アーカイブ: 中東

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝64 ― 犯罪シンジケート(総括)

 4/21の竹下さんの記事で、
「ウクライナ危機を利用した新たなゴールドラッシュを掴んだ国防総省の業者たち」として、レイセオンとロッキード・マーティンを挙げています。
とあります。
 ウクライナ危機、それを利して新たなゴールドラッシュを掴んだレイセオンとロッキード・マーティンら軍事企業、この背景にあって莫大な収益を手にしていたのは、情報は出ませんがアイゼンベルグ社ではなかったか?と思います。
 レイセオンとロッキード・マーティンのキーマンは、ブッシュ Jr.政権副大統領ディック・チェイニーです。チェイニー元副大統領はレイセオン社の取締役、その夫人リン・チェイニーは94年から01年までロッキード・マーティン社の重役を務めたようです。
 オルタナティブ通信からの情報では、チェイニーはアイゼンベルグ社の大株主。またショール・アイゼンベルグの遺産相続人と結婚していたマーク・リッチがチェイニーを支配し、「リッチは自分の顧問弁護士ルイス・リビーをチェイニーの主席補佐官とし、24時間体制でチェイニーを監視」ともあります。こういった情報はなかなか裏が取れないのですが、“当たらずといえども遠からず”ではあるでしょう。
 イラン・イラク戦争でイラクを利用していたのは米国でしたが、イラン・イラク戦争を支配していたのはアイゼンベルグでした。そして「イラン・コントラ事件」で明らかなように、アイゼンベルグが米国政府を支配していました。当時はレーガン政権でしたが、イランとコントラの両方の窓口だったのがブッシュ Sr.副大統領であり、アイゼンベルグと最も深く関わったはずです。その後にブッシュ Sr.は91年に湾岸戦争を引き起こしますが、その背後にはアイゼンベルグがあったでしょう。それ以前の段階でも63年のケネディ大統領暗殺で、アイゼンベルグと当時CIA職員ブッシュ Sr.は深く絡んでいるのです。
 ブッシュ親子、ディック・チェイニーらネオコンの背後にアイゼンベルグ一族があるのです。犯罪シンジケートの暴力支配の流れが現在にまで続いているのです。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝64 ― 犯罪シンジケート(総括)

計画に基づく支配体制の完成


1913年末、ロスチャイルドの大番頭であるジェイコブ・シフが中心となる勢力が米国に中央銀行FRBを創設、米国が私人によって金融支配される体制は完成しました。

これに先立ち、すでにロスチャイルドは通信社など情報世界を押さえていました。所有してもいないお金を貸出しで作り出したことにして利息を複利でむしり取る信用創造、この金融はいわば「盗み」であり、それを成立・継続させるには民衆を騙し通す情報統制が必須なのです。

FRB創設以降に情報統制の役割を果たしていくのがADL(ユダヤ名誉毀損防止同盟)であり、このADLもFRB創設の前にやはりジェイコブ・シフらによってブナイ・ブリスの下部機関として創設されています。

Wikimedia Commons [Public Domain]
Wikimedia Commons [Public Domain]
Wikimedia Commons [Public Domain]
Wikimedia Commons [Public Domain]

ADLは「いわゆるユダヤ、国際金融」に都合の悪い相手に「反ユダヤ主義」のレッテルを貼り、社会的に抹殺する言論統制の情報支配を実施していくのですが、これの裏には暴力の実力行使の暴力支配があったのでした。米国1900年台に移民貧民街に勃興していたハザール・ユダヤ系とイタリア・シシリー系のギャング団が、1920年台の「禁酒法」施行によって急速にその勢力を大拡大したのです。

ADLはこのギャング団たちを支援育成しながら一体となって活動していき、やがてハザール・ユダヤ系ギャング団たちがイタリア系ギャング団を取り込み「殺人株式会社」を設立、更には1930年代始めに北米のギャング団が統一された「全米犯罪シンジケート」が成立します。

