子供たちの心を感じられますか(1) 〜妊娠・出産・子育て〜

竹下雅敏氏による教育関係の講演を文字起こししたものです。総合的な情報は「子供も親も両方幸せになれる子育て」のページをぜひご覧ください。印刷やタブレットなどでじっくり読みたい方、音声で聞きたい方のためには電子書籍やMP3もあります。

 子育てと教育は切り離すことが出来ません。ですから子育てをどうするかということがわかれば、教育をどうすればいいかもわかります。そのときに大切なのは、子供をどういう人間に育てたいのかということです。親、会社、国の都合のいい人間を創るのであれば、今のままの教育でいいのかも知れません。変化しつつある今の時代にあう教育、もっと人間の本質に根ざした教育とはどんなものだろうか、それが何なのかを知ることがもっと大切だと思います。

 私は、豊かな心をもった自立した人間を育てたいと思っています。そういう子供に育てるにはどういう子育て、教育をしたらいいのでしょうか。豊かな心をもつというのは何なのか。具体的にどういうことなのか。それは読み進んでいただくうちに大まかな輪郭がつかめるのではないかと思います。もう一つの自立した人間というのはどういう人間だろうか。それは、自分のことは自分で決めることが出来る、そして決めたことで成功または失敗をしても、その結果についての責任をとることが出来る、そういう人間です。現代の社会は教育のせいか、自分で意志決定しない人が多いですね。だから誰かにやらされた、そういう感覚をみんなもっています。そういう人が失敗をすると、失敗の原因を他人のせいにしてしまい、自分で責任をとりません。中学生、高校生が大人になりきれないと感じるのは自分で自分の責任をとらないからです。必ず社会が悪い、先生が悪い、親が悪いというふうに、人のせいにします。だから責任を転化するというのは、その人がまだ自立が出来ていないということです。けれども自分でとった行動の責任を自分でとることが出来る人は、自立した人間であるとそう考えていいと思います。そうすると、自立した人間をどうやって創るかということですが、自立した人間というのは、悪い方向から見ると我が強いと言えるのかも知れません。ある性格が見方によって長所にも短所にもなります。その性格の良い面をどのように引き出していくか、これが非常に大切です。そのために子供を育てる前に、十分な夫婦の話し合い、心の準備が大切になってきます。豊かな心をもった自立した人間を育てたいと思っても、夫婦が両方とも同じような意識をもっていないと、ちゃんとは育たない。母親に全部子育てが押しつけられている状況ではうまく育てるのは難しいのです。ですから、男性の協力と社会の協力が不可欠です。

 まず最初は、妊娠、出産以前の夫婦の心構えについてですが、まず自分の感受性を信じてください。子育てや教育はこうじゃないといけないとか、誰かがこう言ったからこうじゃないといけないというように考える人が非常に多いようです。私が自分の子育てを自己採点すると多分五十五点ぐらいだと思います。とても百点には及ばない。四十点以上を及第点にすればなんとか及第点はあるだろうとそのくらいの感じで思っています。ですから皆さんもいろいろな本を読んだり自分で勉強したりして、出来れば百点に近づけていって欲しいと思います。  
 さっそくその妊娠、出産についての注意点を述べようと思うのですが、まず妊娠を知ったときに大切なのは、両親が、周りの人が喜ぶということ。特に大切なのは母親が受胎したことを喜ぶということです。実はお腹の中の赤ちゃんは母親の心がわかっているということが今の科学でわかってきました。分裂病で悩んでいたある男性を、退行催眠にかけて出産以前の意識状態に戻していくと、お腹の中にいたときに母親が大きな精神的苦痛を受けていたということがわかってきました。ですからお腹の中にいる子供を出来るだけ守る、心をかけてあげる、そういう意識を母親がもたなければならない。夫の方はストレスをかけないように協力しなければならないのです。たとえば妊娠中の夫の浮気を女性の方が知ってしまうととても危険です。個人的な母親のストレスが直接子供に影響を与えます。特に危険なのは母親がお腹の中の子供を堕ろそうとするときです。そうするとお腹の赤ちゃんは大変苦しみます。それが原因で大きくなって精神分裂病になったりするケースが非常に多いことがわかっています。

 出来れば働いている人は会社を休んでもらいたいのですが、中には仕事を休んで家でじっとしている方がストレスだと言う人もいますのでそういう人は仕事をしていた方がいいのです。妊娠前から自分にとってもっともストレスのかからない楽なライフスタイルを出来るだけ早く確立して、妊娠を喜べる生活、いつでも子供を産む心構えが出来ている生活を心がけることが大切です。

 体のレベルで言うとアルコールと煙草の害があります。特にアルコールの害の方がひどいのですが、毎日アルコールをコップに一、二杯飲んでいると、五十%の確率で奇形が生れてくることが知られています。ですからお酒は出来るだけ摂らないようにすることが大切です。それから煙草も危険です。職場の環境が悪すぎます。妊娠している人の横で平気で煙草をスパスパ吸う人がいます。これがお腹の中に赤ちゃんがいる人にどんなに悪い影響を与えるかまったく考えていない。職場の問題というのは非常に大きいんです。それからコンピューターなどの電磁波も非常に危険です。そういう環境から女性を守るという社会的認知が不可欠です。配慮のない職場なら赤ちゃんのことを考えて、退職するかあるいは休職するという選択をした方がいいのではないかと思います。

 子育てをするときに、母親も父親も赤ちゃんがお腹の中にいるうちから親子の関係をちゃんと作っておかなければいけません。ずっと仕事ばかりしていてお腹の赤ちゃんをまったく気にかけないのはいけません。お腹の赤ちゃんにちゃんと話しかけるんです。どんなことでもいい、話しかけてあげる。そうすることで母親と赤ちゃんの絆を先に作っておきます。今研究者の間で母と子の絆はいつから作られるのかということが議論されていますが、実際にはお腹の中にいるうちに作ってしまう方がいいのです。

 現実にお腹の中の赤ちゃんは、母親の心をテレパシー的に全部読んでしまっています。全部わかっています。「胎児は見ている」という本に、クリスティナという赤ちゃんが出てきますが、この赤ちゃんは母親の母乳をまったく飲もうとしなかったんです。一時の気まぐれかと思われましたが、ずっとみていてこれはおかしいと医師が思ったんです。その赤ちゃんを他のおっぱいの出るお母さんに預けてみた。抱かれた瞬間にむしゃぶりつくようにおっぱいを飲むんです。母親に戻すと絶対飲まない。これはますますおかしいというので、母親にいろいろ問い詰めてみて最後に、「あなたはこの赤ちゃんを望んでましたか?」と聞いたら、「産みたくなかった。自分は産みたくなかったがまわりが期待するのでいやいや産んだ。」と答えたそうです。その産まれて数日の赤ちゃんが母親の心を知っていて、自分から母親のおっぱいを飲むのを拒否したんです。これは赤ちゃんにも、意志、怒り、悲しみがあるということなんですね。それはお腹の中にいるときからあるというのがだんだんわかってきました。

