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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(42)愛情要求 続編1

かんなままさんの執筆記事第42弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(42)愛情要求 続編1

愛情要求がしっかり満たされている子は、絶対に問題のあるような遊びはしません。

甘えることに対して十分な愛情が与えられていない子どもは、この遊びが危険なものになります。

本当は愛が欲しいのだけれど、その見込みがなければ、叱られてでも親の関心を欲します。一番怖いものは、無関心です。自分がほっぽりだされたような無関心が怖いのです。叱られることでもいいから、親の関心が欲しいのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と」竹下雅敏(著)


学級崩壊と問題を抱えた子ども達


20年前は学級崩壊という言葉が出始めた頃です。それは先生の力量のなさと評価され、出世に傷がつきました。一方で子どもや親に問題があると判断されることも多いのですが、カウンセラーなどの支援体制も法的支援もないまま親子が置き去りにされていました。ひどい場合は親が子どもに手を焼いて警察に連れていってくださいと言うケースもありました。親もまた不幸な育ちをしている人でした。これでは根本的な問題解決になりません。


さて、前回の続きですが、担任の先生は校長先生に話し、私はクラスの保護者ひとり1人に電話をかけました。当事者の親もいます。家庭の問題に介入することはできませんが、何か問題があることは確かです。でも、私はその親を責める気にはなれませんでした。問題を抱えた子どもを救うためにもその親を排除したり孤立させてはいけないと思いました。だから、その親にも同じように電話をして荒れていることを伝え、協力をお願いしました。まずは皆でお楽しみ会をしたいと思ったのです。

ほとんどの親は理解してくれて新たな情報も教えてくれました。その子が母子家庭であること。別の子も貧困であったり、家業が忙しくて親が放任であること等です。その中には我が家に遊びに来る子も何人かいました。親の顔は知りませんが、いい子です。その子があんな態度を見せるなんて信じられないくらいでした。だから子どものせいではないと確信していました。先生もまじめな先生で、話をすればわかる先生だと思いました。


お楽しみ会の開催


前もって参加できる親だけ集まり、趣旨を共有して何をするか決めました。先生も校長先生にお願いして日曜日に学校を開けてもらう許可を取りました。当事者の親も3人くらい参加してくれました。朝から子ども達と一緒に準備します。家にある材料を持ち寄り、皆でゼリーを作り、ゲームをして、本の読み聞かせもしました。「ラブ ユー フォーエバー」という絵本です。「どんなにヤンチャで不良のようなことをする子でも、親はいつでもいつまでも愛しているよ」というメッセージの本です。子ども達も真剣に聞いてくれました。



読んだ後にその子がやってきて「うちの母ちゃんはそんな事一回も言ったことない」と言いました。その日も不在でした。「それは寂しかったね。でも、大丈夫だよ。親は忙しいし、子どもにそんな言葉を言うのが恥ずかしいだけよ。子どもの事を好きじゃない親は1人もいないよ。きっと寝てしまってからこっそり言っているのよ。おばちゃんもそうだよ」と言いました。「うちの母ちゃんも言ってるかなあ?」「言ってるよ!」と言ったら嬉しそうに走って皆の所に行きました。

こんな時はみんな仲良く遊んでいます。説教するのではなく、親も関わり続けて「子ども達の事を大事に思っているよ」と伝えようと話しました。

その後、そんな会を何回かして、先生とも密に連絡を取り続けました。やはり先生は校長先生から指導が入り、毎日その子達の観察日誌をつけて、子どもの問題行動を徹底的に記録して、どう対処したか、反省点、次回に向けてどう取り組むかを毎日チェックされるようになりました。通常の仕事プラスこの作業で疲れ切っているようでした。子ども達にも毎日反省ノートを書かせます。これはきちんと対応していますという証拠であり、監視でもあります。校長先生の指導は、時として現場とのギャップがあり、子どもを信じていないと感じることが多々ありました。

もちろんその日誌等を見せてもらったわけではありません。でも、その観察日誌そのものに子どもへの愛を感じませんでした。向いている方向が1人ひとりの子どもの育ちではなく、自分達の保身のようです。私にはそんな組織に立ち向かう知恵も力もありませんので無視しました。ただ、先生は励まし続けました。その先生には愛を感じたのです。    

