子供たちの心を感じられますか(3) 〜育児の智慧〜

竹下雅敏氏による教育関係の講演を文字起こししたものです。総合的な情報は「子供も親も両方幸せになれる子育て」のページをぜひご覧ください。印刷やタブレットなどでじっくり読みたい方、音声で聞きたい方のためには電子書籍やMP3もあります。

 今回は、育児教育の基礎となる重要なことがらについて、順に説明していこうと思います。育児も教育も夫婦関係も、要点はみな同じです。なぜなら人間の心の動きは、赤ちゃんも大人も全然変わらないものだからです。ただ大人は複雑に反応するだけで、心の動きは同じです。夫婦関係でも同じです。要するにお互いが「あるがままのあなたが好き」とそう感じているかどうかで、夫婦の仲がうまくいくか、これから壊れていくかが決まりますね。夫婦ではあるのに、そこに冷たい壁のような何かがあるかないかということです。本来の夫婦関係は、恋人同士だった時の感覚がずっと永続する、そうあるべきなんです。途中でいろんな危機がありますね。それはお互いがお互いに対して、「私はお前のこういうところが嫌だ、だから変われ」という自分のイメージを押しつけ合うということです。

子供に対しては、親が「あるがままのあなたが好きなんだ」ということを、言葉でも態度でも示すことが大事です。ですから子供に対しては、特に条件付き的な愛情を示さないことが大事です。「私はお前のことが嫌いだ、ああいうところが悪いところだ、変われ、そしたらもうちょっと愛してやる」という態度です。みんなこうやって育てられますので、その子供は「自分はこのままではいけないんだ、このままでは自分は愛される資格はないんだ」と思ってしまうのです。それで親が思っているように、先生が思っているように、もっと好かれるようになって自分は変わらないといけないと思ってしまう。十分に抱っこされ、あるがままに大切にされる、そういう経験をほとんどもつことなく、子供は育つんです。そして親は子供の顔を見たら、「駄目じゃない、何しているの」ってやる。こんな風に育てられたら、子供は自分を駄目な人間だと思ってしまいます。それで親の愛を勝ち取ろうとして親の機嫌をとる行動をとり始めます。こうしたらお父さんやお母さんは機嫌が良くなる、喜ぶ、じゃあそうしよう、というように育っていくと、その子は主体性というのをもたなくなります。親や先生が喜ぶからそうする、周りに気に入られよう、気に入られようとして、全然主体性がない子供になります。それが一生続けられるわけはないですから、必ずどこかで爆発します。それが第一の反抗期です。そしてその圧縮が大きくて大爆発を起こすのが、中学生くらいになってからの第二反抗期です。

 本当は爆発した方が良いのです。そして爆発して親や教師が問題に気づいて態度を改めれば、子供は変われて、もっと良い人間に成長していくんですが、だいたい親は気づかないで、より押さえつけていきますね。そうすると、今まで間違った育ち方をしてきた子供が、せっかく立ち直ろうとする芽を摘んでしまうことになってしまって、一生直らなくなってしまうんです。精神的な病気を持ってしまうのです。

 精神的な病気というと病院にかかるようなものを考えてしまいますが、私に言わせるとほとんどの成人はおかしい。なぜかというと会社を大事にしすぎる。これは女性から見て非常に異常なことです。今はもう女性の方もおかしくなってきたと思うんですけど、仕事が大事になり過ぎている。常識的なものの考え方をすれば、仕事よりも子供の成長を優先するだろうと思うんです。自分を犠牲にしても子供を大切に育てようと思うものなんじゃないかと思うんです。だけど今は違っていて、自分の欲望を優先するんですね。何故そうなるかというと、親も子供の時からあまりにも自分の欲望を押さえつけられて育ってきているので、やっと自由になってきたら自分の欲望を最優先してしまう。それは大学生がクラブ活動などをやっていて、先輩にしごかれますね。そして自分が上級生になったら、今度は俺がしごく番だという考え方をしますね。もしもう少し成熟した人間であれば、自分がしたいことを押さえてでも、後輩とか子供とかのために良いことをするだろうと思うんです。ところがそれがなかなか出来ない。それはなぜかというと、ずっと自分のしたいことをやらせてもらえないできたためだということです。ですから私は、子供の時は出来る限り、自由で好きなようにさせてあげた方がいい、怒らない方がいいと考えています。

