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それって遊びですやね!!がとても印象的でした。時間が余ると人間、本当に何が大切なのか??分からなくなるんですね。
また観てしまいました。
あれから八年、すっかりモノ自体の世界を忘れて生きていました。まあ、子供の頃も実相であるモノ自体(ありのまま)が視えていたわけではないので、いまとそう変わりはないのだろうと思います。
わたしたち大人は、みるということが逆転しているというのにはやはり驚きです。
再度、観てしまいました。
幻影と実在ということが、わかったように思います。
心とモノがひとつのセット、ペアになっているので、心とモノのどちらかひとつを分離させると、それはもう実在とは言えなくなるなりこの世は幻影ということになるという。
ペアでひとつの実在ということになる。
実在とは何かというと、粒子と反粒子のペアということなのか。
反粒子がこの世では見つからないのは(対消滅)、粒子を観てる側であるわたしらの知覚器官が反粒子ということになるからで、そういう意味でペアということになるのだろう。だから、いくら外側に反粒子を探してもみつからない。
ペアでひとつだと実存
どちらかひとつを分離させると幻影
目のまえの世界はわたしそのものなのだろうか。
これはえらいこっちゃ!と、思います。
再度、観ました。
どの深みの意識(顕在意識(エーテル体)、潜在意識、無意識)に触れているかで、同じ言葉を使用しても意味がまったく違うということはよくあります。
肉体意識というのは、五大欲求(食欲とか)に意識を合わせているとは思う。
人間は経験や体験が大事だと思っていましたが、どんなに経験を積もうと本質的な部分に触れることができなければ、人間もAIと変わらないのかもしれない。人もひとつの言葉の意味しか汲み取ることができなくなっているというのは、AIと似てる。
「神」という概念だって、潜在意識まで届いている人の表現は独特なものがあるかもしれない。
例えば、とある人の文章の意図を汲み取って理解するということを大半の人は肉体意識で聞いているとしたら、そこには意識の深みの食い違いや隔たりがありすぎるわけで、意味さえ通じ合えないだろうと思う。涙。
何を云ってるのかよくわからないような哲学者は、潜在意識まで触れているのだとしたら、その意味不明な言葉は、肉体意識で生きている人には理解しようもないと思いました。