 今では赤ちゃんがテレパシー的に心を読む、外の風景が見えている、聞こえているということがわかってきました。お腹の赤ちゃんがすでにお父さんの顔を知っているんです。事実、お腹の中にいたときの記憶をもっている赤ちゃんが相当産まれてきていて、絶対にわかるはずのないお腹の中にいたときの風景を覚えているんです。信じられないような話ですが、どうもそういうことがあるらしいというのがわかってきました。まだ研究段階ですが、私はそういうことはあると思います。今までは妊娠中の母親の心理状態がホルモンに影響を与えて、お腹の中の赤ちゃんを刺激して感情を誘発するのだろうと思われていました。そういう生物的レベルではなく、今では超能力のレベルで研究されています。ですからお腹の中にいるときから親子の絆をしっかり作っておくことが大切です。その一番いい方法はお腹に手をあてて赤ちゃんに話しかけるのです。声に出しても心の中で話しかけてもいいのです。必ず毎日話しかけるんです。出来れば話しかける時間は長い方がいい。お父さんも仕事から帰ってきたら、必ずお腹に手をあてて赤ちゃんに話しかける。だんだんお腹の赤ちゃんが育って大きくなると、目が覚めていれば手をあてた瞬間に反応します。手をあてるとすぐにお腹の赤ちゃんが運動会みたいに動きます。これはある本の中に書いてあることなのですが、質問に対して、イエスならお腹を一回蹴る、ノーなら二回蹴るというふうに話しかけて教えると本当にそういうふうに返事をするのです。私は産まれる前から自分の子供が男の子だということがわかっていました。助産院では女の子だと言われていたのですが、私の勝ちでした。こうして出産前に親子の絆を作っておくと、病気にならないだけでなく、精神的にも産まれてきた子供が全然違ってきます。非常に頭がよくなります。今早期教育、才能教育が流行っていますが、それ以前に、心を充実させて親子の絆を作っておくと、もっと大切なところが十分に育ってくるのです。才能教育というのは心のつながりの後に行なわれるものだと思います。親子の心の絆が出来ていないのに子供を天才にしようとして才能教育をすると、おそらく逆に才能に苦しむ子供が出来るのではないかという気がします。  

 次に出産についてですが、最も簡単な産み方は、産婦が自力で産もうとしないこと、それから他人任せにしないことです。ではどうするのかということですが、実は赤ちゃんが自分の力で産まれてくるんです。ちょうど熟した柿の実が時期が来たら自然に落ちてますね。けれども人間がそれを人為的に取ったら傷が出来る。それと同じで時期が満ちていて産まれる準備の出来ている赤ちゃんは、自然に自らの力で産まれてくる、これが一番安産なんです。ところが今の産科医は自分たちの技術で産ませる気になっている。母体も赤ちゃんも自分の力で産まれる能力をもっているのに、無視するんです。ですからめちゃくちゃな出産をしてしまう。特にまずいのは陣痛誘発剤を使うことです。母体というのはおっぱいを出すために妊娠したときから十ヶ月先のことを準備しています。ところが医者が日曜日や休日に出産があると困るというので、陣痛促進剤で予定日より出産を早めたり、予定日に出産させようとする。これは問題になっていますね。そういうことをすると異常な出産になる。一番危険なのは赤ちゃんで、次にお母さんです。陣痛促進剤を使うと、まだ母体の出産の準備が出来ていないのです。ゆっくりゆっくり産道が開いてきて完全に開ききった、準備が出来たそのときに赤ちゃんは自分から産まれてくるんです。うちの場合は分娩台に乗って二十分ぐらいで産まれたのですが、さっと産まれてくるのです。ところが病院では陣痛間隔の長いうちから分娩台に乗せ、さあ産めと頑張らせる、これでは無理なんですね。 ちょうど出る時期が来ていないのに気張ってうんこを出そうと頑張るようなものです。赤ちゃんならなおさらです。出る時期が来ていないのに長いこと分娩台の上で気張らせて疲れきって、いざ出産というときに産む力を失ってしまう。これは母体にも赤ちゃんにも危険なことです。ですから陣痛促進剤を使ったり鉗子を使う無理矢理な出産をすると、たいがいの女性はおっぱいが出なくなります。これが危ないのです。

 母乳の大切さはご存じのことでしょう。特に初乳には免疫力を高める力があり、人工乳では代えられない大切なものです。ですから出来るかぎりおっぱいを長く与えることが健康の秘訣です。おっぱいが出なくてもミルクで代用できると考えがちですが、実際には、おっぱいが出ない、出るはずのものが出ないということがどんなに大変か。おしっこを我慢するだけでイライラするでしょう。いつも礼儀正しく、たしなみのある人がおしっこを我慢するだけで全然態度が変わってしまうということがありますよね。出るものを我慢すると人間は心理的に穏やかでなくなる、異常な行動をとってしまう。母体が十ケ月先におっぱいを出すために準備してさあ今から出そうというぎりぎりのときに、医者が変なことをしたために出なくなるということで、何にも起こらなくて済むのかと考えてほしいのです。ただで済むわけがない。今幼児虐待とかの問題が起こっていますが、私は一度医者に、おっぱいの出る人と出ない人とでは幼児虐待の比率がどれぐらい変わってくるのかということを調べてもらいたい。人間的に未熟だからとか甘やかされて育ったから幼児虐待するのだと言われますが、もっと生理的なレベルの問題が絡んでいるのではないかと思います。もしその原因が出産の失敗であったとしたら大変なことです。

 出産というのは子供の成長、産後の母親の経過を決定してしまいます。ですから自然の摂理に従って十分に待って出産をすることが大切です。出産の急所は一言で言うと 「待つ」ということです。赤ちゃんが自らの力で産まれてくるまで十分に「待つ」ことなんです。一番安産なのは産婆さんが間に合わないような、まだ産まれちゃ困るというような心理状態だとすっと産まれるものです。早く産まそうと思うと結構産まれない。医者任せ、人に頼る気持ち、逆に我を張って自分の力で産むんだという気持ちがあると、うまく産めない。一番簡単なのはお腹の中に赤ちゃんがいるうちに、「あなたが準備の出来たときに楽に産まれてくるのよ。」といつも話しかけておくことです。するとすっと楽に産まれてくるんです。もっと赤ちゃんを信じてあげる、任せてしまう。出来れば助産婦さんに手伝ってもらって自宅で産むか、信頼できる助産院で産むのがいいと思います。なるべくめちゃくちゃな出産をさせられないために、大病院は避けた方がいいと思います。

