2025年8月19日 の記事

[X]何時間も掃除した後に、子供がいることを思い出させられる時..

ライターからの情報です。
あーあ😭
(メリはち)
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[映画カンタ!ティモール] 広田奈津子監督の語る東ティモールの人々 〜 インドネシアの苛烈な軍事侵攻に対して自分たちの自由を保つために行ったこと

読者の方からの情報です。
私たちに今必要なことは、
ひとりひとりの心の癒しと
誤ちへの謝罪と
許しなのだと思いました。
(ほおほおどり)
 2025年の初頭から、大西つねき氏がしばしば「カンタ!ティモール」という映画を勧めておられました。「日本はそろそろ本当に独立しないといけない。」東ティモールの人々が自分たちの自由を保つためにどんなことをしたのか、それを伝える映画が「今こそ効いてくる」と。
 東ティモールは1974年にポルトガルから独立を宣言しましたが、直後に親米スハルト政権のインドネシアが軍事侵攻を開始します。東ティモールの海底油田が狙いでした。人口65万人ほどの小さな東ティモールは「一日あれば陥落する」と言われましたが、住民が抵抗し続けて血みどろの殺戮が続きました。
24年後の1999年やっと国民投票による暫定政権が圧倒的多数で可決された後、さらにそれを潰しにかかるかのように一斉攻撃の大殺戮が行われました。国連はインドネシア軍撤退の決議を8回出しましたが、その決議に反対してまでインドネシアの軍事侵攻を支援する国々がありました。それがアメリカ、イギリス、オーストラリア、日本など西側諸国で、中でも日本は先進国の中で唯一8回全てに反対票を投じました。「海底油田、地下資源の確保や市場の拡大というメリットのために非道な行為を黙認した」のが日本でした。
 軍を撤退させるまでの24年間、この島の人々が取った戦略は、敵方のインドネシア兵を捕えると、殺すのではなく自分たちのキャンプに連れ帰り、治療を施し、自分たちが平和を望んでいること、戦いを望んでいないことを伝えて対話をし、無傷のまま元の軍にそっと返す、というものでした。インドネシア軍の中には、軍に身を置きながら、東ティモールの独立を助ける人も現れたそうです。こうして少しずつ仲間を増やして平和を勝ち取っていきました。
広田奈津子監督は「でも相手は自分の家族を殺したり、自分の娘をレイプしたような人たち、そんな相手と対話ができるでしょうか。」と疑問を感じます。
 広田監督は、東ティモールでの瞑想体験がきっかけで「ある時、自分の体が畦道に溶け込んだような瞬間がありました。体の境目が解けて無限に広がっていくような感覚です。(中略)畔に溶け込んだ身体から世界を見てみると、あなたと私の境界も曖昧になっていきます。」「現地の言葉で『あなた』は『私たち』という意味もある。彼らと生活していると『あなた』と『私』を分ける意味があまり無いことに気づいた」そうです。
 大西つねき氏は「東ティモールの人々は、戦ったというより、自分たちの自由を保つために命がけで抵抗した。服従しなかった。」「日本人の考える、ただ戦わないこと、争わないこととは全然違う。強い力に対してひたすら服従する、盲従することは逃げているだけ、事なかれ主義を貫いているだけだ。」その日本人のあり方が回り回って、東ティモールを加害していたことに気づきます。
(まのじ)

注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

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絶望の24年を終わらせた“平和的革命”の記録  カンタ!ティモール 広田奈津子監督
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カンタ!ティモール全国同時上映会
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