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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第10話 ― 地底人になった古代イスラエル人

 旧約、イスラエル・ユダヤ人と契約を結んだ神とは、サナト・クマーラの代理人のエノクでした。エノクは死後に大天使に変容し、シャンバラ(楽変化天)の存在となっていきます。
 契約の民の古代イスラエル人たちは、紀元前720年頃に国が崩壊し離散します。世界に離散した彼らは「失われたイスラエル10支族」と称されますが、彼らの姿は日本の山伏の姿そっくりでした。山伏は日本に来訪した古代イスラエル人の一部で、山岳修行の山伏が八咫烏の原型なのです。
 そして、他にも同様に山岳修行する一団がありました。チベットのラマ僧グループです。ラマ僧のある一団はやはり古代イスラエルの末裔なのです。
 そして…、古代イスラエル人が離散した先は地上世界だけではなかったようなのです。彼らのごく一部はアガルタネットワークなどとも呼ばれる地下世界に移住したようなのです。
 地球で地下世界を形成していったのはアガルタ人が最初で、彼らが築いた地下帝国の首都がシャンバラと呼ばれます。古代イスラエル人のごく一部であっても彼らが地下世界に迎えられたのは、彼らとの契約の主のエノクがシャンバラの存在であったからだと思えます(ただし、シャンバラなどの地下世界は噂されていたような理想郷などでは決してありませんでしたが…)。
 アガルタの地下帝国はホワイト・ロッジの帝国でしたが、古代イスラエル人が移住した地下世界はホワイト・ロッジだけではなく、ブラック・ロッジの地下帝国もありました。古代イスラエル人は地上世界と地下世界、それもホワイト・ロッジとブラック・ロッジの両側に移住とバラバラになったのです。
 しかし、彼らはバラバラになっても交信はしていたように思えます。彼らは独自のネットワークを形成した上で離散していったように思えるのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第10話 ― 地底人になった古代イスラエル人

墜落死したエイリアンの正体


映像配信「宗教学講座 第265回」の講義の題材に『失われたエイリアン「地底人」の謎』という、三神たけると飛鳥昭雄共著の本が取り上げられています。その本には以下のような内容が記されています。

1947年7月、ニューメキシコ州の砂漠にUFOが墜落
そのコックピット内に、外見は地球人と全く同じの死亡した3人のエイリアンが。
*その死亡したエイリアンは「本」を持っていた。
*解析するとその文字は古いヘブライ語の変形で、彼らがもっていた本は『旧約聖書』だった。
エイリアンの正体は「失われたイスラエル10支族」。彼らは地底世界アルザル(アガルタ)を安住の地に。

編集者註:米放送局「History」チャンネルの特別番組「ロズウェル:最初の証人」の番組予告。1回目:12/12、2回目:12/19、3回目:12/26。

アガルタ人は3000万年前に宇宙から入植してきて地下王国を築いた民で、その後も様々な宇宙人が地球の地下に入植。一方、アガルタと同一視されたアーリア人種は10万年前に地球で創造された若い魂の人種で、アガルタとアーリア人種は全くの別種であることをこれまで見てきました。

一方リットン著の『来たるべき種族』には、「地上のある部族が地下世界の住人『ヴリル・ヤ』となりヴリル・エネルギーを発見開発し、サイキック能力と超科学を獲得していった。」とあります。『失われたエイリアン「地底人」の謎』の上記の内容によると、リットンの示した「ヴリル・ヤ」になった部族というのは「失われたイスラエル10支族」となります。このことに関して講義で竹下さんは以下の見解を示されています。

イスラエルの10支族というのは行方不明になっています。どこに行ったかわからないです。そのうちの一部はチベットに、そして日本にたどり着いていると思われるんですね。他にも10カ所ぐらい、イスラエルの人がたどり着いて、ここで暮らしたと思われるような場所というのが知られています。
ここに書いてあるように、ほんとうに一握りの一部の人間は、北極の方まで行って、所謂、そのアルザル、アガルタとも言いますよね。 アガルタ・ネットワークというそういう地下の方の基地の中に迎え入れられたと考えられるわけで、確かにその通りのようです。