一番問題を抱えた子は時々喘息の発作を起こして入院していました。息子と一緒にお見舞いに行くと、いつも1人で寝ていました。病気になって親に構って!と言いたいのかなと感じました。親側に大いに問題があると思いますが、私が立ち入ることではありません。せめて子どもを守ってあげたいと思いました。嬉しかったのは誰も子ども達を責めませんでした。

やがて、その子達も落ち着いて前のようには騒がなくなりました。先生がその日誌を通して子ども達に優しい言葉をかけ続けたのも功を成したようでした。

pixabay[CC0]


5年生になりました。クラス分けがあり、その子達はバラバラになりました。もちろん、担任の先生も変わりました。その先生は1年間学校を離れて異業種体験研修(ほかの企業などで職場体験研修)に行くことになりました。その後復帰して、ずっと子ども達の成長を見守られて成人式にも出席されていました。もちろん私も先生との交流を続けています。


絶大な人気のある新しい先生


さて、新しい先生は男の先生で子ども達や保護者に絶大な人気のある先生でした。いつも子ども達の傍にいて、昼休みも放課後も日曜日も一緒に遊んでくれました。特にドッジボールとダンスが得意で、子ども達とチームを作ることになりました。

子ども達はまるで魔法にかけられたかのように、一気に先生の流れに乗りました。荒れていた子も楽しそうに仲間に入って踊っていました。授業も独特で発表の中身は手で合図します。できた子は自由に教室を動き回ってわからない子に教えます。授業参観でも皆が積極的に授業に参加していました。ハキハキ発表して、やじる子はいません。同じ子ども達?と目を疑う様でした。保護者も安心しました。

やがて秋の文化祭が近づいてきました。このクラスではダンスを披露することになりました。ロック調の音楽で振り付け指導は先生です。放課後はクラス全員で練習。土日も先生と遊園地に行ったりダンスをしたりしていました。


その頃からです。あんなに楽しそうにしていた息子が朝になると食欲がなくなり吐き気を催すようになったのです。

つづく

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(41)本当は反抗期はない

かんなままさんの執筆記事第41弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(41)本当は反抗期はない

子どもが困ったことをやるときには、必ず子どもの心に問題があるのです。子どもは悲しんでいるし、苦しんでいます。

その問題の背後には母親、父親の問題があります。なにか間違ったことを両親がやっているのです。

子どもが見せている態度は父親、母親が一番見たくない自分の姿です。

子どもを叱って直そうとするのではなく、まず、自分を直さないとどうしようもありません。

出典:「ぴ・よ・こ・と」竹下雅敏(著)


4年生の息子の様子がおかしい


もう20年も前、一番下の息子が4年生の時の話です。息子のクラスは1年生の時から担任の先生が病気や産休で次々に変わり、3年間担任の先生が不在の状態でした。そのため子ども達の落ち着きがなくなり心配していたところ、4年生になってベテランの先生が担任になってホッとしました。

ところが、息子の様子がだんだんおかしくなり、家で「くそ!」「ばか!」「死ね!」と言うようになったのです。よく観察していると家族に対してではなく自分で作った粘土の兵士に向かって暴言を吐き、殺しているのです。4人兄弟の末っ子で皆から可愛がられて育った息子の口からそんな言葉が出るのにショックを受けました。何が原因でそんなことをするのかわかりません。話を聞いても「くそ!」というだけです。


授業が成り立たない授業参観



そんな時、授業参観がありました。私は学校の様子を知りたくて参加しました。40人クラスです。国語の授業だったと思います。先生が子ども達に質問をしました。手を挙げた子が答えた時です。1人の子が大声で「違いまーす!」とやじりました。「あはははー!」と皆もからかうように笑います。先生が「どこが違うの?」と聞くと「わかりませーん!」「あはははー!」と瞬時に手を叩きながら笑うのです。

