船出
2011年の11月、私は北海道に一人旅に出ることにしました。
ひとつは、身体的、精神的な保養のため。ひとつは混乱した頭を冷やし、静かに自分と向き合うため。そしてもうひとつは、違う人や、文化に触れ、自分の世界を広げるため。
もともと、旅が好きだったので、久しぶりの遠出にとてもわくわくしていました。
交通手段としては、新潟から、日本海をフェリーで18時間かけて、小樽へと向かいました。なぜ飛行機ではなく、わざわざ時間のかかるフェリーなのかというと、値段が安かったのと、なにより、「海を見ながらのんびりゆったり船の旅」に激しく心惹かれたから(笑)今思えば、その時自覚していた以上に、自分は疲れていたようです。「のんびりしたい」がひとつのキーワードになっていました。(新日本海フェリー→http://www.snf.jp/)
冬は雪のために実家の店も暇になり、帰りを急ぐ理由もなかったので、心置きなく旅を始めることができました。出港当日は、とてもいい天気で、11月と思えないぽかぽか陽気。波も終始穏やかで、カメラを持ってデッキに出ては、飽きずに夕日を眺めていました。
翌早朝、小樽港に到着。あたりはまだ暗く寝静まっていました。当然、売店も喫茶店も閉まっていたので、とりあえず、その時間帯に唯一開いている朝市に向かい、うに丼を食べながら(笑)夜が明けるのを待つことにしました。
まだ薄暗がりの中、駅まで歩いて行こうとして(結構距離はある)、魚の積み下ろしをしていた漁師(?)のおじさんに、駅への道を尋ねた所、そのまま駅まで送ってくれることになりました!
車の中で、「どこから来たの?」という話になり、「福島です。」と答えると、「えぇっ、こんな時に旅行なんかしてて大丈夫?!」と、なんだかとっても驚かれてしまいました。(こんな時だからこそ、旅してるんだけども。)
福島の内側から、フクシマを見ていた時は鈍感になっていたけれど、こうして遠くの土地に来て、“外”からフクシマがどう見えているのかを改めて知り、はっとしました。
“外”から見るとフクシマはその時、どこも放射能に汚染され、悲劇的、絶望的にやばい状況で、みんなが不安と混乱の中を細々と耐えて、必死に暮らしている、というようなイメージであったようです。なんというか、恐らく感覚的には「紛争地帯」に近いような。その漁師さんからしたら、激戦が繰り広げられているまっただ中の荒廃した土地から、女の子が普通に一人で旅行しに来て、朝から呑気にうに丼食べてる。みたいな印象だったのでしょう。
全てが正しい理解であるとは限りませんが、“外”からの目線の方が、返って、ことの深刻さのレベルにおいては、真当な感受性が働いているようにも感じられました。
4件のコメント
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ずっと眺めていたいような海に沈む夕日ですね。
確かに、福島や東日本の方が県外に行く!
といえば避難や転居などがほとんどだったので、
hiropanさんのように旅をしていると聞けば、
私も驚いたと思います。
でも、頭の中を整理スッキリさせるのに
一旦そこの環境や人から離れるというのは
よい方法だと思いました。
程度の差はありますが、私も時々やります(*^_^*)
こんばんは☆
私も、23才のころ、一人で北海道にいきました。
おいしいものをたくさんたべ、
函館では朝市に昼一にいってカニ丼をたべました。
ゴーヤくらい太いかにが三本ちいさいのがたくさん。
はじめての地においしいたべもの
旅行はいいですね。
うに丼のことをかんがえると、いつかもう一度いこう!
という気になりました。
そういうわけで、
古来ヴェーダから伝わる最強のマントラを
考えました。
略して、
ハラヘリマントラ
はぁー、うに丼、カニ丼、いくら丼
らーめん、そーめん、パスタ、うどん
キャビア、トリュフ、フォアグラはちょっとヤバイ
あんぱん、クリームパン、そしてヒロパン
おーい、ティラミス、ティラミス、ティラミスーゥ。
いまなら、あれです。
108回でいいです・・・・・・
匿名kaz様
「イイネ!」と「参考になった」ボタン押したくなりましたw
hiropan様
ふふふ。世間では変わり者呼ばわりですよ。
以前は、ブログで詩を拝見させていただきました。
いつまでも、こころは若くありたいものです(-“-)
コメントありがとうございます!