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「祈り」に対するアドバイスは大変参考になりました。
つい最近、個人的なことで神に祈りたいと思ったことがあったのですが、
どの神様に祈ればいいのかな?誰でもいいのかな?
こんなこと祈っていいのかな?と、
ちょっとあたふたしたことがありました。
講座でいろいろ勉強させていただいてから、ものの考え方が変わり、
ずいぶん楽になったのですが、昔は「神に祈る」ことができず、
個人的なことをお願いするのはダメかもとか、
自分にはそんな資格はないとか、
自分の中で「神様」とは、ちょっと怖い得体の知れない存在で、
神社に行くこともなかったのですが、
行ってもササッと挨拶して帰るという感じで、
たぶん神様アレルギー?だったように思います。
なんだかめんどくさい性格でしたが、今はだいぶ和らぎました。
公共的なことにガヤトリーマントラを使ってはいけない事は注意して
これからは祈りを大切にしていきたいと思います。
「自己実現がインフレ起こしてる」の表現、むっちゃ気に入りました。講座に出会ってなければ、チープ自己実、更にむりやり作りだして、目指してはず。
蟻塚を見て、深く、人間が特別でないと実感し、まず肩の力が抜け、そして深い静寂を感じました。わしに出きることは蟻より少ない、ならばやれることを誠実にするしかないのだ、と。その後2ー3Mの厚さの瘡蓋みたいなものが、ごそっと落ちたイメージを見ました。何だったのだろう?
「大きな森のおばあちゃん(天外伺郎、明窓出版)」という、うちが14年来翻訳しようとしては止まってる本があります。象による、完全なる森の再生の英知と、人間の「知恵」の異常な浅はかさが描かれている、うちにとって、たいへん貴重な本です。ところがわしは、この象の英知が、人間のそれより何京マイルも上!なことに、講座を通して気づきました。
兵器を作り使用することと、自然を再生することのどちらが宇宙の意志に叶っているのだろう?精々本を読む能力のあるわたしと、地球再生を実現してしまう象と、どちらが上かははっきりしている。
これらを知らなかったことを知らぬ自分。気づかせてくれて、本当にありがとう。
最近の世の中の動向を時事ブログを見て知るようになりました。あまりの権力や勢力やらの無責任さに心が重かったりしています。竹下様に何とかならないものかと思うことがありましたが、この感覚は届かないなと気づいたのでした。この世界は行きつくところまでもう動いている。静観の心境が必要なのかもと。
で、このプログラムをみて、愛で生きることのメッセージには納得でした。この世相にアタフタするのは違う感覚だなって。愛を育てるには程遠い環境ですが、コツコツ祈っていく気持ちでいこうと思いました。25柱の方々の愛に支えられている竹下様のお話は世の宝。ありがとうございました。
「肌の色の違う民族を調教して支配してあげることが白人の天命と考えている」というのは どんぴしゃ だろうと感じます。なぜ、ある意味身近な人々(白人)であればある程、(本人自身のことは話さず)絶え間なく諭そうとするのだろう、と思っていました、まるで不出来な子供を扱うように(!)ここの社会にとけこもうとしている有色人同士はといえば、その様な白人から差別意識というか、貴方といると恥ずかしいという意識を学び、輪をかけての有色人となるのを避けるため、お互いが繋がれないことが多い。ただ実際に白人の教育現場を間のあたりにしたことはなく、一体どこで、どういうことがなされているのか、ぜひ知りたいと思います。
買って、なぜか最後まで聴いていませんでした。偶然聴くことに授かりました
「なぜこの当たり前のことを、教えなきゃいけないのか。自分の内側に尋けば、皆分かるはずなのに。」の節に、言葉を失いました。こんなにも恥ずかしいと思ったことは、多分人生でもなかった気がします。言うに言われぬ程 恥ずかしいです。
「宇宙が何を求めているのか、皆解っていない。」の言葉の通りでした、ホントは解ってた気が、すごくするけれど。だって、宇宙が求めていることとは、自分が心底求めていることと、同じなのだから。
自分をないがしろにして、ごめんなさい。宇宙をないがしろにして、ごめんなさい。
(今まで何を、していたんだろう。中にも外にもいらぬものを集めたり、作りすぎて、そっちばっかり見て暮らしていた。このガラクタがある限り、ほんとに大切なあの存在が、どこにも見えない。だって其は、主張しないから。)
(なぜ自身の中と外を、ガラクタで埋めつくすのだろう。)
我楽多、捨てたくなかった。代償として、本質を諦めてたみたい。ではなぜ、ゴミを捨てないのだろう?愛で満たされてないから。この堂々巡り、止めたい。どうすればいい?