先生がその子を諭していると他の子が椅子をガタガタさせて隣の子にチョッカイを出しました。チョッカイを出された子が立ち上がってケンカが始まりました。先生が大声で止めに入りました。子ども達は囃し立てる子、無視する子・・で全く授業が成り立たなくなりました。

そして、ケンカを始めた子がいきなり「おまえ飛び降りて死ね!」「できないくせに!」と言いました。言われた子は「できる!」「やってみろよ!」のやり取りの後、いきなり教室のベランダに出て飛び降りようとしました。ここは3階です。私達は叫び声をあげました。先生が止めに入り・・。もみあいになり収まりました。

私は顔が青ざめ、自分の気が音をたててざーっと引いていき腹に集中した感じがしました。本気モードに入れ替わったのです。これはただ事ではありません。最近の息子の言動のワケもわかりました。息子は当事者ではないもののこの雰囲気の教室で色々な想いを抱えこみ傷ついていたのでしょう。そして受けたネガティブなエネルギーを発散するには「バカ!死ね!」を兵士にぶつけるしかなかったのです。


授業の現状


Author:ajari[CC BY]


授業が終わって保護者懇談会の時間になりました。先生はまず、この件について謝られ、簡単に最近の様子を話されました。子ども達が荒れている事。1人ではなく5人くらいの子が問題行動を起こすこと。時々授業にならなくなること。個別指導もしています。と報告されて他の議題に戻そうとされました。

私はちょうど役員をしていたこともあり、この状態を知ったからには黙っておれないと思いました。先生の話をさえぎり「授業中に起こったようなことは親としても大問題です。いつもこの状態ですか?予定されていた議題よりこちらが重要です」と言いました。

「現状を教えてください」と話を戻しました。他のお母さんも黙って聞いています。先生は自分が至らない事。赴任当初は良かったけれども次第に子ども達がイライラして授業中に相手をけなし始めた事。それに対処していたら別のところで又始まること。教室を飛び出す子。「バカ、死ね、殺すぞ」は日常茶飯事。でも今日のようにベランダから飛び降りようとしたことはありません、と話されました。先生もその状態に疲れ果てた様子です。

私は話を聞いて、「これはその子だけの問題ではありません。クラス全体が影響を受け、先生や親の問題でもあります。この状況を先生一人で解決できるとは思えません。先生はどうしたらいいと思われますか?」と聞きました。先生は「校長先生とも相談して、できるだけ指導します。申し訳ありません」と言われました。この先生はベテランで指導力もあり、落ち着かない息子たちのクラスに抜擢されて担任になった先生です。保護者もホッとした矢先でした。


一番大事なのは子ども達


pxhere[CC0]


とりあえず「保護者も考えます」と言って帰りました。その夕方、先生が我が家を訪ねてこられました。切羽詰って「お願いです。頑張りますから教育委員会に言う事だけは待ってください」と言われました。この先生は何を言っているのだろう?何を怖がっているのだろう?保身?問題は子ども達の事なのにと思いました。教育委員会に届けて先生を処罰したり犯人捜しをして解決する問題ではない。それより目の前の子ども達が待ったなしの危機的状態にある!と思いました。

私は「教育委員会に訴えようとは思っていません。それより原点に戻りませんか?今一番大事なのは子ども達です。我が子も家で「死ね」などの言葉を吐き、苦しんでいます。原因になった子も理由があるはずです。その子を叱ったり排除しても又同じ問題が起こります。それより先生と親が本気になって子どもを助けてあげませんか?我が子だけの問題ではないのです。先生できますか?先生が本気になるなら私たち親も先生と一緒になって頑張ります。親には私から伝えます」と言いました。

先生は泣きだされ、「ありがとうございます。助けてください。でも、こうなったら校長先生にも報告します。私は処罰を受けて動けなくなるかもしれません」と悲痛な声で言われました。

つづく

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(40)働き方

かんなままさんの執筆記事第40弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(40)働き方

今の瞬間を一生懸命に生きるのです。10年先、20年先を見越して、正しいと思うことをやり続けて生きるのです。

同じことを20年やり続けてごらんなさい。必ず人が聞きに来るようになりますから。

出典:「ぴ・よ・こ・と2」竹下雅敏(著)


