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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(47)逆境に遭った時

かんなままさんの執筆記事第47弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(47)逆境に遭った時

困難に遭った時の最初の思いが、その後を決定します。

「しめた!これから何かが動くぞ。自分の人生を生きられるぞ。いいことだ」と思うか、「とんでもないことだ、どうしよう」と思うかで、その後の方向性が変わってしまうのです。

悪いことが起きた時にネガティブな想いを抱くと、後でキャンセルしないといけません。悪い事が起きたと思わず、自分にとって必要なことが起きたと考えるのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


私を支えてくれた平和の祈り


ただの主婦が1冊の本に感動して講演会を企画しただけなのに、なぜここまで大きくマスコミに取り上げられるのか?感動を共有するために参加くださる人になぜ「人種差別だ!」と抗議しなければいけないのか?それもわざわざアボリジニの人達が外国から押しかけて来るのか?訳が分からないままキャンセルの電話に丁寧に応対しつつ現実を受け入れるしかありませんでした。

pixabay[CC0]


「それでも開催するのですか?」という、まるでこちらが人種差別の片棒を担いでいるような質問を受けながら『もしも私達の会場にも抗議団体が押しかけて参加者に迷惑をかけたら・・』と不安がよぎったのも事実です。

でも、私の気持ちは変わりませんでした。本の中に書いてあった『神様、私に変えられないものを受け入れる平和な心と、変えられるものを変える勇気と、その2つの違いがわかる知恵を与えてください』という平和の祈りが私を支えてくれました。

キャンセルや抗議は私には変えられない事だから平和な心で受け入れ、今私に何ができるかを見極めて最善を成そうと思いました。会場を変更するのは大きなリスクがありました。もうチラシは独り歩きをしています。来ると言ってくださる方にもアナウンスしなおさなければいけません。無理です。どうしたらいいのか、ぼっーっと会場を見ていたら、ふっと考えがよぎりました。『そうだ!この広い会場を使って楽しもう!』と思ったのです。

舞台を使うのは辞めました。アリーナホールなので体育館のようにも使えます。客席の半分の椅子を片付けて500席にします。前の空いた空間をブッシュにしようと思いついたのです。そこを歩きまわりながらお話ししてもらえば面白いかも!と思いました。

さて、そのレイアウトを誰がやってくれるのか?友人がNさんを紹介してくれました。Nさんはギャラリーを経営しながらイベントのレイアウトも手掛けている方でした。聞くところによると、この本を読まれて大いに賛同してくださっているとの事。すぐに「喜んで協力します」という返事を頂きました。嬉しい助っ人です。さっそくお友だちと一緒に会場に来て、和紙でオーストラリアのブッシュを再現してくださいました。見事でした。

何だか面白くなってきました。もうこうなったら楽しもう!自分の中の直感を信じて大切にしていることを大切にしよう!これが自分を生きるという事だと思いました。
もう当日は落ち着いていました。むしろこの会場を見たらみんなびっくりして喜ぶだろうなと思うと嬉しくなりました。

ところが、朝一番に館長から呼び出されました。行ってみると固い顔の男の人が2人立っています。館長も怖い顔をして「昨日の新聞を読みました。他の会場は抗議団体が押しかけてきたと書いてあります。この会場でそんなことがあったら困ります。念のためにこの2人の私服刑事を付けておきます。何事もないように万全の注意を払ってください」と申し渡されました。

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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(46)学び

かんなままさんの執筆記事第46弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(46)学び

五感を研ぎ澄まし、全身で学ぶことが大切です。深い思想的なものをヒントに、人々から、様々なものから学びとろうとするのです。

普段、そのように生きている人は、小さな子どもの一言からも学ぼうとします。あるいは花から、自然から学ぼうとします。それを神の言葉、啓示だと思って耳をかたむけられるのです。

