命と経済
旭川に3日間滞在した後、今度は電車に乗って石狩平野の真ん中あたりにある小さな田舎町へと向いました。
かつては炭鉱で栄えていたらしいですが、炭鉱が閉山した後の現在では、静まり返った駅前通りに、数少ない店にもシャッターが降りていて、そこはかとない寂しさを感じさせました。日本中の田舎には、このような場所が沢山あるのだろうと思います。日本有数の観光地、北海道に来た観光客のほとんどは、おそらく素通りしてしまうだろうと思われるその町に、私はボラバイト先の牧場を訪ねてやってきました。
「ボラバイト」について、知らない方もいらっしゃると思いますので簡単に説明しますと、「ボラバイト」とはvolunteer(ボランティア)とArbeit(アルバイト)を合わせた造語で、サンカネットワークのサイトから、働いてみたい職種や地域のホストを選び、住み込みで滞在しながらその仕事を体験できるというもの。一応わずかに賃金が支払われますが、お金が一番の目的ではなく、あくまでも、経験や、人との出会い、ふれあいが最大の目的とされます。受け入れ先は全国にあり、宿泊施設から、農家、牧場、カフェ、NPOなど様々なものがあるようです。
(「ボラバイトって何?」http://www.volubeit.com/volubeiter/index.html)
小さいころから動物が大好きで、大人になったら牧場で働きたいというのが、子供の頃の夢でした。酪農王国北海道。念願叶って、牧場で働く機会を得られたことが嬉しくて、牛達に会えるのが楽しみでした!もう一つは、貯金があまりない中で、お金をかけずにじっくり北海道に滞在するための工夫であり、わたしの中では画期的アイディア!また、ホテルを泊まり歩くより、ホームステイしながら地元の人と近く接する方が、そこの地域性や文化が一番よくわかるのではないかと感じています。
広々と広がる牧草地帯。
牧場の朝。
牛舎から顔をのぞかせ、じっと外を見つめる牛。
鉄骨が組み上げられた牛舎内部。寒い日、牛達の息が白くもうもうと立ち上る様子は幻想的。
牧場での仕事は、予想はしていたものの、やはり、かなりハードでした。仕事の内容は、朝晩2回の搾乳作業、牛舎の掃除、サイロからの餌の運びだし、餌やり、牛の誘導など。
朝はまず、牛達を起こし、搾乳場に誘導します。間近に見る牛は驚くほど大きく感じましたが、動きがゆっくりなのと、とても穏やかで優しい性格なので、あまり怖さを感じさせませんでした。その大きな体と艶やかな毛並み、真っ黒いキラキラした瞳がとても綺麗で、そんな牛達が本当に可愛くて、たまらなく大好きでした。
まず、牛達が搾乳に行っている間に、寝床の掃除をします。
牛は身体が大きいだけあって、1日にものすごい量の餌を食べます。(ずっともぐもぐしてる。)当然、出るものの量もダイナミックです!!!寝床の汚れた敷きワラを、通路に掃き出して行き、それを、牧場の方がブルドーザーでまとめて外に掻きだして、一箇所に集めていきます。想像を絶する量の「う・ん・こ」(Dear 8種体癖)が、山のように積み上がっていきます。
それらは専門の業者が引き取って、ゆくゆく堆肥になるのだそう。1つの牧場でも考えられない量なのに、全国の牛糞が集まったら、いったいどれだけの堆肥ができるのだろうと、考えただけで気が遠くなります。(こうした家畜の糞尿の処理がしきれず、問題になっているというのを後日知りました。)
牛舎の掃除が終わったら、搾乳の手伝いに回ります。
遠隔で開け閉めできる扉がついた専用の細い通路と柵があり、一頭ずつ順繰りに誘導して行き、手作業で搾乳器を取り付けていきます。
ほとんどの牛は、自分から進んで搾乳機のところまでやってきます。少量の餌を置いているので、それが食べたいというのもあるのでしょうが、乳を飲むはずの子牛と引き離されていることや、子牛だけでは飲みきれない沢山のお乳が作られるように品種改良されてきているので、こうして一日2回、人工的に搾乳してもらわなければ、お乳が張って、乳房炎になってしまうのだそうです。搾乳作業中、乳房炎になり、抗生物質で治療中の母牛をよく見かけました。そういった牛は、足に印の赤いタグが巻かれていて、搾乳はしてもその乳は全て捨てなければなりません。搾乳機を着けられると痛むのか、一度着けた搾乳器を足で引っ掛けて外してしまうこともしばしばでした。そういった牛には、足かせを着けて、足をあげられないようにして搾乳をします。
子牛は、完全に人工授精で生まれてきます。生まれるとまもなく母親から引き離され、粉ミルクを与えられて大きくなります。生まれた子牛が雌なら、大概そのまま牧場で大きくなりますが、雄なら、どこかへ売られて、食肉として育てられるそうです。「種牛」として大人になれる雄牛は極限られた、優れた血統の牛だけだそうです。歳をとって、お乳が出なくなった牛も同様に食肉に回されてしまうそうです。(平均5~6年)
生まれた直後の子牛と母牛。
お母さん牛が、大切そうに生まれたばかりの子牛の身体を舐めてあげていました。
子牛はよろけてまだ立つことができません。
この仕事をしてみてはじめて、酪農家がいかに大変な職業なのかがとても良く解りました。
ホストファミリーは、とても良い方々でしたし、大好きな牛に囲まれて、雄大な自然の中で、決して嫌いな仕事ではありませんでしたが、仕事を覚え、徐々にいろいろなことが見えてくるようになると、搾乳をしながら、涙がこみ上げてくることもしばしばでした。
「牛は経済動物だから。」
その方たちも、生活をしていかなければなりません。
しかし、現代の社会的なしくみにおいて、命は経済サイクルに利用されるばかりで、牛の心も、それを感じる人間の心も、置いてけぼりで、なんだかそれがとてつもなく悲しいことに感じられました。本当に純粋に心を感じる心があれば、その悲しみや違和感を正当化することは、できなくなるのかもしれません。「余計な心」が入り込んだら、とても回していくことができないから、現代人のほとんどが、その本来の感受性に蓋をしてしまっているのかもしれないなと思いました。
3件のコメント
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最後の”「余計な心」・・・のところ涙になりました。
動物さんも幸せに暮らせる世界になりますように。
み~んな同じ命ですよね。
子供の頃、牛を飼っている家が近所にあり、そこへよく遊びに行ったものですが
子供の私にとって牛の頭はとても大きく感じ、その大きな瞳でギョロッと見つめられると
絶対噛まないと分かっているのに、牛の側を通り抜けられなかったです。。。
ボラバイト。いい体験をされたのですね~私もやってみたい!
ところで、、、
「現代の社会的なしくみにおいて、命は経済サイクルに利用されるばかりで~」
動物もそうですが、なんだか現代の人間もその経済サイクルの中に組み込まれ
子供をはじめ相手の心を感じる暇もない生活環境にいるように思います。
自分のことで精一杯になると、ややもすれば私もその様な状況に陥ってしまうかもしれません・・・
ちなみに。。。
え~自分8種ですが、“「想像を絶する量の「う・ん・こ」”には
決して飛びつきませんよー!!!