ボランティアでやり続けたことが1つずつ市の事業に


この時期、市の事業は来年度の事業計画を精査して予算を組んでいきます。私達は10月ごろから次年度の事業計画を立ててお願いするのですが、ありがたいことに私達がずっとボランティアでやり続けたことが1つずつ市の事業になっていきました。

思えば、自分が子育てしていく中で支援して欲しかったことを当事者意識でサポートし始めたのは30年前。学校がいじめ問題で荒れ、子育ての孤立化が始まった頃です。

ちょうどその頃、小児科を開業するために引っ越してきたのですが、この町に図書館がないことにびっくりしました。子どもが通っていた幼稚園にも月刊雑誌のみで絵本がありませんでした。まずは園長先生にお願いして絵本の会を開き、お母さんたちの学びや交流の場を作りました。

幼稚園も推薦した本を全部購入してくださって部屋も開放してくださいました。1人の保護者が相談に行って、すぐに対応してくださる懐の深さに驚きましたが、その後、この園は素敵な園になり、絵本の会も受け継がれているそうです。

pixabay[CC0]


小学校でも絵本の読み聞かせのグループを作り、地域の民話を掘り起こして人形劇を作った事もあります。子連れで集まり、話し合って脚本を書き、画家のママが舞台を描き、ピアノの先生が音楽を入れて練習しました。懐かしい思い出です。

校長先生によっては親の読み聞かせは社会教育の分野で学校教育ではないと断られたこともあります。そんな時は担任と司書の先生が理解してくださり図書館事業として関わっていました。当時はそんな時代でした。

クラスが荒れたときには親の会を作って皆で支え合いました。不登校の子が増えた時も一緒に考えました。誰かのせいにするのは簡単ですが、それよりも先生と保護者が原点に戻って、どんな子も守りたいと思ったのです。もちろん言うのをあきらめて、ひたすら我が子を守ったこともあります。

どうしてそんな事ばかりしてきたのだろうと思いますが、子育て中の私は子どもから離れた生活は考えられないし、子育ての面白さに目覚めて、気が付いたらやっていたという感じです。5種体癖ですねえ!

でも、次々にそんなことをやるので、地域ではかなり浮いていたと思います(笑)。売名行為!目立ちたがり屋!など逆風も多々!初めはそんな声が聞こえてくるたびに落ち込んでいましたが、自分に正直で野心がなければ恥じることはないと言い聞かせてきました。


子育てと行政


でも、同時に子ども4人を抱えて子育てに悩み、家族関係も含めて生きる指針を求めていました。そんな頃に竹下先生に出会いました。先生の子育ての講話が乾いた大地を潤すようにしみ込んでいきました。「子どもを見なさい。自分に問いなさい。真摯に生きなさい。」と原点を教えていただいた気がしました。

やがて北欧の子育てが気になり始めました。県の事業に応募して視察の旅に出ました。その経験を活かしてジプシーのように公民館を渡り歩いて子育て広場を作りました。

その頃、市から教育委員の要請がきてびっくりしました。学校の事は保護者の立場でしかわかりませんでしたが、縦割り行政の中で子育て現場の人間が教育委員会で発言できる機会を与えられたと思って引き受けました。

正直言って行政は体制で固められています。又、毎年人事異動があって、担当職員によっては事業そのものの意味がなくなることさえあります。何度無力感に襲われたことでしょう。でも、そのたびに自分の気持ちを確認して、やる気が新たに生まれるから不思議です。幸せなのは同じ気持ちの友達がいること。その分野でいつも一歩先を行く先輩が全国にいることでした。

pixabay[CC0]


そのおかげで11年間、私の信念は変わらず、子どもの育ちに焦点を当てて発言し続けることが出来ました。私の小さな発言では体制を変えることなどできませんが関わった行政や学校の先生方とは子どもの事を真剣に話し、信頼関係を築けたと自負しています。

