「黒い貴族」の最上層部として転生しているプレアダマイトが「ゾロアスター13家」と名付けられている理由

竹下雅敏氏からの情報です。
 昨日の記事で、闇の組織の序列は、プレアダマイト、ネフィリム、赤毛の巨人、人間の順であることを説明しました。そして、この序列の上にオリオングループがあり、さらにオリオングループを支配するブラック・ロッジの悪魔たち(アヌンナキ)がいるのです。
 アヌンナキ、オリオングループ、プレアダマイト、ネフィリム、赤毛の巨人、人間(イルミナティ)が、この順に闇の組織のピラミッドを形成しており、2021年11月22日の記事で紹介したように、キンバリー・ゴーグエンさんは、アヌンナキ、オリオングループを「アブラクサス、マンティッド・ドラコ・ブラックマジシャン」と表現し、プレアダマイトを「ペアレンツ」、ネフィリムを「コヴェンマスター」、赤毛の巨人を「コヴェンメンバー」、人間(イルミナティ)を「アザーズ」と表現していました。
 人間(イルミナティ)は、地球上の平均的な人類ではなく、ネガティブな星系から地球に転生に入ったスターシードです。スターシードは平均的な人類よりも進化段階が少し高く、社会をリードする役割がありますが、ポジティブな星系からのスターシードでさえもイルミナティに取り込まれ、転落するケースが多々あります。
 さて、昨日の記事で、プレアダマイトはゾロアスター13家に代表される「黒い貴族」の最上層部として転生していることをお伝えしましたが、彼らが何故「ゾロアスター13家」と名付けられているのかを説明します。
 ゾロアスター13家の過去世は、ゾロアスター教のアケメネス朝ペルシアの王族だったのです。ゾロアスター13家の棟梁で、地球上の闇の組織の頂点に君臨していたペペ・オルシーニは、系図の中ほどに出て来るアルタクセルクセス1世の生まれ変わりなのです。
 アルタクセルクセス1世のペルシア帝国と、アテナイが主導するデロス同盟が戦争をしていて、“戦いに倦んだ両者は和平交渉に入り、ダレイオス1世の代から続くペルシア戦争を、ギリシアと条約(カリアスの和約)を結んで公式に終結させた。”とあります。
 ペルシア帝国を支援していたのがブラック・ロッジとオリオングループで、デロス同盟を支援していたのがホワイトロッジと銀河連合であることは分かると思います。また、ペルシア帝国を滅ぼしたマケドニアのアレクサンドロス大王は、銀河連合側のスターシードです。
(竹下雅敏)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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アケメネス朝
アケメネス朝(ハカーマニシュ、アカイメネース)は、古代オリエントのペルシアに存在した王朝帝国遊牧国家。アケメネス朝ペルシアまたは単にペルシア帝国とも呼ばれる。インド・ヨーロッパ語族の民族であるペルシア人が建設し、4王国(メディアリュディア新バビロニアエジプト第26王朝)に分立していた古代オリエント世界を統一した。ダレイオス1世の時代には、エーゲ海沿岸からインダス川流域に及ぶ広大な世界帝国となったものの、紀元前330年マケドニアアレクサンドロス大王の遠征軍によって滅ぼされた。
 
系図



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アルタクセルクセス1世

Author:Pastaitaken[CC BY-SA]
アルタクセルクセスの墓所があるナクシェ・ロスタム。
 
アルタクセルクセス1世、アルタクセルクセス・ロンギマヌスは、アケメネス朝ペルシアの大王(在位紀元前465年紀元前424年)。先代の王クセルクセス1世の子で次代の王クセルクセス2世の父。

経歴

父クセルクセス1世が国内の権力抗争に巻き込まれて護衛隊長アルタバノス英語版)に暗殺されると、首謀者と目された兄のダレイオスを探し出して殺害し、即位したとされる。
 
即位直後の紀元前463年に帝国の東部辺境バクトリアで反乱が発生し、さらにはエジプトリビアでも反乱が起きた。これに呼応してアテナイが主導するデロス同盟キモンが指揮する200隻の船団を派遣してエジプトを支援し、ペルシア王国と戦った。当初エジプト軍は優勢に立ち、メンフィスにこもるペルシア軍を包囲した。しかし紀元前456年にペルシアの将軍メガビュゾス率いるペルシア軍はこの包囲網を破り、さらにデロス同盟軍にパプレミスの戦いで大打撃を与えた。クニドスの歴史家クテシアスの伝えるところによれば、デロス同盟は船50隻と兵士6000人を失ったという。しかし続くサラミスの海戦ではデロス同盟側が勝利した。戦いに倦んだ両者は和平交渉に入り、ダレイオス1世の代から続くペルシア戦争を、ギリシアと条約(カリアスの和約)を結んで公式に終結させた。この条約ではキプロスと小アジアがペルシア帝国の支配下にあることが確認されたが、一方で大幅な自治も認めさせられた。ペロポネソス戦争ではスパルタとアテナイの双方がペルシア帝国を味方にしようと画策したが、中立を守った。

ギリシアでは寛容な王として知られ、故国を追われたサラミスの海戦の英雄テミストクレスの亡命を受け入れ、これを手厚く保護したという。また宗教政策も寛容であり、旧約聖書エズラ記ネヘミヤ記にその名が登場し、特に預言者ネヘミヤはアルタクセルクセスの側近からユダヤ総督になったとされる。建築や碑文を残すことにも熱心で、首都ペルセポリスには「百柱の間」を建設した。

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