにより多数の死傷者を出して、皇太子候補の男子2名が次々と惨殺された。
  • 皇太子候補の男子の一人目は刀で惨殺された。香淳皇后はかばおうとされ、背中に大傷を負われた。そのため、皇后の替え玉として石垣純二氏の恋人であった香淳皇后の妹が皇室に入った。
  • 皇太子候補の男子の二人目も護衛ごと襲撃されて惨殺。
  • 惨殺された二名の皇太子候補は、三笠宮家からの貰い子か……不明。この皇室テロは極秘事項で、宮中に記録もないと思われる。
  • 三人目の皇太子候補として宮中に上がったのが、現在の明仁上皇。

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歴史の襞の中から4 ― 替え玉より ―

 株式会社アメリカの大統領に就任したとされているジョー・バイデン、彼にはオールド・バイデンとニュー・バイデンがいて、2月10日現在、映像に写っているのはニューバイデンとされています。オールドとニューのバイデンを比較できる写真があり、それを眺めると明らかに別人だと分かります。
 そしてバイデン、彼だけではなく、オバマやヒラリー・クリントンなど支配層の代表者には、幾人ものクローンを含めた「替え玉」が存在していることが知られています。
 「替え玉」が複数いるという意味、これにはケースバイケースの微妙な部分もあったりはしますが、基本的には「替え玉」の用意された人物は取り替え可能の人物だということになるでしょう。
 取り替えが可能だということは、一人の人間として人物そのものが認められていると言うよりは「道具」として扱われているわけです。地位、財産、名誉、権勢などを維持したり、拡大するため利用される道具です。オンリーワンの存在、誰とも何とも代わりが効かない“たった一人”の存在としては見られていないのです。
 端的には「命か金か」という言い方では、支配者たちは、一人の存在を「命」の視点で見るのではなく、「金(道具)」のフィルターを通してしか見ていないことになります。
 これは他国や現代だけではなく、日本の皇室関係や支配層にも一貫していた姿勢だったことが分かります。「替え玉」が次々に登場してくるからそれが分るのです。彼らの世界、地位や財産や名誉や権勢は盛んであったとしても、悲しみに満ちた世界だったでしょう。
(seiryuu)
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歴史の襞の中から4 ― 替え玉より ―



系図と基本情報2(石垣純二氏の血統関係)


滝山善一氏からの情報提供をもとに作成した系図
参考:時事ブログ 2015/12/2411/1311/15
Wikimedia Commons [Public Domain]
Wikimedia Commons [Public Domain]

  • 大正天皇とイギリス系の女性、后(側室・石垣姓)との間に兄妹が誕生。
    滝山氏はBの人物を大正天皇と考えておられますが、私が調べたところそうではないようです。どうも石垣純二氏は伏見宮家の血筋のようです。北白川智成は17歳で亡くなっているのですが、娘が1人居たようです。この女性がイギリス人男性と結婚し、彼らから生まれたのがBの男性ではないかと私は考えています。
    2015年12月、竹下さんの見解。現在も同じ。)
  • この兄妹兄が石垣純二氏この石垣純二氏の実の娘が、後の瀧山澄子さん
  • 一方、石垣純二氏の(石垣姓)はドイツ系日本人の大学教授と結婚して、二卵性双生児が生まれた。その二卵性双生児の兄が現在の明仁上皇、妹が瀧山治子氏。
  • 石垣純二氏には恋人がいて、二人の間には既に子供ができていた。
  • 石垣純二氏の恋人、二人の間の子の母は、昭和天皇の正室である香淳皇后良子様の姉妹
  • 皇室関係のある大事件が起こり、石垣純二氏の恋人が昭和天皇の正室香淳皇后の替え玉として宮中に入る。石垣純二氏との間の子供(女子)は、香淳皇后の替え玉となった母が連れていき、昭和天皇が宮中で引き取る形に。
  • この香淳皇后の姉妹の母とともに宮中に入った子供が瀧山澄子さん。そして瀧山澄子さんが滝山善一氏の実母
  • 石垣純二氏の妻となったのが徳川慶喜の孫で、中田久松の娘である中田志げさんこの結婚の裏には大正天皇拉致・軟禁の一連の事件があった。
  • 石垣純二氏と妻となった中田志げさんとの間には子ができず、やがて離縁となり、中田志げさんは帰郷した。
  • 石垣純二氏と離縁した中田志げさんは、故郷の村の瀧山勇作氏と再婚した。勇作氏は西郷隆盛の孫
  • 離縁・帰郷の際に中田志げさんは、昭和天皇が引き取っていた石垣純二氏と香淳皇后の姉妹の子、つまり後に瀧山澄子さんと名付けられる女子を皇室から連れ出して、帰っていった。
  • 中田志げさんが皇室から連れ出した女子は、瀧山勇作氏との間の子として戸籍に入り、その女子は瀧山澄子さんと名付けられた。二卵性双生児で明仁上皇の妹も瀧山勇作氏と中田志げさんの間の子として戸籍に入り、瀧山治子さんと名付けられた。
  • 瀧山澄子さんは、加賀前田家の直系の末裔である古川栄徳氏と結婚。二人の子として滝山善一氏が誕生した。


さて、出発と行きたいが、その前に上にある系図と基本情報2を照らし合わせ、よく読んでおいておくれ。

へい。
…ふーむ、…この基本情報2、これも滝山氏から提供された情報を整理したものでやすね?
で、上の系図と基本情報2a.b.c.とにはズレが、見解・認識の相違があるようでやすね。

そう、系図は竹下さんが調べられた結果の図だね。
一方、基本情報2は滝山氏からの情報を整理したもので、滝山氏や瀧山澄子さん、そしてその周辺関係者の認識はこうだっただろう。
系図と基本情報2、この双方にはズレがあるが…、ただし、これは仕方ないだろう。
禁裡の中の性関係はもうなんて言おうか、シッチャカメッチャカで、本人も周囲も誰が誰の子なのか❓分からない状態のようだ。
無論、母親は誰との子かは分かってはいるが、そういうことは口が避けても言明しないだろうからね。事実と違っていても「こうだ。」と関係者が認識してしまえば、それがそれで通るようだね。
事実も大事だが、関係者がどう認識しているかも同様に大事だということだろうね。この認識で実際に現実が動いた。だからどんな認識だったかの情報は貴重だね。

そうでやすよね。
滝山氏によると大正天皇には13名の后がいたとのことでやすね。
ところが大正天皇の正室の貞明皇后には替え玉がいて、その替え玉の貞明皇后と西園寺八郎との子が、皇太子となった裕仁親王ということでやすね。
大正天皇と裕仁親王の血は繋がっていない。しかし大正天皇は裕仁親王を我が子と思い込んでいて、周囲もそういう認識だったわけでやすね❓

前回に関係するが、2015年12月の公開された情報によると、記憶を回復された大正天皇は帰城を希望するが、元の部下から「帰城すれば、子供の部下たちに殺されますよ」と諌められた。大正天皇は三日三晩泣きはらして「私の子が天皇になったのだからそれで良い」と悟られた、とある。
ここから、

大正天皇の元部下たちは、昭和天皇から大正天皇の殺害命令が出されていることを知っていた。
大正天皇は昭和天皇を実の息子と思い込んでいた。

この2点が窺えるね。

富山の村に潜んで生活する分には命までは取らないが、帰城すれば命はない、ということでやすね。
それにしても誰が誰の子か、本当に分かっていなかったようでやすね。
皇室関係者、誰が誰の子か分からない…、こりゃなんともため息の出るような話ではありやすがね。

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