研ぎ済まされた、繊細な高い感受性で生きるのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


真実の人族


ハワイから帰ってきてしばらく経った頃、マルロ・モーガンの「ミュータント・メッセージ」という本を読みました。大自然の中で何も持たずにキャンプした後だったので、その内容に衝撃を受けました。そこには5万年も前からオーストラリアで生き続けてきた「真実の人族」というアボリジニの小さな部族の生き方が書かれていました。

* * *

ある時、アボリジニから招待を受けてオーストラリアに訪れたマルロ・モーガンが晴れやかな授賞式をイメージして待っていると、迎えに来たのは薄汚れたTシャツを着た若いアボリジニの運転手。ジープに乗って40度を超える赤銅色の砂漠を走り、連れて行かれたのは「真実の人族」の聖なるところ。

pixabay[CC0]


身に着けていたものを全て火の中に入れられ、代わりに与えられたのはボロ布1枚。その人たちはみんな優しい眼をして悪意はないようですが・・・ここから「真実の人族」との長い旅が始まるのです。初めは早く帰ることばかり考えていたのですが一緒に歩き続けるうちに、彼らの何も持たない生き方や必要なものが必ず与えられる事実を目の当たりにするうちに現代人、つまりミュータントが忘れていたものに気づき始めるのです。

まさに水も食べ物も持たずに灼熱の大地を裸足で歩き続けるのですが、彼らの聴力、視力、嗅覚は超人的で、地下水の音を聞き分け、植物の地下茎が見えるのです。それは人類に与えられたダウジング能力だというのですが・・・。

ある日、狩りを志願して出かけた若者が具合が悪くなって仲間にテレパシーを送りました。3キロも離れているのに皆はそれをはっきり受信したのです。これは皆が心を開き、嘘をついたことがないからできるのだそうですが・・・。あいまいな真実、作り話、想像などは無縁の生活なのでしょう。

そして彼らは文字を持たないがゆえに素晴らしい記憶力の持ち主です。知識は歌や踊り、絵画で伝えられます。又、彼らは恐怖心もありません。人間が聖なる一体について知り、つながっているという信念があれば恐怖を感じることはない。人は物を持てば持つほど恐怖心が募り、他国を武力で脅したり、自分の子どもを脅すというのです。

又、生まれてすぐに名前を付けられるのですが、成長するにつれて「癒し手」「裁縫の名人」「音楽の達人」など、その才能によって呼び名を変えていきます。彼らは何も持たないのですが自分の中に才能を持ち歩いているのを誇りに思い、皆も認めているのです。何て素敵なのでしょう。

さらに、彼らは物事について、どう感じるかが重要だと言います。感じたことが細胞、意識、魂に記録されると信じています。そしてそれが自分の永遠の魂の通信簿となっていくというのです。

pixabay[CC0]


彼らはこのような生き方で5万年もの間、森林を滅ぼすことも水を汚染することもなく、動物や植物を絶滅させることもゴミで汚すこともなく、動物や植物の命が自分たちに与える準備ができているかを確かめ、なおかつ宇宙に許しを得ながら食べ物を頂き、必要な水や日陰を与えられて生活をしてきました。でも、彼らはここを去る決心をしたのです。そして彼女が彼らの生き方のメッセンジャーとして選ばれたのです。
(以上、ミュータント・メッセージより抜粋)

* * *

私は読み進むうちに深い感動を覚えました。私達は快適便利な生き方を求めて何と多くの経験と才能と繋がりを失くしてしまったのでしょう!原点に戻って問うてみたいと思うようになりました。

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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(45)愛

かんなままさんの執筆記事第45弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(45)愛

すごく美しい風景を見て、

何も考えず、生きる。

心がその瞬間を感じている。

それが、愛です。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


波の音で目を覚ます


波の音で目が覚めました。外は明るくなっているようです。子ども達を見るとまだスヤスヤ寝息をたてています。でも、夫がいません。テントの外に出てみると夫が1人浜辺の岩の上で座禅を組んでじっと海を見ているのです。