退任の時「あなたほど、叩かれても一貫して子育ての事を言い続けた人を知りません」「あんなに叩かれたら私は怒って出ていく。よく我慢しましたね」と言われて逆にびっくりしました。当の本人は傷つくどころか、子ども達の幸せのために!と思って全く揺らぎませんでした(2種体癖ですね!)。そして、それ以上のことは神様にお任せするしかないという事を知っているだけでも強くなれました。

今は、子育て広場の中で親育ち、子育ち支援に取り組んでいます。初め、新米ママの講座を年に1回認められるのがやっとでしたが、来年度は行政から頼まれて4回開催することになりました。中学校での子育て広場も10年来ずっとボランティアでやって来ましたが来年度、市の事業として認められ、予算も付くことになりました。ほとんどの事業が削減される中で快挙です。自分でびっくりしています。


気が付いたことをやれる範囲でやり続ける


さて、今年も、その仲間と一緒に年に一度の市長と懇談する日が来ました。
最新の子育て事情を話して、産前産後の切れ目のないサポート体制の必要性と、夫婦で子育てをするために育休と働き方改革の話をしてきました。市長から逆に「保育料を無償にする事とそういう支援事業をすることはどちらが優先だと思いますか?」と聞かれました。

私は「保育料を無償化することだけでは子育て支援にならない。むしろ預け易くなって母子分離を早めます。母子愛着形成が最優先です。そんな目先のパフォーマンスではなく、親になる支援をし続けたほうがいいと思います」と答えました。

pixabay[CC0]


市長から「家でがんばっているお母さんへの支援を考えようと思っています」と言われました。去年ママ達が市長と懇談して「我が子を保育園に預けないで育てるからお金を下さい」と金銭要求に行ったと誤解されて落ち込んでいたことを思い出しました。
でも、ちゃんと市長の心に届いていたようです!

自分の人生を振り返ってみたら、気が付いたことをやれる範囲でやり続けて来ただけです。
たとえそれが認められなくても、わかってもらえなくても、現場の赤ちゃんやママ達が喜ぶ顔を見ていたらそれだけで幸せで30年なんてあっという間でした。そしてこれからも同じようにやっていくだけです。

Writer

かんなまま様プロフィール

かんなまま

男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(39)顕在意識、潜在意識とつながるには

かんなままさんの執筆記事第39弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(39)顕在意識、潜在意識とつながるには

人の意識がつながっているのは、顕在意識までです。しかもその顕在意識ですら、普段は使っていません。顕在意識につながって生きるということは、自分の良心に従って生きるということです。ほとんどの人は良心に反した生き方をしており、肉体の表面の意識でしか生きていないのです。
まして、潜在意識にはつながっていません。
リラックスしてぼーっとしていてインスピレーションが働いたときや、夢の中で啓示をうけているときに、潜在意識の扉が開いているのです

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)


潜在意識に聞いてみる


超多忙の年末年始でしたが、ひとつひとつ専念して目の前の事に向き合っていたら、いつの間にか娘家族が帰り、義母の入院生活も落ち着いてきました。そんな時、友人から一通の手紙が来ました。
我が家の年賀状を見て思い出したことがあるとのこと。

私はその年賀状に「探し物が多くなり家の中で行ったり来たりの運動をしています」と書いていたのです。実際、この年末も大事なパソコン用の眼鏡を無くして探し回っていました。おもちゃ箱、引き出し、寝室、洗面所・・・探すのですが見つかりません。あきらめて買いに行こうとしていたところでした。

pixabay[CC0]


友人の手紙には「竹下先生が紹介されたJ・マーフィーの「眠りながら成功する」という本を読んで初めて潜在意識の働きを理解することが出来ました」と書かれていました。(映像配信家族の絆夫婦6163)そして、探し物を潜在意識に聞いてみたら?とのアドバイスでした。

ああ!忙しさのあまりこのことをすっかり忘れていました。絶妙のタイミングでお知らせを頂いた気分です。さっそくやってみることにしました。

まず、リラックスします。そして自分を信頼して潜在意識に繋がるように意識を向けました。言葉は友人が教えてくれた通りに
「私の潜在意識は全てのものと繋がっています。私の潜在意識は全てを知っています。私は私の潜在意識を使ってどこかに忘れたパソコン用の眼鏡を探し出します」と言ってガヤトリーマントラを3唱しました。

後はそのことを忘れます。でも、どこかで釣り糸を垂れている気分です。10分経ったでしょうか、夫と義母が入院している病院に行くことになり車のキーを入れたカゴに目をやりました。
「\(◎o◎)/!」そこに眼鏡があるじゃあないですか!!!