この全米マフィアの統一を完成させたのがマイヤー・ランスキーでした。マイヤー・ランスキーのギャング団は、1920年台には中国の阿片ネットワークともコネクションを築いてもいました。ランスキーの事業パートナーだったのがカナダを根城とするギャング団のブロンフマン一族でもありました。

マイヤー・ランスキー
Wikimedia Commons
[Public Domain]
サミュエル・ブロンフマン
エドガー・ブロンフマン

「全米犯罪シンジケート」成立によって、北米に金融支配、情報支配、暴力支配並びにそれが継続される体制が完成したと言えるでしょう。

情報支配の側面で付け足すと、情報支配で重要になっていったのが映像であり、それを受け持ったハリウッドもユダヤ系ギャングにより作られたと言えて、映像世界とマフィアは切っても切れない仲なのです。

こうして完成した北米における金融支配、情報支配、暴力支配の全ての元にあったのが、1881年のロシア皇帝暗殺から始まったポグロムからのハザール・ユダヤ人の米国への大量移民です。それに加えるならば、1880年台のイタリア南部からの移民です。イタリア統一から弾かれた南部の人々が米国に大量移民したのです。

1880年台初期からのユダヤ系とイタリア系の大量移民 ➡ ギャング団の派生 ➡ ADLとFRBの成立 ➡ 禁酒法による不法時代 ➡ ギャング団の勢力拡大シンジケート化 ➡ 1930年台初期「全米犯罪シンジケート」成立

この一連の動きが偶発的自然的に成立したのでしょうか?

全てが計算と計画に基づくものでしょう。1880年初期から僅か半世紀の1930年初期に米国社会は完全に一転しているのです。

Wikimedia_Commons [Public Domain]
Wikimedia_Commons [Public Domain]
Wikimedia_Commons [Public Domain]


» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝63 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ5

 今後も必然的にアイゼンベルグは登場しますが、詳細はキリがないのでアイゼンベルグを題の記事は今回で終了します。

 建国間もないイスラエルでは、建設、金融、造船、自動車、機械、軍事、航空、食糧、化学等のあらゆる産業は、アイゼンベルグ社が創立し、事業が軌道に乗ると民間に払い下げるという形で産業復興が行われていた。
イスラエルの全産業は、事実上アイゼンベルグ社の子会社であった。このイスラエル国家そのものであるアイゼンベルグ社、建国の原動力であるアイゼンベルグ社を優遇し、アイゼンベルグの全活動を無税にするという、「アイゼンベルグ法」という法律がイスラエルにはあった。アイゼンベルグにだけ適用される、アイゼンベルグのためだけの法律であった。
上のオルタナティブ通信の情報に接して「一体何を言っているのか?」と戸惑っていました。イスラエル独立宣言は1948年、その当時ショール・アイゼンベルグは20代なかば、1947年末に東京にアイゼンベルグ商会を設立したばかり。
  • アイゼンベルグがイスラエルを建国?
  • イスラエルの全産業はアイゼンベルグが創立し、事実上の子会社?
  • アイゼンベルグがイスラエル国家そのもの?
  • 「アイゼンベルグ法」?
しかし、イスラエル・コーポレーション記事を見つけ、『ユダヤの告白』を読み直し、上の内容がかなり事実に近いのが見えてきました。
 1948年ではありませんが、1968年にアイゼンベルグによってイスラエル・コーポレーションが創立され、その「この会社の所有者の30年間の税免除と、他に利益の受け取りを保証する」取り決めは、確かに「アイゼンベルグ法」でした。そして、イスラエル・コーポレーションがイスラエルの殆どの企業を支配下に置いたのも、どうも事実に近いようです。
 また、本人というよりもアイゼンベルグが継承した犯罪シンジケートが、イスラエル建国の原動力であったのも事実でした。犯罪シンジケートがイスラエルを乗っ取ったとも言えるし、アイゼンベルグが1948年から僅か20年で犯罪帝国世界本部の帝王になったとも言い得るでしょう。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝63 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ5