 お腹の中にいるときから十分に話しかけられ愛され大切にされた赤ちゃんは、人間の顔をして産まれてきます。赤ちゃんの顔が違うのです。全然かまわれることなく普通に産まれたら、よくテレビで見るようなしわくちゃの猿のような顔をしています。このとき大切なことは、出産後四十五分以内に抱き抱えてしっかりと母親の顔を見せてあげることです。というのは産まれて一時間の間の赤ちゃんは目が見えているのです。一時間が過ぎてしまうと眠ってしまうのです。目が見えているときに母親の顔を見せておかないといけないのです。このとき大切な注意点があります。それは部屋を薄暗くさせておくということ。病院の産室は明るすぎます。赤ちゃんがお腹の中にいるときの明るさは、ちょうど昼間カーテンをかけて薄暗いような状態なのです。これは決定的な意味をもっています。私たちが普通に使う照明や昼間の明るさは、産まれたての赤ちゃんには明るすぎるのです。光の洪水です。何も見えなくて恐怖心から目を閉じてしまいます。四十五分以内に薄暗い状態にして母親の顔を見せるとちゃんと見えるのです。うちの子は助産院で産んだのですが、ずっとカーテンを閉めて夜も一番小さい照明を使って、決して子供に直接光が当たらないように気をつけていました。家に帰ってからも昼間はカーテンを閉め、夜も小さな明かりをひとつ点けておくような薄暗い状態で赤ちゃんを育てました。そうするとどうなるかというと、赤ちゃんは初めからずっと目が見えているんです。そういうことをしないで普通の明るさにすると赤ちゃんは一ケ月間、目が見えていないのです。赤ちゃんが両親の顔を注視したり目で追ったりするのに一ケ月かかるのです。ところが薄暗い環境だと初めから目が見えている。うちの子は私の顔を目で追ってちゃんと焦点が合っていました。このことは脳の回路のつながりを考えてもらったらいいのですが、産まれて間もない頃はすざまじい勢いで脳のネットワークを作っているのですから、見えているか見えていないかが脳の発育に決定的な意味を持っているわけです。目が見えたか見えなかったかでどちらの赤ちゃんの頭がよいのだろうかと考えて欲しいのです。これは才能教育では追いつかないぐらい決定的な差があります。

 私は産科の人が帝王切開と普通の出産との違いに疑問をもたず、何かあるとすぐに帝王切開で済ませてしまうという感覚に疑問を感じています。帝王切開では赤ちゃんは産道を通らずに産まれます。肌をこすられることで多分一時間目覚めていられるのではないか、帝王切開で産まれた子供は一時間目覚めていないのではないかと思うのです。ですからどういう出産をするかということが非常に大事だと私は思っています。大病院ではほとんどの場合、出産するとすぐに親子が離れ離れにさせられて、看護婦さんが赤ちゃんに定期的にミルクを与えていますが、これではどうにもならないということはわかると思います。出来るかぎり夫婦でどんな出産をしたいのかをよく話し合って、それを実現させてくれる病院や助産院を見つけた方がいいと思います。

 出産後に大切なことは出来るかぎり赤ちゃんに話しかけていくことです。お腹の中にいるときからの引き続きです。私の場合、赤ちゃんがおしっこやうんこをしますね。そうすると必ず話しかけました。赤ちゃんが泣きますね。そうしたら「どうして泣いてるの?、おしっこ?、おっぱい?」と尋ねて「おむつを開けようね。」とおむつを開ける。「ああうんちが出てるね。よかったねー。」と話しかけるんです。なぜこれが大事かというと、こうして話しかけていると赤ちゃんはすぐに、うんちというのはこれだ、おっぱいはこれだとわかるんです。「今からおむつをとるよ。」「これからお尻をふくからねー。」「もう一回おむつをはめるからねー、さあ出来たよ。」と言う。抱っこするときでも、「抱っこしてもらいたいの?、じゃあ抱っこしようね。」と抱っこする。必ず何か行動する前に赤ちゃんに話しかけてやる。それから行動する。こうすると赤ちゃんは二週間ぐらいで大人の話す言語がわかるようになって来ます。そうすると非常に楽です。一番最初は三日目ぐらいに、「おしっこ?、うんこ?、抱っこ?」と聞きますね。すると赤ちゃんがおしっこで泣いているんだったら、「おしっこ?」と聞いたときにわあわあ泣いていたのが、ほんのちょっとですが泣き止む。ちょっと泣き方が変わる。「あ、これはおしっこだ。」とわかるわけです。こういうふうに話しかけていくと双方で理解が出来るようになります。二週間目ぐらいになると泣く回数がぐんと減ってきます。ただ赤ちゃんはまだ表情筋が動かせないので、にこっと笑ったりうなずいたりは出来ません。ですからこちらの言うことがわかっているのに返事が出来ないだけなのです。

 赤ちゃんに出来るのは泣くことだけで、泣き方に変化をつけて親にわかってもらおうとします。二週間、三週間目にはこちらが赤ちゃんの言おうとすることがわかってきます。そのうちにまだ顔の筋肉は動かせませんが、赤ちゃんの目が笑うようになります。「おしっこか?、うんこか?、抱っこか?」と聞くと、抱っこをして欲しいのなら、「抱っこか?」と聞いたときに目が笑うようになる。こうして子供を育てていくと、一ケ月目ぐらいから泣くのは一日に一回未満、三ヶ月目ぐらいにはほとんど泣きませんでした。いつもにこにこしていました。こっちが赤ちゃんの信号を受け損なったとき一日に一回くらい泣く程度でした。夜泣きなんかはありませんでした。五、六ケ月ぐらいすると一日中泣きません。一週間に一回、こちらの失敗で泣かせるぐらいでした。赤ちゃんが泣かないというのは正常に育っているか、異常の場合です。異常の場合というのは自閉症の場合で、あまりにも母親やまわりがうるさくて赤ちゃんが自分の要求を無視されるので、まわりの世界を見たくなくなって心の世界に閉じこもってしまうのです。赤ちゃんが耳に栓をしてしまう。そうしたら泣きません。外界のものに関心を示さないのですから、知能障害を起こすのは当然です。

 赤ちゃんというのはよく観察していたらわかるのですが、泣く前に必ず足を動かすのです。まず両足の裏をこするように動かします。親が要求を見のがすと、それからばたばたと足を動かします。それでだめなら手をばたばたと動かしはじめる。それからうーとかわーとか言い出します。必ずこの順番で一つの動きに五秒ぐらいずつの時間があります。その後軽く泣き真似をします。お母さんが気づいてくれないので泣いたふりをしています。それでも母親が気がつかないと、本当にうわーと泣き出します。泣き出す前に赤ちゃんはいろいろなサインを出しているわけですが、家事の方が忙しくて赤ちゃんを放っておくと、赤ちゃんは本気で泣き出すわけです。赤ちゃんにしてみれば、「こんなに呼んでいるのに何で来てくれないの?」というわけです。本気で泣き出してしまうと、おっぱいの要求であっても、赤ちゃんが腹を立てているのでおっぱいを飲みません。大人と同じなんですね。そうすると母親の方は、おっぱいではない(本当はおっぱいなんですよ)、おしっこでもない、うんこでもない…、何なのだろうと、なぜ泣いているのかがわからなくなるわけです。これは赤ちゃんの信号を見のがしたということです。ですから出来るかぎり早く赤ちゃんの信号に気づいて、足をばたばたさせているうちに気づいて、「おっぱいか?、うんこか?」と聞いて育てると、まったく泣かせないで育てることが出来ます。

