【第15回】 ぴょんぴょん式 ねじれの医学 ~母のリウマチ ~

研修医を終わって間もなく、母が慢性関節リウマチになりました。悪性リウマチとでもいうような、重症のリウマチでした。高熱が出て、全身の関節が腫れて痛んで、日常生活に支障をきたすようになりました。

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リウマチと言えば、一般に消炎鎮痛剤やステロイド剤、さらに免疫抑制剤が処方されますが、ステロイド剤による副作用は十分に知っていたので、母にはできるだけ使わせたくありませんでした。とは言っても、鎮痛剤を限界量使っても効かないほどの激しい痛みで、母はとうとう寝たきりになってしまいました。

私も、そろそろ潮どきと感じていた大学病院を辞めて、看病のために家に帰りました。

当時は、自宅介護のためのサービスなどは皆無でしたから、私と妹と父の3人交代で、夜通し母の看病をしました。それもとうとう限界がきて、これは入院させなければ無理だということになりました。

そのころは東京に住んでいましたので、リウマチといえば、「伊東の温泉病院」が一番近くて有名でした。父はそこに入院させようと言いましたが、入院すれば、必ずステロイドが投与されてしまうでしょう。そうしたら母は、ずっと寝たきりになる感じがして、気が進みませんでした。

さて、どこに入れたらよいのやら・・あてもなく市立図書館に向かいました。するとそこで、「リウマチは治る」というタイトルが目に飛び込んできたのです。「本当かな?」と思いながら、興味津々でその本を借りて帰りました。

それは、大分県狭間市の冷凍研究所病院、略して「冷研リウマチ村」の院長が書いた本でした。そこは温泉とは逆の冷凍治療で、リウマチの症状を改善に向かわせている病院でした。「ぜったいにねじれ体癖だ!」と思われる院長は、もと九大温泉病院に勤務していました。そこでリウマチ患者さんの中に、温泉で悪化する方がいることを発見して、冷凍治療の研究を重ね、ついに自分で病院を作ったのです。母も温めると悪化するタイプでした。

見学の後、ここなら母を入院させてもよいと判断しました。そして難色を示す父を説得し、立てない母を車いすに乗せ、飛行機ではるばる大分に連れて行くことになりました。

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実際、6か月の入院で母は歩けるどころか、階段も上り下りできるようになっていました。しかもステロイドは一切使わずにです。

残念ながら、今はこの病院はありません。が、ここの良さはたくさんありました。朝6時になると全員、軍艦マーチで起こされ、だれもベッドにいさせてくれません。初めは母もつらそうでしたが、無理やり起こされて、リハビリ室へ連れて行かれる頃にはよそ行きの顔になり、見る見る明るく元気になりました。

もちろんリウマチですから、完治したわけではありません。ステロイドを使わなかったために、手の指の変形も強く、手先のことはほとんどできませんでした。それでも母は、一生ステロイドを飲まなかったおかげで、内臓は元気で寿命を全うできたと思います。

(挿絵:あい∞ん)

Writer

ぴょんぴょんDr.

白木 るい子(ぴょんぴょん先生)

1955年、大阪生まれ。うお座。
幼少期から学生時代を東京で過ごす。1979年東京女子医大卒業。
1985年、大分県別府市に移住。
1988年、別府市で、はくちょう会クリニックを開業。
以後26年半、主に漢方診療に携わった。
2014年11月末、クリニック閉院。
現在、豊後高田市で、田舎暮らしをエンジョイしている。
体癖7-3。エニアグラム4番(芸術家)

東洋医学セミナー受講者の声

2件のコメント

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  1. フィロソーマ on

    「ぜったいにねじれ体癖だ!」に吹きました。
    温泉から冷凍治療へとは捻れの鑑のようなエピソードですね。
    あい∞んさんの挿絵も豊かになってよかったです。危険な領域か(^^)

  2. オオトラ on

    今回の記事は大変参考に成りました 引退した元気功師ですが 勉強は続け居ます 一旦修羅場を
    離れますと思考の範囲が狭まり 基本的な事への考察を怠りがちに成ると言う事に気付かされました
    竹下先生の東洋医学講座の受講を完了してから 10年が過ぎようとしています が気を取り直して
    ボケ防止に知識の再点検始めようかなーピョンピョン先生有難う御座いました

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