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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた難民問題、移民問題 ~第5楽章 息子の移民クラスの生徒たち

 第4楽章のシリア難民の人々の様子と中東の人々に引き続き、第5楽章をお届けいたします。
 息子は、最初、ドイツの学校で、移民クラスからスタートしたのですが、クラスメートには、シリア、アフガニスタンはもちろんのこと、コソボ、アルメニア、チェチェン、イラクのクルド人・・・
 とても興味深い国の出身の生徒たちがいたのです!
(ユリシス)
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ユーゴスラビア


息子の移民クラスには、
コソボ出身の生徒が2名いた。


男子生徒は、突然、家が警察に囲まれて、
コソボへ強制帰国
させられた。
何かビザの問題があったのだろうか・・。

女子生徒は、イスラム系のコソボ出身。
ということは、アルバニア人。

アルバニア人(ムスリム)は、
難民になってしまう。

旧ユーゴスラビアは、チトー大統領
健在だったときは、まとまっていましたが、

旧ユーゴスラビア WikimediaCommon[CC BY-SA]


チトー大統領の死後、そして、ソ連の崩壊、
東西冷戦の終了
で、

まず、スロベニアとクロアチアが独立。
これが、ユーゴスラビア紛争の
きっかけとなった。その後、いろいろな
国が独立し、紛争までに発展。

いまでも、コソボはセルビア人と
アルバニア人の対立で深刻な状態。

コソボは、セルビア人にとって、
大事な土地らしい。

ユーゴスラビア連邦の崩壊で
スロベニア、クロアチア、
ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、
モンテネグロ、マケドニア、コソボ
に分かれた。


Author:Morwen[CC BY-SA]


よく考えてみると、
第1次世界大戦以前から、

スラブ系民族が立ち上がらないように
なっていたのかな・・。

旧ユーゴスラビアは、ソ連のような共産国というわけでもなく、
微妙な位置にいた
わけで、それがよかったのに。
そのおかげも、チトー大統領だったんだ。

WikimediaCommon[Public Domain]


コソボにイスラム系アルバニア人を
どんどん入植させて、セルビアに
嫌がらせをしてきたオスマン・トルコ帝国。


セルビアは親日国である。
地震のときも援助が多かったらしい。

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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた難民問題、移民問題 ~第4楽章 シリア難民の人々や中東の人たちの様子

 第3楽章のアフガニスタン出身のアシュラム難民のジャーナリストの話に続いて、第4楽章をお届けいたします。

 イスラム教(ムスリム)の女性は、イスラム教(ムスリム)の男性と結婚するか、結婚相手の男性は、イスラム教(ムスリム)にならなければいけないらしく、イスラム教(ムスリム)は絶えることはないのです。
(ユリシス)
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神のみぞ知る


インシャラー!

この言葉、素敵なのですが、
困ってしまうんです。
神のみぞ知る・・というアラビア語なのですが、

イスラム教の方と約束をしても、
インシャラー!
という理由で約束を守ってもらえない場合もあり・・。

約束した日に何が起こるかわからないし・・
といわれれば、それは、そうなんですが・・。

pixabay[CC0]


また、シリアの方たちは、男性でも
お互いの頬をつけあって、挨拶する
んです。

シリアは、フランスの影響があるから、
特にそうなのかもしれません。

語学学校のクラスで、国会議事堂を見学に行ったとき、
現地集合で、そこで、シリアの方たち、
お! 友よ、来たか・・ということで、
頬をつけあって、挨拶していたのを
目の前で目撃してしまいました。


イランやシリア難民の方々


イランの方は、男性でも
バラのお茶を飲むのです。
素敵ですよね。
スーフィズム神秘主義の影響なのか・・。
日本の男性がバラのお茶を飲む・・というと
なんか、おかしな目で見られそうな雰囲気。

pixabay[CC0]


イランの方と帰りの通学路が一緒だったので、
湾岸戦争時代の話も聞きました。

当時は、近隣の家に爆弾が落ちて
びっくりしたとか。
イランの方は、よく言っていました。
宗教なんて、関係ないですよ。
すべては、お金が欲しい人たちが原因だと。

ある日のドイツ語の語学学校の授業中でした。
シリア難民が5名、クラスにいたのですが、
その中の一人が、授業中に急に席を立ち、
クラスの教室を飛び出しました。

pixabay[CC0]


理由は、シリアにまだ残っている
親戚の14歳の子供さんが
爆弾を受けて、亡くなった連絡を受けたと。

他の4名のシリア難民は、
心配して追いかけていましたね・・。

シリアの爆弾を知らず知らずに
日本の方も応援して
しまっています。
悪に加担してしまっています
無知ほど悪いものはないのです。
ユダヤ系多国籍企業の商品を知らずに
買ってしまっていませんか?
ブランド品、有名コーヒー、PC、
銀行、食品など、ありとあらゆるところに。

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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた難民問題、移民問題 ~第3楽章 アフガニスタン出身のアシュラム難民のジャーナリストの話

