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山本邦子 様
竹下氏からの回答です。
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いくつかのケースがあります。まず自分達がはっきりと闇に属することを自覚している場合です。これは、闇の組織の上層部に多いです。闇の組織の下層の者は、自分が光に属していると思っている者も多くいます。イルミナティの第3階級以下では、酷い拷問を行なっていても、それは、当人が霊智(グノーシス)を得るのに必要な試練だと捉えており、悪と認識していません。また、“相対的な光”の組織の側の者は、自分たちが“大計画”に従っており、3.11等の犯罪行為や、戦争(第3次大戦)に導くことなどを神の意志と捉え、自分たちは神から与えられた使命を遂行している“光の天使”だと思っています。こうした者たちは改心しない限り、すべて滅されます。
(竹下雅敏)
竹下先生 ありがとうございました。
サナット・クマーラが人間として転生に入るのを拒否して、結局は霊体として
京都の鞍馬山に降りて来たということですか?
サナット・クマーラが降りて来たのが、地球と人類の大不幸の始まりだったんですね。
今のアメリカを見れば、どれほどの無茶苦茶ぶりで世界を不幸にしていることやら・・・
神々様はこういうことも全てお見通しの上でのお計らいだったということですか?
竹下先生 ありがとうございました。
ある人達は、普通の人から見たらそれは立派な犯罪行為ですよって思う事を
毎日毎日延々とやり続けていて、そのことに何の良心の呵責も覚えない。
こういう人達は、自分が闇に属していることを自覚していなくて、むしろ正しいと
思っているのでしょうか?
闇側の人、あるいはそれに属している人は、自分が闇とはまったく思わないんですか?
光を見たら、それが闇に見えるというのでは、その人達はどうしたら救われるのでしょうか・・・
ヤマ・ニヤマは光そのものだから、そういう人達にしてみれば、やはり闇と捉えてしまうのでしょうか。
実在とは相対的により高いものを探しているだけで、結局は始めから全部あるとのこと。実在には程度があると考えることもできますね。
竹下先生 ありがとうございました。
ホツマの神々様がこんなに危機的な状況に陥っていたとは驚きました。
ホツマの神様は日本の神様で、日本人がちゃんと信仰して、お祀りしていかないと
こういうことになってしまうんですね。
今日本が危機的状況に陥っているのは、ホツマの神々様と共に日本人が
居なかったからだと思いました。
とても大事なことを教えて下さり、ありがとうございました。
( ^^) _旦~~
大乗仏教のレベルが低いのは、そもそも霊導している者たちの悟りのレベルが低かったからなんですね。進化段階が高いからといって、決して高く深い悟りにたどり着いているわけではないとのこと。説一切有部などが根絶されたのは政治力だったなんて、この世は本当に天界の写しですね。
いかに実体の無いものに皆がしがみつき、この世界が動かされているか。思いに巻き込まれた状態は怖いです
禅のお坊さんが今回の改革であまり落ちていないというのは、素晴らしいことだなと思います。少し希望が持てました。
仏教は「苦」からの逃れだけど、その教えでは本当は苦からの逃避でしかない・・・中途半端なのです。
基本は出家だから、でも出家などしたくない。
やはり、日常、生活にしっかりと具体的に生かせる教えではないと、と思います。
これからの講義が楽しみです。
そうですよねーーホログラムの仕組みを知って、ああなるほど〜と思っても、苦から解放されるわけではないもの・・・自己を悟るって、自己って存在を認めないんだから〜、どうなるんでしょうか?
