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2025年の初頭から、大西つねき氏がしばしば「カンタ!ティモール」という映画を勧めておられました。「日本はそろそろ本当に独立しないといけない。」東ティモールの人々が自分たちの自由を保つためにどんなことをしたのか、それを伝える映画が「今こそ効いてくる」と。
東ティモールは1974年にポルトガルから独立を宣言しましたが、直後に親米スハルト政権のインドネシアが軍事侵攻を開始します。東ティモールの海底油田が狙いでした。人口65万人ほどの小さな東ティモールは「一日あれば陥落する」と言われましたが、住民が抵抗し続けて血みどろの殺戮が続きました。
24年後の1999年やっと国民投票による暫定政権が圧倒的多数で可決された後、さらにそれを潰しにかかるかのように一斉攻撃の大殺戮が行われました。国連はインドネシア軍撤退の決議を8回出しましたが、その決議に反対してまでインドネシアの軍事侵攻を支援する国々がありました。それがアメリカ、イギリス、オーストラリア、日本など西側諸国で、中でも日本は先進国の中で唯一8回全てに反対票を投じました。「海底油田、地下資源の確保や市場の拡大というメリットのために非道な行為を黙認した」のが日本でした。
軍を撤退させるまでの24年間、この島の人々が取った戦略は、敵方のインドネシア兵を捕えると、殺すのではなく自分たちのキャンプに連れ帰り、治療を施し、自分たちが平和を望んでいること、戦いを望んでいないことを伝えて対話をし、無傷のまま元の軍にそっと返す、というものでした。インドネシア軍の中には、軍に身を置きながら、東ティモールの独立を助ける人も現れたそうです。こうして少しずつ仲間を増やして平和を勝ち取っていきました。
広田奈津子監督は「でも相手は自分の家族を殺したり、自分の娘をレイプしたような人たち、そんな相手と対話ができるでしょうか。」と疑問を感じます。
広田監督は、東ティモールでの瞑想体験がきっかけで「ある時、自分の体が畦道に溶け込んだような瞬間がありました。体の境目が解けて無限に広がっていくような感覚です。(中略)畔に溶け込んだ身体から世界を見てみると、あなたと私の境界も曖昧になっていきます。」「現地の言葉で『あなた』は『私たち』という意味もある。彼らと生活していると『あなた』と『私』を分ける意味があまり無いことに気づいた」そうです。
大西つねき氏は「東ティモールの人々は、戦ったというより、自分たちの自由を保つために命がけで抵抗した。服従しなかった。」「日本人の考える、ただ戦わないこと、争わないこととは全然違う。強い力に対してひたすら服従する、盲従することは逃げているだけ、事なかれ主義を貫いているだけだ。」その日本人のあり方が回り回って、東ティモールを加害していたことに気づきます。
東ティモールは1974年にポルトガルから独立を宣言しましたが、直後に親米スハルト政権のインドネシアが軍事侵攻を開始します。東ティモールの海底油田が狙いでした。人口65万人ほどの小さな東ティモールは「一日あれば陥落する」と言われましたが、住民が抵抗し続けて血みどろの殺戮が続きました。
24年後の1999年やっと国民投票による暫定政権が圧倒的多数で可決された後、さらにそれを潰しにかかるかのように一斉攻撃の大殺戮が行われました。国連はインドネシア軍撤退の決議を8回出しましたが、その決議に反対してまでインドネシアの軍事侵攻を支援する国々がありました。それがアメリカ、イギリス、オーストラリア、日本など西側諸国で、中でも日本は先進国の中で唯一8回全てに反対票を投じました。「海底油田、地下資源の確保や市場の拡大というメリットのために非道な行為を黙認した」のが日本でした。
軍を撤退させるまでの24年間、この島の人々が取った戦略は、敵方のインドネシア兵を捕えると、殺すのではなく自分たちのキャンプに連れ帰り、治療を施し、自分たちが平和を望んでいること、戦いを望んでいないことを伝えて対話をし、無傷のまま元の軍にそっと返す、というものでした。インドネシア軍の中には、軍に身を置きながら、東ティモールの独立を助ける人も現れたそうです。こうして少しずつ仲間を増やして平和を勝ち取っていきました。
広田奈津子監督は「でも相手は自分の家族を殺したり、自分の娘をレイプしたような人たち、そんな相手と対話ができるでしょうか。」と疑問を感じます。
広田監督は、東ティモールでの瞑想体験がきっかけで「ある時、自分の体が畦道に溶け込んだような瞬間がありました。体の境目が解けて無限に広がっていくような感覚です。(中略)畔に溶け込んだ身体から世界を見てみると、あなたと私の境界も曖昧になっていきます。」「現地の言葉で『あなた』は『私たち』という意味もある。彼らと生活していると『あなた』と『私』を分ける意味があまり無いことに気づいた」そうです。
大西つねき氏は「東ティモールの人々は、戦ったというより、自分たちの自由を保つために命がけで抵抗した。服従しなかった。」「日本人の考える、ただ戦わないこと、争わないこととは全然違う。強い力に対してひたすら服従する、盲従することは逃げているだけ、事なかれ主義を貫いているだけだ。」その日本人のあり方が回り回って、東ティモールを加害していたことに気づきます。
注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。
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絶望の24年を終わらせた“平和的革命”の記録 カンタ!ティモール 広田奈津子監督
配信元)
YouTube 25/8/4
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カンタ!ティモール全国同時上映会
配信元)
YouTube 25/1/23
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〜巨大な軍隊を撤退させた小さな国のお話〜 あなたの中にある、とてつもない力について | Natsuko Hirota | TEDxNagoyaU
配信元)
YouTube 23/9/15
【内容を一部要約】
東ティモールは岩手県ほどの小さな国。
10歳の頃、家の周りの雑木林が宅地開発で一面ブルドーザーで更地になった。
生き物や木々に一言の挨拶もなく。
東ティモールの平和活動家アレックスさんの歌の一節、
「ねえ仲間たち、ねえ大人たち、僕らの過ちを大地は知っているよ」
私には『僕らの過ち』が何を指しているのか、わからなかった。
東ティモールは、1974年ポルトガルから独立を宣言。直後インドネシアが軍事侵攻を開始した。
人口65万人ほどの小さな国で、一日あれば陥落すると言われていた。3人に1人にあたる20万人が命を落とした。
国連はインドネシア軍撤退の決議を8回出した。
しかし、その決議に反対してまでインドネシアの軍事侵攻を支援する国々があった。
中でも日本は先進国の中で唯一8回全てに反対票を投じた。海底油田・地下資源の確保や市場の拡大というメリットのために非道な行為を黙認した。
アレックスさんの過酷な体験
9歳の頃、目の前でお父さんを拷問で殺された。大きなトラウマを抱え、同時にそれゆえ力強い平和運動家になった。
アレックスさん本人も何度も拷問を受けた。
24年後、1999年ついにインドネシア軍が撤退した。
アレックスさんに
「なぜ僕らの過ち」なのかを聞いた。すると「そんなことより島を見せてあげよう。」
つい最近拷問にあった人たち、家族を失った人たちがとても穏やかな瞳をしていた。
この穏やかさの秘密はなんだろう?