夫がそんなことをするなんて想像もできなかったのですが、近づいて行くと「夜が明ける前からここにいるけど、こんなに気持ちのいい朝は初めて」というのです。

後ろを見るとなだらかな丘から太陽が昇ってくるところでした。今日の素晴らしい一日が約束されたかのような神々しい朝日でした。こんな大自然の圧倒的な美しさの中にいると自分の小ささを感じるとともに、その大きな懐に包まれた感動に満たされます。


遊びに来るイルカ


又おいしそうなにおいがしてきました。歯だけ磨いて朝食です。この場所だからなのか、どれもおいしく感じました。と、いきなりスタッフが何かを叫んでいます。「ドルフィン!」と指さす方を見たらたくさんのイルカの群れです。ジャンプもしてくれました。さっそくカヤックを使って海に出る人、泳いでいく人・・・私達もそのままフィンやシュノーケルをつけて海に飛び込みました。

pixabay[CC0]


お姉ちゃん達は自力でついてきます。一番下の子はスタッフが付き添ってくれましたが、一番元気に飛び込んだのは彼でした。泳ぎもできないくせにイルカ見たさに潜ってしまったのです。野生の動物と触れ合うルールはこちらから接近しない。餌をやらないという事です。でもイルカの方から近づいてくるのです。どうも子ども達の事がわかるみたいでひとしきり遊んで帰っていきました。

突然のハプニングにみんな大喜びです。それから毎朝、遊びに来てくれました。その他は一日中何にもすることがありません。ブギボードしたり、カヤックで遊んだり、子ども達はひたすら砂浜で遊んでいました。じりじりと照りつける太陽!その暑いこと!大人は海を見ながら日陰で過ごしている中、一番上の子が穴を掘り始めました。根気よく掘りつづけます。結局何日もかけて大きな穴を掘り上げました。とても満足そうでした。スタッフの子ども達も遊びに来て、その穴の中で仲良く遊んでいました。


大自然の恩寵


スコールが突然やって来ます。その時は一斉に外に出て体を洗います(笑)テントの中が砂だらけにならないように気を付けるのですが、子ども達がいる限り無理だとあきらめました。着替えも必要ありません。濡れた体を拭く必要もありません。朝から晩まで水着1枚です。大きな布さえあれば日差しをよけたり羽織ったり重宝しました。

近くに古代の神殿のような遺跡がありました。歩いて行くと小高い森の中にひんやり佇んでいました。ここは水着ではだめという事で布を巻いて行きました。ハワイ原住民の遺跡で信心深く自然を崇めていたとのこと。この場所にはこの場所の神様がいらっしゃるのだと神聖な気持ちになりました。「お邪魔します」と言いました。

Author:Carol Highsmith[Public Domain]


ある時、誰かが近くのショッピングモールに行ってみようかと言い出しました。お金はすこししかもっていません。でも少し都会の風も懐かしくなってきました。

水着の上にTシャツを着こんで出かけました。足はビーサンです。ちょっと気取った気分でしたが乗るのは荷台。ところがいきなりスコールです。それも強烈な!もちろん逃げ場もなく全員びしょ濡れで笑うしかありませんでした。後ろを運転しているおじさんも私達が濡れながら大笑いしている姿を見て笑っていました。

荷台から降りてきたのは紛れもなく浮浪者!近くをおしゃれした日本人の観光客が通りますがその違いに可笑しくてたまりませんでした。欲しいものはありませんでした。

隣のテントのマヌさんは愉快な人で、タコ釣名人でした。浜辺から長い糸を垂らしてタコを釣るのです。そしてバーベキューして醤油を付けて振る舞ってくれました。小錦に似た人で夫にマッサージもしてくれました。

美味しい食事とハワイアンのギターと歌声、そしてフラ。その上、毎日どこかに虹が出ました。潮の音を体で感じながら寝るのが心地よく、感覚がどんどんクリアになっていく感じがしました。夫も毎朝浜辺で瞑想をして朝日を拝み、海と遊び、イルカと戯れ、星降る夜空を眺めて眠りにつく…そんな毎日でした。