 赤ちゃんというのは本当に理由がないと泣きません。特に大きな要求は、抱っこして欲しいということです。何より大切なのは母乳です。出来るかぎり長く母乳を与えて欲しいのです。今の時代では母乳の出る人ですら、半年くらいで母乳を止めています。母乳を短い期間しか与えないことは問題が多いのです。病気の原因になります。赤ちゃんの母親への愛情の要求は非常に大きいもので、母親の胸に抱かれておっぱいを飲むというのが赤ちゃんにとって一番安心出来ることだからです。

 栄養を与えることに関心の強い人が多いのですが、実際には、栄養や離乳食のことはあまり考えなくていいと思います。人間が実際何を食べるのかというのは重要なテーマだと思っていますが、大切なことは、食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べるということです。赤ちゃんが食べたいものは赤ちゃんが知っているのだという信念にたってほしいのです。赤ちゃんが食べないものは赤ちゃんの体が要らないものです。この子はわかめを食べません、人参を食べませんと心配する必要はないのです。それを無理に食べさせる必要はありません。私の子供は皆さんがびっくりするぐらい簡単な離乳食しか食べていません。四ヶ月目くらいから玄米といりこをすりつぶしたのに味噌汁の汁を少し加えたものや豆腐ぐらいしか食べていません。大きくなるにつれてチーズやヨーグルトも食べていました。母乳は一年半与えました。実は途中で肉や粉ミルクも与えてみたのですが、食べないのです。この子には必要ないのだと考え与えませんでした。本当に手を抜いた離乳食ですから楽なんですね。ところが全然病気をしません。私の子供は五歳の今まで一度も病院に行ったことがないのです。病気をしなかったということは、多分正しい食事だったのだろうと思うのです。なぜ病気をしないのかというと、一番大切なのは母親の愛情なんです。本に載っていたのですが、心筋梗塞になるような食事をうさぎに与えて、いくつかのグループに分けて実験をしたのですが、あるグループだけは心筋梗塞になりにくかったのです。原因がわからなかったのですが、ひょんなことからそのグループを担当していたある研究生がそのうさぎを毎日抱いて撫ぜてやっていたことがわかったんです。それで他のグループにもそうしてみたら、同じ結果になったそうです。食事内容だけでは栄養価は測れないのではないでしょうか。撫ぜたり優しく話しかけることが赤ちゃんにとってどんな栄養効果があるかは、今の科学ではまだ研究されていないのです。

 「胎児は見ている」という本に書いてあるのですが、早産で集中治療室に入っていた赤ちゃんを、看護婦さんが一時間に五分だけ体を撫ぜてあげる実験をしたら、撫ぜた赤ちゃんは撫ぜなかった赤ちゃんに比べて急速に成長したそうです。今度は母親に撫ぜてもらって四歳になったとき子供の知能指数を測ったら、撫ぜた子供は何もしなかった子供に比べて、平均して知能指数が十五高かったそうです。一時間に五分撫ぜただけで知能指数が上がるんだったら、赤ちゃんの要求をかなえて十分に抱いて育てた子は、ひょっとしたら勉強しろと言わなくても、本質的に頭がよいのではないかという気がするのです。私は助産婦さんに「抱き癖がついて困るわよ」と言われるぐらい、赤ちゃんの目が覚めているときは抱いていました。目が覚めているときというのは、抱っこ以外にはおしっこやうんこやおっぱいなわけですが、寝かせて欲しい、抱いたまま眠らせて欲しいというのもあります。親は体力が要りますね。それぐらい抱いて育てると病気をしません。アフリカのある地域では赤ちゃんに息を吹きかけて慈しむように体を愛撫してあげるそうです。医療施設の無いところですからそうして本能的に健康を保っている。自分の力でやっていくために正しいことをしているように感じます。ところが私たちの場合は医者を頼ってしょっちゅう病院に赤ちゃんを連れて行っています。赤ちゃんの要求を理解するのには大人の知恵が要りますし、十分に抱っこして育てるのは本当に大変なのですが、大変なのは最初だけです。一歳を過ぎて歩くようになると全然抱っこしてくれとは言いません。抱いてもらいたいという要求が十分に満たされて落ちているので、抱っこして欲しいときに少し抱いてやるとすぐに満足します。後がとても楽です。十分に抱いて育てなかった場合は、小学生になっても兄弟で争って親を取り合い、抱っこをせがんでいるのはよくあることですね。
 なるほど子育ては簡単だな。要するに抱っこすればいいんだろうと思うでしょう。そうではない。赤ちゃんを抱っこしますね。抱っこしても形では抱いているけれど心は家事の方に向いている。早くこの子が寝てくれないかなー、そしたら早く家事が出来るのに…。これでは絶対赤ちゃんは満足しません。いくら抱いてもだめです。だから形だけ抱いても意味がないんです。抱いているときは赤ちゃんの顔を見て心を通わせるように、気をこめて、心をこめて抱かないといけない。私が抱いたときと妻が抱いたときは全然違うのです。赤ちゃんが足をばたばたばたと動かしますね、ぱっと抱き上げます。私が抱くときはじっと赤ちゃんを感じているわけですね。心をこめて抱く。するとすぐに寝るんです。そして完全に寝たのを確認してそーっと置きます。しばらくそばに居て、それからこれは絶対に起きないなと見計らってさっと離れる。そして自分の仕事をします。赤ちゃんは起きません。ところが妻の場合は抱いているんだけど心がそこにない。やっと寝てくれたっていうんでしめたと思って、赤ちゃんを置いてすぐに離れてしまう。すると赤ちゃんは母親がいないのに気づいてわーっと泣く。妻は家事をさせてくれないってぶーぶー言っていました。こうして赤ちゃんに対して腹を立ててしまう。今度また赤ちゃんを抱いたときに心をこめて抱けないんです。これは悪循環ですね。赤ちゃんはいくら抱いてもらっても満足しない。赤ちゃんは父親の愛情も要求する、母親の愛情も要求する。しかしあきらかに母親の愛情をたくさん要求するんです。だから母親が心をこめて抱いてあげないと、なかなか赤ちゃんは満足しません。家事や育児は本当に大変です。育児に追われると家事が追いつかない。母親の多くは家事、育児に追われて疲れきってしまう。疲れてしまうとどんなに心をこめて抱いてあげたいと思っても抱けない。これは絶対夫やボランティアの協力が要るんですよね。家事を手伝ってもらってその分余ったエネルギーを子供に注いでいく、なんかそういうライフスタイルを地域全体で考えていかないといけないと思います。

