思春期の親子関係(1) 〜思春期の入り口〜

竹下雅敏氏による教育関係の講演を文字起こししたものです。総合的な情報は「子供も親も両方幸せになれる子育て」のページをぜひご覧ください。印刷やタブレットなどでじっくり読みたい方、音声で聞きたい方のためには電子書籍やMP3もあります。

 思春期というのは、子供の性的な能力が非常に拡大する時期です。思春期のことを表面的に話すのであればなんとでも話せるのですが、それでは問題の解決には全然いたりません。思春期の問題の本質というのは、子供が性的に成熟するということで、性について話をしないと思春期を誘導することはできないというのが僕の考え方です。

 性を誘導する、性を導くとはどういうことなのか、というのが今回の講演のテーマです。野草社から出ているルドルフ・フォン・アーバンという方の本「愛のヨガ」第2章に、子供の性的発達という部分があります。これは大変な名著で、私はこの本は非常に奥の深い重要な本だと思っています。何度も繰り返して読んでいます。性についてこれだけ奥深く非常に深いところから語られている本はないので、非常に参考になると思います。

 フロイトは「性欲は赤ちゃんのときからある」と言っています。性欲が高まって性ホルモンの分泌が盛んになり、体が劇的に変化する時期が2回あります。1回目が3才から5才の第1反抗期、2回目が12才から18才の第2反抗期、すなわち思春期です。大人たちはこの時期に反抗期という名前をつけますが、これは非常に具合が悪いと私は思っています。反抗期ではなくて独立期とか自立期と言うべきです。反抗期だ、親の言うことを聞かなくなった、いかにして親のいうことを聞かせようかというものの考え方をしたら、これは完全に性を導くことに失敗したことになります。そうではなく、独立期にかかったのだから、いかに子供を自立させてあげようかと考えるべきです。独立期には、3才から5才の時期と12才から18才の時期がありますが、子供が自立して自分が一人前だということを周りの人に理解してもらいたい時期なのです。だからこの時期の子供に対して、親あるいは教師が子供の自立を助けてあげるようにすると、子供はそこをうまくくぐり抜けて成長していけます。ところが反対に、子供の自立心を損なうような導き方をすると、子供が未成長のまま止まってしまい、性が発達しません。失敗の一番の原因は、子供を子供扱いすることです。これが一番いけません。

 思春期というのは、自分が一人前の人間であるということを周りにアピールしたい時期なのです。それをどうやってうまく導いてやるかというと、あなたは本当に一人前の人間だ、ということを周りの人が認めてあげればいいのです。そうしたら、そこを速やかに通り抜けていきます。ところが、親は言うことをきかせるのが親の力量だと思っているようで、その時期の子供の行動を生意気だととってしまいます。まだ中学生の分際で、という感覚でとってしまう。そして、「子供のくせに」とか「おまえはまだ中学生なんだから」とか言う。これほど子供の独立を阻害することはありません。これは禁句です。親や教師が言葉でこれを言うと、子供からの信頼を失い、相手にされなくなります。子供が自分を認めてもらいたいという時期なんだから、それを素直に親や教師が認めてあげる、一人前の人間として扱う。そうすると子供はすっと成長し、自立していくわけです。非常に簡単だと思います。

 思春期以前の子供は、叱りつけたり怒鳴りつけたりしたら、それなりに言うことをきいてきたわけです。ところが思春期になるとそういうのではきいてくれません。体格が大きくなって力量もパワーもだんだん親に近づいてきます。そうなると、言葉の暴力や殴ることで躾けようとしても、言うことをきいてくれなくなるわけです。これは子供に対する、思春期ということに対する理解が非常に足らないという気がします。

 大人も子供も、人間の要求には二つの方向性があります。その一つは愛情要求、自分が大切にされたいという愛情の要求です。もう一つは独立要求、自分のことを認めてもらいたいという要求です。これらは、どんな人も持っている人間の中で最も基本的な要求です。そして人間には、この二つの要求が満たされている人と、満たされていない人がいるのです。実は、ほとんどの人間は愛情要求と独立要求の両方とも満たされていません。これは冗談でもおおげさでもなくて、おそらく地球人の99%の人間は愛情要求も独立要求も満たされていません。そのまま大人になっています。僕はこういう人たちを未成熟な大人と呼んでいます。現代の心理学的用語でいえばアダルト・チルドレンです。自分の中に傷ついた子供がいて、そのまま大人になっている。アーバン博士はこのことを性的な未成熟という言い方をしています。

 二つの要求のうち、特に大切なのは愛情要求です。私はいままでに何回も子育ての講演をしてきましたが、最初からずっと話してきたことのほとんどが、愛情要求をいかに満たすかということです。その中で、愛情要求を満たすために「子供のあるがままを受け入れてください」と言ってきました。「お父さんはおまえにこうなってもらいたい。こうなったら愛してやる。」という条件付きの愛情のかけ方をしないということです。そうではなくて、「おまえがどんなふうでもいいんだよ。いてくれるだけでいいんだ。」という感覚です。自分の子供が誘拐されたら、そんな気持ちになるでしょう。命さえあったらいい。もう勉強のことなんて言うまいぞ、って気持ちになるでしょう。その感覚です。「生きていてくれてたらいいんだ。お父さんはおまえがいてくれたら十分なんだ。」そういう愛情のかけ方です。そういうふうに子供に接すると、子供は愛情要求が満たされることになるのです。そして、「自分は本当に、お父さんとお母さんに大切にされている。」と思って育ちます。

 ところが、この愛情要求を満たされるか満たされないかが、生後の一年ぐらいで決まってしまうのです。これは本当に恐いことです。それで僕は胎児の頃から生後1年までの子育てというのを重要視していて、そこに膨大な時間をかけて話してきました。