 うちの場合、まず子供を怒ることがありません。一ヶ月に一回あるかないかです。それも激しく怒ることはまずなくて、たしなめるくらいです。それで済みます。子供は自分の思ったことを素直に言えた方がいいのです。これが食べたいというのを食べたいと言う、これが嫌だと思ったら嫌だと言う。私はそれを尊重しているんです。そうした自主性は非常に大事だと思っているので、「食べたかったら食べたらいいから、食べたくなかったら食べなくていいから」と言います。それは一見すると放任に見えるかも知れませ。けれども放任とちゃんと育てるというのは違います。子供の自主性を尊重してちゃんと育てていくのと、放任とは全く違うのです。自主性を尊重するというのは、子供の主体性を尊重して関わることです。だから子供が好きかどうかをちゃんと聞いています。それから子供がどういうのを好んでどういうのを嫌がっているかをちゃんと気づいていることなんです。放任というのは放ったらかしです。子供に対して全く無関心なことです。放任でなく自主性を尊重するようにするのです。これは全然違います。

 自主性を尊重して育てるときに一番大切なことは、〝子供は自分とは違うんだ〟ということを親が徹底的に自覚することです。たとえ自分と妻の遺伝子を半々もっていたとしても、自分とは全く違う存在なんです。性格は全然違います。本質も全然違うんです。全く違った存在として生まれてきます。特に自分の理想を押しつける、自分の夢を押しつける、ということをやってはいけない。自分の夢は自分が叶えるものです。子供の夢は子供が叶えるものであって、自分が出来なかったことを子供に託すのは良くないことだと思います。

 子供の主体性を尊重するうえで一番大切なことは、〝子供の人格を認める〟ということに尽きています。立派な教師かどうかというのは、ここだけで決まると言ってもいいのです。愚かな先生は子供の人格を認めていない、子供を調教する犬か猫みたいに見ていて、そのままでは無能で大人が教えなければ一人前と認めない存在だと見ています。でも本当に良い先生は初めから子供を人格のある立派な人間で、対等な人間だと見て接しているはずです。  子供の要求の方向には、愛情要求と独立要求の二つあることを、これまでも説明しています。大人になっても、愛情要求と独立要求があります。愛情要求は〝あるがままに愛されたい、受け入れられたい〟ということです。「どうして私を見てくれないの」と妻が夫に対して言うのと同じです。そして独立要求は〝社会に認められる立派な人間になりたい〟というもので、この両方を人間は誰でも持っています。

 子供の性格によって、独立要求として自分が認めてもらいたい気持ちが強い子供と、愛情要求として自分があるがままに愛されたい、抱っこされたい、受け入れられたい気持ちの強い子供がいます。それの簡単な見分け方は、普通に立った時に体重がどこにかかるかによります。私のように、体重が後ろにかかっている人は、愛情要求が優先するタイプです。従って内向的です。逆に普通に立った時に体重が前にかかっている人は、独立要求が強いのです。認められたい要求が強いので、そういう人は自分が何かしたことに対して感謝されてほめてもらうことで満足を得ます。妻は前に体重がかかっているので、自分のやったことに対して感謝して欲しい、自分がいることを感謝していると言って欲しいのです。ところが私は推薦している図書「体癖」(野口晴哉著・全生社)という本の中の2種・8種体癖なんです。私は大体意地悪な性格です。特に8種という捻れ体癖は、相手がそうだなと思うと絶対に言わないんです。これが捻れ体癖の特徴です。この本はすごく面白いです。自分の性格を知るという点でも面白いし、よく読むと人の性格もわかって、そうするとこういうタイプの人にこう言ったら喜ぶなというのがわかるんです。わかっていて敢えてやらないのが8種体癖です。