「イラン・コントラ事件」の黒幕


1986年、米国レーガン政権下にて「イラン・コントラ事件」が発覚し、世界で大騒ぎになりました。「イラン・コントラ事件」とは、ウィキペディア記事の冒頭部分で次のようにある通りです。

ロナルド・レーガン政権が、レバノンでシーア派テロリスト集団に捕らえられているアメリカ人の解放を目的としてイランと裏取引をした上に、アメリカ国家安全保障会議から同国へ武器を売却し、さらにその代金をニカラグアの反共右派ゲリラ「コントラ」の援助に流用していた事件。1986年に発覚するや、アメリカ国内のみならず世界を巻き込む政治的スキャンダルに発展した。イランゲート(Irangate)といわれた。

この事件の当時、イラン・イラク戦争(1980~1988年)の中でした。米国はサダム・フセイン率いるイラクを(利用という方が正確ですが)支援し、イランはいわば敵国扱いとしていたのです。ところが米国は、そのイランに武器を裏取引で売却していたのです。おまけにそのイランへの武器売却の代金を、これも秘密裏に反共右派ゲリラ「コントラ」の援助に流用していたのです。この問題点の一端をウィキペディア記事では以下のように記載しています。

イランへの武器輸出と、反共ゲリラへの資金流用というそれぞれの行為は、本来なら必要である議会の了解を取っていなかったばかりか、当時民主党が多数を占めた議会の議決に完全に反していた。
また、この時、アメリカのイランとコントラの双方の交渉窓口は、ロナルド・レーガン政権において副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュ(後の大統領)であったとされ、このブッシュの関与が、後の民主党政権下の連邦議会における公聴会で取りあげられたが、その真相はいまもってうやむやである。

Wikimedia_Commons [Public Domain]

この「イラン・コントラ事件」の中心的な役割の黒幕の一人は、「それが公にされることは決してなかった」がショール・アイゼンベルグである、と『ユダヤの告白』第5章の最後部は指摘しています。これはこの通りでしょう。

「イラン・コントラ事件」のウィキペディア記事では、以下の記載内容があります。
  • イラン・イラク戦争が始まるや、イスラエルが本来的には敵国ながらイランに武器を売却。
  • そこに米国が乗って、米国の武器をイスラエルを通じて売却し、人質解放に役立てた。
  • しかし、やがてイスラエルがこの米国とイランとの間接貿易の代理人であることを渋る。
  • そのため、米国はイランに直接武器を密輸出するようになり、これが発覚し事件となった。

また「イラン・コントラ事件」発覚以前に、ニカラグアの「コントラ」など反共ゲリラに対して、イスラエルが米国の代理人として米国の最新兵器を輸出していたとも記載されています。

「イラン・コントラ事件」は、米国政府がイスラエルに鼻面を引き回された事件とも言えるでしょうが、その黒幕はイスラエルのほとんどの企業を、とりわけ軍事産業を完全掌握していたショール・アイゼンベルグと見るのが当然なのです。

ショール・アイゼンベルグ


» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝62 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ4

 『ユダヤの告白』第5章には、ショール・アイゼンベルグがパキスタンの核保有への主導的な働きを果たし、しかも、それはアラブやイスラム国と西側の対立を煽る目的もあったことが記述されています。多国籍の巨大ビジネス展開をしていたアイゼンベルグには、パキスタンの核保有も数ある国家核保有への誘引の一つであったのが事実です。フランス、イスラエル、中国、そして北朝鮮もそうでしょう、これらの国家の核保有のキーマンがアイゼンベルグだったのです。
 アイゼンベルグに関する情報源は詳しいものとして『ユダヤの告白』、それ以外には『オルタナティブ通信』ぐらいしか無く、これではアイゼンベルグは「闇の国の謎の人物」であり、首をかしげることが多かったのです。
 しかし、『ケネディとユダヤの秘密戦争』を入手することで、かなりアイゼンベルグの輪郭がハッキリしました。『ケネディとユダヤの秘密戦争』には資料源が明記されてあるし、記載内容が他の情報と照らしても整合しているのです。戦後世界の肝心部の全体像と、そこでのアイゼンベルグの位置が見えるようになったのでした。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝62 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ4