 アーバン博士の本「愛のヨガ」の中にも、こう書いてあります。『たいていの親たちは子供の才能を伸ばしていくための努力を少なくともいくらかは払うものだ。子供の愛情生活についても同様であるべきで、それは乳児期に始められるべきである。赤ちゃんを授乳のために抱き上げるときに、赤ちゃんの、肌に触りたいという本能を触発する機会を与えていく。スキンシップの少なかった子供の死亡率は、十分であった子供より30%も高い。』この一行を考えただけでも、出産したときに赤ちゃんが母親のとなりに寝ているかどうかが決定的な意味を持つということが分かります。赤ちゃんだけがカプセルみたいなところに入れられていて、両親がガラス越しにしか見られない環境が、いかに子供の愛情生活を破壊するかということ。そういうわけで、どこで出産するかを親はちゃんと考えないといけません。出産した子供を自分のとなりに寝かせることができる場所で出産しなくてはいけない。なぜかというと、子供が性的に成熟するように育ててあげないといけないからです。

 また、別のところにすごいことが書いてあります。『生き残った者も、その後の愛情生活において、大きな違いを見せている。おとなになった彼らは、パートナーに対して不人情で、自己中心的で、優しさに欠ける。そして社交性に欠ける。』これは現代の大人のほとんどに当てはまります。自分の夫のことを考えてみて下さい。どうですか?自分に対して本当に愛情深い言葉をかけてくれますか? 違うでしょう。

 これは、なぜかというと、今の大人が愛情要求が満たされていないからなのです。子供の頃にスキンシップが足らないのです。本当に子供を大切に育てて、スキンシップを十分に与えた子供というのは、全く動物や生き物に対して残虐な行動をとりません。ものすごく大切にします。ところが、アリを見たら踏みつぶす、カエルを見たら踏みつぶす、そして投げつけるということを子供はよくやります。そういう子供はスキンシップが足らないのです。子供のころに十分抱いて育てていない。

 看護婦さんや保母さんがよく親に言うのですが、「そんなに抱いたら抱き癖がついちゃうよ。」と。これは大人の論理です。大人はそういう風に言ったほうが楽ですから。そうやって子供の性的な欲求をおさえてしまいます。子供が〝抱っこされたい〟というのは性欲なのです。その性欲をちゃんと満たしてやる。だいそれたことじゃないんだから、ちゃんと満たしてやる。そうすると愛情要求が満ちてくる。そういう子供はものすごく優しい子供になるんです。簡単な言葉でいうと、十分に愛された子供というのは人を愛せるようになる。ところが愛されないで育った子供は人を愛せないんです。非常に簡単なことですが、本当にそうなんです。

 今、ものすごく面白い本が出ていて、タイトルは「話を聞かない男、地図が読めない女」です。この本は推薦図書です。アラン・ピーズとバーバラ・ピーズという夫婦が共著で書いている本で、主婦の友社から出版されています。これはすごく面白く、心の底から納得できる本です。男の思考の仕方と女の思考の仕方がどのくらい違うか、どういうところでトラブルを起こすかがユーモアのセンスを交えて克明に描かれていて、かなり笑えます。笑えるだけではなくて、男女のコミュニケーションについて大事なこともたくさん書いてあります。

 特にこの中で、子供のスキンシップのことについて『ふれあいの魔力』という題で書かれているところがあります。そこをざっと飛ばし読みします。

 『相手に触れる。それは生命を与えることだ。サルの赤ん坊を他のサルから完全に孤立した状態にして育てたら、ふさぎこみ、体調を崩して、やがて死んでしまった、という報告がある。親に面倒を見てもらえない人間の子供にも同じことが言える。生後10週から6ヶ月の赤ん坊を対象にした興味深い研究がある。母親にしょっちゅう触れられていた子は、そうでない子供よりも風邪をひく率が圧倒的に低い。』(50ページ)

 ちゃんとスキンシップをされて育てられたら病気が少ないということです。親があまり子供を抱っこしてないと、子供はしょっちゅう病気をします。例えば1ヶ月に何回も病院に行かないといけなくなります。ところが、本当に大切に十分に抱いて育てたら全然病気をしない。ですから、子供がよく病気をする、風邪をひく、おねしょをする、夜泣きをする、というのは全部、愛情の不足、愛情要求が満たされないということなのです。

 次にも面白いことが書いてあります。
 『神経症、鬱病の女性患者(これは大人のことでしょうけど)。神経症、鬱病の女性患者は誰かに抱きしめてもらう回数が多くて、また、その時間が長い人ほど回復が早かった。』(50ページ)

 鬱病患者、思春期の引きこもり、あるいは登校拒否。本当は恋人でもいて、その人にじーっと抱きしめてもらったらすぐ治るのです。でも、残念ながら引きこもっている人に恋人はいませんから、こういう治療はできません。では本物の心理療法士はどうするかというと、まず部屋に入れてもらうことから始めます。どうやって入れてもらうかというと、なかなか入れてくれませんが、とにかく毎日同じ時間に通うのです。そのうち絶対に入れてくれる。なぜかというと、そういう人は愛情に飢えているからです。毎日その時間にその人が来るのを楽しみにするようになります。はじめは反抗心とか大人に対するいろんな偏見があるから入れてくれないけど、必ず部屋に入れてくれます。