竹下先生は本当に具体的でわかりやすくてすごいです。
ラストの「十人の愚かな大人たち」の寓話がとてもシンプルであってかつ面白かったです。
仏教の無我ってそういうことだったのですね、
存在しないことにした。というのが可笑しかったです。
マハルシの「自己」のとらえかたは、世界は物質と言っているようなものだとは・・・おそれいりました。
とらえかた、関係性を理解するのはとても複雑で、瞑想ってとても大切なのだと改めて思いました。
人の心が変化すると大気成分の濃度が変化するのが確かめられる時代が来るとのこと。江本勝氏の氷の結晶写真も、心が物を変化させる例ですね。
ブラジャーのサイズ表から仏教の「空」を説明するセンスは逸材です。
ウルトラ族による霊導の偉大さも知ることができました。
システムを超えて進化・浮上するプルシャやパラマートマンのことを聞き、サーンキヤ哲学がなぜプルシャ(自己)とプラクリティ(自性)の合一から世界が展開すると説明するのかやっと納得できました。
クローン技術については、竹下先生がご指摘の通り、魂のレベルまで考慮して技術を確立する必要があると実感いたしました。時事ブログによると、宇宙人が作ったグレイなどはヒューマン型ではありませんが魂は動物レベルにあるとのこと。同じことがヒューマン型クローンでも起これば、宇宙の秩序を乱す行為にならないか心配です。人類は既にクローン技術を取得しており、この問題に対処すべく霊的な科学の発展が急がれると思いました。
説一切有部が説明しきれなかった「刹那滅」。もし竹下先生の解釈に近いものだったなら、デジタルが理解されている現代に再浮上してくるかもしれませんね。この世界が無常で必ず変化するのなら、良い方へ変わっていきたいと願います。
自分の各成分の値を感じられるようになりたいですが
一番知りたいのは誰でも「人生の意味」だと思います。
人生の意味はこれまでの方法でも知りえるのでしょうか
全ての個人のありうる人生の意味を網羅したような人生の意味概論
みたいなのがあればいいのに
竹下先生 こんばんは。
解答をありがとうございました! とても嬉しかったです。
ヤマ・ニヤマを意識して、過ごすようにもっと、気を付けます。
やっぱり、意識していると、あっこれを言ったら「嘘」になる・・とか気が付くように
なります。でも、時々忘れますが。
習近平さんと季克強さんはホツマの神様なんですか。
私は1年半前には、習近平さんをずいぶん誤解していました。
真実を知ることは、本当に大事ですね?(笑)
竹下先生 ありがとうございました。
とてもためになる良い講義でした。
この世界があるいは社会が、悪に満ちていて、汚れているのは、闇の連中が仕組んだ世界だから
とか、その配下の者(世界中に数多いる)が悪いことをして、社会を悪くしている・・・
とか、お前達がすべて悪いんじゃ~~と、単純に責めてばかりではいけなかったんですね。
自分の心がどうなのか・・・澄んできれいな心をしているのか・・
と考えると、反省するべきことが多々あります。
本当に世界・社会を良いものに変えたいと願うなら、まずは一人一人がきれいな心になって
真剣に願ったら、たとえ闇の悪人がどのような悪巧みを仕掛けようと、世界は良い方に変る、ですね!
集団意識を働かせるんですね。
どんな命題も4通りの解釈が可能だが、無意識レベルに到達していたマイスター・エックハルトはそれを理解していたとのこと。ベン図を用いた説明がわかりやすかったです。命題に少し言葉を補えば、4通りの解釈を区別できると思います。
山本邦子 様
竹下氏からの回答です。
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私の言っていることを信じるか否か、あるいは私を信じるか否かは何の関係もありませんのでご心配なく。簡単に言うと、“神によって義とされるのは、ただ信仰によってのみである” と信じて誰を敬おうが、ヤマ・ニヤマを守らない者はすべて裁かれます。信仰は何の関係もありません。
私が神が転生にしたものの一人であるか否かはどうでもよい事ですが、世の中には少なからず神が人間として転生に入っています。例えば習近平、李克強はホツマの神です。まったく無名で、本人も自分が神々の1人であることをまったく自覚していない人たちもいます。ただし、神々の転生は割合としては、きわめて少ないもの事実です。私はたまたま事実を知っているにすぎません。
(竹下雅敏)
竹下先生 ありがとうございました。
今回の講義も大変良かったです。
普段自分がどのような意識で生きているのかが、重要なんだなって思いました。
宇宙の愛と調和するのは、自然と調和していないとダメなんですよね。
光は愛であり、すべての源であり、宇宙そのものなんですね。
ありがとうございました。
竹下先生 ありがとうございました。
最初に謝っちゃいます、誠に申し訳ありませんでした!
つまらないことにひっかかり、はたして竹下先生は本当に神様が転生した方なんだろうか?
と、いう思いが頭の中をよぎることが今までありました。
竹下先生は本物だ!とい思いの中で、ちらほらですが・・・すみません・・・
地球と人類のために、転生して導いて下さっているのに。私が死ぬまで地球に留まっていてくれますように・・・
こういうのを、身勝手な貪欲というのでしょうか??
この回の講義は、繰り返し視聴します。とても勉強になり、私にとって大事な講義の内容でした。
ありがとうございました!
「永遠の本体」が竹下先生の定義により、無我説でありながら輪廻も、「刹那滅」も、同時に「諸行無常」と「法体恒有」も説明できて、流石にお見事です。しかし、アートマンを否定している以上、説明はできても真実ではありません。真実が腑に落ちることを鑑みれば、難解で複雑になるほど真理から遠のくように思えました。そうなった場合、前提を疑った方がいいのかもしれません。
映画に例えて解説された、説一切有部の「刹那滅」は確かに面白いと思いました。分類法による致命的な過ちをおかすことなく、この部派が存続していれば、東洋の思想に新たな側面を残していたかもしれませんね。