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いつもありがとうございます!
竹下先生のお話はいつも調子を整える為に見ています。
暗い話しでも私はツボにはまってしまいます。
大自然と近くにいる事、これが大事。
竹下先生は必ずこの事が思いにあるので、私は安心していつもみています。
なぜなら私は大自然こそが神であり、先生だと思うからです。
やれ、天照だ、空海だ、釈迦だ、アセンデッドマスターだ、色々な知性の高い歴史上の方々がいらっしゃいますが何者なんでしょうか?いったい何処の星からきたんでしょうか?
偏差値低い人間に中途半端にレベル高い事教えて行くから地球がめちゃくちゃになりました。
もしかして、この方達も実は。。。
本当の神々は、実は近くにいて、そして何も言わないのだと思います。
これからも竹下先生、スタッフの皆様応援しています。
自分に与えられた環境のなかで自分を見つめる、自分の心を浄化していくこと。本当に完成している人は目的を持ちそうになったら捨てる作業をする、などの言葉にすごく納得できました。
バクティヨーガの回をもう一度見直したくなりました。
私は教員ではありませんが、大学生と過ごす日々を送っています。
1人1人にちゃんと気を配るということがいかに大事か先生の講義を聞きながら噛み締めていました。
実際にやっていくと本当に難しいです。
今回の講義はよりハッ!とすることも多くありました。
教育や部活動を通していかに生徒をコントロールしていくということに重きを置いているように思われる今の学校での現状で教育機関と教員の価値観とこの講義を通して竹下先生から学ぶ価値観がいかにかけ離れていることか、、、。
子供が将来教員になろうかと思っているようです。
今は中学生でもう少し先になると思いますが、いつかこの講義を一緒に見たいと思っています。
大切なことを先生の講義を通してですが伝えていきたいです。
おもしろかった〜!
カラー革命のこと、
めっちゃよくわかりました。
今も、世界各地でやられておりますが、
ソロスの資金提供は、
そういう理由だったのか。
一番衝撃だったのは、パイプライン!
これが戦争の火種だったのか。
そして初めて耳にした「逆イールド」。
この後、景気後退する理由もよくかりました。
「なんでそんなに乱れるの?あんたの中に欲望があるからだよ!」から始まる言葉がグサグサと突き刺さって息も絶え絶え状態、虫の息状態で視聴しました・・・(例えです)
欲があるから思考が見積り書を作り出す、ほんとその通りです、、、、とうなだれてました。
自分の心を常に見つめることが修行。納得しました。
元教員、紆余曲折あり今は0歳から高校生までの子どもとその親に関わる教育(学習塾)の仕事をしています。
講義丸ごと一本教育のお話、ありがとうございます!!
子どもが小さいほど、低学年ほど、教育者は人格者でなければならないとのこと。自分が人格者かどうか、生真面目に考えこんでしまうとお仕事出来なくなりますね…。でも天職と思っているからには、少しでも人格者に近づく努力をし続けないとですね。とにかくはヤマ・ニヤマを守り、ガヤトリーマントラを欠かさないようにしようと思います。
ところで、気を欲する子、たくさんいます。家庭に恵まれた子が多くみんな可愛いです。でも東京都内の受験塾も乱立する地域で、両親たちはますます共働きが当たり前、幼少期から子どもたちは沢山の習い事。疲れている子どもも多いです。お母さんに言いにくいけど、早く帰って家でゆっくりしたいってこぼす子もいたり。心が痛みます。
子どもたちの心が少しでも安らぐよう、全ての子どもたちに気を配っていきたいと思います。満足した子は自立が進みます。
竹下先生の話を聞いて、確信しました。将来は、優しい眼差しのおばあちゃん先生になりたいかなあって。
それぞれのサマディの段階の解説を聞きながら道のりが遠く気が遠くなりそうでした。
竹下氏の解説でヨーガスートラのわけのわからなかった文章が少しだけわかったような気になりました。
それとサマディ体験のお話にめちゃめちゃ笑いました^^
欲があってそのことをずっと考えている状態、ろくろが回り続けている、のたとえ話がわかりやすかったです。
強烈な光が入ってそれらのものが消えて意識だけの状態になる、その強烈な光は時事ブログとかで言われていた宇宙からの光が人類に流れ込んできている光のお話と同じなのかな?いやそれとは違うかな~とかいろいろ考えてしまいました。
悟りって、『やっぱりそうだよな』ってことかなと解釈しました。
現代社会のように、人間の相互利害や利便性のため益々複雑化していく中で、
生命が生存のために上手に周囲の環境に順応しなければならない宿命の中で、
単にそれらに巻き込まれ過剰に生存適応するのではなく、魂の本心に気付くこと、
また気付きながらなお愚直に生きる事、それが悟りのように思いました。
その意味では、悟りには魂が必要なのかも知れないと思いました。
私などは、日々過酷な快適生存競争の中、巻き込まれっぱなしで周囲を悪く捉え
たりと恥ずかしながらさんざんですが、でも全く愛がない訳でもないと感じています。
ただ、ほぼ生存と一体化してしまうと、人生に光も艶も感動もなくなってしまい、
そういう人は、はるかに深い愛を持った方々から見ると、相対的に魂(光・愛)が
無いように感じるのかも知れないと勝手に解釈しています。
今回のようなお話を、以前より一貫して確信をもって発信し続けておられる方は、
やはりそのようなお方なのでしょうと思う今日この頃でした。
そのようなお方でないと、そのようにできない、と私も思いました。
以上は私の拡大解釈です。