 私たちの子育ても完璧ではなくかなりの失敗をしてきました。あれは失敗したなというのは、歯が生えてきて一歳六ケ月の時に、私の妻がおっぱいをやるのを嫌がって辞めたいと言い出したのです。赤ちゃんが飲みたいだけ母乳を与えるというのが理想的ですが、妻が自分の責任でもう辞めると言うのです。もう一ケ月母乳をやった方がいいと言っても聞かない。私はどうしても辞めると言うならそうしたらいいと認めたんです。その代わり何が起こるかわからないよと。そうしたら夜泣きをしたことがない子でしたが、三日続けて夜中に一度夜泣きしました。夜泣きぐらいで済んでよかったと思います。何が起こるかわからないものですから。実際にはあまり早く母乳を切ってしまうと、子供は愛情の要求が満たされていないので夜泣きやおねしょをします。おねしょをするというのは、子供がもっと母親の愛情が必要だと体で訴えているのです。心の病のようなもので、もっと愛情を注いで欲しいというメッセージなのです。ですからおねしょをしてそのことを母親に怒られると、さらに愛情の確認をするためにまたおねしょをします。そしてこれが悪循環になって簡単にはおむつがとれなくなります。おねしょをしたときは決して怒らないことです。子供を抱きしめて、「お母さんは…ちゃんが大好きよ。おねしょは気にしなくていいのよ。」と優しく話しかけて愛撫してあげてください。そうするとおねしょをしなくなります。

 半年ぐらい前にうちの子がひさしぶりにおねしょしたのですが、ちょっとした心の動揺と不安があったんですね。母親があまり子供をかまっていなかったんです。おねしょをしても怒らなかったのですが、次の日もまたおねしょをしました。これは決定的に母親の愛情不足なんですね。おねしょをしても子供が言わないので妻が怒っている。怒れば怒るほどおねしょするんです。これはまずいと思って私が子供に、「おねしょをしたら気持ちいいだろう。あれは気持ちいいもんなんだ。お父さんもお母さんもかなり大きくなってからおねしょをしたことがあるんだ。心配することはないよ。気持ちがいいのだからざーとおねしょしたらいいんだよ。」と言うと、子供が「おねしょしていいの?」と聞くから、「いいよ、気持ちいいことはした方がいい。心配することないよ。」と言いました。妻は布団が乾かないからって怒っていたのですが、「布団は他にもあるんだから気にしなくていいよ。どんどんしなさい。」と言ったら、子供の体がどんどん弛んでいくのです。あー!、と安心してリラックスしていくんです。それを見てこれでおねしょはしないなと思いましたが、その通りでした。

 ところが子供のおねしょを叱ると子供の体が緊張するんです。すると子供は本当に両親に愛されているかを確認するために、いたずらをしたりわざとちょっかいをしたり騒いだりするのです。愛されていると理解するまでやるのです。それで安心出来ない場合は夜またおねしょします。悪循環ですね。私は躾(しつけ)の時期というのは三歳以降だと思うのですが、それまでは、子供が何か変なことをするときは必ず理由があるので、その理由を理解して出来るかぎり子供の願望をかなえてやり、怒らないようにするとうまくいきます。そんなに子供の要求をかなえて育てたら、わがままな人間になるんじゃないかと思いがちなんですが、全く逆になります。大人でもそうですね。夫がいつも自分の要求を聞いてくれなかったら腹が立って、「ちょっと何かとってくれ。」と夫に言われても、「自分でとったら。」って言いたくなるでしょう。それと同じでいつも要求を拒絶されて育つと必ず親に反抗するようになります。親がこうしてって言ったらわざとそうしないで、逆のことをやる。ひどくなると親が一番困るときに一番困ることをします。ここでは静かにしておいて欲しいと思うようなときに悪さをしたり騒ぐような場合は、特に愛情が欲しいと訴えていると思って欲しいのです。三歳になるまでは十分な愛情を与える、「私はあなたを愛していますよ」というメッセージを態度で、そして言葉でも表して欲しいのです。「…ちゃん、大好きだよー。」って言って育てていく。そうしたら子供が安心して本当にいい子に育ちます。

 ふだんは愛情の要求を十分にかなえておいて、たとえば新幹線に乗るときに先に子供に、「これから新幹線に乗るからね。こういうところは騒いじゃいけない。楽しいからって騒ぎたくなるけど静かにしておかないといけない。我慢出来るかな。」と言っておくんです。「我慢出来る。」と子供が言う。「じゃあ、乗ろうか。」って乗ると、子供は楽しいからつい大きな声を出しますよね。その時「しー。」と言うとわかったって顔をして、後は二時間ぐらい静かにしています。協力してくれるんです。親が今まで十分にやっているので、子供がそれに答えてくれます。なるべく子供の願望をかなえて育てて、躾の時期に、何をしてよいのか、何をしてはいけないのかを少しずつ教えていく。そういうふうにかかわると後が本当に楽です。病気もしないし素直な子供に育ちます。

 赤ちゃんには感情、理性、意志がないとか、どうも言葉を発するようになってから意識が出来てくるような錯覚をしている人が多いようです。育ててみてそんなことはないとよくわかりました。生後四ケ月のときに友人が二人、子供を見に遊びに来ました。友人は四、五時間滞在していたのですが、その間うちの子は一度も泣きませんでした。ところがその友人の一人はとても地声の大きい人でした。隣の部屋にいた子供がむずがっていたので、これはうるさいから文句を言っているなと思いました。妻が抱っこして子供を二人の前に連れてきてあいさつしました。子供は一人の人にはにこにこと笑顔をふりまいているのに、大きな声の人にはにこりともしないのです。私は彼がトイレに行ったときに子供に、「お前、声がうるさくてあの人のことを怒っているだろう。あの人のことを許してやってくれよ。」と言ったんです。そしたら子供がにこっとしました。そしてその後はその人に対してもにこにこと笑いかけていました。生後四ケ月でも子供は全部わかっています。赤ちゃんの方が許す能力が高いようで、わかった瞬間にぱっと許してしまいます。

