Q&Aコーナー(質問と答え)

これまでに寄せられた質問と回答をまとめています。

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教育プログラム

「品格」の持つ性質

質問

愛と野心は「根源的動機」、徳目は「行為、言葉、思考の傾向」と考えます。また、品格、愛・野心、徳目の関係はヴァータ、ピッタ、カファの関係に似ていて、品格は愛・野心と徳目の両方の性質を持つと考えていますが正しいでしょうか?

回答

前提に誤まりがあるようです。
教育プログラムは哲学ではないので、言葉の領域では理解することが出来ません。
教育プログラムの愛・野心、品格、徳目等は意識の展開の理論(サーンキヤ哲学)と関係しています。
まったく異なる概念から出てくるものです。

回答日: 2015年04月26日

「支配欲」とは何か(1)

質問

「支配欲」の「支配」の対象に自己は含まれないように思いますが、正しいですか?

回答

自己をどう定義するかにもよりますが、自己をプルシャなどの意味とすると支配の対象になり得ませんが、魂(幽体、原因体)を自己とすると支配の対象に含まれます。ヨーガ行者は意志の力によって、これらを支配しようとします。

回答日: 2013年09月23日

「支配欲」とは何か(2)

質問

支配の対象になり得る自己とは自性(プラクリティ)以下と理解してよいでしょうか?

回答

自性(プラクリティ)より下と理解して下さい。従って原因体・幽体・肉体も支配欲の対象になります。欲望のすべてが悪いのではありません。食欲・睡眠欲・性欲・向上心・学習意欲…等々正しく満たされる必要があるものが多いのです。欲望には正常なものと異常なものがあるわけです。さて、幽体・原因体を含む心の支配が異常なものになり得ること(支配欲)ですが、例えて言うと、子供を育てる際に、厳格で、子供に対して過ちに対しては罰を与え、(両親から見て)正しい行為には褒美を与えるという育て方をすると、子供は異常な育ち方をします。子供は他人の目を気にするようになり、躾が厳格であるほど、親の手の届かない所で悪さをするようになります。親は、子供に愛情を注ぎ、子供の話に耳を傾け、子供をより深く理解しようとするだけで良いのです。子供は親から受け取った愛を栄養として心を正しく育ててゆくからです。子供に対して躾をする必要なく、家庭は完全に調和します。子供を怒る、叱るという場面がないのです。
これと同様の事が心に対して起こります。正しく心を見守ると心を支配する必要がないのです。しかし、ヨーガ行者は厳格な父親のように心を支配下におこうとします。

回答日: 2013年09月25日

「権力欲」と「支配欲」の違い

質問

権力欲と支配欲を区別していますが、違いを教えてください。

回答

私が使っている権力欲と支配欲の区別は、支配という言葉の意味に次のように区別があることです。

A.ある地域や組織に勢力・権力を及ぼして、自分の意のままに動かせる状態に置くこと。「異民族のー」「諸国をーする」
B.ある要因が人や物事に影響を及ぼして、その考えや行動を束縛すること。

従って、Aの意味を権力欲、Bの意味を支配欲と呼んでいます。簡単に言うと、より大きな力を求めるために権力を求めることを権力欲。立場の上下に関係なく対象を支配しようとすることを支配欲と言っています。
例えば、より高い役職につこうとするのが権力欲、妻が夫をセックス等を用いて巧みにコントロールするのが支配欲です。

回答日: 2013年09月23日

「権力欲」の定義

質問

『大辞林』では、権力を「他人を支配し従わせる力」と定義していますが、竹下先生の定義もこれと同じですか?また、富や名声を得たいという思いの背後に、それによって他人を支配し従わせたいという思いがあれば、それは所有欲や名誉欲と同時に権力欲にもなりますか?

回答

権力の意味はこれで良いと思います。後半はその通りです。

回答日: 2013年09月23日

どちらの祈りがより有効か

質問

徳目を上げる祈りと、カルマ軽減の祈りとは、どちらが有効でしょうか!?

回答

カルマと徳目は別なので、どちらが有効かは答えられません。

回答日: 2017年05月02日

ゴキブリへの対応

質問

ゴキブリはどうしたらいいでしょうか?
愛の5相に「全生命への愛」があり、対応に困っています。

回答

あまり、生真面目に考えなくて結構です。ゴキブリは食べ物にありつくことが出来ないように、キチンと食品をガラス瓶等に入れて保管するようにすると、家から出てゆくということを聞いたことがあります。このような高度な食品管理が、3種の妻のわが家では不可能であることは言うまでもありません。わが家では、出来るかぎり直接プラスチックケースのような物で捕えて、別の場所に移動してもらっていますが、数がふえすぎて困った場合には、ゴキブリホイホイを使っているようです。ですが、これは最後の手段なので、出来るだけ使わないようにしています。あまりこの手の問題を生真面目に考えると、布団を干す事も出来なくなりますので、融通をきかせて下さい。

回答日: 2014年06月02日

サハスラーラ・チャクラに光が入るイメージとは?

質問

教育プログラム(7):内面の浄化法について、サハスラーラ・チャクラに光が入って来るイメージとはどんな感じなのでしょうか?

回答

内面の浄化は、サハスラーラ・チャクラに光が入り、神経叢のチャクラのルートを通して下り、全身に光が拡がるイメージです。最初のサハスラーラ・チャクラに光が入るイメージは、頭頂の1メートルほど上方に光の球体があり、その光の球体まで意識を持ち上げると、光がサハスラーラに入るという感じです。

(シャンティ・フーラ注:質問者の方からは、瞑想法のひとつである「軟酥の法」のように行うのか?との質問もありました。竹下氏によれば『「軟酥の法」は丹田呼吸法の一つで、コツを掴まないと難しい。そして、内面を浄化する際のサハスラーラ・チャクラに光が入って来るイメージとは異なります。』とのことです。)

回答日: 2023年11月27日

マハリシの自己への愛が変化したのはなぜ?