 入れてくれたら、心理療法士は引きこもっている人に対して何も言いません。何も言わないでそばに静かに座って、一緒の時を過ごします。ただそばに一緒にいてあげます。1時間、2時間、何もしないで、何も語らないでじっとそばにいて相手を感じてあげるのです。毎日これをやります。そうすると、だんだん子供の方から声をかけてくれるようになってきます。そうしたら、子供がしゃべったことを全然批判しないで、ただそのまま聞いて受け入れます。「そうだよね、そうだよね。」と。絶対にそれに対して大人の意見を言わない。「それ、おまえ甘いんじゃないの。」とか、「それ、子供っぽいんじゃないの。」とか絶対に言わない。ただ聞いてあげる。そうすると、「この人は僕の言ってることを受け取ってくれる、分かってくれる」と思って、悩み事を本当に話し始めます。そうすると次第次第に治っていきます。これが一番簡単で、絶対的効果の治療方法です。実はこれは、その本に書いている『抱きしめてもらうその時間が長い』ということを、精神的にやっているのです。僕は、プラトンはこのことをプラトニックラブって言ったと思っています。そういう能力を身につけている人が心理療法士になれる人です。

 思春期で引きこもったり登校拒否になったりとか、いろんな悩みを心でかかえて家庭の中でトラブルを起こしている人は、ほとんどの人が愛情に飢えている人です。それは、小さい頃にもらえなかった愛情を、なんとかそのときに取り戻そうとしているのです。親がそのメッセージに気づいて、そのケアをしてあげたら、その子供はそこを取り戻すことができます。そして、愛情の要求を獲得してその時期を通過し、独立の要求の時期、思春期へ進んでいけます。

 子供の時に愛情の要求を満たしてあげないで育ててしまったかもしれない。失敗したかもしれない。そして未成熟のまま成長してしまい、思春期で引きこもってしまった、登校拒否になった、としたら、子供から愛情に飢えているというメッセージが発せられているということで、子供の内に潜在化していた問題が浮かび上がってきたということです。そしてそれを解決するまたとないチャンスなわけです。ところが、親の方がこの最高の治療のチャンスを逃してしまう。ちゃんと愛情に対するケア、子供に対してちゃんと向き合う、誠実に向き合う、子供に十分な愛情をそそぐ、ということをしないと、せっかくの治療のチャンスを逃してしまいます。そして、そのまま大人になってしまいます。

 そうすると、こういう子供は、社会不適応や神経症になったり、鬱病患者になったり、あるいは大人になって、一応ふつうの人間なのだけれど、ちょっと誰かに傷つけられると落ち込んで部屋から出られないような人になってしまう。そういう人は今たくさんいます。そういう人には躁の時期と鬱の時期があります。この躁鬱症の人というのは、実は性が未成熟、言い換えると愛情要求を受け取ってない人なのです。そのような人は自分に自信を持っていません。自分には才能がないかもしれない、魅力がないかもしれない、それでも自分は生きてていいんだ、自分は愛されているんだという自信がない。そういう自信がない人は少し傷つけられるとドーッと落ち込んでしまいます。そして鬱になってしまい、そこから回復するのに時間がかかるわけです。それで愛情の要求というのはとても大切で、ここの部分を幼児期に十分に満たしてやると、思春期は非常に乗り切り易いわけです。もうちょっと読んでみましょう。

『子育てと暴力の関係の研究で第一人者である人類学者のジェームス・プレストンは、子供に愛情のこもった接触がなされない社会(現代社会のことですね)、愛情のこもった接触がなされない社会ほど成人の暴力発生率が高いということを発見した。愛情豊かに育てられる子供の方が、健康で幸福な大人になることが多い。性犯罪、児童へのいたずらに走る男は、子供の頃から人から拒絶されたり暴力を振るわれてばかりで、抱きしめられた経験が少なかった傾向がある。』(50ページ)

 このように、研究結果がはっきりとでているわけです。
 今、少年犯罪が多発しています。その原因について、躾がなっていないからだとか、我慢することを教えていないからだとかいう人がいます。しかし全然違うんです。愛情要求が満たされていないというのが解答です。具体的に言えば、子供をあまりにも早く保育園に預けすぎるからだ、ということを、私はずっと講演の中で言い続けてきました。子供がまだ、ものすごく愛情を必要としている時に保育園に預けてしまう。そういう子供が成長して思春期になって力を蓄えると、性犯罪とか暴力に走ってしまうのです。そうなると、そこに警察、心理療法士、心理学者が関わる必要が生じ、学校の先生も対応に迫られることになります。いろんな人が迷惑するし公的にも膨大なお金が使われるわけです。その一方で、今の政治家は親のニーズだからと保育園をたくさん作る。お金の使い方を完全に間違えていると思うのです。それよりは、ちょっと政府が、子育ての時期の家族への補助などの形で資金投入して、愛情要求をたっぷりと満たす子育てができるような社会環境を作れば、優しい子供が育って犯罪も減り、結果としてその方がかかるお金が少なくて済むと思います。社会平和にも繋がります。ここのところをみんなに理解してもらえたら、社会を変革できるのではないかと、私はずっと話してきたのです。

 愛情要求が一方の核心になる大切な要求です。ぜひ十分に子供を抱っこしてあげてほしいと思います。

 今、性非行が問題になっています。これについて、少しお話ししましょう。

 ほとんどの男性は、結婚した後は妻を性欲を満たす対象にしてしまって、ただそれが満たせればいいんだとなってしまいます。ところが女性は違います。女性は、男性に抱きしめてもらいたいという気持ちが大きいんです。

 これも研究報告があるのですが、娼婦の人になぜ娼婦をしているかというアンケートをとったそうです。その理由として数字的にすごい比率であったのが、セックス自体は実際には男性に抱きしめてもらうための代償であり、我慢すればいいんだと、ほとんどの娼婦の人が思っているとのことでした。これは、いかに愛情要求が満たされていないかということだと思います。そういう人がそういう世界に入ってしまうのは、肌の触れ合いが足らないからということなんです。

