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趙 飛燕 様
〈霊体〉
チョウ ヒエン - chou-hien
No.345 - 2012/9/4
前漢成帝の皇后。(?〜紀元前1年)
参考)
趙飛燕 - Wikipedia
(リンク先より引用)
前漢成帝の皇后。元名を宜主と称した。出生は卑賤であり、幼少時に長安にたどり着き、号を飛燕とし歌舞の研鑽を積み、その美貌が成帝の目にとまり後宮に迎えられた。(リンク先より引用)
本当の名は宜主(ぎしゅ)というが、痩身で可憐に舞い踊るそのさまを見て、人々は飛燕と呼んだ。すぐれた容姿を表現する言葉に、「環肥燕痩」というものがある。
中國史における美女の代表は、グラマラス(肥)な美女といえば楊貴妃(環:名が玉環の為)、スレンダー(痩)な美人といえば趙飛燕(燕)だということである。
つまり中國では、趙飛燕は痩せた美女代表なのだ。
参考)
趙 飛燕 - Google 検索