「失われたイスラエル10支族」の一部はチベットに、日本に、またごく一部は、アガルタ人などの地下帝国に受け入れられて、そこの住民の一部となっていたようなのです。そうして地下帝国の住民(アルザル人?)となった彼らは、クンダリニー・エネルギーに相当するヴリル・エネルギーを開発して、サイキック能力と超科学技術を獲得したようなのです。

また講義の中で竹下さんは次のようにも語られています。

同じ古代イスラエル人で、地底世界に入った人間なんだけど、一方はハイアラーキー側の相対的な光の側、一方は闇の側なんですよ。

ここで言われる「闇の側」とはブラック・ロッジです。地下世界の住民には、アガルタ人の他にも多くの宇宙から移植者がいました。更にその地下世界の住人には、ホワイト・ロッジとブラック・ロッジそれぞれに所属する住民がいました。地下世界に移住した「失われたイスラエル10支族」は、ホワイト・ロッジ側とブラック・ロッジ側の住民とに分かれていたということです。

失われたイスラエル10支族の移住先
地上 日本(八咫烏)、チベット(ラマ僧グループ), etc.
地下 ホワイト・ロッジ側(アガルタ, etc. )
ブラック・ロッジ側

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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第5話 ― ナチスの形成

 大本教の印の○十字とは薔薇十字であり、ナチスのハーケンクロイツも薔薇十字であったことを前回に見、緑龍会(大本教)がナチスの創設に大きく関わっていたと指摘してきました。
 全体としては、ナチスとは結局グノーシス ≒ ミトラ教 ≒ カバラ ≒ 神智学の流れの上に作られていたのです。ナチスもやはり秘教徒(グノーシス)組織の一つであり、この秘教徒のシンボルがカバラの中核の「性錬金術」のマーク、薔薇十字だったのです。
 「国家社会主義ドイツ労働者党」つまり「ナチ党(ナチス)」のウィキペディア記事には以下のようにあります。

1919年1月に(ナチ党の)前身のドイツ労働者党(DAP)が設立され、1920年(ナチ党)に改称した。1921年に第一議長に就任したアドルフ・ヒトラーは、党内でフューラー(独:Führer、指導者、総統)と呼ばれるようになり、指導者原理に基づくカリスマ的支配を確立していった。

 ナチ党(ナチス)となったドイツ労働者党(DAP)とは、トゥーレ協会の内部の政治部門、つまりトゥーレ協会がナチスの母体です。そして、最終的にはそのトゥーレ協会はヒトラーによって解散命令が出されてナチスに一旦は吸収されています。このトゥーレ協会はアーリア人種至上主義を広げていた組織ですが、神智学をベースとした秘密結社だったのです。
 またトゥーレ協会とは別にナチスの形成に大きく関わっていたのが、ブリル協会であり、ブリル協会の創設者ともされるカール・ハウスホーファーです。
 トゥーレ協会と同年の1918年に創設されたブリル協会は、未知のエネルギー「ヴリル・パワー」の探索・獲得、その駆使を目的として創設された組織です。これはブリル協会創設者ともされるカール・ハウスホーファーが「ヴリル・パワー」を探索していたことによります。
 「ヴリル・パワー」とはインドで言う「クンダリニー・エネルギー」、つまり非常に簡単に言うと「性エネルギー」とも言えます。当然、薔薇十字の「性錬金術」と重なります。
 カール・ハウスホーファーは地政学者でしたが、それ以上にオカルティストで秘教徒だったのです。ヒトラーに甚大な影響を与えたカール・ハウスホーファーは「緑龍会」の会員でもありました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第5話 ― ナチスの形成