軍を撤退させるまで、この島の人々がとった戦略は、
敵方のインドネシア兵を捕えると、殺すのではなく自分たちのキャンプに連れ帰る。
自分たちが平和を望んでいること、戦いを望んでいないことを伝えて対話をし、無傷のまま元の軍にそっと返す。
インドネシア軍の中には、軍に身を置きながら、東チモールの独立を助ける人も現れた。それはとても危険なことだった。
しかしこうして仲間を増やして平和を勝ち取っていった。
でも相手は自分の家族を殺したり、自分の娘をレイプしたような人たち。
そんな相手と対話ができるでしょうか?
東ティモールの奥地は電気もなく、生活の中に瞑想のようなボーッとする時間がたくさんあった。
「ある時、自分の体が畦道に溶け込んだような瞬間がありました。体の境目が解けて無限に広がっていくような感覚です。(中略)畔に溶け込んだ身体から世界を見てみると、あなたと私の境界も曖昧になっていきます。」
現地の言葉で「あなた」は「私たち」という意味もある。
彼らと生活していると、「あなた」と「私」を分ける意味があまり無いことに気づいた。
「僕らの過ち」という言葉には「相手も自分の一部だ」という文化があったからこそ、敵方の兵士との対話も成り立ったのだと思う。
映画は、2011年から上映を始めた。
2017年、アレックスさんは心臓発作で急逝。
東ティモールでは、電気ショックを含む拷問の後遺症の心臓発作で突然死する人が多い。
けれど彼は最後まで子供達に語りかけていた。
「いいか、人間は大丈夫だ。俺たちは小さい。でもその小さな一人の中にとてつもない力があるんだ。戦争を始めたのは誰だ?人間だ。終わらせるのは誰だ?人間なんだ。俺たちなんだ。いいか、人間には力がある。大丈夫だ。
たとえ拷問にあい、家族を目の前で失い、自分も早く死ぬことになっても、彼はきっと最後の瞬間まで人間を信じていた。
どれだけひどい目にあって、何度裏切られて、家族や自分の体の一部を失っても、それでも目の前の人間を信じるということ。どうしたって花が咲こうとするように、どうしたって傷が治っていこうとするように、人間もどうしたって良くなろうとしている。何世代かかっても私たちは良くなっていくんだ。」
アレックスさんの日本人への伝言
「あなたの仲間が10人しか見えなくて、対するものが巨大で1000人に見えても、あなたのやろうとしていること、それが命に沿ったこと、命が喜ぶ仕事であれば、そこには亡くなった人たちも、これから生まれてくる人たちもついていてくれる。
それは1000どころじゃないから。絶対に大丈夫だから。恐れないで続けてください。仕事の途中で命を落とすことがあるかもしれない。それでも大丈夫だから恐れないで。心細くなった時は、僕たちのことを思い出してほしい。僕たちは小さかった。あの巨大な軍を撤退させることができたら奇跡だと笑われた戦いでした。でも最後にはその軍も撤退しました。これは夢でも幻想でもなく現実に起きたことで、目に見えない力も僕らを助けてくれたから、どうか信じて、恐れないで、あなたの道を進んで下さい。」
誰か良いリーダーが現れて平和が作られるとか、そういうことではなくて、私たち一人一人が本当のことをしていかないと、自分に嘘をつくのをやめて、自分の内側から湧き起こるようなものをしていかないと平和は来ないんだっていうことを伝えたかったのかな。
「命が喜ぶ仕事」、その反対に本当の気持ちを押し殺して少しずつ自分らしい道を諦めていった先に、東ティモールで起きたような悲しいことに繋がってしまう。誰かものすごい悪人がいて、戦争や自然破壊が起きてるんじゃない。私たちが少しずつ自分の夢をあきらめて、自分に蓋をして、大きい声に流されて、そうして無関心になっていく。それが回り回って、戦争や自然破壊に繋がっていってしまう。(中略)あなたがあなたらしい道を歩めますように。
ひとりひとりの心の癒しと
誤ちへの謝罪と
許しなのだと思いました。