 もう一つ例があるのですが、私たち夫婦が子供を連れてよく遊びに行っていた友人のお店がありました。私たちは子供に何か働きかけるときは、必ず子供の同意をとって行ないます。子供の意志を尊重するのです。たとえば友人が子供を抱きたいと言ったときは必ず子供に、「彼が抱っこしたいと言っているけど、いいかな?」と聞くんです。子供がにこっと笑って同意したときのみ、子供を抱いてもらっていました。ところが子供が生後十ケ月位のとき、その友人が「抱いてもいいですか。」と聞いたとき、私がもう何度も抱かれているからいいだろうとうっかり子供の同意をとらずに、すっと子供を彼に渡してしまったのです。そのときは子供は機嫌がよかったので私にはわかりませんでした。それから私は仕事に出て、夜家に戻ってきました。いつもならにこにこと迎えてくれる子供がその日は顔をそむけて目をそらしていました。無理矢理顔をこちらに向けさせても目をそらす。「あれー、これはおかしい。いつもと違うぞ。」と思って、なぜだろうと夫婦で思案しましたが、理由がわかりません。それで今日一日何があったか思い出していて、ふっと同意をとらずに抱っこさせたことを思い出しました。それで子供に、「今日、同意をとらずに友人に抱っこしてもらったのを怒っているんだろう。ごめん。」と謝ったら、子供がにこっとするのです。言葉はまだ話せない時期ですが、大人の話すことは全部わかっているんです。言語的になのかテレパシー的になのか、こちらが話すと心が通じて全部わかっているようです。赤ちゃんはすごい能力を持っています。なるべく子供がお腹の中にいるときから、一個の人格をもった生命であるという認識をもって接する、子供を尊敬して育てると、本当に健康で素直に育ちます。そうすると反抗期を簡単に乗り越えることが出来るようです。子供に敬意を表さないで躾けないといけない家畜のような感覚で育てていくと必ず反抗期で手を焼くと思います。大人でもいつまでも若造扱いされたら腹が立つでしょう。子供が自分にもこういうことが出来るんだと主張する独立のピークは三歳から五歳だと思いますが、子供の要求を認めて子供の独立性を尊重して育てると反抗しません。そのときだけでなく最初からそういう態度で育てていくことが大切です。子供の意志を尊重し子供が何をしたいのかを理解して怒らないようにして接すると、非常に意志の強い集中力のある子に育ちます。子供がどんなことを要求しているのか、何がしたいのかによく気づいていくことが大切です。

 愛情の要求のときには十分に愛情を与えなければなりません。ところが独立の要求のときに急所になるのは「待つ」ことなんです。子供の成長を「待つ」わけです。出産を例にとると、まだ産まれる前の時期は十分な愛情をかける、そして出産の時期これは独立の時期になりますが、このときに一番大切になるのは「待つ」ことなんです。これはすべて同じで、ふだんは子供に十分な愛情をかけて育てていく。そして子供が自己を主張しはじめて親から少し離れようとする時期、もちろん完全には離れないわけですが、そのときに絶対に躾を急がない、十分に「待つ」ということがとても大事です。早くおむつをとろうとしたり、早く部屋を片づけられるようにさせたり、そういうことを絶対にしない。子供の成長に合わせていく。人によって全部成長の速度が違うんです。

 はいはいにしても、歩くことにしても、歯が生えることにしても、早い方がいいと思われています。ですが本当のことを言うと、十分な愛情をかけて育てると、実は歩いたりしゃべったり歯が生えたりするのは遅いのです。ですから三ケ月も四ケ月も人より遅れているということがありますが、全然心配することはないのです。ところが十分な愛情や栄養を与えないで育てると、たとえば歯が早く生えてきたり、早く歩けるようになります。栄養の最大のものは母親の愛情で、次が食べ物です。母親の愛情という十分な栄養が足りないので、固形食とか何か食べないといけない。すると歯が早く生えてきます。同じように母親がいつもそばに居ない場合には、子供が自分で歩いて母親のところに歩いて行かなければいけない。すると早く歩けるようになります。ですから歯が早く生えてきたり早く歩けるようになったら、本当は喜んではいけない。これは愛情不足だ、栄養不足だと思って欲しいのです。親はですね、早く歩けるようになって欲しいと思って、抱えたり歩行器を使ったりして歩く練習をさせたりするわけです。かたかたいうおもちゃで歩かせて喜んだりしていますが、これもやっぱりまずいんです。なぜはいはいをするかというと成長に必要なわけです。はいはいの時期に十分にはいはいをしておかないと、脳の回路がつながらないんです。障害児教育のドーマン博士のグループが、十分にはいはいをしていない、高這いをせずに成長したりして、ある部分のステップを飛ばした子供に障害が起きるということを発見したのです。親が歩行器に乗せて立たせたりして途中を飛ばして成長させると、運動機能、場合によれば知能の部分まで障害が起こる可能性があります。これはまずいですね。助けてやるのならいいのですが、子供の自然な成長を人為的に飛ばしたり阻害したりしないことです。特別な訓練、早期教育で歩く訓練をしたりした場合は別ですが、そうでなければ十分に愛情深く育てると成長は遅れるのが普通です。ですから自分の子供の成長が何ケ月か遅れていても、心配する必要は全然ないのです。その子の成長に合わせて育ててやるのです。いろんな育児書には、おむつが普通ならどれぐらいでとれるとか、離乳食はどんなときにどんなものを与えるとかがこと細かに書いてあって、本によって書いてあることが全部違っていたりする。だからこそ自分自身の感性を信じて欲しい。自分が信じる道を行って欲しいのです。

