現実と未来
福島に帰ってから、困ったのは、内部被曝を抑えるための放射能対策、それから周囲との危機感の温度差でした。私は、山形から引っ越すとき、「これから“フクシマ”に帰るんだ」という、それなりの覚悟というか、緊張感を持っていたので、帰った時のみんなの平然とした様子には、戸惑いを感じました。避難区域から外れ、中通りや、浜通りと比較して線量が低く、マスコミも取り上げない、騒がないとなると、驚くほど危機感や当事者意識が薄れてしまうようでした。あとは、年代によっても、その関心や危機感にだいぶ開きがあると感じました。50代~60代以上の年代の方から、よく聞かれたのはこんな言葉。
「自分が放射能を食べたところで、大した影響はない。」
「影響が出るより、寿命のほうが先に来るから関係ない。」
ある知人は、「山に、これ(ガイガーカウンター)もって山菜取りに入ったら、アラームがうるさくて仕方ない!」と言いながらも、平気できのこを採ってきて、きのこ汁にして、たっぷり食べてしまうのですから、こうした日本人の放射能に対する認識の甘さ、危機感の欠如には、すさまじいものがあると思います。
しかし、とうとうそんな「放射能は年寄りには関係ない神話」も崩壊しつつあるようです。(参考 https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=61014)
2013年の12月、1年ぶりに福島に帰省した時、私の知っている方達の中でも既に“それ”が始まっていると感じることがありました。
規制が出た後も、(やはり、年齢的に自分には関係がないということで)地元の沢や、湖で釣った魚を食べ続けていた方が、心臓を患って手術されていたり、震災後も自分で作った野菜を食べて元気だった農家のおばあちゃんが、急性白血病で、ある日突然亡くなっていました。キノコをたっぷりたべていたそのおじさんも、体調を悪くされていたようです。
しかし、本人も、周りの誰も、放射能の影響の可能性については、一切触れることはありませんでした。心にひっかかってはいても、認めたくない気持ちがどこかにあるのかもしれません。
「歳だから、放射能があってもなくても、体の何処かの調子が悪くなるのは不思議じゃない。」
それもそうかもしれないけれど…。しかしそんな風に、頑なに放射能の影響を認めず、自分との関連を遠ざけようとしている理由は何でしょうか。
「放射能はこの歳の自分には関係ない。」と言う言葉の後には、たいてい、こんな言葉が続きます。
「だけど、これからの若い人たちは大変ね。」
「放射能を食べても自分には関係がない。」と“信じている”からといって、本当にそれだけで終わってしまっていいのでしょうか。私は、その方たちにこそ、もっと放射能について、原発について、真剣に考えて、真剣に向き合ってもらいたいと思っています。
私は1988年生まれですが、その頃には原発は既に日本中に何基もありました。
原発を建ててきた世代、それを受け入れてきた世代にこそ、この現在の状況について、もっと真剣に受け止め、考えて欲しいと思うのです。本当にあなた達には関係のないことなのですか?あなた達の過去の延長線上に、私たちの今があるというのに…。
「関係ない」という“無関心”が、また状況の悪化を助長してしまうということを是非、理解してほしいと思います。
今、この瞬間にも、未来は形作られています。私たちが何を思い、考え、行動するかが問われています。自分に関係がないと思っているどんな出来事も、実は自分と深く密接に結びついているのだということを知ってください。
未来の子供達には、これ以上悲しい思いや、苦しい思いをさせるべきではありません。これ以上、地球を破壊するべきではありません。「知らなかった」では済まされない時代が既に来ていると思うのです。知らなかったではない。それはすなわち、「知ろうとしなかった」ということなんだと思うのです。
心を開いて、どうかありのままの事実を受け止める強さを持ってください。
2件のコメント
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もっと、チェルノブイリ原発事故やスリーマイル島原発事故の後
現実にそこに住む人々や自然環境にどんなことが起こっているのか?
メインリーに報道されたり議論されていれば、原発事故が起これば
どういうことになるのか。。。人々の中に当たり前の経験として
あったかもしれませんね。
でもやっぱり、世界のどこかで起こったことも、身近で起こったことも
どれだけ自分のこととして捉えられるかで、行動が変わってくるのかもしれませんね。
hiropanさんの心の叫びが広く伝わっていきますように・・・
3.11まで、私にとって、原発問題は人ごとでした。
今から思うと申し訳ないことですが、電力会社の前で座り込みをする人たちを見て「じゃ、電気のない暮らしができるの?」と思ってました。
犠牲は大きすぎましたが、あの事故が、私の意識を変えてくれました。
私もあれ以来、経験したことのない体調不良にちょこちょこ見舞われました。長崎生まれの被爆二世でもあるし、福島から離れてるとはいえ、影響がないとは思えません。
一人ひとりがあの事故を自分の問題として真正面から捉え、正しく認識することが今一番必要だと感じています。