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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第2話 ― 日本の「構造改革」へ

 中身については本文の中で示しますが、1979年から1982年まで当時のFRB議長に就任したポール・ボルカーによるいわゆる「ボルカーショック」にて、米国の経済と産業が破壊されていきます。ポール・ボルカーのウィキペディア記事では、これに対しての米国民の行動が次のように記されています。
ボルカー指導下の連銀は、連邦準備制度の歴史上最も激しい政治的攻撃と、1913年の創立以来最も広範な層からの抗議を受けることになった。高金利政策によって建設、農業部門などが受けた影響により、重い債務を負った農民がワシントンD.C.にトラクターを乗り入れてFRBが本部を置くエックルス・ビルを封鎖する事態にまで至った。
 「ワシントンD.C.への農民のトラクターの乗り入れ」、今の日本ではこれぐらいのことはすべきではないかと思えます。新型コロナワクチン、防衛費増大、重税、マイナンバーカード関連、原発関連、インボイス制度、産業破壊、特に農業とりわけ酪農家への裏切りの切り捨て、本当に日本政府は日本国民を多角的に「本気で殺しにきている」のです。トラクターの乗り入れでも何でもいいですから、国会や霞が関町などに日本国民も一斉抗議の声をあげるべき時に思えます。
 日本の破壊、日本の物心両面の貧困化は現在までどんどんと進んできたのですが、この流れは1980年代に仕込まれてきていました。日本が物質的に最も豊かだった時代にです。その仕込みの展開は「構造改革」という名称にされていきました。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第2話 ― 日本の「構造改革」へ

プリンスの背後


ある企業経営者だった方が次のように語っていたのを記憶しています。

銀行が「借りてくれ、借りてくれ」としつこく言ってきた。それで仕方無しにその金を借りてやって、事業を拡大して展開させた。それで事業は順調に展開していた。しかしある日突然、銀行が借金返済を迫ってきた。貸し剥がしだ。これで事業資金が行き詰まり、順調だった事業が立ち行かなくなった…。

バブルとその破裂の影響を受けた企業経営者の典型がこの方です。このようにして多くの日本企業は破綻し、不良債権となります。ここで外国ファンドが登場、二束三文となった債権を喰い物にしていきます。


しかし、その企業はもともと事業は順調で、不良債権どころか優良企業だったのです。銀行の貸し剥がしによって日本に不良債権の山が築かれ、それらは外国ファンドにただのような値段で買い漁られていくのです。銀行など日本の金融業も、自分たちの作ってしまった不良債権のせいで破綻していきます。

この惨劇を発動させた一つが、前回に触れたように「BIS規制」でした。
😱 日本の各銀行は「日銀のプリンス」による窓口指導という信用統制によって、筒いっぱいに貸し出しをせざるを得なくなります。
😱 ところが一方で、1988年に総資産の8%以上を自己資産として維持しなければならないという「BIS規制」が仕込まれ、そのために日本の各銀行は貸し出した資金を回収、つまり貸し剥がしをせざるを得なくなっていくのです。
😱 「BIS規制」で企業も銀行も破綻していくのです。
こうやって「平成大不況」を生み出し、幕の後ろから日本経済を転落させた実行犯が「日銀のプリンス」たちでした。

一方で、日銀のプリンスたちにそれを指示したであろう「キング」もいるはずです。「プリンス」に対して「キング」とは、外形的にはアメリカ中央銀行FRBの議長となるでしょう。

日本のバブルの生成と破裂に深く絡んでくる「キング」のFRB議長は、1979年から1987年8月まで議長だったポール・ボルカー、そして1987年から2006年まで議長だったアラン・グリーンスパンとなります。


ただし、「キング」といってもその主人がいます。ポール・ボルカーの主人はデイヴィッド・ロックフェラー、グリーンスパンの主人はジェイコブ・ロスチャイルドになるでしょう。


ポール・ボルカーとグリーンスパンの2名のFRB議長の内、とりわけ日本経済破壊に重要な役割を果たしたのはポール・ボルカーのほうになるはずです。物事は何であれ、それを成立させるための準備と仕込みが重要であり、FRB議長就任期間を見れば、その役割を担ったのはポール・ボルカーになるからです。