 たとえばおむつをとることについてですが、うちのもう一つのかなり深刻な失敗談です。実はある本を読んでいて、おむつは六ケ月位でとれるのが本当だと書いてありました。きちっと育てたら六ケ月ぐらいでおむつがとれるのかも知れません。ところがよくその本を読んでみると、六ケ月でとったというその人たちも、結構後で失敗しているんです。抱っこしたままおしっこされて服を濡らされたり、抱っこしたままうんこされたりして結構失敗してる。そういう意味で見たら本当に六ケ月できちっとおむつがとれるかどうかはわからないわけです。だからそんなに早くとる必要はない。ところが妻は早くおむつがとれるのが正しい育児をした証拠だと思ってしまったらしい。だから早くおむつをとらなければいけないという強迫観念のようなものを持ってしまったんです。どうも妻は受験勉強をよくやったタイプの人なんで、正確でないといけない、早くおむつをとるんだ、そしたら自分は正しいことをやったと思いたかったんですね。私はこういったことには絶対にこだわるなと言っていたのに、おむつに関してはこだわっちゃった。結局それでかえっておむつがとれるのが遅くなったんです。子供というのは母親の愛情を要求しますから、どういう態度をとったら母親の気を引けるかということを知っているんです。妻としたら子供がおしっこ、うんこをちゃんと知らせるようになったらおむつをとれるわけですから、異常にそこに敏感になりました。そうすると赤ちゃんが足をばたばたばたと動かしだすと、すぐに「うんこ?」と聞くわけです。私だったら聞く順番をばらばらにしたり工夫するのですが、必ず妻は、「うんこ?、おしっこ?」ってうんこから聞くんです。そうすると赤ちゃんはうんこじゃなくても、「うんこ?」っていうのに反応したら母親にそばに来てもらえると知ってしまうわけです。そうすると妻が仕事しているときなど子供が足をばたばたばたとする。「うんこ?」って聞くと子供が「うん。」と言う。おまるに座らせると出ない。妻にしてみると子供が嘘をついたと思うんですが、本当は愛情の要求なんですね。やっぱりどんなに大切に育てたつもりでも、どんなに赤ちゃんのことをかまってあげたい、赤ちゃんが要求したらすぐに願いをかなえてあげたいと思っていても、疲れていたら出来ない。私もそういう意味では失格かも知れないんですが、男性は本当にもっと女性のことを考えてあげなければいけない。女性は育児と家事で疲れきるんです。母親が疲れていると子供の要求をかなえてあげられない。すると子供は愛情不足を感じる。それで母親の愛情を何とかとろうとする。どうするかというと母親の一番気にかかることをするんです。うちの場合で言うとうんこって言うと来てもらえるということを子供が発見してる。だから妻が「うんこ?」って聞くと子供が「うん。」と言う。ところがおまるに座らせると出ない。母親が腹を立てますね。すると子供は自分が嫌われている気がする。だから母親の愛情を確認したくてまた何か要求をして騒ぐ。これを繰り返すわけです。だんだん母親は腹が立ってきて怒っちゃうわけです。最後には子供が嘘をつくと言ってお尻をたたくようになったんです。私は本人に自分自身で気づいてもらいたいのでなるべくこういうような母子の関係に介入したくないのですが、後になるほど処置が難しくなりますから、妻に「なぜこの子が泣くのかわかるか。」と聞いたんです。君がおむつをとることに異常に関心があって、うんこって言えばそばに来てくれる。君の愛情をとるために嘘をついてるっていうことを話したんです。なんで君はうんこをそんなに嫌うんだ、君がおむつを交換するときにどんなに嫌な顔をしているのか知っているのか、本当に鬼みたいな顔をしておむつを交換している、不愉快だって顔をしている。またおむつをとる時期が遅くなったと思って腹を立てる。腹を立てているからおむつを取りかえているときに鬼のような顔をしてる。すると赤ちゃんはその顔をじーっと見ているわけです。そして自分は愛されていないんじゃないかと不安になってまたちょっかいを出す。この悪循環に陥っちゃった。私はその全部の過程を説明して、これは君が間違っている。君が何でそんなにうんこを嫌うのか、うんこが出るっていうのは健康でいいことなんだからって、一、二時間話をしたんです。そしたら赤ちゃんは普通に教えるようになって、もとの全然泣かない状態に戻りました。この危機が一週間ぐらいあって、これは私たちの子育ての最大の危機でした。これを放っておいたら腹が立ったら子供を殴るような母親になります。子供の問題行動には必ず理由があるのです。それを理解すると子育ては非常に楽になります。

 最近のことで子供は五歳なんですが、プラレールっていう電車のおもちゃのレールを買ってあげました。子供は私から見てこれはちょっとしんどいなっていう中腰の姿勢で床の上にある電車を動かして、二時間ぐらい遊んでいました。その日の夜、ふだんは寝床なんかで騒がない子なのに、はしゃいで寝ないのです。そういうときは早く寝なさいって怒っちゃいけないんですね。この理由は非常に簡単なんです。不自然な中腰の姿勢で遊んでいるので腰がこっているんです。子供というのは意外なくらい肩、首、腰などがこっています。赤ちゃんでも寝返りが出来るようになったり立てるようになったときは、その部分の筋肉がこります。しばらくすると機嫌が悪くなります。子供が機嫌が悪いときはたいがいどこかの筋肉がこっています。しっかりマッサージというか撫ぜてあげることが大切で、体を他動的に動かしたり回してやったりする。すると子供の年齢が小さいほどすぐにこりがほぐれて、またもとのいい子に戻ります。むずがったり騒いだりはしゃいだりしている子供は必ず体のどこかがこっています。遊びや歩いたりすることから起こっているんです。それで夜布団の上で、騒いだりはしゃいだり、でんぐり返しとかして体を直している、本能なんです。大人で言うと寝返りみたいなもので、寝返りすることで体を調整しているわけです。寝床の中であらかじめはしゃぎ回って体をほぐしてから寝るということをやっているわけです。ですからちゃんと、はしゃぐのに理由があるということを理解して育てていくと、怒る理由が全然ない。うちの場合は子供が起きたいときまで起きていて寝たいときに寝ています。無理に眠らせるってことを全然しませんし、騒ぎたいときは騒がしておく、それが健康の秘訣なんです。それを「もう遅いから寝なさい。」って叱ると、体をほぐすことが出来なくてかえって病気になってしまう。どうしても早く寝てもらいたいときはマッサージをしてあげたら早く寝るわけです。子供を眠らせるのには、子供のエネルギーが十分に発散していればいろいろな方法があるわけです。