本当に信じられないくらい豊かな7日間でした。気が付けば一度も子ども達を叱ったことがありませんでした。叱る必要がなかったのです。ケンカもしません。仲良く遊んでいます。私たちに必要なのは、急かされることなく自由である事。自分の感覚を総動員しても有り余るほどの豊かな自然がある事だと気が付きました。その事を体が先に感じて呼吸が深くなり、緩み、感覚が研ぎ澄まされてエネルギーもチャージされていきました。自然はこんなに私達を愛してくれている。無条件に、主張もしないでと思いました。

どうして日常でこの環境を作れないのでしょうか?生きるためには必要不可欠のものです。でも、私達大人は忙しすぎて自分を無くしてしまい、この大自然の恩寵を忘れてしまっているのです。この同じ時間に地球に住んでいるほとんどの人は時計に縛られ自分を無くしています。自然はいつもそこに在るのに私達が勝手に切り捨ててしまっているのです。何と愚かな!

悲しいことに7日間はあっという間に過ぎてしまいました。帰る日、計り知れない愛がここに在ることに気づかせてくれた美しい自然に感謝するとともに、日常の喧噪のなかに戻らなければならないという悲しさでいっぱいになりました。私に何ができるのだろうか・・・。


日常の喧噪


又、来た道をピックアップトラックに乗って帰りました。着いたのは近代的なホテルです。部屋に入るときれいなベッドがありました。すぐにシャワーを浴びました。子ども達が「お湯だ―!お湯が出るー!」と興奮しています。ベッドに寝ては「砂がない!」と感動しています。確かに快適です。久しぶりにバスタブに入って贅沢な気持ちになりました朝までの生活が夢のようです。

我が家に戻ってきました。子ども達は翌日から学校です。飛行機が着陸するころからため息をついていました。私も夫もため息です。子ども達はひときわ日焼けして運動会の演技をこなしていました。しっかり充電して来たので集中力が違います。

困ったのは私です。この喧噪に感覚が追い付かなくて苦しくなったのです。両親達も運動会に来るのでお弁当を作らなければいけません。夫は早速ゴルフです。運動会が終わった後ストレスで体が動かなくなってしまいました。電話の音、車の音でドキドキ、何をするのも緊張して自分のペースがわからなくなって寝込んでしまいました。思い出すのはあの海の潮騒。でも私が暮らしているのはここです。

pixabay[CC0]


ただ、人間も自然の一部だという事を肝に銘じ、自然から受けている恩寵に感謝して破壊しない生き方をしたいと思いました。そして、これからも子ども達にその機会を与えていきたいと思いました。

子ども達は今でも、あの時のキャンプが一番楽しかったと言います。何より自由だったと。
でも、周りの人に旅の話をしても誰一人「いいね、行ってみたい!」という人はいませんでした(笑)

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(44)豊かさを感じる

かんなままさんの執筆記事第44弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(44)豊かさを感じる

大切なことは「何でもない自分が豊かである」ということがわかることです。

何も余分なものを持たなければ、「自然が美しい」と感じる心があることがわかります。それが心の豊かさなのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)


あわただしい毎日


今から22年も前、上の子が中学2年、下の子が小学2年生の頃のお話しです。毎日朝5時に起きてお弁当を作り、順に身支度をさせ、送り出したと思ったら掃除洗濯、食事の用意、学校から帰ったらクラブやおけいこ事の送り迎え、追い立てるように食事、ふろ・・・宿題まで手が回らず教えてあげた記憶がありません。

pixabay[CC0]


子ども達も、学校というレールに乗り、あわただしい毎日でした。我が家の鉄則は一緒にご飯を食べること。一緒にお風呂に入ること。寝る前に絵本を読むことでしたが、子どもの成長と共に叶わなくなり一緒に過ごす時間も減っていきました。とにかくバタバタと時間に追われて過ぎていく毎日で、時々家族で映画を見に出かけたり、外食するのが息抜きでしたが満たされないものが溜まっていきました。