ナチスの母体となったトゥーレ協会 〜トゥーレ協会のアーリア主義


ナチスの結党に直接的に繋がる組織がトゥーレ協会とブリル協会です。先にトゥーレ協会ですが、ウィキペディア記事によると以下のような組織です。

*1918年1月に右翼政治結社・ゲルマン騎士団の委託を受けたルドルフ・フォン・ゼボッテンドルフにより、騎士団の非公式バイエルン支部として設立された。
鉤十字(ハーケンクロイツ)と剣をシンボルマークとした秘密結社

トゥーレ協会の紋章
画像はシャンティ・フーラが挿入

*設立の目的には、ゲルマン騎士団員ギド・フォン・リストが提唱した神智学を元にしたアーリア主義が大きく関わっていた。
*具体的には民族主義と結びついた異教的神秘主義・人種思想・反ヴァイマル共和国的扇動、反ユダヤ的プロパガンダを広めることだったとも言われている。
*また秘密のセクションを設けて、そこに集めた学者達に騎士団の依頼でアジア(インド北方から中国南西部にかけて)の古代遺跡や古記録保存所から発掘した文献類を分析・研究させていたとも言われている。

トゥーレ協会はゲルマン騎士団によって設立された組織で、アーリア主義(アーリア人種至上主義)を広めることがその目的にあった様子です。そのアーリア主義は神智学から取り入れたようで、トゥーレ協会には神智学が強い影響を与えていたことが見えます。

しかし少し注意が必要です。ブラヴァッキー夫人が興した神智学は、確かにアーリア人種のことを記し、また神智学には人種差別の要素も濃いのです。しかし、元々の神智学でのアーリア人種とは、地上の人間がレムリア人種、アトランティス人種、そしてアーリア人種という順番で出現したとするもので、優劣を明確に主張しているものではないということです。

神智学では、地球上に、第一根幹人類に始まって、将来第七根幹人類までの七つの根幹人類が現れるとしています。それぞれの根幹人類は、七つの亜人種に分かれるとしています。
現在は第五根幹人類で、これをアーリア人種としています。
(中略)
第五根幹人類(アーリア)は、現在の地球人の8割を占めます。亜人種は次の通りです。
1.ヒンドゥー族
2.アーリヤ・セム族
3.イラニヤ族
4.ケルト族
5.チュートン族
6.世界の各地に出現開始
7.未だ出現していない
2016/08/16 時事ブログ)
現在の地球人の8割方は、神智学で言うところの第5根幹人類(アーリア人種)です。彼らは約10万年前に初めて人間として転生に入りました。彼らが生命体として高次元の私たちの太陽系に入って来たのは、約122.9億年前です。膨大な時間をかけて、約39.6億年前に鉱物として初めて物質次元の太陽系に転生に入りました。
2016/08/11 時事ブログ)

そのアーリア人種を「新たな文化を創造できる優れた人種」としたのがギド・フォン・リストであり、トゥーレ協会が展開したアーリア人種至上主義、それが後のナチスによるユダヤ人排斥に繋がったのが見て取れます。

ヒトラーとトゥーレ協会の関係ですが、「世界史の窓」に以下のようにあります。

戦争から復員したヒトラーは、1919年9月、軍司令部から与えられた任務としてミュンヘンの小さな極右の政党だったドイツ労働者党の活動を観察するために参加、まもなくその指導的役割を演じることになった。

ヒトラーは第1次世界大戦時に志願してドイツ軍に入隊、勇敢なドイツ兵として幾多の実際の戦闘に臨み叙勲を受けています。そのヒトラーが「活動を観察するため」参加したというドイツ労働者党は、トゥーレ協会の中の政治部門です。つまり、ヒトラーは軍からの命令でスパイとしてトゥーレ協会に潜入したのです。

そして、そこでヒトラーが「その指導的役割を演じることになった」と頭角を現し、ドイツ労働者党がナチ党へ。それによってトゥーレ協会が変質し、やがてトゥーレ協会全体がナチスに取り込まれていったのです。