 第2楽章のシリアのお医者さんの話に続いて、第3楽章は、アフガニスタン出身のアシュラム難民のジャーナリストの話です。
 ドイツの語学学校では、難民の方々にお会いしました。8か月の間、一緒にドイツ語を学んだクラスメートです。
 アフガニスタン出身といっても、顔は、アラブ系ではなく、パキンスタン、インド系です。
 アフガニスタンの国が広いことがわかります。
 アフガニスタンは、昔、風光明媚な国だったそうですが・・・。
(ユリシス)
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東洋のスイスと呼ばれていた風光明媚なアフガニスタン


アフガニスタン出身のジャーナリスト曰く、
アフガニスタンは、昔、東洋のスイスと呼ばれ、
欧州の人たちが、優雅にバカンスに来ていた
んですよ・・。

pixabay[CC0]

アフガニスタンの地図を眺めてみると、
確かに、北側には、山岳地帯と湖が・・。

まだ、30代前半のジャーナリストは、
アシュラム難民、アシュラムシーカーです。
アシュラム難民って何でしょうか?

庇護希望者(Asylum Seeker)
庇護を求めて保護国にやってきた人で、庇護申請の最終的な結論を待っている人。その中に「難民申請者」が含まれる。
http://cloveryouth.jp/about_refugees/words

この若い熱意溢れるジャーナリストは、
体制に反対するような映画を製作してしまった。
だから、国に戻ることができない。

ずっと20年戦争をしているアフガニスタン。
小学校時代は、イランに逃げていたと言いました。。
自分の国が平和だった記憶がないとのこと。

若いジャーナリスト、さらに曰く、
アフガニスタンの国民は全員知っていますよ。
どの国が原因で、アフガニスタンがめちゃくちゃに
なっているのか
ということを。
タリバンが、どの国によって作られたか
知っていますよ。全員ですよ。
さりげなくいっていました。

pixabay[CC0]

真実を描いた映画を製作したいと
思うのは
、やる気があるなら、当然だろうな
と想像してしまいます。

イラン時代でも、アフガニスタン時代でも
米国の映画は禁止
だったそうですが、

このジャーナリストが映画好きなのは、
インドがボリウッドといわれ、映画産業が盛んですので、
その影響を受けたのかな・・

私もシャンティフーラの時事ブログ、教育プログラム
他のツイッターなどで、世界情勢を理解し始めていたので、

アフガニスタンのジャーナリストが言っていたことで、
いろいろと共通項を再確認することができました。

大手のマスコミ情報に不信感があり、
西側の情報と、ロシアの情報が違うなど。
ロシアTodayの情報がましらしい。
テロ情報なども無視している。


ケシ栽培が盛んな農業国


アフガニスタンでは、ケシの栽培が盛んです。
昔は、農業国でもありました。
竹下先生の夏頃の記事も思い出します。

pixabay[CC0]

日本でもあんぱんに、そして和菓子に
ケシの実は使われますが、

ドイツでもポーランドでも
ケシの実のケーキは昔から人気。
ポピーシードケーキ、ドイツ語では、
モーンクーヘン。

ケシの実、ポピーは、古代エジプトの
医学書、エーベルス・パピルスによると、
ポピーシードは、鎮静の役目も果たす。

エーベルス・パピルス(Ebers Papyrus)は、紀元前1550年頃に書かれたエジプト医学パピルスである。古代エジプト医学について記したパピルスとしては、最も古く、最も重要なものである。1873年から1874年の冬に、ルクソールでゲオルグ・エーベルスによって購入された。現在はドイツのライプツィヒ大学図書館に収蔵されている。

ドイツのクリスマス時期に有名な
シュトレンにも、ペースト状のポピーシードが
使われている。

ポピーシードは、栄養価の高く、ビタミンB1、ビタミンA
カルシウム、マグネシウムも豊富。

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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた難民問題、移民問題 ~第2楽章 シリアの難民のお医者さんの話

第1楽章のベルリンの街と人々の様子に続き、第2楽章をお届けします。
少し悲しいけれど、異国の地で前に進んでいく人たちへの賛歌です。
シリアは素晴らしい国だったのですが・・。
(ユリシス)

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21世紀は難民の時代




自分の国を離れるということ。
そこには、深い理由があるはず。
それは、難民でも移民でも同じ。

国を離れる思いを甘美でせつないメロディーで
表現した曲
がある。
ラフマニノフのヴォカリーズ。
ラフマニノフがロシア革命でアメリカに
移住する際の望郷の思いを謳った旋律。


Author:Alton[Public Domain]


シリア難民のお医者さんも、故郷アレッポが
崩壊していくのを見て、
気力を失い、
しかし、家族と子供4人を守るために
難民としてドイツ入国した2014年。


pixabay[CC0]


まずは、自分ひとりで、ゴムボートにてシリアを離れ
ギリシャから1000キロ以上歩いて、欧州の地に到着。


それから、ドイツで基盤を作って、
大事な家族をいちはやく呼び寄せた。


難民でさえも早めの行動が吉となる。
受け入れ人数は限定され、
いつでも受け入れてくれる
という甘い現状ではない。

ドイツ語を早めに習得して
医者の仕事を再度ドイツでできるように、
自立できるまで、ドイツの国から支援をうける。

シリアの国は非常に豊かで素晴らしい国だった。
教育費も医療費も無料の国。
地中海に面し、貿易が盛んだった。
レバシリといって、レバノン、シリアは
交渉が上手だと商社でも有名である。
フランスの影響が多い。


pixabay[CC0]