無性に自然の中に身を置きたくてたまらなくなりました。夫まで診療中に波の音が聞こえる(笑)と言い出す始末です。


ハワイでのキャンプのお誘い


そんな時、私の知り合いからハワイでキャンプするツアーを企画したから行かないか?と誘われたのです。彼はアメリカ人の舞台演出家で日本に能を学びに来ていたのです。うちの子達は彼の事をサンタのおじちゃんと言ってなついていました。聞けば9月の7日間海岸でテントを張って過ごすというのです。あまりにも唐突でびっくりしましたが、大自然の中に身を置きたいと思う気持ちは高まるばかりです。

とうとう夕食の時に切り出しました。「ねえ、ハワイでキャンプするっていう話があるんだけどどう思う?砂浜で好きなことして一日中遊んで夜はきれいなお星さまを見て、波の音を聞きながらテントで寝るのよ」と言いました。「え?それってずーっと遊べるの?」「行く!」夫は「行きたいけど仕事があるし」「休めばいいじゃん」「え?」「そうだよ。そうしよう。自分で休むって決めるのよ」・・・となぜかこんなことを簡単に決めてしまう我が家なのです。何と10日間医院を休むことにしました!もちろん学校も休み!

pixabay[CC0]


問題は学校でした。何と帰国した2日後に運動会とのこと。本来は猛練習して本番に臨みます。先生は困った顔をされましたが我が子のミラーニューロン(模倣力)に頼るしかありません。

待ちに待ったその日がやって来ました。ハワイの友達が「そんなところに子ども連れでキャンプするなんて危険すぎる!」と驚いていました。それが常識だなと思います。サンタのおじさんを信じるしかありません。

さて、ハワイのホテルで待ち合わせです。5組が参加していました。兄弟、親子、友達、夫婦の参加で子連れの参加は私達だけでした。そこは立派なホテルでしたが、ここに荷物を預けて帽子、水着とタオル、ゴーグル、フィン、シュノーケルだけ持って行くようにと言われました。

要するに服も靴も化粧道具もいらないというわけです(パスポートだけは持って行きます)。その格好で外に出るとバスではなくピックアップトラックが待っていました。皆その荷台に水着のまま乗って、まるで今から収容所に護送されるかのようでした(笑)。海岸をバンバン飛ばして連れて行かれたのは名もない行き止まりの海岸でした。観光客は皆無、だれ一人いません。

でも、目の前に入り江があって青い海がずうーっと広がっています!その後ろには緑の小高い丘。一目で気に入りました!砂浜には5張のテントが用意されていました。一番大きいテントが我が家です。でも隣に何だか変なテントがあります。なんとそこにはホームレスのマヌさんが住んでいました。交通事故に遭って海で治療しているのだとか(笑)

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さあ、今から7日間、ここで過ごします。トイレはかろうじて道の上に1つありました。水なし。毎日運んできてくれるのですが貴重品なのでシャワーなしです。メインテントで食事を作ってくれるようです。なんだかドキドキしてきました。本当に何もないのです。でも目の前に広がるきれいな海!たっぷりの時間!何より心が躍りました。


全てを忘れて、ただただ感動


海でのんびり過ごしていると、何と夕日が目の前の海に沈んでいくのです!真っ赤な夕日が水平線に沈む様がこんなに美しいとは!顔も赤く染まり光の道の中に自分も入っているような感覚でした。みんな黙って眺めています。感動とともに私の体がゆっくり緩んでいくのがわかりました。見ると子ども達も幸せそうな顔をしています。いつの間にか野良犬たちと仲良くなっていました。

pixabay[CC0]


日が落ちて松明が焚かれました。まわりは真っ暗で人工的な明かりはありません。満天の星でした。カナダに住んでいた頃、カナダの北端にあるインデアンの島で仰いだ空を思い出しました。無数の星がまたたいて流れ星があちらこちらに流れていく様をこの世のものか?と飽きずに眺めたことがあります。私達はこんな星に住んでいて、宇宙にも無限の星があり、みんな繋がっているという不思議一体感に浸ったことが蘇ってきました。

美味しいにおいがしてきました。このキャンプは何もないけど3食ともオーガニックのベジタリアンフードが用意されているのです。料理はどれもおいしく、会話も自然でした。目的は一緒。話しこまなくても分かりあえる人達でした。