 愛情要求が満たされている人は自分がすごく大切な存在だということを知っています。なぜかって、大切にされてきたから。だから自分を大切にします。それで性非行になんて絶対走りません。なぜかというと、性非行って自分を軽んじる行為でしょう。自分を大切にしない行為でしょう。だからそういうことを絶対にしません。ところが愛情要求が満たされていなくてすごく軽んじられて育った子供というのは、愛情要求とか肌の触れ合いを求めて性非行に走ることがすごく多いんです。子供をそういう犯罪に導かないためにも、肌の触れ合いというのはすごく大切です。アーバン博士は小学校の6年生ぐらいになるまでは、最低週に2、3回は子供を母親のベッドに一緒に入れて寝てあげなさい、朝30分でいい、夜30分でいい。少なくとも30分ぐらいは母親のベッドに入れてあげなさいと言っています。大人の女性もそうで、夫に抱きしめてもらいたいという気持ちが大きい。本当は、触れ合いとか優しい言葉かけとかが日常の中であってはじめて、女性は〝夫は私をすごく大切にしてくれている〟という自覚を持つことが出来ます。それで性交渉がうまくいくわけです。ところが男性は普段、全然優しくありません。女性の話も全然聞きません。うっちゃっといて性欲が高まった時だけ手をにぎります。そうすると、女性は男性に対して不信感を持ちますから、性感が高まらない。セックスが義務になっていきます。若いときは両方とも性欲があるからある程度は反応するわけですが、だんだんと30歳、35歳になってくると反応しなくなります。男性は女性のせいにします。おまえが悪いと。そうではなくて、男性の女性に対する扱い方がおかしいということです。なぜおかしいのかというと、男性が未成熟なんです。大人になっていない。このことは、私はものすごくゆゆしき問題だと思っています。

 ようするに、男性も女性も未成熟なわけで、そういう人が子供を育てるんだから、子供が成熟するはずがない。成熟した人間を育てるには、抱いてスキンシップを十分に与えて育てるしかない。では、どうすればいいかというと、夫婦の間でスキンシップの時間をたくさんもつ必要があるんです。アーバン博士はいいことを言っています。『ダブルベッドにしなさい。必ず夫婦で手を握り合って体をくっつけて寝なさい。』これは、本当にそうだと思います。仲のいい夫婦っていうのは必ず手を握り合って寝たりとか、スキンシップが非常に多いです。十分、夫婦のコミュニケーション、対話がとれています。だから男の人が女の人を軽く抱いたりとか、抱きしめてじーっと女の人を感じるということをよくやっています。恋人のときにしていたように、夫婦になってもそうやってるんです。男性が手を握って、妻の手を感じてあげるということをやってます。肩を抱いて、腰に手をまわして、その妻を感じてあげる。いつもそうやっていると、「私は愛されてる」と思うから、性的な部分でも非常にうまく反応してくれて、夫婦は円満になるわけです。ところが、今のほとんどの男性は、全然日常でそういうことをしないで、仕事ばかりやってて、帰ってきても妻の話をぜんぜん聴かない。そして自分の性欲が高まって来たときだけ手を握るということをやっているので、絶対うまくいきません。大人にも抱きしめられたいという要求があるんです。

 まして、子供はそうです。だから、スキンシップの時間をたくさんもって、十分に愛情の要求を満たして子供を育てると、人の気持ちっていうのが理解できる、そういう子供が育つわけです。

 以上の愛情要求を満たすことが第一点で、一番大事なことです。それが足らない子は、まずそれを満たしてやらないといけない。その満たし方は、スキンシップと、『私はね、今のあなたが好き。』というメッセージです。例えて言うなら、子供が誘拐された時の気持ちです。『子供が生きていてくれたらいいんだ。十分なんだ。お父さんはお前がいてくれるだけで十分なんだ。』そういう気持ちで関わる。そうするとだんだんと愛情要求が満たされてきます。

 次に大事なのは、思春期あるいは反抗期に子供が要求する独立要求です。
 独立要求というのは、自分の能力を知らしめたい要求です。動物はみんなそうです。成長して思春期になると、子別れの義をします。親が子供をテリトリーから追い出します。そして子供は放浪します。それから性が発達して大人になってくると、自分のテリトリーを作るための闘いが始まります。思春期というのはそういう時期なんです。性が爆発的に出て、男女の性差がはっきりとしてきます。そして、メスを獲得するために自分のテリトリーを確立して、自分を知らしめる行動をし始める時期なのです。

 これは別の言い方をすると、親が子離れしないといけない時期です。人間の思春期は12才から18才ですが、野生の動物ならもっと前に、人間の年齢でいうと小学校の4、5、6年生の時期にもう追い出しています。家から出て行けと。人間はそういうことをしないので、一緒に暮らしていて、思春期を向かえるわけです。思春期の時期は、あらゆる動物がテリトリーを獲得するため、メスを獲得するために闘争をやっている時期です。それが人間の子供の場合は、スポーツだとか勉強だとかいろんなことで自分の能力を人に見せようとします。子供の発達としては当たり前のことで、自立して大人になろうとしているわけです。だからこの時期の子供は、何かで人よりも抜きん出て、自分がこんなことができるってことを評価してもらいたいわけです。勉強をやったりあるいはスポーツで一生懸命やったり、優勝したりいい成績を残すことで自分を評価してもらいたいわけです。こういうときの子供は、表面的には自分のやったこと、自分の発見したこと、自分が勉強ができること、そういう能力を評価してもらいたがっているように見えます。でも、本当の心の中にある欲求はそういう能力に対する評価ではなくて、彼そのものへの賞賛なんです。彼がした仕事ではないのです。例えて言うと、画家が素晴らしい絵を描いたとします。「素晴らしい」と、この絵がいくら評価されても、その人の独立要求は本当には満たされていません。絵が評価されて、社会的に高い地位につく。これは社会に認知され、社会的に自立したというレベルでは満足します。けれども、独立の要求は満たされません。独立の要求が満たされるというのは、彼そのものに対する評価であって、絵に対するものではないんです。「この絵が素晴らしい」だけじゃなくて、「あなたが素晴らしい」と言って欲しいわけです。だけども誰も認めてくれないから、まず絵を評価してもらう、音楽を評価してもらう、自分のやった研究を評価してもらう、ということになる。けれども本当の人間の心の中にあるのは、「僕はあなたが素晴らしいと思うんだよ。あなたにいてもらえると嬉しいんだ。」そういうふうに評価してもらいたいわけです。だから子供の存在自体を評価してあげることが大切なわけです。