 子供にも体癖がある、うちの子供は9種体癖です。すごく直感力が鋭くて本当のことか否かが直感で見分けられる。だから親が偽善的なことをちょっとでも匂わせたら、もう親の言うことは信じてもらえません。9種体癖の子供を教えようと思ったら首尾一貫していなければなりません。そして全部を語ってはいけません。ところが私のような2種体癖の子供に片づけるように言うときは、「片づけてないと足で踏むだろう、せっかくのお前の大切なおもちゃが壊れちゃうじゃないか。夜お父さんが階段を下りる時があるから、そこに置いとくとつぶれちゃうだろう、そしたらまた買わないといけない、お前も悲しいだろう」と言ったら、「うんわかった。片づける」。これが私みたいなタイプです。ですがうちの子供は9種体癖だから、そんなことを言ったら馬鹿だと思われる。一言言ったらわかることを何で全部言うんだと思う。だから私は「片づけろ」なんて絶対に言わない。気づいても決して言わないんです。すると子供は、ああ片づけないといけないと思って片づけているんです。絶対に「片づけろ」とか言わないで私が片づける。そうしたら子供は「お父さん、ありがとう」とちゃんと言うんです。「ありがとう」と言うということは、片づけないといけないとわかっているんです。そうやって育てていくと片づけるようになります。私の子供が9種体癖だからこうするのです。ですから子供の体癖によって、言って良いことといけないことがあります。私の様な体癖にはあれこれと全部一から説明して「これこれこうだから片づけなさい」「うんわかった」となる。でもうちの子供には駄目です。全部体癖によって相手の誘導の仕方が違います。このことが特に大切になるのが思春期です。こうした体癖による誘導の仕方を知らないと、思春期は全く対応が出来ません。ですから逆に言うと思春期の講座は難しいです。4歳、5歳位になって子供をよく見ていると子供の体癖や個性がわかってきます。こういう本をしっかりと読んで心理学を勉強しないといけないです。だからこういうのが本当の勉強で、ものすごく面白いです。是非子供が小さい時はこういうことを勉強して、自分自身を知ることが出来る、自分の妻のことを知ることが出来るようになるのがいいです。そうすると自分も知らなかった自分自身のもっと深い部分も知ることが出来るようになります。こういう方が学校で学んだ歴史とか化学よりもずっと大切な勉強だと思うのです。面白くて一生学び続けられますね。

 うちの会社に面白い人がいるのです。先輩で7種体癖なんです。7種体癖というのはケンカ早いので、常に勝とう負けまいとして頑張ります。非常に面白い人で、この前は子供の話をしてきました。「子供がわからないんだあ。うちの子供は背が低いんです。ジグソーパズルをやっていて、親が会社から帰ってくると全部仕上がっている。」これは相当頭が良い、知性的なタイプだ、そうすると体癖では1種か2種の上下体癖だろうなと思いました。ところが背が低くて前後に分厚い、しかもジグソーパズルをやっていて全然飽きないということです。そうすると私の子供と同じ9種体癖だろうと予想がつきます。防御本能が強く、「お前は何でこういうことが出来ないのか」と非難されることを極端に嫌うんです。ところが7種のお父さんは子供が何かをやって出来ないと、無自覚に子供を傷つける言葉と態度を取って、さんざん子供を痛める。それで子供は徹底的にひねくれてしまっている。ところが、ものすごく頭が良くて集中力のある子らしい。家では両親に対してすごく反抗しているそうです。お母さんは保母さんをしているんですよ。「他の子はみんなわかるのにこの子はわからない」と言っているらしい。ものすごくひねくれている。この間聞いたんですが、「昨日大変だったんですよ」「何があったんですか」「あんまりうるさいんで僕は絶対殴らないんだけど、子供を遂に思いっきり殴った」普通の子だったら泣くでしょう、泣かないんです。「泣かないで思いっきり殴り返されて、僕の方がやられてしまった」。大体7種体癖だからケンカ早いんです。カァッとなったらバカーンとやるのが7種体癖ですから、忍耐の限界が来て切れてやってしまった。すると普通の子は泣くんですが9種の子は強い、どんな体癖よりも9種は強いですから、7種なんかに9種は負けない。仕方がないからお父さんは押入の中に子供を入れて鍵をかけてしまった。これで懲りるだろう、「お父さんご免なさいもうしません」と言うだろうと思った。ところがその子はどうしたかというと中から鍵をかけて、「絶対開けるなよ」と言うんで、お父さんの方が参ってしまった。結局、子供と和睦を結ぶしかなかったということでしたが、それだけ聞いたらどうしようもない反抗的で手に負えないガキですよね。ところが私はそれを聞いて、これは育て方が間違っているなあ、将来大変なことになるなあと思ったんです。「幼稚園ではどうしているんですか」と聞いたら、「幼稚園では凄い良い子なんだ、全然ケンカとかしないし、おとなしく遊んでいる」。幼稚園の保母さんが言うには、その子は幼稚園でいつも同じおもちゃで遊んでいる、いつもその子が持っている。そのおもちゃは3つしかないのです。園児がいっぱいいたらおもちゃを取れる確率がほとんどないんです。なのにいつもその子が持っている。「不思議ですねどうしてでしょう」と言っている。そうしたら1年後に保母さんが、「あの子がどうしていつもおもちゃを持っていられるかがわかりました」。凄いんですこれが。他の子がそのおもちゃを持って遊んでいます。そしたらその子の後ろに行って、「僕、そのおもちゃで遊びたい、僕それ好きなの、それで遊びたい、それ僕のだ」と延々と言い続けるんだそうです。その子がどこにいてもストーカーみたいにつけ回して、延々と言い続けるらしいんです。遂にその子からおもちゃを渡してもらってそれで遊ぶんです。いつもこれをやっている。私はそれを聞いて9種だなあ、9種の執念深さだなあと思いました。しかもケンカをしないで取るというのは非常に頭が良い。従って思索するタイプ、頭がすごく良くて孤独を愛するタイプだと、彼の性格が全部わかるんですね。そうであれば、それに合った子育てをしないとけないのに、「お前こんなことも出来ないのか」と親は言っている。