私は思わず「凄い!!恐れ入りましたああ~!」と言いながら笑いがこみあげてきました。あんなに探し回ったのに!それもこのカゴは毎日見ていたのに!見えていなかったのでしょうか?

やっぱり私は表面の目に見える世界だけで生きていたようです!どんなに忙しくても今に専念して、ホッと無になる瞬間を保っていたらスッと潜在意識に繋がることができたかもしれません。私はその間もずっと考え事をしていたのです。忙しい現代人は睡眠の質も悪く、暇な時間は考え事やネット三昧で顕在意識と潜在意識の扉を閉めてしまっている!と一人で納得しました。

そう言えば、ずっと前に飼っていた犬の事を思い出しました。

夏休みに家族で旅行に行くことになり親戚に犬の世話をお願いした時の事です。帰ってきたら犬が鎖を付けたままいなくなっていたのです。多分私達を探しに行ったのでしょう。もう2日も帰ってきていないとのこと。私達は手分けして探しましたが何処にもいません。もう暗くなってきてその日はあきらめることにしました。

でも、諦めきれずに最後に車に乗って近所を一周する事にしました。そして「今からこの近所を一周するよ。出ていらっしゃい!」と心を込めて祈りました。しばらく運転していると道路の奥の家の庭先に何かが見えました。「\(◎o◎)/!!!」居たのです!

鎖をつけたまま私の方をまっすぐ見ていました!車から飛び出して名前を呼ぶと飛んできました。私達は抱きあって再会を喜びました。この時確信したのです。すべてが見えないもので繋がっている。祈れば通じるという事を。

pixabay[CC0]



自分を磨けばここに在る


そう、祈りは潜在意識に繋がる方法です。日常の除霊と浄化の祈りはもちろん、自分の人生を分けるような判断の時や子どもの成長、日常の些細な事までどれだけ祈ってきたことでしょう。でも、祈っているうちに祈っていい事と祈ってはいけないことがあるのを感じました。

例えば日常の祈りでも○○大学に合格しますようにという自分の願望ではなく、私にとって最善の学校に合格しますようにという祈りの方がしっくりきました。私の求めているものは目先の願望ではないのです。実際、○○大学が自分にとっていいのかわかりません。その時の狭い了見で限定した欲を叶えてもらうより、神様にお任せした方がずっと世界が広がります。一時的に願望が叶わなくてもそれが自分にとって最高の学びになることも多いものです。

そして、もう一つ心配なのは、本人は自覚していなくてもフッと思ったことが潜在意識に繋がって、この世界で反映されることです。いくら正論を言っても心の中で逆の事を思っていたらそちらの方が実現されてしまいます。まずは自分を変えるために身・口・意を一致させ、良心に沿って生きていくことから始めるしかありません。

でも、良心って?・・・それが難しいのです!
例えば、義母のために施設に入所させたのか?逃げたいという欲なのでは?と自問します。時には自分が犠牲になっている気がします。これでは自己愛に反します。でもなぜ犠牲になると思うのか?結局自分の野心にたどり着きます。ああ・・そのたびに自分のありのままを見て浄化するしかありません。祈りながら自分を見つめる作業です。


でも、それをやり続けていたら気も軽く、クリアになり、顕在意識は健在!アンテナは高感度!潜在意識の想いが形となり愛や喜びが増えていくような気がします。

このように自分を清浄にして良心にそって生きていけたらいいなあと思います。ホッと自分に戻る時間も大切にします。だって全てと繋がり、全てを知っている自分の潜在意識がここに在るのです。遠くに求めなくても自分を磨けばここに在るのです!

pixabay[CC0]