 独立期前の子育てでは単に愛情深く育てればよかったのですが、独立期の躾に関して言えば人間に対する理解が一層要求されます。その要点は何度言っても言いすぎではありませんが、十分に「待つ」ことです。長期計画を立てるんです。たとえばうちの子の話ですが、実は二、三ケ月前までまだおまるを使っていたんです。普通ならとっくにトイレでしているはずですが、子供に「普通はみんなトイレでしているんだよ、トイレでしたら。」と言っても、本人がおまるの方がいいと言うので、本人の意志を尊重してずっとおまるを使っていました。私は絶対強制はしませんので、子供が自分からトイレですると言うようになるまで待つんです。ただ小学校ではトイレが使えないと困りますし、そろそろおまるからトイレに移行させないといけない。こういうとき私は一年ぐらいの長期計画を立てます。ちょっとずつちょっとずつ子供に働きかけていきます。どうするかというとまず子供に、「どうしてトイレでしないの?」と聞きます。子供が「ぼくはおまるがいい。」と答えます。うちは母屋にしかトイレがないので遠いのですが、本当はトイレが恐いんです。水の流れる音と機械の作動音が恐いのです。子供によって臆病、いいように言うと慎重なタイプがいて、うちの子はとても慎重なのです。子供が傷つくから「恐いんだろう?」なんて言っちゃいけない。「そうかー。そのうち自然に出来るようになるから、ゆっくり一年二年して出来たらいいよ。」って言っておくんです。一応トイレで出来るようにならなければいけないと子供の頭に入れておきます。それから二、三日後に、「お父さんがうんこするけど、一緒にトイレに行かない?、見に行かないか?」と言って、一緒にトイレに連れ込みました。まずトイレが恐くないことを教え、トイレで何をするかということやウオッシュレットの使い方とかを説明しました。三回か四回トイレに連れて行き、これを気長にやる。一、二週間後に子供が機械の音が恐くないことがわかってきます。このとき事を急いで「恐くないだろ、だからやりなさい。」と言ってはいけません。そう簡単には行動の意欲は出てきません。子供に行動の意欲、やろうという気にさせるには、子供の方から積極的にトイレに座ってやってみたいと思うように誘導しないといけない。どうするのかというとあめと鞭のあめを使うのです。うちの子供は新幹線が大好きですが、まだ乗ったことがない、自分も乗りたいと思っている。それで「新幹線には乗せてあげられるよ。だけど一年ぐらい後だね。」と言うと子供が「どうして?」と聞くから、「だってとも君、トイレでうんこ出来ないだろ。新幹線にはおまるがないんだよ。新幹線には普通のトイレしかないからなんだ。トイレで出来ないと、うんことかおしっことかしたくなったとき困るだろう。」「困るね。」「とも君がおまるを卒業してトイレで出来るようになったら新幹線に乗せてあげられるんだけど。」と会話すると、子供が「出来る。」って言うんです。「じゃあ、今度うんこしたくなって練習したくなったら練習しようか。勇気がなくておまるがよければそれでいいから。」と言っておく。そのうち子供が便意をもよおしたとき、「トイレでやってみる?」って聞くと、「トイレでやってみる。」と言うから、椅子を使ってトイレに座らせると、子供はとても緊張して肩に力が入っている。恐くて気が上がっているのです。緊張したら出るものも出ないでしょう。五分しても出ないから、その時はあきらめて、「ちゃんとトイレに座れたじゃないか。よかったね」ってほめておく。また次に座ってみる、でも出ない。その時に叱らないことです。忍耐が要ります。安心させるために、「今度はすっと座れるようになったねー。」って言ってほめておく。するとだんだんリラックスする。結局出たのは三回目でした。子供は「出来たー出来たー!」って大喜びで母親に報告していました。出来たから喜んでいるのはいいのですが、一度トイレで出来ると次にもトイレでしないといけないと子供にプレッシャーが生れるんです。こちらから見ていて体の緊張として表れます。私は出来て喜んだ後体が緊張しているのに気づいて、「とも君、いつもトイレでしなくていいんだよ。間に合わなければおまるですればいいんだから。」と言うと、子供がほっとして体がだっと弛みました。これで成功です。ところがプレッシャーをかけたり、「あのときは出来たのにどうして今度は出来ないの。」と言って責めるとだめで、またそこで時間をとってしまいます。一年の予定でしたが三ケ月で済みました。一つのことを躾けるのにも、子供の意志、子供が本当にそうしたいと思う時期まで待つということが大切です。子供の意志を尊重して育てると、反抗心を育てないで済みます。躾を急がないというのが大事です。親が腹を立ててしまったら負けなので、子供のことをよーく見てなぜこの子がこういうことをするのかを理解しなければいけません。  子供の要求をちゃんとつかむためには、どちらかの親が子供をよく見ていられるライフスタイルを作らなければいけません。夫婦共働きで保育園に子供を預けていたら、子供の要求はわかりません。どういうライフスタイルでどういうふうな働き方をするのかということを徹底的に考えていかなければいけない。本当にいい本を読んで子供のことを理解していこうという努力が必要になります。

 子供を育てるというのは本当に大変で、仕事と同等かそれ以上に神経とエネルギーを使うものなんですね。けれども仕事の方にそのエネルギーを全部使ってしまったら、子供が犠牲になってしまいます。子供が犠牲になるとどうなるかというと、当然成長してから過度の愛情要求をします。ここまでやったら親が困るということをやるようになります。自分に愛情が欲しいのに親が全然かまってくれないと、どんなことをすれば親がかまってくれるかを子供は本能的に知っています。そして一番困ることをやるのです。困ることは親によって違います。自閉症だったり登校拒否だったり、万引き、校内暴力、性的逸脱、拒食症、最悪の場合自殺だったりします。子供のときに十分にていねいに育てると、後が楽になってその子は自立して育っていく、十六歳ぐらいになってぱっと手を放してしまえばいい。ところが育児は保育園に任せ、学校で躾をしてもらうつもりで育てると、二十歳になっても親の方は子離れが出来ないし、子供も親離れが出来ない。一生がめちゃくちゃになります。

 ひょっとしたら十分に大切にして子育てをすることで、本当はもっとよい社会が生れるのではないか、かえってその方が楽なのではないかと思うのです。子育て中の数年間は大変ですが、うちの子のように、最初の一年半ひたすら抱いておくと後でほとんど抱っこが必要ないし、病気をしないので病院にも行かなくても済み、後がとても楽です。それ以上に子育てに手間がかかった分、実りもまた大きいのです。子育てによって子供の心がつかめるようになると、夫婦関係、上司と部下の関係、先生と生徒の関係、嫁と姑の関係もわかるようになります。本当に実りが大きいのです。なのに多くの人は仕事に時間を裂きすぎるように思います。自分の子供、伴侶のことにもう少し心を配って、相手の考えていることを汲みとろうとして生きていったら、非常に円満で心の葛藤のない親子関係、夫婦関係が出来る。その方が医療費もかからないし、安定した社会が生まれるのではないかと思うのです。

 私たちの子育ては五十五点ぐらいだと言いましたが、世の中には天才的な子育てをする人がいます。ウガンダやアボリジニの人たちの子育ては、魔術的、天才的なもので素晴らしい子育てをしているようです。彼らのやり方というのは、出産前まで普通に生活して、二十分で出産を済ませて、一時間後には普通の生活に戻るそうです。それだけでも驚異的ですが、赤ちゃんは生後二日で首が座り、四日目には笑うものさえいる。母親は赤ちゃんの要求が全部わかっているので、最初の日から全然泣かないそうです。私にはこんなことは到底出来ません。彼女たちにとって赤ちゃんが泣くということは恥なんだそうです。信じられないようなことですがどうも事実らしいのです。赤ちゃんの心がそこまで意心伝心でわかるという母親の心の豊かさというのはすごいですね。そういう子育てが人類の理想なのではないかという気がします。それに比べ私の子育てはあそこでこうしておいた方がよかったんじゃないかというのがたくさんありますので及第点ぐらいだと思います。ですから自分で考えた理想的な子育てを、自分の感受性を信じて行なって欲しいと思います。

(講演 1997年12月7日 福岡)

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【著者プロフィール】

竹下雅敏(たけしたまさとし)

1959年 兵庫県神戸市生まれ、広島県在住。
広島大学理学部・大学院にて 数学を専攻する。夫婦、親子を含めた人間関係、子育て、教育、東 洋医学、宗教、精神世界、政治経済、哲学、その他幅広い分野にわたる知識と、深い洞察力により多くの講演活動を行っている。

著書 「ぴ・よ・こ・と」シリーズ「ガヤトリー・マントラの祈り」(こじかBooks) 監修図書 「幸せを開く7つの扉」(ビジネス社)