ポール・ボルカーは外伝75でみたように、1971年8月のニクソン(ドル)・ショックを誘導した人物です。そして、ボルカーがグリーンスパン以上に重要な役割を担ったと見るのは、就任期間以外の理由もあります。


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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第1話 ― バブルの破裂

 私はバブルという異様な期間をモロに体験した世代になります。しかし記憶の点でいうと、バブル期ではなく、バブルがはじけた後のことが深く刻み込まれています。企業経営者などが次々と首をくくるなどして、自殺していったからです。彼らは自分が死ぬことで、かけていた保険金を受けて、借財返済の当てにしようとした方が多数いました。一人で企業破綻、返済不能の責任を取り、自殺していくのです。私の知り合いも自殺された方がいます。そういった光景に立会いながらも、私達には為すすべもありません。
  • なぜバブルが発生し、そして破裂したのか?
  • その責任所在は誰にあるのか?
何もわからないのです。どうしようもありません。
 あの事態が理解できたのは、竹下さんに教えていただいたヴェルナー氏の『円の支配者(編集者註:ドキュメンタリー映画「円の支配者」文字起こし記事はこちらの中古本を読み込むことによってでした。この世界のお金が作られるのは、銀行の貸出という信用創造によることもこの時に同時に理解できたのです。2010年の秋のことでした。まるで覆っていた霧や砂がはらされて、隠されていた古代都市が生き生きと現出したような感覚があったのを記憶しています。「よ〜し、これを伝えていかなくては!」、そう思っていた時に発生したのが東日本大震災でした。
 話を戻します。バブルの生成と破裂、それに伴う日本経済の転落と多数の自殺者、これの主犯が日銀「日銀のプリンス」たちです。日銀のプリンスとは日銀生え抜きで、日銀副総裁から日銀総裁になった円の支配者」であり、バブル破裂時にメディアがこぞって「日本経済の正義の執行者、救済者」として称賛していたのが彼らでした。彼らは「同胞殺し」と言えるでしょうし、それの共犯者で、犯罪を強力に幇助したのはいつも通りメディアでした。そして、彼らの背後にはアメリカの支配者たちがいました。これもいつも通りです。


(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第1話 ― バブルの破裂

日本が米国の敵国に


私は「日本の○○年」と表現しますが、近頃は「日本の失われた30年」と表現される「日本の失われた○○年」、この起点は一般には1991年(平成3年)とされます。外伝にて見てきたように、1991年は1月に湾岸戦争が起こされ、同年12月の年末にはソ連が崩壊・解体した年です。この年、日本ではその2月にバブルがはじけた年でもあります。

第2次世界大戦後の世界の構図となっていたのが東西対立米ソ冷戦でした。ところが米ソ冷戦は終決し、ソ連自体が解体されてしまうのです。こうなると米国の敵国は、経済でさんざんしてやられてきた日本と明瞭になったのです。アメリカにとって日本は、はっきりと「奪い・潰す」対象となったのです。そういった事情を『戦後史の正体』p323では、次のように記載されています。

冷戦時代、米国の敵はソ連でした。しかし1990年代初頭になり、日本が米国の経済を脅かす敵として、CIAから位置づけられることになったのです。
この時代に私は、米国のテレビが首脳会談のためワシントンに到着した日本の首相一行を報道していた場面を見ていたことがあります。着陸した飛行機から、ある通産審議官が降りてくるのを見て、テレビのコメンテーターは「彼はエネミーだ」と決めつけました。当時日本の人びとはそれを冗談と思っていたのですが、実はそれが本音でした。米国は日本を「米国経済をおびやかす敵」とみていたのです。


日本は現在に至るまで、アメリカの支配者たちから徹底的にその富を簒奪されていくのですが、日本を敵国とみなしたのはアメリカの支配者たちだけではなく、米国民衆もそうだったようです。こうなるとアメリカの支配者たちは、日本から「奪い・潰す」のはよりやりやすい作業となっていたでしょう。

