はじめまして。hiropanです。
私は2年程前まで、山形、そして福島に暮らしていました。
現在は、いろいろな思い、葛藤、経験を経て、福島を離れ、瀬戸内海の小さな島に暮らしています。
畑をつくって、自分で食べるための野菜や果物を作ったり!(採れたり採れなかったり)日本ミツバチを養蜂してみたり。(日本ミツバチってすごい!)
味噌や梅干、漬物、いろんな保存食を手作りしてみたり。
ぼーっと海を眺めたり。
人生経験も浅く、お金もコネも何もない私が、全く知らない土地、知らない人、知らないことばかりの中に飛び込んだ、一人移住の島ライフ。当然初めは、不安や心細さもありましたが、ここでの素敵な人たちとの出会いや、経験は、私にとってかけがえのない財産となりました。とても豊かで、幸せな時間の中で、あの時、思い切って行動してみてよかったと、心からそう思っています。
全ての転換点は3.11の震災、そして原発事故でした。
それは、私にとっても本当にショックで、悲しすぎる出来事でした。しかしそれをきっかけに、人生に対する考え方や、生き方を大きく変えることができました。それまで、どこか曖昧だった部分のスイッチが、あの混乱の日々に乗じて、カチッと入ってしまったような。
「明日死んでもいいように生きよう!!」
明日も今日と同じように、元気で生きていられる保障はどこにもないから。
震災、そして原発事故を機に、「死」が近くリアルになったし、今生きている時間がとても貴重に思えてきました。私は、当時、合わずに悩んでいた会社をやめて、自分が愛する福島の地元に帰る決断をしました。
「あんな状況の中、どうしてわざわざ “フクシマ” に?」そう思われるのも当然かと思います。もちろん、放射能汚染のある福島に帰るのに不安はありました。しかし、家族が暮らし、友人たちが暮らす、自然豊かな美しい福島の、原発事故後のありのままの状況を把握せず、“次”を考えることが、私にはできませんでした。実態の見えない放射能を前に、あきらめがつかなかったとも言えます。
ここでは、そんな私が福島に帰ってから見てきたことや感じたこと、そして移住を決断するまでの心の動きや経緯、現在までの流れについて、ご紹介できればと思います。
3件のコメント
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hiropanさん、こんにちは!
今回の連載、ありがとうございます!!!
「明日死んでもいいように生きよう!」のことばが、hiropanさんの書かれておられることを読ませて頂いてとてもリアルに飛び込んできます。
それまでどこか曖昧だった部分のスウィッチが入った・・・。
そして行動を起こされた。。。
hiropanさんの勇気と自分を大切にされる生き方に感動と乾杯です!!!
次回を楽しみにしていますね!
ひろぱんちゃん!
イラストも素晴らしいし、内容も、素晴らしいです。
こころ打たれました。
>「あんな状況の中、どうしてわざわざ “フクシマ” に?」
ごめんね。
ひろぱんちゃんと同じ所に立って物事を見ようとしていたけれど、
やっぱり、
え?!だいじょうぶ?と思ってしまいました。
だけど、
>家族が暮らし、友人たちが暮らす、自然豊かな美しい福島の、原発事故後のありのままの状況を把握せず、“次”を考えることが、私にはできませんでした。実態の見えない放射能を前に、あきらめがつかなかったとも言えます。
福島の方たちの気持ちが、今更ながら胸に迫って来ます。
きっと、わたしだって、そうした!!!
ひろぱんちゃんとはお会いしていても、
311のことをちゃんと聞く機会はなかったね。
このブログは、
たくさんの人に読んでもらいたい。。
心から、そう思いました。
すぐコメントを書きたかったのだけれど、
どうしてもコメント欄を見つけられませんでした。
遅くなりましたが、連載、たのしみにしています。
たいせつなことを、
シェアしてくれて、ほんとうに、ありがとう。
心から感謝します。
シャンティ・フーラ様、
とても素晴らしい企画をありがとうございます!
フィオレンテ様 はちコ様
温かい励ましのコメント、ありがとうございます。
震災、そして原発事故は、本当に個人個人の本質が問われた出来事だったと思います。
それぞれが、それぞれに迷い、もがくように生きていました。
正しさは人それぞれ…。(では、真実はどこ?)
半年間一緒に考えながら、楽しんでいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。