ヒトラー入会後、トゥーレ協会はゆっくりと変質を始め、事実上、ヒトラーに乗っ取られていく。霊的な視点で見ると、本物の悪霊たちの秘密結社になってしまった。トゥーレ協会がナチ党のバックであることを知られたくなかったため協会は解散。その後合法的に政権を獲得し、ヒトラーは総統に就任する。

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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第2話 ― 大日本皇道立教会の設立目的

 「ハルマゲドン計画」とは、地上レベルでは基本としては最終戦争ハルマゲドンを勃発させ、その大艱難の中で救世主(マイトレーヤ)が降臨し、新エルサレムを構築。そのエルサレムの城内から絶対世界王とともにその世界を統治するのはイスラエル・ユダヤの12氏族。こういったもので「ヨハネの黙示録」の内容です。
 そして、その計画には天界レベルのものがあり、それは唯一神サナト・クマーラが天界の天照政権を転覆して絶対神として全天に君臨するというものです。これら全体を「大計画」としていたのです。
 地上レベルでの「ハルマゲドン計画」は、時代とともに変遷したり、幾つかのヴァージョンがありました。八咫烏が進めてきたのが日本を中心とするハルマゲドン計画でした。
 明治維新はそのステップであり、「大政奉還」の日は、地上に降臨していた神団の中心である大君の色上姫浅子様から、タケミカヅチ尊がその大君の座を奪取した天界のクーデターと重なります。
 また、日本では長年に渡り、有名神社から各神社まで多くの神社の祭神が、ホツマの神からハイアラーキへの入れ替えがあったと竹下さんは指摘されています。これなども「大計画」成就の準備であり、「大計画」成就の際には、民衆には「大計画」がクーデターであることを隠し、「本来より唯一神であるサナト・クマーラがホツマの神々の上位にあった。」と説明し、信じさせるつもりであったと思えます。
 八咫烏が本格的にアジアを再編し、ハルマゲドン計画を進めていくため組織されたのが大日本皇道立教会でしょう。大日本皇道立教会の名称にその目的と活動の内容が込められています。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第2話 ― 大日本皇道立教会の設立目的

アジアでもハルマゲドン計画が 〜太平天国の乱は明治維新遠因


前回、八咫烏と客家が秘密結社ネットワークで古くから繋がってきた密接な関係(おそらくは古代イスラエル出身の同根)にあったと指摘しました。

客家の関連で日本にも極めて強い影響を与えた中国での大事件がありました。「太平天国の乱」です。日本と中国はともに同時期に「英領」にさせられています。それはアロー戦争が原因となっています。

イギリスが清朝に対して1856年にでっち上げのいちゃもんにて卑劣に仕掛けた戦争が「第2次アヘン戦争」のアロー戦争でした。イギリス軍を率いる司令官はテンプル騎士団末裔のジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)、清朝を蹂躙し1858年に清朝にとって屈辱の天津条約を締結。これで英領中国が成立です。

北京に入城するエルギン伯
Wikimedia Commons [Public Domain]

この締結直後にジェイムズ・ブルース(エルギン伯爵)が返す刀で艦隊を率いて江戸に襲来し、日本側に締結させた条約がいわゆる日英修好通商条約だったのです。

ところが、実はこの条約は本当は日英修好通商「講和」条約でした。つまり「英領日本」の条約だったのです。

アロー戦争が「英領中国」「英領日本」を成立させる直接的原因となったのです。このアロー戦争には前段があり、それが「太平天国の乱」だったのです。

太平天国の乱 ➡ アロー戦争(第2次アヘン戦争)➡ 天津条約( = 英領中国)➡ 日英修好通商講和条約( = 英領日本

「太平天国の乱」は明治編第12話で見ましたが 、洪秀全という青年がキリスト教系の「拝上帝会」を組織したのを始めに、大農民反乱の蜂起から1851年には「太平天国」の国号で独立国家を樹立させたのです。1853年には南京を占領して首都としています。

