孫のA君(体癖4種-9種)に戸惑っています。
究極の自己中、興味があることしかしません。
今は恐竜に夢中で、図鑑を隅々まで眺め、字を読めないはずなのに結構理解しています。
そして、自分が思った通りの恐竜の絵を描きたいのですが4歳の力量では思うようになりません。悔しくて泣きだします。他に気を引こうとしても興味がなくて乗ってきません。
熱中している時は邪魔をされたくないので弟がチョッカイを出すと危険です。払いのけます。怒られても平気です。喧嘩する気もいじわるする気もないのですが自分の世界を守るために一生懸命なのです。だから他の子と遊ぶのは好きじゃない。
一事が万事この調子で、協調性のないA君に言って聞かせようとするママは最後には「いい加減にしなさい!」と切れてしまいます。
食事に関しても好きなものだけ。もともと小食ですし、栄養を考えていろいろ食べさせようとしても口を開けません。でも、病気ひとつしません!
この子に躾を・・・と考えたら気が遠くなります。「貸しなさい!」「仲良く遊びなさい!」「好き嫌いをしない!」と強制したら逆に何もできない子になってしまいます。
躾って何かなあ?とあらためて思いました。
躾は読んで字のごとく、身を美しくするものなら一生かけて取り組むもの。ヤマ・ニヤマへの道を教えることだと思います。
でも、ママ達は人に迷惑かけない事が躾だと勘違いしているようです。赤ちゃんがよその子のおもちゃをとり上げたら飛んできて奪い返し「ごめんなさいは?」と謝らせます。ただ遊びたかっただけなのに・・・。学校や社会などの集団生活についていけなくなるのを恐れているのでしょうか?確かに、学校では同じ時間に決まったことを一緒にすることを要求されます。子どもも、大人の言うとおりにして自分勝手にしないのがいい子だと思い始めます。
でも、よく考えてみるとそれ自体がおかしなことです。一つの価値観で縛られた社会に通用するための躾?まがったキュウリは規格外?いいえ りっぱなキュウリです!そんな規格を一方的に決めて選別するなんて失礼な話です。
それよりも自分のエネルギーが向く道から壁にぶつかりながらヤマ・ニヤマへの道を探求していく方がずっと効率的で賢明だと思います。自発のスイッチが入り、自立したい時や失敗した時こそが躾のタイミングです。
それにしても、個々の子どもの幸せを中心に子育てをしていくと親自身や社会の寛容のなさにぶつかります。夫婦の価値観の違いやどうにもならない教育環境も目の前に立ちはだかります。
親はそのたびに自信のない足で踏ん張ります。何が正しいのか問い続けなければいけません。
私がそこで学んだのは「この子の幸せのために」という視点で、世間や自分の思い込みを捨て、現実を受け止めて、なぜそうしたいのかを子どもの立場で理解することでした。その時、役にたったのが竹下先生の講座で学んだ五行類型論(体癖)とアーユルヴェーダーのドーシャ論です。初期の講座から受講しましたが、相手はもちろん自分の事も客観的に見ることができて目からうろこがポロポロ!面白い!そして、どんなに救われたことでしょう!
ところでA君は難しい子だなあと思うけど、集中して遊んでいる時は実に輝いています。まだ4歳。好きなものに執着するあまり、他人とうまくいかなくなる経験を通して自ら学んでいってほしいと思います。その時の苦行に耐えられるようにまるごと愛してあげたいです。
今は集団生活があまり好きじゃないなら、できるだけ自由に過ごせる環境を作ってあげようと思います。特にA君のように個性の強い子は幼稚園や保育園を選ぶべし!
そんな園がないならその環境を求めてアクションを起こすことです。素敵な本に出会ったり、人に出会ったり、家で出来ることもたくさんあります。
幸いA君が通っている幼稚園は自由を尊重してくれます。身を守るためにあやしい恰好してバスに乗っても何も言われません。お気に入りのトラックでいつも遊び、給食を食べないと隣の女の子が「あ~ん」と口に入れてくれるそうです。それを嬉しそうに食べているらしい(笑)。
子どもなりの動機が面白い!
まだまだこれからもびっくりさせられそうです。
(挿絵:あい∞ん)
1件のコメント
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A君のタイプの子供を持ったお母さんから、
よく相談を受けたことを思い出しました。
9種の自己集中エネルギーに、周りがついていけない感じですよね。
ばあばのような理解者が一人でもいたら、A君も幸せです。
将来このねばりが、社会のために役立つことでしょう。