首都のダマスカス、古都のアレッポ。
世界遺産のパルミラ遺跡。



pixabay[CC0]


シリア人をさかのぼると、フェニキア人。
フェニキア文字は、アルファベットの元。


pixabay[CC0]


6年目に入ったシリア内戦。
国外に避難した人は480万人を超える。
ドイツでの難民申請数は、100万人超。

お医者さんは、難民の中では、
恵まれているのかもしれない。
4人の子供たちも元気に小学校に通学。

ベルリンでは、高学歴の難民の方たちの
経歴を活用していく大学プロジェクトもある。



シリア難民のコミュニティーもたくさんあり、
寂しくはなく、逆にドイツ語の習得に邪魔になるとか。

ドイツには、レバノン料理屋、
トルコのケバブに相当する、
アラブ版ケバブのシャバルマもある。


pixabay[CC0]


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独逸の伯林で見た、聞いた、感じた難民問題、移民問題 ~第1楽章 独逸の伯林の街の様子、人々の様子

 ベルリンにお住いのライター、ユリシス様の新連載が始まります。
今回、第1楽章は、ベルリンの街の様子から。
ニュースでしか知らない移民で揺れる欧州の現地の空気を、詩情豊かなレポートで感じることができそうです。

(まのじ)
はじめまして。
ドイツのベルリンに住んでおります
ユリシスと申します。

オーストラリアのケアンズに3年くらい
滞在してから、ドイツのベルリンに移り住みました。
ベルリン滞在もちょうどまる3年になります。
そろそろベルリンの様子もつかめてきた
ころでしょうか・・。

息子はオーストラリアへ出発した頃は10歳でしたが、
現在では、16歳という思春期真っ盛り。

ベルリンに来た当初の頃でしょうか・・。
息子がベルリンの街を見て、
 ”世界には差がある・・” とポツリと言ったことが
衝撃的で、子供の心に、差がある・・と感じさせるものは・・
という観点からいろいろなことを見ていきたいと思っております。

(ユリシス)
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ベルリンの朝





ドイツベルリン、朝7時。
子供たちが登校する時間は、真っ暗。

11月末からアドベント(待降節)がはじまりましたので、
クリスマスのライトが24時間輝いていて、
真っ暗な朝、クリスマスのライトがまだ輝いている時に
学校に登校。
朝は、平均3度から6度くらいの寒さ。




ドイツの朝は、早い。
パン屋さんは、早朝から仕事に取り掛かり、
また、早朝5時ごろから、電車にも結構多くの人が乗車。
仕事時間のフレキシブルタイムが浸透している
ことがわかります。
ドイツ人は、ほとんどの方が17時になると、さっさと家へ帰るという
仕事に対する姿勢。




ドイツの電車は、東京似。
東京の銀座線を見本にしたという黄色い地下鉄が
ベルリンを走っています。

東京の山手線のような、ベルリンをぐるっと一周するリング線も走っています。
トラムという市電もあり、バスも便利で、ベルリンに住んでいるなら、
車は必要ありません。交通の便がよく、とても気楽。





しかし、東京とまるでちがうところも・・。
犬も一緒に電車に乗車。
そして、電車内でバイオリンを弾く人、
フルートを弾く人、アコーディオンで歌う人。

目の前で弾かれてしまうと、お金を寄付しなければ。





ベルリンで連想するもの


ドイツのベルリンというと、何を連想しますでしょうか。
ベルリンの壁でしょうか・・
ベルリンフィルハーモニーオーケストラでしょうか・・
森鴎外の舞姫でしょうか・・
ベルリン大聖堂でしょうか・・
最近、倒産してしまった、ベルリンエアーでしょうか・・


ベルリン大聖堂


ベルリンは、ドイツの首都。
よく、ミュンヘンが実質的な首都ではないか・・
とも言われています
が、
ベルリンの壁崩壊後、ドイツが東西統一して、
ボンからベルリンが首都になったのです。


国会議事堂


印象的には、南のミュンヘンは、
保守的な雰囲気。ドイツ人優先主義です。
首都のベルリンは、移民も多く、自由な雰囲気。


コンツェルトハウス ベルリン


ベルリンは、東ベルリンと西ベルリンが
一緒になったので、意外にも結構広い
のです。
面積は、891キロ平米(東京は2188キロ平米)
人口は、350万人(東京は1370万人)

12の地区から成り立っています。

ベルリンは、敗戦後4ヶ国統治されていました。
アメリカ地区、イギリス地区、フランス地区、旧ソビエト連邦地区です。

我が家は、少し南のアメリカ地区だった所にあります。
ベルリンの中でも治安がよく、安全で、落ち着いた地区です。


ブランデンブルグ門




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