 この前はこの子の父親が、子供を喜ばそうと思ってカブトムシを買ってきた。ところが子供は虫なんかを見たことがないので怖がっている。するとお父さんは、「何やお前、こんな虫も触れんのか」と言って侮辱するんです。子供はものすごく傷ついて、父親が夜寝ている時にわざわざひとりで起きてきて、お父さんのいない時にカブトムシをツンツンして触る練習をしていたそうです。子供は親とは全然違う体癖の性格なんです。ですからそれに合った育て方をしないとひねくれてしまう。「うちは家庭内暴力で苦しんでいるんです」と言っていました。まだ5歳ですよ。私はあんまり見かねて、「9つの性格」(鈴木秀子著・PHP)という本を見せて、「この本の中のタイプ5じゃないですか」と言うと、「これだ」と言っていたので、多分買って読んだんだと思います。良い本を読んだりして、子供の性格とか感受性とかがわかるように勉強しないといけないですね。  子供を理解してちゃんと受け入れることが大事です。「何やお前こんな虫も触れんのか」と親が言っちゃうと、9種は積極的な奇数体癖ですから病気とかにはなりにくいけれど、代わりに家庭内暴力とかを起こすんです。ところが私みたいな偶数体癖の人は内向して病気になっていく。「お腹が痛い」「頭が痛い」といつも言うようになる。これは親が相当子供をいじめて育てている。親はいじめているつもりはなくて、子供には虫ぐらいは触れる様になって欲しいと思う。虫も触れないでおどおどしている子供は見たくない。それでこのような対応をするのだと思うのですが、親が子供に対する対応を誤ると、病気になったり反抗する子供になるということです。

 ところが7歳を過ぎて小学校に行くようになると、ある程度家庭から解放されるので、こういう性質が一旦消えて潜伏します。これが再び出てくるのが中学生位になった思春期頃で、登校拒否、あるいは問題児とかになる。思春期になると幼少期に間違って育てられた子は、積もりに積もって大爆発を起こすんです。これが非行の原因になったり、様々な拒食症とか登校拒否とか性非行とかになります。この時には子供の言い分をよく聞いて絶対に子供の言うことを否定しないようにしなければいけません。よく親が言います。「お前の言っていることはよくわかる、でも世の中はそんなに甘くないぞ」。しかしこれをやったら絶対駄目です。子供は「お父さんお母さんと話しても、わかってもらえない」と思って、二度と親を信頼しなくなります。子供の言い分を全部聞いて絶対に否定しない。確かに生意気な態度を取るし嫌な態度を取るかもしれないけれど、それを全部聞いていると、今までの間違った教育や躾けてきたことがキャンセルされていきます。