ほとんど全ての国家の権力者・支配者は、自国民衆に対して外部に敵を作り出して注視させるようにします。実際に民衆の富や権利を奪っているのは、外国の人びとではなく支配者たちなのですが、その実態を民衆に知られないように、民衆の不満や関心を外部にそらすために外の敵を見せかけるのです。

米国もしかりでした。米国はもとは冠たる工業国家で、分厚い中間層が国家の形態でした。その米国の中間層はその富を消失して貧困層となっていくのですが、それはアメリカの支配者たちの仕業によるものです。民衆はメディアなどによって容易に騙され本当の敵を見失うのです。

ともあれ1991年(平成3年)はソ連が解体された年で、その代わりの敵国とされたのが日本であり、そしてその日本がアメリカの敵国とされたのと連動しますが、1991年はバブルがはじけて、目に見えて日本経済が坂道を転がるように転落していく年になってもいます。こういった観点から、「日本の失われた○○年」の起点は1991年との見方は成立していると言えるでしょう。しかし実際に日本の○○年の起点は、1991年より前の1985年だというのが私の見立てです。


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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝83 ― ソ連の解体

 1991年は湾岸戦争に続きソ連崩壊となり、世界はアメリカの「一極体制」「一極支配」が始まっていました。しかしアメリカの一極体制と言っても、アメリカ国家の内部は根本的に腐り破壊されてもいたのですが…。
 「ユダヤ問題のポイント」の連載の最初期に紹介した「元ソ連外交官が語る『ロシア-ユダヤ闘争史』の全貌」は、1993年夏に来日されたアレキサンドル・イワノフ氏の講演録です。1991年末にソビエト連邦が解体され、元ソ連に大混乱と経済崩壊が生じ、この1993年頃は、その国富がさんざんとオルガリヒと呼ばれる新興財閥の食い物にされていた時期でした。ソ連崩壊に伴う混乱やオルガリヒのことは当時のメディアでは盛んに取り上げられており、オルガリヒはロシア内のユダヤ人が中心で、アメリカの資本家ユダヤ人とも連携している様子も見て取れていました。その困難のロシアから来日されたイワノフ氏は講演の最後に、ユダヤ人たちは再びロシアの権力を握ったと思っているだろうが、しかしそれは続かないだろう、「やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう。私(イワノフ)は固く信じている。」と締めくくられています。
 そしてその予言は事実となりました。その後も「闇の支配」を払い除け続けてきたロシア、現在、そのロシアが世界の光の存在になっているとも言えるでしょう。
 ちなみにソ連崩壊当時の報道では、「現在のソ連では食料も民衆に行き届かいない状況だ。」とされました。しかし、実際に映像に写っているロシア人のおばさんたちは揃ってコロコロと太ったお姿だったのです。「本当に食料がない?」と私は当時に疑ったものでした。
 このソ連崩壊の大危機の民衆を救ったのがダーチャでした。郊外の菜園付き小屋のダーチャでのじゃがいもなどの食料自給にて、民衆は危機を乗り切っていったのでした。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝83 ― ソ連の解体

「建国の精神」の完全死


1991年、1月17日の多国籍軍の攻撃によって始まった湾岸戦争は、2月28日にブッシュSr. 大統領の戦闘終了宣言にてその戦闘は終了しました。これは前回に見た死のハイウェイ殺戮の終了に伴う戦闘終了宣言でした。

記者会見で、湾岸戦争に関する質問に答えるブッシュSr. 大統領
(1991年2月5日)
Wikimedia Commons [Public Domain]

『新版 300人員会(下)』のp30には、イラク兵はジュネーブ条約に従い、白旗を揚げて撤退中だったとあります。この卑劣で完全な戦争犯罪の攻撃は300人委員会の意向に基づき、ブッシュSr. 大統領の指令によって行われたようで、この攻撃実施された湾岸戦争での影響に関して、同本のp144は以下のように指摘しています。

タヴィストック人間関係研究所は、かつて大国であったアメリカのプライドを破壊することに成功した。湾岸戦争に勝利したとわれわれは聞かされた。しかし大部分の国民が気づいていないのは、戦争に勝ったことによって、自国のプライドと名誉を損なったことだ。クウェートとイラクの砂漠の中で、クウェートとバスラから正式に退却しながら殺されたイラク兵の遺体とともに国家のプライドは死んでしまった。

