守り残されたアイヌ文化
旭川では、ある古い博物館を訪れました。
「川村カ子トアイヌ記念館」http://ainu-museum.sakura.ne.jp/index.html
こちらの記念館ができたのは1916年(大正5年)。日本で最も古いアイヌ博物館なのだそうです。
この博物館を訪れたのは12月の雪の降るときで、観光客らしき人の姿は他にありませんでした。ほとんどシーズンオフと言っていいようなこの時期に、そもそも開いているのかどうかも心配で、電話で確認をして何時頃に行くというのを伝えてから足を運びました。
着いてみると、平日だったこともあり、他に訪れる人の気配はなく、駐車場にも、庭先に展示してあるチセ(アイヌ民族の伝統的家屋)にも、雪が降り積もっていました。
受付で、黒髪の美しい女性に対応していただき、静まり返った館内をゆっくりと見て回りました。熊の毛皮、アイヌ文様の刺繍が施された伝統的な衣装、鮭の皮や、植物の繊維でできた履物、木や、石でできた素朴な道具類。彫刻や装飾品の写真をいくつか撮らせて頂いて、自分用にアイヌ文様が彫られたアクセサリーと、ウポポ(アイヌの伝統的な輪唱歌)のCDを購入して帰ろうとしました。ところが、バスが来るまでにだいぶ時間が空いていることがわかり、その方のご厚意で受付の事務所内で待たせていただくことになりました。対応をしてくださったその女性は、アイヌの血と心を受け継ぐ方で、伝統的なウポポの歌い手さんでもありました。
私は幸運にもその方と1時間以上にも渡っていろいろなお話をさせていただき、念願だった、ウポポまで教えていただくことができました。上の動画で聴いていただければわかるように、アイヌ語のウポポは、所々ひっくり返すような発声法とテンポ、曲調、輪唱などが非常に独特です。アイヌ語を話し慣れていない者には難しく感じましたが、言語や歌はただ聴いているよりも実際に、声にして歌ってみたほうが、その音の響きの効果を実感できると思います。
きちんとマスターすることはとてもできませんでしたが、それでもその方に真似て声に出してみることで、アイヌ語の持つ音の独特の響きを体験することが出来ました。
文字を持たなかったとされるアイヌ民族にとって、心や歴史、智慧を後世に伝え、残していく上で、歌は非常に重要な意味がありました。こうした口承文芸を文字として記録し日本語に訳し、アイヌ民族・文化の復権に大きな転機を与えたと言われるのが、知里幸恵さんです。(※詳しくは知里幸恵さんについてのWikipediaをご参照ください。)
儚くも、19歳という若さでこの世を去られた知里幸恵さん。まるで、雨上がりの銀の蜘蛛糸を思わせるような瑞々しく研ぎ澄まされた感性で語られるその叙事詩からは、「時代の波に飲み込まれ、滅び行くアイヌ文化」に対する溢れ出る愛と、切実な祈りが感じられ、今も読む者の心を震わせ続けています。
川村カ子トアイヌ記念館のホームページ上に、彼女の著書『アイヌ神謡集』の序章が紹介されていますので、皆様にも是非読んで頂きたく、引用させて頂きます。
『アイヌ神謡集』
序
その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮かべてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀ずる小鳥と共に歌い暮らして蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。平和の境。それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。
太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々として暮らしていた多くの民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・・それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。
その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありあさまに変ろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。
時は絶えず流れる、世は限りなく進展してゆく。激しい競争場裡に惨敗の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強いものが出て来たら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがては来ましょう。それはほんとうの私たちの切なる望み、明暮祈っている事で御座います。
けれど・・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。
アイヌに生まれアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある毎に打集まって私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙い筆に書連ねました。
私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たち同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。
大正十一年三月一日知 里 幸 惠
2件のコメント
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まさに絶妙なタイミングで記念館を訪れられたようですね!
なんとラッキーな。。。
アイヌの人々は厳しい自然の中にありながらも
シンプルに、そして自然と共に幸せに暮らしていたのですね。
ウポポを聞いていても、その一体感と穏やかな感じが伝わってきて
昔、みんなでウポポを歌いながら様々な作業をしたり
楽しんでいた様子が想像できました。
そんな日々が失われてしまったこと、本当に残念でなりません。
これから少しずつでも明るい光が差し込んでいくことを願います。
先日たまたま知人のSNSを見てたら、彼女もこの7月、川村カ子ト記念館に行ってきたとのことでした。
そして、彼女のお母さんが通ってた女学校にも一度来られたことがあるらしく
記念写真も残ってるとのこと。
ひろぱんさんの文章を読んで、私も記念館を訪れてみたくなりました。