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吉備稚媛 様
キビノワカヒメ - Kibi-no-waka-hime
No.243 - 2011/5/4
21代雄略天皇の妃。
《萬葉人物列伝より》
吉備上道臣の娘。また吉備窪屋臣の娘とも言われる。
雄略天皇の室に入るまでは吉備上道臣田狭の妻であった。
雄略天皇7(463)年、吉備上道臣田狭は任那へ国司として派遣される。
この田狭には美人の妻がおり、田狭自身も常々周囲の者に対して、
『天下の麗人は、吾が婦に若くは莫し』
(『日本古典文學大系68 日本書紀 上』 坂本太郎 家永三郎 井上光貞 大野晋 校注 岩波書店)
と自慢していた。この天下に並ぶ者なき美しい妻こそが稚媛であった。
この田狭と稚媛の間には兄君と弟君という二人の男子がおり、
田狭と稚媛は幸せな日々を暮らしていたのである。
そこへ唐突に任那国司への就任を命じられたのであった。
実は田狭の任那国司就任は、田狭による妻の自慢話が、雄略天皇の耳に入り、
天皇が稚媛を自らの後宮に迎えようとしたための人事であった。
こうして天皇は強引に稚媛を妻としてしまうのである。