清朝にとっては致命的な痛手となった大事件で、イギリスはこの「太平天国の乱」による清朝の弱体化を絶好の機会と捉え、アロー戦争を仕掛けたのです。

さて、この「太平天国の乱」の洪秀全ですが、ウィキペディアの「客家人の一覧」には“いの一番”に次の名が上がっています。

  • 洪秀全 - 太平天国の天王。
  • 楊秀清 - 太平天国の東王。
  • 石達開 – 太平天国の翼王。

  • つまりは、「太平天国の乱」は客家のグループが起こさせた大事件で、これがアロー戦争、英領中国、英領日本へと繋がっていったのです。言うなれば「太平天国の乱」は明治維新の遠因でもあり、辛亥革命にも繋がってもいっているのです。

    これらの全てのベースにあったのは「ハルマゲドン計画」で、その流れの中でアジアの再編が図られ、それに伴って八咫烏は朝鮮へ、満洲へ、中国へと進出していったわけです。

    こういった八咫烏の動きは日本の裏天皇を世界天皇へと君臨させることを見据えたものだったでしょう。日本を中心としたハルマゲドン計画です。


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    ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第1話 ― 堀川辰吉郎と孫文

     1912年7月、睦仁親王が死去し明治時代が幕を閉じました。同年、大正天皇が即位したことで大正時代が始まったことになっています。しかし睦仁親王は初代裏天皇であり、跡を継いで2代目裏天皇となったのは堀川辰吉郎です。つまり大正時代初年の1912年は堀川辰吉郎が裏天皇として即位した年でもあるはずなのです。そして辰吉郎の裏天皇即位、こちらが歴史の本質としての大正時代の幕開けとなるでしょう。
     さて、この年の1月ですが、中国では前年からの革命運動が辛亥革命として成立し、清朝が倒れ、中華民国が誕生しています。臨時大統領ながらその初代の大統領となったのが革命運動の指導者である孫文でした。
     孫文は通称「中国革命の父」、台湾では「国父」と呼ばれている人物です。その孫文と日本の関係なのですが、実は孫文にとって日本は「第2の故郷」と言えるほどなのです。孫文は革命運動の中で日本に亡命し、長らくの期間に渡って住んでもおり、孫文は日本名で「中山樵」と名乗って(この“中山”の名が重要なポイントにもなっています。)もいたようなのです。
     そして更に意外にも、実は孫文と堀川辰吉郎は非常に密接な関係にあって、それは革命運動で生死をともにしたともされるほどの結びつきだったようなのです。
     孫文が初代中華民国大統領に就いた同年に、堀川辰吉郎が2代目裏天皇に即位して大正時代が幕開けとなったのには深い因縁を感じますが、孫文と堀川辰吉郎が何故そのように深く結びついていたのか? これには古くからの秘密結社ネットワークが、歴史的な背景があったはずなのです。
     堀川辰吉郎は八咫烏、そして孫文は客家だったのです。
    (seiryuu)
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    ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 第1話 ― 堀川辰吉郎と孫文


    孫文に同行した堀川辰吉郎 〜孫文の革命運動の協力者だった頭山満


    孫文(テーブル中央)と頭山満(右隣)の神戸での会見(大正13年)
    呉竹会_頭山満 [Public Domain]

    落合氏によると、堀川辰吉郎は福岡の玄洋社(白龍会)の頭山満、杉山茂丸によって保護・育成されたとされます。その後その頭山満は堀川辰吉郎を「中国革命の父」の孫文に託したのです。ウィキペディアの堀川辰吉郎の記事に次のようにある通りです。

