月に1回「ママぴよ」というママ達とのおしゃべりカフェをしています。
いつも来てくれるママが娘のWちゃんの事で相談に来ました。Wちゃんは小学4年生。お片付けや宿題は苦手だけど弟のお世話や家族の喜ぶことを黙ってしてくれる優しい子です。多分体癖は4種-6種。
ある日、同じクラスのわんぱく坊主がふざけてWちゃんのお腹を思いきり蹴ってしまいました。うずくまるWちゃん。皆が心配して保健室に連れて行きました。相手は空手を習っていてかなり危険です。親に連絡があり、激しくいたがるWちゃんを迎えに行って小児科に連れてきました。診察して様子を見ていたのですが、夜中に激痛が走り、大きな病院に行きました。
幸い、おなかの異常は見当たらなかったのですが、それ以来、学校に行くとその子が調子に乗ってチョッカイを出す→怯える、という図式になって1人では行動できなくなってしまいました。その子と通学路が一緒なので毎日ママが送り迎えして、学校の先生も総掛かりでWちゃんを守るために張り付く。でも、その子はすきを見て蹴るのです。担任の先生も疲れて心身症気味、もちろんママも疲れ果て「相手の親は謝りもしない」と、怒りの感情まで湧いてきます。
おなかの激痛が治らないので精神的なものか本当に病気なのかの判断がつきかねて、往復2時間かけての病院通いが始まりました。月に一回カウンセラーの親子面談も受けることになりました。Wちゃんはすっかり病人気分で精気を失い3ヶ月が過ぎました。
でも春休みに充電して心機一転、自分で登校しました。ところが又、チョッカイを出されたのです。帰って来るなり大泣きする我が子を見てママも落ち込んでしまいました。4人子どもがいる中でのかかりきりのお世話で、もう限界です。その勢いで学校の先生に「もっと守ってください」と訴えに行きました。
ここまでお話を聞いて、このまま逃げてばかりで皆から守ってもらわなければ何もできなくなるのは問題だと感じました。
Wちゃんは体癖4種-6種ですがママは3種-5種で真逆です。理解するのが一番苦手な相手でしょう。ママは内向的なWちゃんにイライラしています。早く解決したいです。 一方、Wちゃんは蹴られた時に皆が介抱してくれて嬉しかったのか、無意識に内向の想像力を働かせて同情をかう方へ向かったのかもしれません。そしてそこから抜け出せなくなってしまったのかも。
でもこのままいくと本当に弱い子になってしまいます。そろそろ卒業の時。このタイミングを逃したら危険です。
「このままだと本当に病気になるよ。もう守るのも病院に行くのも卒業したら?それよりも、Wちゃんは誰にも傷つけられる存在じゃないし逃げ隠れする必要もないと励まし、1人前の素晴らしい存在として接してみては?今がそのように成長するタイミング!」とアドバイスしました。ママは持ち前の明るさと、行動力で早速そのように接したようです。
2週間後、事件がおきました!
体育の授業で体を動かした直後、エネルギー発散の波に乗って衝動的にその子に体当たりしたらしいのです。
家に帰って来るなり「○○君を振り回した~。そして仲直りした!」と元気に話をしてくれたそうです。鬱滞したエネルギーが一気に噴き出して驚く展開になりました。最終的に自分で解決できたことが自信になったようです。その日からケロッと登校できるようになりました。
実は自分でも抜け出したいけど、切り換える術と行動力が足りなかったのだと思います。そんな時は自分の足で立たせて、一人前に扱って、あなたはできると背中を押す必要があります。勇気がいりますが、これが成長の後押しです。
さて、自分で乗り越えたWちゃんは病院に行き「卒業の報告」をしたそうです。そして自分で解決できた成長の記念にママからペンダントを買ってもらいました。今度又、一歩自立するのが怖くなった時に、このペンダントを見て勇気を持つことができるでしょう。私はママにも「我が子の成長をしっかり支えたで賞」をあげたいと思いました。
それにしても、学校は様々な体癖の子が自分の本領を認めてもらえずストレスを抱えて、ぶつかり合って混乱を深めています。
こんな悪循環に「エンガチョ!」
小学校のうちは教科別授業ではなく、科目や時間に囚われず子どもの成長と好奇心に合わせて同じ題材でも切り口を算数や国語、生活、社会、自然科学・・というように自由に組み合わせて少人数で学べるようにしてはどうかと思います。これは知的好奇心を伸ばす質のいい遊びです。先生の力量がいりますが、先生は体癖を学び、子どもの立場に立った学びの道案内人になってほしいのです。
エンガチョは子どもの遊びの呪文で不浄のものを切る事。
(地方によって違います)
(挿絵:あい∞ん)
2件のコメント
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野口晴哉氏の「病人と看護人」を思い出しました。
4人兄弟で存在感のうすかったWちゃんが、注目を浴びる快感から抜けられなくなった状況を、よく見ぬかれたと思います。
また最後に触れられた、小学校の授業についての提案。いいですね。
これなら、子どもたちも興味をもって楽しく学ぶことができると思います。
学校の先生に体癖を勉強してもらいたい、私も同感です。
ぴょんぴょん先生!
いつもコメントありがとうございます。
最近、つくづく思います。
子育ては神聖な仕事だということを。
乳幼児期は家庭や地域で愛され、自然とふれあい自由に遊び
7歳くらいになって小学校に行きます。
そこではベテランの先生と新米の先生が2人体制で家庭のような居心地のいい環境を作り、
切れ目のない視点で授業を組み立てます。
例えば遠足に行くなら、どんな場所で何をするのかテーマを決め、
どんな乗り物で、時間は?お弁当は?ごみは?いくらかかるか?どう感じたか?何を着ていくか?天気は?危険は?絵や文章で表現するには?・・・など興味や年齢で展開できますよね。
これが切れ目のない授業だと思います。
子どもたちに、人生や暮らしをいかに豊かなものにするかの視点を与えたいのです。
中・高校では生き方を語れるような尊敬してあこがれる先生が欲しいものです。
徳や体癖の授業もあります。
記憶中心の学力テストで子どもを評価するのではなく子どもの成長をはぐくむ総合的な視点で育ててほしいと思います。
子どもはそれくらい丁寧に育てる価値のあるものです。
ああ、これは私の夢?