「お前の言っていることは青いよ。甘いよ。世の中はそんなものじゃないよ」とやっちゃうとせっかくの子供が自立しようとするチャンスを逃してしまう。そういう人は大人になっても大人に成りきれない。大人に成りきれないとどうなるかというと、世間体を気にするわけです。平均的な大人の像というのは上司を気にしますよね。絶対に犯罪だ、間違っているということを上司にやれと言われたら、「これは間違っていると思うから、僕には出来ません」と言えないです。上司に言われたので仕方がないからやる、それで逮捕されてしまうことがよくあります。これは誰にも嫌われたくないという心理が働いている。これは子供の時にお母さんに嫌われたくない、先生に嫌われたくない、友達に嫌われたくないと思って育ったからです。上司に、同僚に嫌われたくないと思うのは、結局のところ全く未成熟で大人に成りきれていないということです。本当の大人だったら自分が正しいと思ったことは、「これが正しいから僕はこうします」、「僕は家庭が大切だから5時に帰らせて下さい」と言えます。難しいですよ、これは。証券会社とか銀行に勤めている人はみんなサービス労働で夜12時まで働いているのに、「僕は家庭が大切だから5時に帰らせてもらいます」と言ったら、即クビですね。それが出来る人が本当の大人なんです。けれどもほとんどの人が出来ないです。私に言わせると、それは未成熟だからなのです。それはせっかくの思春期というチャンスを潰されてきたからだ、もっと極端に言うと、育て方を間違えられてきたからだ、というのが私の考えです。子供をよく見て良い所を見てそれを伸ばしていく、そういうことがすごく大切なんです。見れば見るほど子供のことがよくわかってきます。子供の欠点だと思っていたことが実は長所なんだ、ということがわかってきます。

 子供と上手くいっていない親というのは、子供をチラッと見て後は見ていないですね。よく見ている時はいつかというと、腹を立てている時です。今から怒ろうとする時によく見ているんです。これはまずいです。心を白紙にして見れば見るほど、親子関係や夫婦関係は良くなります。癌の研究をしている人はずっと研究で癌を見ているでしょう。よく見ていると癌細胞でも愛せるようになるんですよ。癌細胞を見て「愛おしい、守ってあげたい」と言うんですね。これは本当です。「癌というのは人間の体から出しちゃうと死んじゃうんです、私が守ってあげたい」と女の研究者の方が言っていましたけど、そうなんです。癌細胞ですらそうなんだから、自分の子供をじっとよく見る、見る、見るってやっていると本当に愛せるようになります。これがすべての秘訣です。

 そうすると子供が良いことをいっぱいやっていることがわかり始めます。親が今まで気づかなかったところで、「ああこの子はこんなことをやっているんだ、お父さんお母さんを助けようとしてこんなことをしているのか」というのがいっぱいわかるんです。たくさん子供は素晴らしいことをやっています。私が疲れて家に帰ってきますね、私がよく眠れるようにテレビのボリュームを小さくして見ている、おもちゃも遊びたいのを遊ばないで声も潜めて話してくれているんですね。そういうことを配慮してくれているんです。ですがそういう時私は、「ありがとう。僕はすごく感謝しているよ」なんて絶対に言わない、なぜ言わないかというと、子供に直接言ってしまうと、子供は意識的な心でそれを受け止めてしまうんです。すると子供は親を喜ばせるためにそういうことをやるようになってしまうのです。これはまずいです。そうではなくて、親のことや人のことを思いやることが自然に出来るようにするには、こうした言葉をその子の潜在意識が受け止めるようにしないといけないんです。その子の潜在意識がいつ働いているかというと、ボーッとしている時なのです。ちょっとリラックスしてボーッとしている時、意識が私の方に向いていない時に言わないといけないのです。その時に「とも君はいつもお父さんが疲れて帰ってくると、静かにしてお父さんを寝かしてくれているんだね」と言う。「そこに意識を集めるだけにします。そしてある程度間が開きますよね、そうしたら子供はそれを忘れますね、おもちゃで遊びだしてくる、後ろを向いて子供が遊んでいる時、力を抜いている時を見計らって、よそを向いて、「とも君は優しいからなあ」っとボソッと言うわけです。