1991年2月、クウェートから撤退するイラク軍が多国籍軍の手によって壊滅的な損害を受けた「死のハイウェイ」の空撮映像。1,400〜2,000台の車両が破壊されたり、放置されたりした。

そしてp146には、「かつての誇り高きアメリカ合衆国という共和国は単なる犯罪組織に」とした上で、以下のように記載しています。

こうしてタヴィストック人間関係研究所とウィリス・ハーモンは、われわれの反応をプログラミングした。われわれは抵抗することなく、精神を捨てていく。国民の精神と知性が破壊されてしまったのだ。

多国籍軍の中心であった米国は、湾岸戦争で一方的な勝利を収めたとされます。反対に湾岸戦争以降、イラクは徹底的に破壊されていきます。…しかし破壊されたのはイラクだけでなく、米国も破壊されたとの指摘です。アメリカという国家を形成する根本部分、国家としてのプライド、国民の精神と知性が破壊されてしまったという指摘であり、これはその通りでしょう。下にあるアメリカの建国の精神などは、死のハイウェイの殺戮によって見る影もなく失われてしまっています。

すでにアメリカは「闇の権力」からの波状攻撃により、とっくの昔に共和国から「株式会社アメリカ」に成り果ててはいましたが、湾岸戦争によって更には「ゾンビ国家」にまで転落していったと言えるのでしょう。その国民が精神と知性を放棄してしまったならば、その国家は「ゾンビ国家」です。

湾岸戦争の与えた影響、米国への、イラク中東への、世界への、その影響はとても深いものだったのです。地上世界を破壊の方向へ向ける…。


独立宣言
(中略)
われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。
(ウィキソース「アメリカ独立宣言」より)

アメリカ独立宣言の署名の様子
Wikimedia Commons [Public Domain]

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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝82 ― 湾岸戦争

 現在、私達日本の民衆も、仕掛けられた戦争の只中にあります。その使用が禁止されている兵器となるのですが、生物兵器である新型コロナウイルスと、生物化学兵器であるコロナワクチンによる攻撃にさらされているのですから。世界民衆が、継続している戦争からの攻撃にさらされ続けているのです。
 戦争とは、銃やミサイルの打ち合いといった戦闘などはその一部に過ぎません。戦争の大部分は情報戦です。日本民衆も世界民衆も禁止された兵器とともに、ずっと以前から情報戦による攻撃にさらされてきたのです。意図的に流されたプロパガンダのウソ情報に踊らされてきたのが実態です。「戦争は国家間で行われる。」、メディアや教科書で教えられるこの情報も、仕掛けられた情報戦による攻撃の一部と言えるかも知れません。実態や本質を覆い隠すものだからです。
 現在の継続してきた戦争は、パワー・エリートが世界民衆に仕掛けた戦争、従ってその犠牲者となっているのは、どの国家にも関わらず一般民衆なのです。この現在の戦争はいつから始まっていたのか?
 見方次第では種々の見解が成立しますが、少なくとも30年以上前、湾岸戦争から始まっていたとは確実に言えます。NWO成立に向けて世界民衆に仕掛けられた戦争です。
 一般的には湾岸戦争とは、多国籍軍の、主には 米国  イラク の戦争と捉えられています。確かにイラク民衆の凄惨多大な犠牲が湾岸戦争で起きました。しかし、米国人も湾岸戦争で多数が犠牲になっています。湾岸戦争症候群です。
 この湾岸戦争症候群は作為的なものです。戦争前には米国民衆は、米国政府の命令によって作成されたプロパガンダに騙され、踊らされてもいたのです。繰り返します。どの国であっても、戦争の犠牲になっていたのは一般民衆なのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝82 ― 湾岸戦争

米国民衆へのプロパガンダ攻撃


多くの人々は騙されます。騙される方々を見ていて感じるのが、「この人たちは大きな権威や肩書に弱いな…」ということです。権威・肩書に簡単に騙されるのです。だからこそでしょう、権威や肩書を欲し、それを振り回す人たちの多いこと…。その権威でも最上級のものとなるのが「世界の権威」「国際的な権威」となるでしょう。