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男女女男の4人の子育てを終わり、そのうち3人が海外で暮らしている。孫は9人。
今は夫と愛犬とで静かに暮らしているが週末に孫が遊びに来る+義理母の介護の日々。
仕事は目の前の暮らし全て。でも、いつの間にか専業主婦のキャリアを活かしてベビーマッサージを教えたり、子育て支援をしたり、学校や行政の子育てや教育施策に参画するようになった。

趣味は夫曰く「備蓄とマントラ」(笑)
体癖 2-5
月のヴァータ
年を重ねて人生一巡りを過ぎてしまった。
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(38)心で何を想っているか

かんなままさんの執筆記事第38弾です。 
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かんなままの「ぴ・よ・こ・とライフ」(38)心で何を想っているか

日常生活で何を考えているかが大切です。例えば料理を作っている時、仕事をしている時、道を歩いている時に、何を考えているかです。
ネガティブな事を考えていたら、それが潜在意識、無意識に送り込まれていることになります。
想いが潜在意識に伝わると、潜在意識はその想いを実現させる方向にはたらきはじめます。ですので、心の中をポジティブな想いで満たすか、それともネガティブな想いで満たすか、これで人生が変わってしまいます。

特に潜在意識や、より深い無意識で何を想っているかが大切で、根こそぎ全部変えることが大切です。普段の想い、思考を変えないといけないのです。

出典:「ぴ・よ・こ・と3」竹下雅敏(著)


新年のはじまり


明けましておめでとうございます!

新たな年を迎えて孫を乗せた車で家路を急いでいた時、向かう東の空に大きなスーパームーンが見え、背中の西の空に同じ大きさの夕日が映えていました。一瞬しずか様とたま子様に包まれた気がしました。何て幸せな瞬間なのでしょう!
思わず、手を合わせ、感謝と愛のマントラを唱えました。

タカキヒカリノヒメミコ 様
(タマコ)〔太陽、年齢10才〕 〈幽体〉

ツキヨミノヒメミコ 様
(シズカ)〔月、年齢10才〕 〈幽体〉

私はこのような思いもしない出愛(出会い)に何度救われたことでしょう!勝手に思い込んでいると言われたらそれまでですが、忙しく過ごしている時ほど、その瞬間が私自身へのプレゼントであり、励ましでした。「神様が見ていてくださっている!」「ああ・・頑張ってきてよかった!」という確認でもありました。人には言えませんが(笑)


忙しい日々


まあ、聞いてください!
この年末年始も、予想外の事が次々に起こり、笑っちゃうほど忙しい日々でした。

年末は家業や子育て支援事業の次年度の予算などの調整で忙しい上に、孫が6人滞在することがわかっていましたので26日からおせちを作り始めました。定番のおせちとはいえ、買いだし、作る段取りなどを考えるのは結構大変です。買えばいいのにという気持ちがよぎりますが、いえいえ・・・好きなのです。家族が喜んでくれると思うと朝から晩まで作ってしまいます。何だかエネルギーが湧いてきて、モードが変わるから不思議です。

pixabay[CC0]

庭の落ち葉も半端なく積もり、ずっと気にはなっていました。でも、ぜーんぶ散ってから掃くことにしていたので、とんでもない落葉の山ができました。それを畑や木の下に撒きます。「愛しています。愛しています」と唱えながら無心に体を動かしていたら体がポカポカして楽しくなってきました。これで庭も喜んでくれました。

さて、きれいな庭になって家に入ると娘達がやって来ました。でも、娘の具合が悪そうです。そして、私の耳元で「実は4人目ができたみたい。もうつわりが始まっている」とのこと!びっくりすると同時に嬉しさがこみあげてきて「おめでとう!」と言いながらも、これからの忙しさと、娘も4人の子持ちかあという感慨がこみあげてきました。

私も頑張るしかないなと思っていたら、娘が「出血したから病院に行く」と・・。結局、1週間は安静にしなさいと言われて孫達にも「ママは赤ちゃんができて一番大事な時期だから寝てなきゃいけなくなったので協力してね」と話しました。孫たちは大喜び!でも、ママに甘えたい気持ちと不安が交差して、いい子もなかなか続きません。

pixabay[CC0]

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