    折あたかも、頭山を頼って日本に亡命していた孫文が帰国の途につこうとしていた際であった。堀川は日本の学校にいられなくなったため、13歳のある日、頭山の依頼で孫文に托されて中国に渡ることとなったという。
    (中略)
    以後、1912年まで孫文と生死を共にして辛亥革命の成功に尽力した。このとき孫文が周囲に対して堀川を「日本の若宮」と紹介し、「日本が我らに若宮を托したことは、わが革命軍に対する日本の賛意の証」と主張して政治宣伝に利用した...(以下略)

    孫文は1894年にハワイで興中会を創立、日清戦争後の動きと連動して武装蜂起を企て、清朝の打倒を掲げますが密告で挫折。ロンドン亡命後に日本に亡命し、その中で宮崎滔天が孫文を頭山に引き合わせます。

    大アジア主義を掲げていた頭山は、新生中国誕生を見越して孫文の強力な保護者となっていったようなのです。孫文と頭山たちは密な交流をしていた様子ですが、革命の継続のために孫文が中国に帰還する際に、頭山は孫文に辰吉郎を託したのです。

    これには実のところ歴史的背景があるはずなのですが、直接的には頭山の狙いとしては、辰吉郎が中国での革命運動を通じての更に広い視野の獲得と、実地での経験を積んでもらうためだったと思えます。
    (ただし堀川辰吉郎の生年が不詳のため、辰吉郎が孫文と中国に渡った時期は正確にはいつであったのか?については混乱があります。)

    一方、辰吉郎を託された孫文は、ウィキペディアに辰吉郎を周囲に「日本の若宮」と紹介したとあるように、辰吉郎を大切に扱い、辰吉郎もまた孫文の片腕として懸命の活動をした模様です。

    辰吉郎の娘であろう中丸薫氏は、孫文と辰吉郎は生死をともにして活動したと以下のように記してもいます。少し身びいきの感はありますが、参考にはなるでしょう。

    孫文はかたときも辰吉郎を身辺から離さず、最高の礼で遇したという。また重要な会議や会談にはいつも辰吉郎を伴い、自分の上席に座らせた。革命内部には、
    「日本の皇子だそうだ。日本は孫文援助のために秘密裏に派遣されたらしい。この革命には日本がついている。絶対成功するぞ」
    そんなささやきが交わされはじめ、やがて外部へと広まっていった。辰吉郎は激烈な革命闘争の中で、孫文の片腕として命がけの活動を開始し、生死を共にしていく。
    (中略)
    1912年7月30日には、明治天皇が61歳で崩御され、大正天皇がただちに即位されたことも、辰吉郎は中国の広野で聞いたのだった。
    (読書日記「貴公子・堀川辰吉郎(1)」より)

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    ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 大正編に先立って(下)

     八咫烏を名乗る人物や裏天皇の周辺にいるであろう人物は、私の知る限りでは、口を揃えてアベシを「國體総理」だと語っていました(ここ数年は分かりませんが…)。彼らにとってアベシは、日本国のことをよく考え正義を遂行する総理であった模様です。日本の一般国民とは随分と認識がズレてはいるのですが…。
     安倍政権は対中国戦争を企図して出来上がった政権なのですが、「國體総理」という言葉から対中国戦争を含めて、安倍政権が何のために作られた政権なのかが推定出来ます。
     明治期、天皇は國體天皇と政体天皇に分かれました。國體天皇として裏に回ったのが睦仁親王で、その跡を継いだのが堀川辰吉郎です。睦仁親王が考えていたこと、それは明治編31話に記した「頭山満のアジア主義」に現れているでしょう。
     ざっとは“日本が欧米支配から脱却したアジア共栄圏を構築し、日本は国際的地位を高め、英国から独立、世界に君臨”こんなところかと思います。これは頭山に預けられた堀川辰吉郎も引き継いだでしょう。
     ウィキペディアのその記事では「大東亜共栄圏」とは「日本・満州国・中華民国を一つの経済共同体(日満支経済ブロック)とし、東南アジアを資源の供給地域に、南太平洋を国防圏として位置付けるもの」とあります。
     安倍政権の対中国戦争への企図、それは地域的にはほぼ当時の「日本・満州国・中華民国を一つ」に、いわばネオ満洲国の設立、これが安倍政権発足の目的であったと思います。
     現在は不明ですが、つい最近まで彼らの頭の中身は百数十年変わっていない模様だったのです。いずれにしても、一般日本国民は全くあずかり知らず、その意思や思いが反映されない構想ではあったのですが…。
    (seiryuu)
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    ユダヤ問題のポイント(日本 大正編) ― 大正編に先立って(下)