…となると、最上級権威の代表が国際連合でしょう。その表看板上は“善人・賢人・聖人”の集まりで、正義の執行者となります。しかし、それはフェイクであって、国連がいかにいかがわしく邪悪であるか前回に見た通りです。

そして国連と同様に、世界・国際的な権威に位置づけられているのがWHO(世界保健機関)です。新型コロナとそのワクチンに対するWHOの態度を見てもう既にお気づきでしょうが、WHOもその中身は国連と全く同様です。WHOも主権国家を破壊するNWOのための機関です。

日本語訳はこちらを参考。

新型コロナワクチンへの警報を発す「有志医師の会」の立ち上げに尽力されたあの『おおきな木ホームクリニック』は、湾岸戦争と絡むのですが、WHOについて以下のように発言されています。

このヒル・アンド・ノウルトン・ストラテジーズという(悪い)会社。
実は現在、WHOの専属広告代理店なのです。
新型コロナのイメージ作り(恐怖をあおったり…)、いまではワクチンを強力に推進したり(WHOは製薬会社がスポンサーになっていますから)、そしてWHOのイメージを崩さない情報戦略をおこなったりしているようです。
一般企業ならわかるのですが、そもそもWHOにPR会社って必要なのでしょうか??
普通にまっとうなことをやっていればPR会社なんていりませんよね。
WHOは一般企業じゃないんですから競争相手だっていません。
何か事実をねじ曲げて強引に世論を誘導したかったり、何か間違ったことをしているからPR会社が必要になるのではないでしょうか?
あの湾岸戦争の時のように。

現在、WHOの専属広告代理店となっているというヒル・アンド・ノウルトン・ストラテジーズ社が作った映像が、湾岸戦争で度々出てくるナイラ証言」だったのです。ナイラなる少女(実は当時のクウェート駐米大使の娘)の、涙ながらの「クウェートに侵入したイラク兵が赤ん坊たちを次々に殺していった。」とのでっちあげ証言の映像です。

✅ 0:49〜:ナイラ証言の様子

それまで米国民衆の8割はイラクへの武力行使に反対だったのを、この映像の垂れ流しで米国民衆を騙し、一転させて湾岸戦争を成立させたものです。

湾岸戦争は広告代理店が作った戦争とも言えますが、広告代理店のバックには米国政府やCIAなどがありました。その広告代理店が現在、WHOの専属広告代理店とのことですから、米国政府、英国政府、CIA、国連、WHO、メディア等々は全てが同じ穴の狢という言い方が分かりやすいでしょう。


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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝81 ― フェイク存在の国連

 1991年1月17日、多国籍軍による武力行使で始まった湾岸戦争はフェイクによって成立した戦争?(虐殺)でした。湾岸戦争はフェイクに世界民衆が騙されることで成立したのです。ただし、湾岸戦争とその以降にイラク人民が流させられたおびただしい血と悲劇はもちろん本物です。裏返して言えば、フェイクに世界民衆が騙されなかったならば、湾岸戦争もイラク人民の血と悲劇も避けられたはずなのです。
 平気で騙す連中がいます。この連中は例外なく悪で、彼らは「一度騙した者は二度騙せる。二度騙した三度騙せる。三度騙せたら永遠に騙せる。」という思考傾向を持ちます。騙してはいけないのは当然として、しかし騙されてもいけないのです。騙されていたら先ずはそのことに気づかなくてはいけないし、また気づいても「騙されたが仕方ない。」でも、やはりまた騙されるでしょう。騙される側にも問題はあるのです。騙されるということは、そのつもりがなくても結果としては悪に加担することにもなるからです。
 湾岸戦争のフェイクは大きくは2つです。(CIAや米国ブッシュSr. 政権などをバックとしていますが)PR会社・広告代理店によって作成されたフェイク、そして国連というフェイクです。
 既に日本・昭和編 第38話で触れたように、一般的な「恒久的な国際平和のための機関」との国連への認識は実態ではありません。フェイクを掴まされているのです。国連本部はロックフェラー家の敷地に建造されており、国連は世界戦略のための「連合国」で“NWO”を実現していくための機関なのです。図らずも湾岸戦争での国連のふるまい・行動実績が、国連の正体を露呈させていたのです。国連がいかにいかがわしく邪悪な存在であるかの馬脚を現していたのです。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝81 ― フェイク存在の国連