 子供は独立して大人になりたがっています。だから子供に対してどういうふうに接したらいいかというと、あなたは本当にもう一人前の立派な大人なんだ、そういう接し方をします。「まだ子供なんだから」とか、「経験が足らないんだから」とか絶対に言ってはいけない。あなたはもう十分に私と同じ人格をもった大人なんだ、そういう接し方をして、子供をちゃんと一人前の人間として認めてあげる。そうして、今までは権威としての親の役割だったのが、友人とかアドバイザーとしての役割に変わっていきます。そうやって接していくと、子供は自分の独立要求が満たされていき、自分は本当にお父さんお母さんに認められていると感じられます。そういう子供はちゃんと自立して大人になることができます。大人扱いされているから。大人扱いされているから大人になる。非常に単純です。
 ところが今のほとんどの家庭ではすごく子供扱いをします。「お前はまだ子供なんだ」とよく言いますが、それは子供扱いしているということです。子供扱いをして育てたらどうなるかというと、その子は自立できないで子供のままになります。これの一番の典型の例がマザコンです。子供がお茶って言ったらハイハイハイとお茶を出してくれる。子供が片づけないから親がちゃんと整理整頓してやる。親がかいがいしく全部やってやる。子供扱いしているわけです。このままではどうにもならないです。もし反抗期になって親とチャンバラをしなかったら、この子はそのままマザコンになる。そして、そういうマザコンの子供が結婚すると、たいがいの場合親と一緒に住みます。これはえらいことになります。母親とお嫁さんの戦いが始まります。どっちが息子をとるか、戦いが始まる。お嫁さんが夫を自分のものにするためには、徹底的なマザリング、母親以上に母親になりきらなければなりません。夫に対して母親がやる以上に完璧なマザリングで接して、自分の夫を赤ちゃん扱いして丁寧に丁寧に扱う。すると夫は満足して、妻は姑さんを排除することに成功します。でも夫婦関係という意味では破綻してます。これは一方的な関係です。ほとんどの日本人の男性は、まだこの段階です。

 だから僕が言いたいのは、そういう人間を作らないためにも、独立要求を満たしてやる、ちゃんと大人扱いする。そうするとマザコンにならないで育ちます。子供を一人前の人間だというふうに接して育てていくと、子供は自立して自分のことは自分でやれるようになります。それだけではなくて、自分の立場を離れて相手を思いやれるようになります。さらに人に感謝できる人間になります。世の中には、自分を支えてくれる人がいっぱいいるはずです。ですが、その人に対する感謝の心をほとんどの人が持っていません。なぜかというと、独立の要求が満たされていないからです。

 例えば、マラソンのT選手。あの人はものすごくみんなに感謝しています。なぜかというと、多分彼女は独立要求が満たされている人だと思うんです。そういう人は、ものすごく自分を支えてくれる周りの人に対して感謝します。うそ偽りでなくて、本当に感謝の気持ちがあるんです。そういう風になると、他の人を尊重する人間になる。子供のときに、すごく自分を尊重されて育てられてきたのでしょう。だから、人を尊重できる人間になります。

 ある人は学歴が低いかもしれない、ある人は発展途上国の人間かもしれない、ある人は社会的な地位が低いかもしれない。独立要求を満たしていない人はそれで人を差別します。なぜかというと、自分より下の人がいることで、自分がちょっとましだと思うからです。ところが、独立要求が満たされていて、すごく自分を大切に尊重されて育った人は人を尊重できるから、そういう差別心を持たない。これがいかに大事なことかお分かりいただけると思います。

 教育現場では、差別をなくそうとか言って同和教育をしています。しかし、そう言っている親とか教師が子供を尊重していません。まだ子供なんだからと見下しています。何か躾けないといけない家畜のように見ているようです。そうやって育てておいて、一方で差別をなくそうって言っている。これは絶対に出来ないことをしているわけです。私は、学歴に対する差別、身分に対する差別、お金持ちかどうか、そういうものに対する差別が一切無い、成熟した人間を育てたいんです。そして差別のない社会になって欲しい。そうするためには、子供の独立要求っていうものをきちんと満たしてやることだと私は考えています。

 独立要求と愛情要求という、人間の要求に二つの方向がある。これはすべての人間が基本的に満たさなければいけない非常に大切な要求であるということを話しました。本当に親が子供の二つの要求をきちんと満たして育ててあげると子供は本当にいい子に、素晴らしい人間に育ちます。愛情要求をたっぷり与えて育てた子供というのは、ものすごく優しい子になります。人に本当に愛情を振りまける人間になります。生き物をすごく大切にして、可愛がって…。