質問

以前の講義でマハリシは、ニルビカルパ・サマーディを実現することによって、自己への愛をAn(アナーハタ・チャクラ)へと引き上げたと記憶していますが、今回の講義で人間レベルのSw(スワーディシュターナ・チャクラ)と聞き、どちらが正しいのでしょうか?

回答

以前の事なので、少々記憶としてあいまいな部分があるかも知れませんが、マハリシの件についてお答えします。

マハリシの場合、彼がニルビカルパ・サマーディを実現した後から一週間後の間を調べたように記憶しています。このとき彼の自己への愛はアナーハタ(人間レベル)です。しかし、2000年元旦の調べだったと思いますが、この時はスワーディシュターナ(人間レベル)です。レベルを計る基準が変化しているわけではありません。

回答日: 2012年08月30日

徳目の浄化の際の祈り方

質問

徳目の浄化の際、顕在意識、潜在意識、無意識、身、口、意の6つ毎に分けてお祈りするのでしょうか?
例えば、「母なる神様、私の顕在意識の非暴力を引き上げてください」
「母なる神様、私の身の非暴力を引き上げてください」など。
それとも、「母なる神様、私の非暴力を引き上げてください」だけでよいのでしょうか?

回答(シャンティ・フーラ)

顕在意識、潜在意識、無意識、身、口、意の6つを分けずに「母なる神様、私の非暴力を引き上げてください」という1種類の祈りを6セットすることで、非暴力の徳目が1段階上がるとのことです。分けずに唱えていただければ結構です。

2017/5/2追記:人によっては1セットのみで、1段階上がることもあります。とのことです。

回答日: 2010年12月09日

愛の相は一度上がったら下がらないのか?

質問

マハリシの愛の相がAnからSwになっていたとの事ですが、愛の相が下がったということは、モナドが転落したからでしょうか?
愛は基本的に下がらないが、モナドが転落するとその様なことが起きるのでしょうか?

回答

良い質問をありがとうございます。

私自身がこれまで愛の五相は一度上昇すると下がらないものと勘違いしていたことによる誤まりです。今回のマハリシの件で愛の五相は変化することがわかりました。勘違いの理由は、個人的な愛の相が一度上昇すると下がらないことによります。例えば、AさんのBさんへの愛は一度あるレベルまで上昇すると下がらないのです。このことから愛の五相も同様に下がらないと思っていたのですが、それが誤まりであることがわかりました。訂正しておきたいと思います。

しかし、個人的な特定の対象に対する愛の段階も、基本的に一度上昇すると下がらないはずなのですが、絶対に下がることがないかはわかりません。

私は霊的進化の段階は一度上昇すると下がらないと思っていたのですが、今回の天界の改革で、モナドが下のシステムに転落すると進化段階が一旦ゼロになりシリウスシステムにもどった時に、以前の段階にもどされることがわかり、進化段階がけっして下がらないということではないことを知りました。従って個人的な愛の段階も絶対に下がらないということではないのかも知れません。

回答日: 2012年09月01日

教育プログラムで自分を縛ってしまう 〜 救済手段の二面性

質問

竹下先生のおっしゃる教育プログラムを用いての内面の浄化法が、私にとっては「こうあるべきだ」「こうでなければならない」と自分を縛るようになり、怖れや罪悪感、完璧主義といったネガティブな姿勢に縛られてしまい、効果が感じられません。
どうしたらこのようなネガティブな考えから解放されますか?

回答

とてもよくわかります。心の浄化の必要性を説いて、その具体的なメソッドを示さなければ、多くの者たちは、特に自分が解脱者であるとか、悟りを得た聖者であると信じている者には、心の浄化の必要性を感ずることはないでしょう。実際に非常に多くの自称・聖者が最後まで心の浄化に取り組むことなく、滅びてゆきました。教育プログラムは人間だけではなく、神々や天使たちに対しても、またすべてのシステムの神に対しても教えられているのです。教育プログラムに示されている方法論に従えば、自身の心の浄化の度合いが、客観的に理解出来ます。

そして、その必要性も理解出来るのです。しかし、どのような方法論、救済論も、それを用いる者の心のあり方で、逆に作用しかねません。教育プログラムで、徳目を上げたので、自分は高い役職につけるはずだとか、自分は努力が足りないから滅ぼされるのではないかという新たな恐怖を生むという具合にです。このようにあらゆる教え、救済論には科学と同様の二面性を持ちます。

カルマの負債を少しでも減らすために、“カルマ軽減の祈り”を教えれば、それを誤って使い、さらに負のカルマを積むものが出てきます。
教えとは、そのようなものなのです。それは、真実の半分しか包めない言葉によるものだからです。あらゆる人に正しく作用し、善のみしか生み出さない教えは、言葉を用いて語られる以上存在しません。

これが言葉の限界なのです。私の言葉を正しく受け止める人たちは、言葉と哲学、あるいは論理の整合性を信じている、あるいは理解しているのではありません。ただ愛が真理であることを体現しているか、または信じて疑わないのです。
私にとって、そのような人たちだけが親友、あるいはガールフレンドと呼ぶ人たちなのです。

こうした言葉を越えた事柄は、詩や音楽、そしてダンスの方が、より深く、多くの人々に伝えられるのかも知れません。タゴールの詩、ヤン・リーピンの舞踊などは、私と同じことを伝えようとしていると思うのです。しかし、どのような表現も、それを受け入れる感受性を、我欲によって閉ざしている人たちには、まったく通じないのです。

回答日: 2013年01月26日