湾岸戦争での世界大勢の心理状態


 “皆が寄ってたかって一人の人間に石を投げつけ、周りも囃し立て、とうとう石を投げつけられた人間は致命傷まで負ってしまう。
ところが石を投げつけた者たち、そして周囲の者たちも、自分たちが正義漢のつもりでいて揚々として暴力行為を行い、それに加担していた。”

ウルトラリンチ (日本語公開版)
「このウルトラ組に相当するのが欧米の指導者たち、いじめられているゴモラは...」

今思えば、まるでこのような状況が現出していたのが「湾岸戦争」でした。クウェートに侵攻したサダム・フセインのイラクに対し、国際社会は多国籍軍を編成し、イラクを屠っていったのが湾岸戦争だったのです。一方的な展開であり、この湾岸戦争は戦争というよりは、イラクに対する国際社会の苛烈な制裁でした。

もっといえば湾岸戦争後もイラクへの苛烈な制裁が継続、国際社会はそれが当然だとばかりに容認していたのです。イラクには人権など認められないというのが世界の大勢であり、これは異様な事態のはずです。しかし当時は世界の大勢にはそれが当然であって、何らの違和感もない状況だったのです。

思い起こせば私自身も湾岸戦争の時、自分の内部に全く違和感がなかったか?といえば微かにあったのですが本当に微かなもので、私も世界の大勢側にいたのです。そして、もし当時の誰かがイラクに擁護までもいかない同情的な態度を見せただけだとしても、その人物は最低限でも強い白眼視にさらされたでしょう。

編集者註:1991年に撮影された湾岸戦争中のクウェート人少女。その背後では油井が燃え、イラク軍戦車の隣で子羊を抱えている。【という設定(実は⬇︎)】

嘘から始まった湾岸戦争!自作自演の議会証言とPR操作!
編集者註:戦争広告代理店がしくんだプロパガンダ事件の典型。駐米クウェート大使サウド・ナシール・アル・サバの娘が行なった「ナイラ証言」。

事実はこれまでにも触れてきたようにイラクのクウェート侵攻はアメリカ側の唆しの罠に嵌ったものです。それにイラクの「クウェートは本来は自領だ。」との主張も一定の理はあるものなのです。しかし、イラク側の言い分は全く国際社会に聞き入られることはなかったのです。

なぜこのようなことになったのか? いくつかの要因はあります。その一つがクウェート侵攻のイラク、そして湾岸戦争に対する国連の態度だったはずです。

Wikimedia_Commons [Public Domain]

まずは国連の見解を見てみましょう。国際連合広報センターの発表は以下の通りです。

1990年8月、安全保障理事会は、クウェートからイラクの撤退を要求し、貿易と石油の禁輸を含む制裁をイラクに科した。1991年1月16日、多国籍軍はイラクに対して攻撃を開始した。多国籍軍の行動は、理事会から権限を与えられたものであったが、国連の指揮もしくは管理のもとにおかれたものではなかった。イラク軍がクウェートから撤退し、2月に戦争は終わった。

国連側の言い分では、「国連は確かにクウェート侵攻のイラクに対しすぐさま制裁措置をとった。しかし編成された多国籍軍に関しては国連の指揮もしくは管理のもとにおかれたものではなかった。」と、国連と多国籍軍はまるで一線を画していたとの責任逃れのような発言です。

しかし、当時の私を含む世界民衆の認識は、このような国連の発言内容とは異なっていました。「アメリカの強いプッシュはあったが、多国籍軍の編成は国連が主導して行われた。」、これが当時の私達一般民衆の認識だったのです。国連が多国籍軍を編成し武力行使したのだから、その行動は支持されるものだと私達は思っていた面が強いのです。

青色が多国籍軍およびクウェート支持国


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