後ろの丘から月が上がってきました。満月です!忙しさの中でそんな事すら忘れてしまっていました。その上、大きな月輪がかかっています。何だかこの旅を選んで正解!と神様から言われたような気がしました。

pixabay[CC0]


現地のスタッフがギター片手にハワイアンを奏で始めました。もう一人のスタッフが自然にフラを踊りだしました。なんて心地いい音と踊りなのでしょう!そして心地よい風!サンタのおじさんが何処からともなくバケツを拾ってきて棒に紐を張り、なんと即席のベースを作って弾き始めました。夫もおどけて弾きました。子ども達もフラを真似たりして学校のことなどすっかり、まったく、完全に忘れてしまいました。

やがてそれぞれのテントに行き、眠りました。今何時なのかもうわかりません。寝ているとすっかり仲良しになった野良ちゃんまでテントの中に入ってきて娘達と一緒に寝息を立てています。その臭い事!でも、私達も足は砂だらけ、毛布も砂だらけ、慣れるしかありません。

私はこの展開に感動しすぎて寝付けませんでした。ただ波のざざーっという振動が体に響いてきます。ああ、信じられないけど、ここはハワイ。いつもなら子どもを急かせている時間かも。海の神様、しばらく一緒に過ごさせてくださいと祈りました。いつの間にか全員眠りに落ちていました。

つづく

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(43)私の教育 続編2

かんなままさんの執筆記事第43弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(43)私の教育 続編2

私は自分の子どもがいつも高い波動、徳を保っていられるように、気を付けています。

何かアドバイスができることがあったらアドバイスをして、普段のいい状態を保ってあげること、そのために智恵を貸すこと。

それが私のやっていること、私の教育なのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)


辛そうな息子


息子は朝、辛そうに起きてきて、食欲がなく吐き気がすると言うので本当に具合が悪いのかと思って学校を休ませましたが、様子を見ていると家でケロッとして遊んでいます。そして夜になると、「明日は学校に行く!」と宣言して準備をするのですが・・・朝になるとお腹が痛くなって本当に吐くようになりました。

小児科医の夫と相談して、これは心理的なものが体に出てきている状態だから、好きなように休ませようと決めました。

息子は家では何事もなかったかのようにのんびり粘土遊びに熱中していました。その頃の粘土は残酷物語ではなく、自分のエネルギーが粘土づくりに集中して、次々に空想の世界の動物を作っていました。


息子のいない学校


やがて、ダンスの発表会の日が来ました。息子は行きたくないようで、その日も休みました。娘も発表会に出るので、私だけ発表会を見に行きました。クラスメイトと先生が一緒にノリノリで練習の成果を披露してくれました。見事な踊りでした。拍手喝采で、抱き合って達成感を味わっている先生と子ども達!感動的なシーンでした。

1年前の、あの荒れた子ども達とは別人でした。良かった!という安堵感と同時に、その中に我が子の姿がないのが悲しくもありました。なぜ?息子はこの子達と同じように楽しめないの?という疑問が湧き上がってきます。

何が悪いわけではない。先生も子どものためにしてくださっている。子ども達もあの辛い時期を乗り越えて鬱滞していたエネルギーを一気にダンスに乗せて発散させたのです。・・・でも、息子はこの波になれなかった。なぜ?


息子に聞いても、先生は嫌いじゃない。友達も嫌いじゃない。喧嘩もしていないし、いじめられてもいないというのです。

私は、自分の感情を横に置いて、何ができるのか?何をすべきかを考えました。考えても考えてもできることは1つです。ありのままの息子を受け入れるしかないのです。でも、自分の心がまだそれを受け入れられなくて疑問と諦めきれない期待で大揺れでした。ただ、息子には自分にも言い聞かせるように「行きたくなかったら行かなくてもいいのよ」と言い続けていました。

