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実在と幻影に関して、直接体験したというだけでは、実在の根拠として弱いと思います。奇術、脳が作り出した夢、麻薬による幻覚なども直接体験だからです。第三者による検証・追体験可能性を実在の条件に入れた方がいいと思います。
世界観が変わる講義でした。この世の家族と、霊的な家族とは一致しないのですね。
地底人のことはだいぶ前に本を読んだことがあり、今回のお話も興味深く拝聴しました。
その地底人が全て滅ぼされてしまった話に驚かされました。何故なのかその理由を知りたいですね。
木がコミュニケーションを持って会話している話はとても同感できます。我が家には小鳥が何種類もやってきますが、朝ヒマワリの種を器にいれてあげています。昼ごろに空になった器に再度あげると、小鳥はどこで見ているのかすぐにやっ来てヒマワリを持ってかえります。きっと我が家の苞の木の巨木がおーいヒマワリが
あるよと発信しているんではないかと思ったことがあります。これからは私も積極的に巨木に語りかけて情報を得たいと思いました。ありがとうございました。
本当に完成している人は誰も変えようとしないとのこと。相手が悪事を働いている場合は別ですが、それ以外で相手を変えようとするのは支配欲だと思います。
“情によって善悪の判断が狂ってしまう”というのは、今までの自分自身を振り返ってみると、まさにその通りだとしみじみと感じました。
「いついかなる時でも、正しい善悪の判断を徹底して貫き通すことが出来るか」
このことが、自分にとってとても大きな課題だと気づかされた講義でした。
イエスはエッセネ派を乗っ取り、マゴスを追放し王になった・・・。
イエスが唱道した信仰(憐れみ、愛、寛容さなどど)は、いくつかの真実こそあれ、しっかりと裏の顔も持っていて野心家で革命家、権力欲で支配したかった。
プラトンの宗教は知恵のあるものが考え出した おとぎ話 だったんですね。
ひとの心の浄化によってしか世界はかわらない。
宗教の本質では、心が綺麗にはなりようもないです。
マゴスとイエスの流れがよく解りました。
どっちもどっちで、霊導していた神霊が権力欲の固まりの悪魔崇拝で、イエスも聖霊なのだけどマイトレーヤでハイアラーキーなので上のものは野心の固まり、ダビンチのように才能があっても悪魔崇拝・・・才能と幸せは関係ないのでした。
人間は美しいもの可愛いものを見ると心身共に緩む。宗教、哲学、学問はときとして価値感を狂わすというのは気を付けなくてはいけないと思います。
善と悪で判断しない東洋の思想はいいなあと思いました。
255と256と前後して何度か見て、やっとわかりましたー。今までの時事ブログを絵にしてもらった映像でした。あー、やっとつながった。やはり、何度も見れるっていいですね。というか、私には必要性が高いというか、とにかく、勉強になりました。SF映画もつながってきました。事実は小説より・・・ですね。
禁欲とはセックスをしないという意味ではなく、自然な生活での性欲のコントロールとのこと。他の徳目と違い、これは中庸に近い概念に見えます。この場合、一旦中庸を達成したら、それ以上向上する余地はないように見えますが、禁欲にも動物レベル、人間レベル、神レベル……があるのはなぜですか?性や体を痛めつける行為に関しては中庸で、他は禁欲的であればあるほど、禁欲の波動が上がるということですか?あるレベルの中で、また、あるレベルからさらに上のレベルに、禁欲が上がるというのは具体的にどういうことですか?
あと、自力だけで徳目を上げる場合、例えば、利他性がアナーハタ(人間レベル)の人がその段階における自然な利他的行為(当人にとって当たり前の行為)を続けるだけで、いつかヴィシュダに上がりますか?それとも、ヴィシュダに上げるには何らかの試練を突破する必要がありますか?