【第20回 いざ広島!】 hiropanのAfter 3.11 ~震災後に見えてきたこと~

平和への祈りと着実な一歩

福島に戻ってから約一月後、年が明けて2012年の1月6日、私は再び福島を離れ、東京を経由して、飛行機で広島県へと向いました。バスやフェリーなど、時間のかかる乗り物にばかり乗り慣れていたせいか、飛行機での旅は驚くほど早く、遠いところだと思っていた広島がとても近く感じられました!
広島空港が近づき、飛行機が徐々に高度を下げ始めると、途中通ってきた東京の、無表情なビル群や、排気ガス色の空気、人々のせわしなく行き交う雑踏に感じた息苦しさとは一変して、小さな窓の向こうには、深い緑の山々と、瀬戸内海に浮かぶ島々の息を呑むような美しい光景が広がっていました!
それを見た瞬間、なんだか私は、心底ほっとした思いがしました。

広島 013

その日は広島市内のホテルに宿泊し、Kojika Booksイベント当日の朝を迎えました。その日の午前中、私はある人たちと、初めて合う約束をしていました。
それは、ブログを通して知り合った友人たちで、今回は、同じイベントに参加するということで、「いい機会だから会ってゆっくりお話しましょう。」ということになっていました。
私にとって関東より西はほとんど来たことがなく、中国・四国地方と言えば全く馴染みのない土地でした。年齢も、住んでいる地域も、歩んできた道筋も違う、ブログをやらなかったら接点を持つことが出来なかったかもしれません。

この時はじめてお会いしたのが、現在時事ブログで編集長をされているはっちさんと、
彼女さんのはちコさんでした(現在はご夫婦)。

その後、私達はもう一人の友人であるボサッペさん(当時のブログ名は「光の種」)との待ち合わせ場所でもあった、平和記念公園へと向いました。

広島 018

広島の平和記念公園は、原発事故以来、ずっと来たいと思っていた場所でもありました。
原爆を投下され、一時は全てが瓦礫と化した悲惨な状況から、その後も放射能による様々な苦しみと悲しみをその身に受けながらも、今日まで、平和の祈りと共に見事な復興を遂げた街、ヒロシマ。原発事故後は、その奇跡がフクシマの人々の心の支えとなったケースもあったようです。

慰霊碑の前で、静かに手を合わせると、自然と涙がこみ上げてきました。

「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」

私達は、何をやっているのだろう?

そう思いました。
本当に、何をやっているんだろう?
ヒロシマ・ナガサキに続いて、今度はフクシマ。

本当に過ちを繰り返さないためには、単に、「核は怖い」「戦争はイケナイ」といった、感情論だけではなく、「では、どうしてソレが起きたのか?」といった、国際的、政治的問題に、より深く踏み込んだ実態の追究と、それらに対する正しい認識と理解が、市民の間に広まっていく必要がありました。原爆と原発は表裏一体であり、そこにはアメリカという国の様々な思惑、欺瞞や戦略が渦巻いていて、戦後から現在に至るまで、日本人はずっとそういったレールの上で、当たり前のように、暮らしてきたということが、はっきり理解できたのは、悲しいことに原発事故が起きた後になってのことでした。

原発事故後、多くの人が、事故の真相と、この国の実態に気が付き、真実に目を見開き始めました。本物の情報を伝えてくれる有識者、ネットメディアの存在は、とても大きかったと思います。
しかし、目を醒ましたばかりの私たちにとっては、荒れ狂う情報の海に突然放り出されて、そこから、たったひとりで、真実を見極め、上手に泳いで渡ろうとすることは、非常に困難なことのようにも思えました。
そんな時、震災以前から真相に覚醒め、探究し、そういった情報の海の渡り方や、方向性を熟知した先駆的な人々、ブロガーさん達の存在は、本物の情報を知り、理解する上で、とても大きな助けとなりました。Shanti Phulaの時事ブログでも、竹下氏が、その時その時に合った、的確な情報を共有してくださり、私もそれを読んでどうにか、溺れたりせずに、事の真相に泳ぎ着くことができました。

平和記念公園を後にして、友人たちと一緒に向かったKojika Books主催のイベントでは、そんな竹下先生に学ぶ方々にも多くお会いし、お話を伺うことができました。
それまで、竹下先生の事を知っている方には、あまり多くお会いする機会がなかったので、どんな方が、先生の講義を学び、どんなことを感じておられるのかに、興味がありました。
会場では、お一人お一人と、あまり深くじっくりお話をすることはできませんでしたが、それでも、遠く離れたところに暮らす、様々な年代の人達と、こうしたことを機に、お会いし、ひとつの時間と価値観を共有できたことに、とても不可思議な“縁”を感じていました。

広島

Writer

hiropan

hiropan

埼玉県生まれ。自然豊かな福島県会津地方に育つ。美術大学にてデザインを学ぶ。
2011年、東日本大震災、原発事故を機に、社会の在り方と自分の生き方の方向性を見つめ直し、転換する。2012年、福島から一人旅で たまたまふらりと訪れた広島県の離島、大崎上島へ移住を決断。
現在、小さな畑で野菜や柑橘を育て、ニホンミツバチを飼いつつ、絵や文章を書きながらスロウに暮らす。

3件のコメント

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  1. 懐かしいですね!
    2回ぐらいしかお会いしたことないのに昔からの知り合いのような親近感があります。
    当時はブログで繋がった人と会うなんて想像もしなかったですが(そういうのが苦手なので)、縁とは不思議なものです。袖振り合うも多生の縁って言いますから、2回も会うと、もの凄い縁なのかもしれませんね(笑)。当時も今も若いのに凄いなぁっていつも尊敬しております。

    >どんな方が、先生の講義を学び、どんなことを感じておられるのかに、興味がありました。

    私は今でも興味があります。いつか合宿でもやって熱く語り合いましょう!
    次回も楽しみにしております。

  2. 同じく、懐かしい!
    初期に出会った方達というのは
    なんだか同級生のような感じがします!
    実際に、ボサッペさんとは同じ歳で、深い話しもできるし、とても貴重な存在です!

    >慰霊碑の前で、静かに手を合わせると、自然と涙がこみ上げてきました。

    これは、まったく気づきませんでした!
    ここは「聖地」だと聞いていたので、私は浮かれ気分だったと思います!(笑)
    うーん、やはりモノが違うのでしょうか…w
    こんなに深い想いを馳せていた何て知らなかったです!
    やっぱり人は年齢ではないですね!これからも感性を研ぎ澄まして、私たちにも感じ取った事を還元してくださいね!

    はっち

  3. 振り返れば私もこのようなイベントが始まって、
    それまでの竹下氏のお話会の会場でも顔を合わせていたはずなのに、
    そんな人々や各地で学ばれている人々のことをじっくり知れるように
    なったなぁと思います。
    時々、通勤などで何気なく平和公園の中を通るのですが
    観光で来た知人とじっくり平和公園内を見て歩くと、
    人々の想いが伝わってくるようで、なかなか感慨深いものがあります。
    >「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」
    >私達は、何をやっているのだろう?
    本当に全くその通りだと思いますし、胸に突き刺さる言葉ですね。。。

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