 直接その子をほめない。これは大変大事なことです。うちはいつもそんなことをやっています。妻が車を運転している、私が子供を膝の上に乗せていると、妻が私に話しかけてくる。「昨日私すごく疲れてたの、だから何時間か寝てた、その時とも君はとても静かにしてくれて、寝させてくれたの」。妻が私に話すという形で子供に入れたわけです。「とも君、すごく優しかったのよ。昨日こんなことをしてくれたのよ」と話す。「ああそうか」と言って何も言わない。そして子供がそれを忘れてふっとリラックスした時に、「とも君は思いやりがあるからなあ」とボソッと言う。その子に向かって言わない。よそを向いてボソッと言うとサッと入る。するとその子は思いやりのある子に育つ。それが秘訣と言えば秘訣で、一番大切な技術なんです。大切なことは思いやりのある子に育てようとして、こういう操作を絶対にしてはいけない。そうではなくてその子がある行為をした、そういう行為をしたことに対して、親が子供の中に思いやりを見い出すのです。この子は思いやりのある子だなあと感じとるんです。ですから親の方にそれを感じとる感受性がないと全然駄目ですよね。そう言う意味でよく見ていないといけない。見て感じ取る。

 子供に否定的な側面が見えたり、嫌な態度やわざと反抗する態度というのがあると、親は怒ったりしますね。でもほとんどの場合は親が間違ったことをしているからなのです。子供は愛情を要求しているのに、仕事や家事に忙しすぎて全く無視してしまった、あるいは自己を主張する独立要求なのに、「何でこんなこと出来ないの、早くしなさい」と言う。こういうことに対する反発であることがほとんどなのです。ですから子供を叱るのではなくて、それは自分に間違いがあるのではないかと思って自分も子供も含めてよく観察して欲しいんです。そうしたらほとんどの場合、親が何か違反をやっています。本当は躾けなくていいことを躾けていたり、言わなくていいことを言っていたりするわけです。

 子供の良い面を見ようとして努力してみてもどうしても出来ない場合は、夫婦関係に問題があって心の中に既に混乱があることがほとんどです。そういう人が子供に優しくしようとしても無理です。夫婦関係を先に修繕しなくてはならない。夫婦両方の心の中に不満があって、その余ったエネルギーが子供を怒る、いじめるということに繋がっているケースが多いです。だから子供のことを怒るのではなくて夫婦関係をしっかりと見直さないといけない。

 子供の態度に否定的側面が見えた場合は、それを子供の性格として受けとめず、一過性のものと考えます。時間がたてば消えていくと考えるんですね。そして、なぜ子供がそのような態度を取るのかを理解しようと努めて下さい。子供をいつもよく見ていて、何か子供が否定的な態度を取った時にはその原因を理解する、そしてその原因を取り除くという形で全部対処するのです。

 うちの話ですが、子供が母親に対してすごくけんのある態度を取ったんです。母親が「とも君、あれを取ってよ」と言うとすごく嫌な態度を取ったんです。明らかに怒っているという態度を取ったのです。子供がそういう態度を取ったということは何か原因があるのです。その原因は何だろうかと私は考えました。先程まで子供が何をやっていたかをずっと思い返しながら、「とも君、さっきはそのおもちゃで遊んでいたよね」「とも君、何か今怒っているだろう」「怒っていない」「怒っているじゃあないか、何で腹立ったんだ?」と話しかける。それでも子供はわからないんです。腹が立っている原因はもう忘れているのですね。だからそれを一緒に探っていくわけです。するとおもちゃで遊んでいる時までは機嫌が良かったのに、その後のあたりからおかしくなっていった。時間にして15分位前だったということがお互い夫婦でもわかります。「遊んでたよねえ、その後何してたん?」「ああそうだ、その後お母さんに何か頼まなかったっけ」と、そうやってお互いに過去を追想するんです。そうするとパッとわかったのです。とも君がお母さんに、「ねえセロテープどこにあるの?」と聞いたのです。そうすると母親がその時に家事をしていて、何か茹でていたんですね。「そこにあるでしょ、自分で探しなさい」 と言ったのです。それに腹を立てているんです。「とも君、セロテープよ、私があそこにあるから自分で探しなさいと言ったんで、それが気に入らなくて腹立てたんでしょう」と妻が言う。すると子供は、「違うもん」と言ったけれどそれが正解だったんですね。そしてそれに気づいたら、子供は機嫌を直して遊んでる。だから子供は何に対して腹を立てたのかに気づけば、それで心の問題に解決がつくわけです。