 自慢話のようになりますが、うちの子はすごく愛情要求を満たして育てました。友人が僕の所に軽自動車を持ってきてくれました。中古車の古い5万円の軽自動車なんですけれど、今までは軽トラックで家族3人が乗れませんでしたから、我が家ではその車は宝物なんです。妻も子供もすごく気に入っていて大事にしています。子供が家に帰ってきて、まず何をするかというと、車をなでて挨拶をします。あるときは、子供が家の中から、何か外に向かって手を振っているんです。「誰に手を振ってるの?」って聞くと、車がホンダのトゥデイなんですけど、「トゥデイちゃんに手を振ってる」って言うんです。振ったって意味ないんじゃないかと思いますけど、そんなことをしている。本当に子供というのは、車にも愛情を移入してしまうというようなところがあって、すごく大切にするんです。虫も本当に一匹も殺しませんし、犬でも、子供はものすごく慈しむように愛撫して、鼻をくっつけあったりしています。よくこんなことできるなと思うけど、そういうことを自然にやっています。かと思うと、トカゲとかヤモリとか手の上にのせて「可愛い、可愛い」と言っている。このように、すごく優しい子に育つんです。まだ思春期が来ていないので独立要求という段階にはなっていないのですが。

 独立要求とは結局、性の要求です。そこを満たしてやらないといけません。
 ご存じだと思いますが、サルにはマウンティングという行動があります。地位の高いオスが地位の低いオスの上に乗って交尾のような格好をすることです。人間も同じことをするんです。母親の上に覆いかぶさったりとかして、母親に対してマウンティング、自分の地位とか力を確認する行動をとります。男の子がお父さんをまたいで上から見下ろしているといったこともマウンティング行動です。それから、お父さんに何かじゃれあっているように見えて肩にのしかかってくるような行動もです。親は甘えているなって思うのですが、実は違っていてマウンティング行動です。俺の方が上位だぞ、ということを子供は示しているのです。

 また、うちの子供の場合ですが、妻と一緒にお風呂に入りますね。子供の髪を洗ってあげるわけですよ。ちょうど抱っこして髪の毛を洗ってあげるときに、自分の生殖器や睾丸を妻のお腹にくっつけて揺するんです。これはマーキングという臭い付け行動です。お母さんは僕のもんだよって、唾をつける行動です。動物は肛門のところに臭いを出す臭腺があるでしょう。子供も同じです。そこをこすりつけて、お母さんは僕のものだと主張している。この自分のものだということを主張するマーキング、あるいは自分の力を確認するマウンティングを子供はよくやっています。これが、実は性欲なんです。動物だったらこういうことをして、思春期になったら闘うわけです。テリトリーを拡大していくという自分の力の確認です。人間も同じです。ところが、親が「この子は変態だ」とか「なんていやらしいことするの」と言ってその行動を抑圧すると、性を導き損ねます。うちの妻が、「自分の性器を、私のお腹にこすりつけてゆすってくる。すごいストレスになるから、あの子と一緒にお風呂に入りたくない。」と言ってきたことがあります。そのとき僕は、「それはすごく大事なことなんだ」と言いました。そういうのを「いけません」「だめです」と言ってそういう行動をやめさせると、子供から力を奪うことになるんです。なぜかというと、それは子供が力の確認、自分にはパワーがあるという確認をしているわけですから。

 あるいは、うちの子はしょっちゅう服の上から金玉をさわっているわけですよ。そのとき、ぜんぜん非難の感覚無く、「何してるの?どうしてそこ触ってるの?」って聞いたら、「何かくっついていやなの」って言っていました。親がそういうことを問題にしないで、すごく自然なことだよって過ごしておけば、問題にはなりません。でも、特にお母さんが「いけません」「いやらしい」「この子は変態じゃなかろうか」と言って接すると、子供からパワーを奪ってしまいます。独立要求をちょっとずつ、ちょっとずつ、根こそぎに絶やしていってしまいます。子供が性というものはいやらしいものだ、何かいけないものだって思ってしまいます。

 子供は時々どうやって子供が生まれるのかについて聞いてきます。そのときにどうすればいいかについてお話ししましょう。アーバン博士が「絶対コウノトリの話をするな。」と言っていますが、本当にこれはいけません。子供が聞いてきたところまでは、誠実に答えて下さい。

 2ヶ月ぐらい前のことですが、子供とお風呂に入っているとき、子供がうちのペットのサクラって名の雑種の犬のことを聞いてきました。犬は妊娠する時期が年2回くらいあります。サクラはメスの犬ですからお尻から血を流している。その時期になると妊娠する可能性があるので、家では可愛そうですけど檻の中に閉じこめています。子供はそれを不思議に思って「どうしてサクラは閉じこめられたの?」と聞くわけです。そのとき、ちゃんと話します。「ああいう風になると、赤ちゃんが生まれるんだ。放し飼いにしてて他の犬と交尾をして、赤ちゃんが出来たら、下手をしたら15匹ぐらい生まれちゃう。育てられないだろう。だからあーやって繋ぐんだよ。」

 話が赤ちゃんのことになったので、子供は、「どうして子供が生まれるの?」って聞いてきました。子供は自分が大人になった時に、自分の精子を奥さんになる人に渡す大仕事をしないといけないことを、テレビで見て知っているんです。「生き物地球紀行」とか見てると、しょっちゅう動物の交尾シーンとかがある。そこでアナウンサーが「今、自分の精子を受け渡しました!」と言っている。だから子供は、交尾や生殖行為とはあれだ、と知ってます。そして、僕ら人間も、子供を作るときは交尾、性行為というものをして子供を産むってことも知っています。でも、具体的にどうするかは知らないわけです。イカではあるまいし、自分の手でメスのイカに渡すというようなことはしないわけだから、それは分からない。
それで聞いてくる。「どうして子供が生まれるのか?」