    安倍政権の軍事志向の歩み 〜歴史的にはクーデター政権


    「日本国憲法は核兵器の保有を禁じていない」、これは2015年夏の安保法制を巡って紛糾する国会での横畠内閣法制局長官の答弁です。国会中継を見ていて思わず仰け反りそうになったのを思い出します。
    横畠内閣法制局長官は更に、2016年の3月の国会では核兵器の使用を憲法は禁止していないとまでの発言をしています。

    「核兵器の使用」横畠裕介・内閣法制局長官の答弁記録 3/18参院・予算委員会 16/3/18

    長らく日本の「法の番人」と言われたのが内閣法制局でした。しかし内閣法制局は、既に法の番人どころか安倍暴政の番犬と化してしまって現在に至っています。

    安倍政権発足からわずか半年余りの2013年8月、安倍政権はその意向で、全く異例にも小松一郎駐フランス大使を畑違いの内閣法制局長官に就任させました。これが内閣法制局の破壊の始まり、つまり法治国家破壊の本格的な始まりでした。小松内閣法制局長官は就任時のインタビューで、集団的自衛権の行使を禁じているとの憲法解釈を積極的に見直す考えを明らかにしたのです。

    異例・・・法制局長官に小松氏 集団的自衛権見直し向け(13/08/02) 2013/08/01

    横畠長官は小松長官の後継です。従来からの行政組織の仕組み等を破壊しながら、戦争国家への道を走っていった安倍政権の発足からの歩みをざっと振り返ってみます。

    2012年 12月 第2次安倍政権発足。
    2013年 12月 特定秘密保護法成立、国家安全保障会議(NSC)発足。
    2014年 4月 武器輸出3原則廃止
    消費税率8%に引き上げ。
    5月 内閣人事局が発足。
    7月 集団的自衛権行使閣議決定
    2015年 9月 安全保障法制成立
    2017年 6月 「共謀罪」法成立

    人間かまくらってこれだ!(字幕付き) 15/12/21
    編集者註:2015年9月17日の参議院平和安全特別委員会で、与党議員らによる「人間かまくら」で、安保法制が強行採決されたときの一部始終

    突然の民主党野田政権の「自爆解散」から誕生したのが安倍政権でした。敗戦後の日本は戦争放棄の平和国家そして建前の外見上ではありますが法治国家・民主主義国家として歩みを進めてきました。その敗戦後の日本の歩み全体から見れば、安倍政権は実質としてのクーデター軍事政権であることが確認できるでしょう。

    そして偶発的にクーデター軍事政権の安倍政権が誕生したわけではありません。歴史に偶然などほぼ無いのです。計画・準備された上で裏天皇内閣である安倍政権が誕生しているはずなのです。

    いつからその計画が作動していたのか? 遅くともその動きは2008年秋には具体化していたでしょう。

    ウィキペディアに田母神論文問題」とされる事件がありました。2008年10月に田母神俊雄航空幕僚長が「日本は侵略国家であったのか」を発表。ところが現役自衛隊トップの論文のその内容が「政府見解に反する」ということで大問題になり、田母神氏が更迭され退官となった事件です。

    この田母神事件が、実はクーデター軍事政権の安倍政権誕生に向けた動きの一つの現れだっただろうと見ています。表向きは現役自衛隊トップが政府見解に反する論文を公開したため更迭となっていますが、事実としては隠された裏があったはずなのです。


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