 ところが腹を立てた原因に気づかないでそれを忘れてしまうけれど、なにかイライラする気持ちが持続し、母親の言うことすること何もかもが気に入らなくなり、ちょっとした母親の言葉に対して、いつも怒りとか腹立ちの反応をしてしまうのです。そうすると親の方は理由がわからないので、何て嫌な子なんだろうと思って叱る。叱ると子供は、自分は受け入れられていない、愛されてないと思い、不安になって、ますます親を試す行動をとるようになる。それで悪循環にはまってしまうのです。

 この場合は、「お母さん、セロテープ何処にあるの」「向こうにあるでしょ、探しなさい」と言ったのが気にくわなかった。それに気づいてからは機嫌は直ったんですが、親としてはそれで終わってはいけないのです。もっと深い所を見ないといけない。何故そんなことで腹が立ったんだろうか、そこまで見ないといけません。要するに機嫌が良い時だったら、「そうか」と思って自分でセロテープを探すのに、何故その時には腹が立ったんだろうかということです。ということは初めから腹を立てていたんですね。腹立ちという気分が先にあって、それでお母さんに「セロテープ何処にあるの」と聞いて、それでお母さんが取ってくれたら機嫌が良かったのに、取ってくれなかったから怒りという形で内向したんですね。何故最初に腹立ちがあったのかということが問題なんです。私と妻はその前に話をしていたんです。私と彼女が非常に楽しそうに話をしていたので、子供はおもちゃで遊んでいたんだけど突然不安になったんですね、私と彼女の間に割り込まねばならない。自分の夫が街でふっと見かけたら若い女性と親しげに話をしている、この時に平然と超然としていられる女性は少ないでしょ。それと同じですよね。私と妻がとても楽しそうに話しているのを、おもちゃで遊んでいたんだけどフッとそれに気づいたんです。「お母さんセロテープ何処にあるの?」私達の話を中断させたかったんです。それで彼女が、「ここにあるのよ」って優しくしてあげたら自分の方に注意を向けてくれて満足したのに、意にも介せず振り向きもしないで「自分で探しなさい」とやったので腹が立ったんです。だから人間の心の動きはそういう風に出来ていますから、心をちゃんと見つめていくと、なるほど子供はこういう風に心を動かすんだな、じゃあ大人と全く同じじゃないかというのがわかります。

 大人も子供も心の動きは全く同じです。そして自分が何故腹を立てたのか、不安になったのかがわかっていない。だからこそ過去をたぐっていって内省していく。何に腹を立てたのかを突き止めていく。そのことによって自分を知ることが出来るようになってくるのです。ですから子供をちゃんと育てることは、そのまま自分を知ることになっていきます。もしこれを徹底してやったら間違いなく、「悟り、あるがままだ」という境地に達するでしょうね。悟りというのは本当は出発点で、そこがスタートラインなんですけど、そこに到達出来るということです。そのくらい子供をちゃんと育てること、自分自身を見つめることは大切なのです。

(講演 1998年11月1日 福岡市)

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【著者プロフィール】

竹下雅敏(たけしたまさとし)

1959年 兵庫県神戸市生まれ、広島県在住。
広島大学理学部・大学院にて 数学を専攻する。夫婦、親子を含めた人間関係、子育て、教育、東 洋医学、宗教、精神世界、政治経済、哲学、その他幅広い分野にわたる知識と、深い洞察力により多くの講演活動を行っている。

著書 「ぴ・よ・こ・と」シリーズ「ガヤトリー・マントラの祈り」(こじかBooks) 監修図書 「幸せを開く7つの扉」(ビジネス社)