 それで、きちんと説明します。「メスのライオンにオスが乗って交尾しているだろう。結婚した夫婦は性行為というのをするんだよ。そして、ああやって精子をメスの方に、人間だったらお嫁さんの方に渡すと、精子と卵子がくっついて、そして増殖して、子宮の中で生まれる。それは知ってるよね。」と言ったら、子供は「知ってる」という。図鑑とかを見ているので、精子と卵子が結合して増殖して大きくなっていく絵は見ているわけです。だからあと問題なのは、どうやって精子を受け渡すかという核心の一点になる。そこで僕は説明しました。「女の人には、赤ちゃんが産まれるところがあるんだ。知ってる?それはおしっこが出る所じゃなくて、それとは別の赤ちゃんが通り抜けてくる穴があるんだ。」「赤ちゃんが出てくるところだよね」「そうそう。お母さんになる人のそこに、お父さんになる人が自分の生殖器(子供にはチンポって言いましたけど)を入れて、睾丸のところにある精子を送り込むと子供が出来るんだ。」子供に、「ともくんね。触ったりするとチンポが固くなるだろう。」「うん。なる。」「なんでチンポが固くなるか知ってるか?」「分からない。」「実は、ふにゃふにゃのチンポだったら女の人の穴の中に入れられないだろう。」「あーッ。そうか。」「だから固くなるんだよ。固くなって、そして入れて、精子が睾丸から出ていって、子宮の中を通っていって、結合して、赤ちゃんができるんだ。」「‥‥。あーっ。わかったあ。」という感じで、ものすごく安心するんです。それまでは「何で?何で?」といつも聞いてきたのが、話した後は何も聞いてきません。僕が隠さないで、すごく自然で当たり前のことなんだっていう風に教えるので、いやらしいことだとか不自然なことだと思わないんです。本当のことを親が自信を持って教えることで、子供は安心します。

 先にお話ししましたように、子供は普段から性行動に繋がる行動をとります。それは、大人になるための準備で、非常に大切なことです。これを親が否定しない。変態だとか嫌らしいことだとか言わないことが大切です。

 実は、夫婦が非常に不和な家庭とか、精神的にストレスの多い家庭に育った子供の中には、男の子も女の子も、最初の思春期の3、4、5才のときにマスターベーションを覚える子がいます。普通は思春期のときに覚えるものです。精神的なストレスが非常に高まってきたとき、それを解消するために自然に覚えてしまいます。これは全然問題のないことです。ところが親がそれを見つけると、「なんてことするのか」とやめさせようとします。「いけないことだ」とか、「恥ずかしい」と言って、性を導き損ないます。このようなときは、それはすごく自然なことなんだと思って気にしないことです。ただ、家庭の中が平和じゃないんだな、と思った方がいいです。本当は、家庭の中が平和でストレスがたまらない家庭だと、3才や5才では覚えないものです。社会でのストレスが少なくて、家庭でもストレスがなければ、マスターベーションは全然覚えないまま、結婚してしまうと思います。でも、現代の社会は非常にストレス度の高い社会なので、どうしてもどちらかの反抗期の時に覚えるのが普通です。これは問題でも性的倒錯でもなく、成長していくために必然的な行動です。

 実は、フロイトが言っているのですが、子供のうちは性欲は肛門にあります。それをマスターベーションをしたりすることで性器の方に移していっているのです。性器の方に性欲が移っていかなければ、思春期になって生殖行動がとれませんから、その方が非常にまずいわけです。マスターベーションを覚えた子供に罪悪感をもたせるようなことをしてしまうと、意識が肛門のレベルに留まってしまい、例えば、大人になっても肛門に対して愛着をもった変態になってしまいます。本当に男性も女性も、性が成熟するためにマスターベーションを罪悪視しないことが大切です。
 うちの子の場合、最初の思春期ではストレスがなかったせいかマスターベーションを覚えていません。けれども、妻に睾丸を押しつけたりとかして、自然に肛門から性器の方に性欲を移行させる作業をしています。これは非常に大切なことをしているわけです。そういうことをしないと、思春期になって生殖行動がとれない人間になってしまいます。ところが普通の親は、それが変態的行動だと思ってやめさせようとします。そして、本来の子供の力、パワーを奪ってしまいます。
 力を奪われた子供はどうするかというと、親から奪われた力を他の第三者から奪おうとします。クラスメートの誰かから、自分より弱いだれかから奪います。これがいじめです。
 いじめの本当の原因は、親が子供に芽生えた性欲を導き損なって、子供のパワーを奪っているからなんです。だから、絶対にいじめはなくなりません。子供をちゃんと育てないと、教室の中のいじめをなくすのは不可能なんです。
 子供に本来のパワーがないのはなぜかというと、まず、3才から5才のときに子供の独立要求を満たしてあげなかったからです。この時期の子供に対して、敬意をもって自分と対等の人間として扱うことです。自分の子供を尊敬している親がどれくらいいるでしょうか?愛情は持っているかもしれませんが、敬意をもっているといえる方は少ないのではないでしょうか。例えば、NHKの「未来への教室」という番組では、世界のトップで活躍している指揮者とか、画家だとかが先生になっています。そういう人の授業は受けてみたいと思いませんか?そして、敬意を払って聴くでしょう。どんなことを言っているのかなとしっかりと耳を傾けるでしょう。子供に対しても同じように敬意をもって聴いて下さい。そういう態度で子供に接したら、子供は自分が大人として扱われているということを自覚して、独立要求を満たしていきます。