そして、息子のいない学校に役員として行った時、子ども達の楽しそうな歓声を聞きながら「ここには息子がいない」と思った瞬間涙がぽろぽろっと出てきました。自分の涙を見て自分も苦しんでいると気が付きました。自分の悲しみも受け入れてあげました。自分頑張れ!と思いました。

息子のいない授業参観にも行きました。先生やクラスの雰囲気を見たかったのです。懇談会では先生がプリントを配られ、自分の学級経営について語られました。自主性、やる気を育てる教育法だそうです。全員が手をあげ、自由に発言して教えあう授業です。勉強以外でも子ども達と遊び、信頼関係を築き、クラス一致団結してダンスを創り上げる喜びを味わい、友情を作ります。・・・と自信たっぷりに話されました。なるほど子ども達も盛んに手をあげ、学ぶ喜びに溢れています。お母さん方はいかに子ども達が喜んでいるか、楽しく学校に行っているかなどの感謝の言葉を言われました。

これは何も間違っていませんし、この熱意に感謝です。
でも、その時、我が子の他に6人も不登校になっていることを知りました。


ついていけない息子たち


その瞬間、どこか私の胸の奥で理由が分かったのです。これは確信でした。息子達はこの「いつも積極的なテンション」についていけないのだと。不登校の子ども達はみんなおっとりタイプでした。その当時はまだ体癖のことを知りませんでしたが6種体癖です。家で本を読んだり、マイペースで空想しながら遊んだりするのが好きな子ども達。優しい子達です。ああ・・・この先生はスポーツが得意で、発散型の自分のテンションのまま良かれと思って走っていると思いました。
この先生が悪いわけではないけれど、教師なら子ども達には色々なタイプがいることをわかってほしいと思いました。


でも、その理由が分かったので気が楽になりました。そんなまなざしで息子を見ていたら、家で自由に粘土と遊んでいる姿が実に幸せそうなのです。この子はあの雰囲気に乗れなくて体が動かなくなってしまった。どうしてみんなと一緒にできないのか、確固とした理由がわからないゆえに自分を責めたのではないか?自信を失くしたのではないか?でも、自分を守る術を体が教えてくれた。親はそれを認めて子どもが安らぎ、自分を発揮できるようにしてあげなければいけないと思いました。

他の不登校のお母さん方も苦しんでいました。先生に話してもわかってもらえない。生徒に問題があるとの判断です。子どもを叱って落ち込んでいるお母さんもいました。我が家に集まり、気持ちを共有して整理しました。みんな優しい子達ばかり、親は子ども達を理解して守ろうと話しました。

そして、息子のために先生を排除するのではなく繋がろうと思いました。息子は先生が好きだというのです。その気持ちを汲んで、先生とお茶をしました。

息子のようなタイプのいいところをアピールしました。隠れた才能も披露しました。先生はスポーツが好きだから別のタイプですよねと話しました。そして、我が子は空想して静かにしているのが好きです。だから、学校に行って皆についていけないと思ったら行けなくなります。そんな時は家で見守ります。いつ行っても行かなくても親はこの子を理解していますのでご安心くださいと伝えました。

先生もわかって下さり、息子と握手して帰られました。子どもも安心したのか、次の日から行くようになりました。ダンスには参加せず、土日も家でゆったり粘土をしていました。

親の感情、学校の都合や価値観で息子を追い詰めなくて良かったと思います。子どもを守り、先生に抗議しなくて良かったと思います。そして息子や自分を偽らなくて良かったと思います。

pixabay[CC0]



これは誰かを敵にしたり、批判する問題ではありません。苦行ですが、親ならば息子のありのままを受け入れ、息子の波動を落とさない事を優先する。徳を示す。そして子どもには「先生はダンスが得意だから自分の楽しい事はみんなも楽しいはずと思ったのよ。でもやりたくない事はやらなくてもいいよ。あなたにはあなたのペースがあるからね」と伝えればいいのです。

後は尊重して待つことしかできません。学校とは何か?学ぶとは何か?自己実現とは何か?幸せとは何か?愛と徳を学ぶチャンスがごろごろ転がっています。

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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