【第4回 がんばる福島】 hiropanのAfter 3.11 ~震災後に見えてきたこと~

“頑張ろう福島!!”

津波や地震の被害に合わなくても、原発事故への行き先の見えない不安により、福島県に暮らす人々が受けた心理的ショックは相当大きかったと思います。
そういった中で、自分も、周りもセンシティブになり、放射能、原発事故の話題については、相手を見極めて、言葉を選んでいる部分がありました。
放射能の影響については、事故直後から(現在もですが)、個人間での認識の格差が、とにかく大きいという問題がありました。
気にしている人…というより、自ら調べ、情報を得て、事実を真剣に受け止めている人たちは、すぐさま自主的に避難したり、遠くの野菜を買うなど、出来る限りの対策をとっていたと思います。一方では、そういった人達を過剰反応だと非難しているケースもあったと聞きます。

今回の事故、そして放射能については、たくさんの学者や研究者がテレビに出て発言したり、本を出したりしていますが、その数ある情報の中から、かなり多くの人は、それが事実かどうか、ということよりも、自分が信じたいものを信じているものなんだろうと思います。時としてシビアな真実を受け入れることより、それを、考えないようにするか、或は、不安を慰めてくれるような「希望」のある言葉の方を信じているものなのだと思います。
そして人は一度自分が信じた「希望(夢)」を壊されることに、とても大きな不快感を感じるようなのです。だからこそ、自分が信じたい「希望(夢)」を壊そうとする相手には、時として攻撃的にもなってしまう…。私が信頼していた情報は(主には、小出裕章氏や、広瀬隆氏等)人によっては単純に聞きたくないこととして、ブロックされてしまうのでした。

広瀬隆氏と山下俊一トンデモ発言

出典 【みんな楽しくHappy♡がいい♪】   【You Tube】 山下俊一トンデモ発言

私は福島に帰った当初、周りの人が、原発事故や放射能の問題について、どう考えているのか、普段の会話でその話題が出ると、神経を集中して聞き取っていました。
話を聞いていると、多くの人は第一に、どうやって今後の“風評被害”を乗り越えていけばいいか、経済的不安に頭を抱えているようでした。「東電は、ちゃんと保証金を出してくれるのか」「郡山や福島市では妊婦と子供にいくら支払われた。」そういった経済面での話題が、とても多かったと記憶しています。
一方で放射能の危険性のことについては、「原発からの距離も離れているし、考えても仕方のないこと」として割り切っている部分があるようでした。「多少は“セシウム”を食べても問題ないと、国が言っているのだから」と、それについて、あまり深く考えないようにしているようでした。

After311 「セシウム牛」流通問題

(2011年の7月12日、事故後、「セシウム牛」流通問題に世間が揺れている中、知人が牛を出しに行くということで、本宮にある牛の競り場に見学に行きました。至る所に張られた「がんばろう、福島!」の垂れ幕やポスターが目を引きます。)

心の奥ではみんな、不安だったと思います。

「これから先も、ここで暮らしていけるのか。」
「福島は、いったいこれから、どうなっていってしまうのか。」
「本当にこの国を信用してもいいのだろうか。」
「子どもたちの健康は…。」

福島の人々は、これまでにないほど、大きな不安要素に周りを取り囲まれながら、それに押しつぶされないように、必死に歩き続けようとしていました。心に強いて、明るく振る舞い、時には勇ましく、時にはすべてを忘れさろうとするかのように。この現実を、おどけて笑い飛ばそうとすればするほど、言葉には自虐の色が滲んでいました。その人達は、その時、あまりに受け入れがたい現実に、“自分”が壊されないように、 時に“希望”を楯として、自分自身を庇うことに、必死だったのかもしれません。

Writer

hiropan

hiropan

埼玉県生まれ。自然豊かな福島県会津地方に育つ。美術大学にてデザインを学ぶ。
2011年、東日本大震災、原発事故を機に、社会の在り方と自分の生き方の方向性を見つめ直し、転換する。2012年、福島から一人旅で たまたまふらりと訪れた広島県の離島、大崎上島へ移住を決断。
現在、小さな畑で野菜や柑橘を育て、ニホンミツバチを飼いつつ、絵や文章を書きながらスロウに暮らす。

3件のコメント

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  1. 対照的な二人のイラスト、とっても似てますね!

    ここ広島でも、周りの友達に放射能の話で喧嘩になりました。
    確かに、現地に住んでいる方々の心情というのもあるのでしょうが
    思ったこと、感じたことをバンバンと話すのも難しいことだと感じました。

  2. 本当にイラスト、そっくりですね!
    まるで、心の中を表現されているような、暖色と寒色の対比がいいです。
    文章を読んでいると、福島の土地で、生活されている方々の心の叫びがリアルに伝わってくるようでした。目に見えない恐怖や不安な思いを、心の奥に押し込めて、生きるのはとても辛いことでしょうね。。
    私だったら、子どもを抱いて逃げる!と簡単には言えますが、現地の方々にとっては家庭の複雑な事情や周りとの協調もあり、そう簡単にはいかないのかもしれませんね。
    ですが、未来の希望を優先して欲しいです。
    After3.11でひろぱんさんの文章や思いが、多くの方々の目に留まることを願います。

  3. まいまい on

    事故当時、私がいたのは千葉県でも最南端にあたる館山市でした。その辺り一帯の南房総は、地域通貨などのゆるやかなネットワークがすでに出来上がっており、そのメンバーの中には、9.11の真相をいち早く暴露したきくちゆみさんや、歌手の加藤登紀子さんなどがいました。そのため、事故が起こってすぐから「地震の何日後に放射能の雲がやってくるから、部屋の窓を閉め、外出は避けるように」など、かなり精度の高い情報のやり取りが行われていました。それらは竹下氏の情報とほとんどが一致していました。私は当時、テレビを持っていなかったので、それ以外の情報はありませんでした。それでも、避難するのに一瞬ためらった私でしたが、お祈りの最後で「逃げなさい」と声が聞こえたので、それに従って逃げ出しました。
    避難してからも、生来の男性恐怖症などのため、起こったいろんな出来事があるたび、助け出してくれる人もいて、たぶん、恵まれていたのだと思います。

    だから、ほんとうの意味で、ひろぱんちゃんのこころの辛さや葛藤をわかってあげられていないのかもしれないです、、、。押し込めたいろんな感情が湧き上がってきたときは、どうぞ、心置きなく吐き出してください。放射能は分かち合えなくても、痛みは分かち合えるかもしれないです。。。

    改めて、この場を作ってくださったシャンティ・フーラのみなさまには感謝申し上げます。
    これらの手記を本にする!に一票☆

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