 けれどもそのようにできる大人は少ないように思います。子供が何か言っても、「うるさい」「だめでしょ」「いけません」と否定することばかり言います。そうすると子供は自分の力を奪われる。その子供は奪われた力を他人から奪おうとする。そしていじめが起こる。いじめの本当の根源は家庭にあります。それを教室で解決するのは不可能です。どんなに子供に「仲良くしなさい」「けんかしたらいけません」と道徳律を先生が教えても、いじめは絶対になくなりません。もしその教室からいじめをなくそうと本気で思ったら、先生が一人一人の子供に対して敬意をもって接することです。ところがほとんどの先生は子供を見下しています。

 例えば、中学校で生徒に向かって先生が「おまえら、なにをやっているんだ!」と言ったりしています。このような明らかに生徒を馬鹿にしている言葉がたくさんあります。尊敬すべき人に対する言葉ではありません。なぜ、教師が生徒を馬鹿にするかというと、それは、教師自身が馬鹿にされて育てられたからです。馬鹿にされて育ってきたから、人を馬鹿にするんです。生徒の親も、自分の親や教師に馬鹿にされて育ってきました。だから子供に対して敬意をもって接することができないのです。この循環が非常に恐いと思います。

 このいじめの鎖を断ち切るためには、自分の問題の本当の原因に気づいて、改めて、子供に対して敬意を払って育てる。そうすると、この悪循環を断ち切ることが出来ます。子供の自立心、独立心を満たして育てることができる。そうすると成熟した大人になっていく。子供の性的な行動を絶対にないがしろにしない。「子供の性欲」というものを、すごく大切なものとして自然なものとして受けとめてあげることです。そうすると子供は性に対する罪悪感を持ちません。そして、自分を大切にする人になります。自分を尊重されて育った人は、人も尊重します。だから男女間もうまくいくんです。

 ところが子供を育てる大人のなかで、他人を尊重できる人というのは非常に少ないように思います。例えば、今の男性のうちどれくらいが妻を尊重しているかと考えると、とても少ないことが分かります。ほとんどの男性は、女性のことを馬鹿だと思っているようです。論理的思考力がなくて、おしゃべり好きで、つまらないことを井戸端会議やっていると。ところが女性から見ると、夫は思いやりが無くて、自分のことを分かってくれなくて仕事ばかりやっていると思っています。そして、女性は10年か20年くらいすると、愛想をつかしてしまいます。初めは男が女を馬鹿にしている。そのうち女が男を馬鹿にするようになる。そして夫婦の間が冷え切ってしまう。これはどっちが悪いかというと、多分、男性の方だと思います。先に馬鹿にしてしまっているから。

 なぜ、このようなことが起こるかというと、私は教育が悪いからだと思っています。今の教育は、知的な能力を重視しすぎるんです。速やかに正確に物事が処理できる能力。問題の本質を見つけ出してそれをいかにして解決していくかの能力。これは男性の能力です。学校の先生が、頭がいいとか、いい大学に入れるだとか、そういう男性的な能力を尊重しすぎていると思います。

 今の時代に要求されているのはそれだけの能力ではありません。女性の能力、相手の気持ちを考えてコミュニケーションをとる能力が必要とされています。実際、コミュニケーション能力に関しては、女性の方がはるかに上位です。男もそういう女性的な能力を拡大していかないと、これからの社会では生き残れません。政治の世界でもそうで、これまでだったら、どこかの国が気に入らなければミサイルを打ち込めば良かったんです。その国を思うようにできた。これは男の論理です。力対力。でも、これでは絶対に解決しないことがあります。政治の世界でも企業の世界でも、これからの社会はコミュニケーション能力が必要です。力で解決する時代はもう終わりました。

 女性の脳は人間関係、男性の脳は問題解決についての能力が本来もっている力です。この二つの能力はどちらが上でも下でもない。ところがこれまでの教育では知的な能力をあまりにも重視しすぎて女性的な能力、人の気持ちを考え思いやる能力をないがしろにしてきました。これが、男が女を馬鹿にする最大の原因だと思います。これからはもっと、女性的な能力、コミュニケーション能力を教育の中に組み込まなければいけません。

 思春期は、性の意識が強く目覚める時期です。言葉をかえて言えば、独立要求を強く主張する時期と言えます。この時にもっとも大切なことは、何度も言うように、子供に対して〝ひとりの独立した人格としての敬意を払って接する〟という、このことにつきます。このように独立要求をしっかりと満たして、性を罪悪視させないように正しく導き、例えば今回紹介した、アーバン博士の「愛のヨガ」の内容を正しく子供に伝えることなどの、将来子供が夫婦となって幸せな家庭を築けるような土台となるしっかりとした基礎を与える時期なのです。ですからこのことは思春期に限ったことではないのですが、特にこの時期に、学校では知識や学力や体力に偏って子供を指導している風潮があるようですが、そうではなく、しっかりと将来の幸福な夫婦関係、親子関係、そして人間関係の基礎としての性を導くという視点から、もう一度思春期の子供たちへの接し方を見直さないといけないと思います。

(講演 2000年12月17日 福岡)

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【著者プロフィール】

竹下雅敏(たけしたまさとし)

1959年 兵庫県神戸市生まれ、広島県在住。
広島大学理学部・大学院にて 数学を専攻する。夫婦、親子を含めた人間関係、子育て、教育、東 洋医学、宗教、精神世界、政治経済、哲学、その他幅広い分野にわたる知識と、深い洞察力により多くの講演活動を行っている。

著書 「ぴ・よ・こ・と」シリーズ「ガヤトリー・マントラの祈り」(こじかBooks) 監修図書 「幸せを開く7つの扉」(ビジネス社)