消滅危機にあった犯罪シンジケート


カーター政権下で、全米犯罪シンジケートとそれと一体になっていたADLが、アイゼンベルグのビジネス・パートナーのクラツニックの働きもあり、その勢力を一層拡大させたことを前回に見ました。

ところで、この勢力拡大には前段があったのです。実はこれ以前の段階で、全米犯罪シンジケートは消滅の危機を迎えています。ところが、その危機を全米犯罪シンジケートは跳ね返してしまい、それが後の一層の勢力拡大へと繋がっていました。

これ全体にはアイゼンベルグが深く深く絡み、そしてティボー・ローゼンバウムも、特に犯罪シンジケートが危機を跳ね返す部分で大きく関与もしています。

犯罪シンジケートの消滅危機とそれの跳ね返しとは、具体的にはどういうことか?

表面的なところは『ヘブライの館2』の「アメリカの暗黒街のユダヤ紳士たち」の次の記述が簡単に把握できるものです。

●1960年代に入ると、「全米犯罪シンジケート」はケネディ兄弟によって激しい攻撃を受けるようになる。彼らの妥協のない態度は、ジョン・F・ケネディが言った次の言葉に要約されている。
「遠慮せず、徹底的に調査を続けろ。ここには、1つしか規則はない。もし奴らが悪なら、単に傷つけるというようなことでなく、完璧に殺してしまわねばならない!」

●1961年、大統領にジョン・F・ケネディが就任し、司法省長官に弟ロバート・ケネディが就任すると、ケネディ内閣はかつてないほどのスケールで、シンジケート撲滅作戦に乗り出した。ケネディ兄弟は伝統的マフィアの本流、シカゴにまでその手をのばしていった。
この時、ロバート・ケネディはシンジケートに対して大がかりな戦略を練っていた。その大戦略とは、FBI、国税庁、商務省など連邦政府の全機能をフルに動かして、シンジケートの本拠地であるラスベガスを直撃することだった。
1963年の10月には、この大戦略のプランは完成していた。だが、いよいよという時になって、このプランは中止された。敢行直前にケネディ大統領が暗殺されたからである。

1960年台初期に、ジョン・F・ケネディ大統領とその実弟であるロバート・ケネディ司法省長官からの厳しい追求によって、全米犯罪シンジケートは消滅の危機を迎えていたのです。ところが、ケネディ暗殺で全米犯罪シンジケートへの追求は完全にストップ、生き延びた犯罪シンジケートはその後に更に勢力拡大を実現していったわけです。なお、ロバート・ケネディも後に暗殺されています。

ジョン・F・ケネディ
Wikimedia Commons
[Public Domain]
ロバート・F・ケネディ
Wikimedia Commons
[Public Domain]

全米犯罪シンジケートが危機を跳ね返したと表現しましたが、それはケネディ暗殺、その実行グループの主力がその内部に殺人株式会社を抱える全米犯罪シンジケートだったという意味です。

翻って、ケネディ大統領とロバート・ケネディが全米犯罪シンジケートをなぜ厳しく追求し、大掛かりな撲滅作戦に出たのか?

それを『ケネディとユダヤの秘密戦争』の表紙の帯にある次の文言が端的に示しています。

イスラエル=中国の原爆共同開発、暗殺直前、ケネディは中国核施設への攻撃を決断していた!


» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝61 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ3

 マイヤー・ランスキー創設の犯罪シンジケートの継承者であるショール・アイゼンベルグ、彼は1997年に中国北京で、突然の心臓発作にて76歳で死亡したとされます。そのことを伝えるAP通信の「億万長者のシャウル・アイゼンベルグ氏、76歳で死去」記事では「アイゼンバーグは30か国で事業を行っている20社を所有」とあり、これと同じことが『ケネディとユダヤの秘密戦争』p175に記載されています。
 アイゼンベルグが展開した事業の中心は軍事関係です。これは必然的に、アイゼンベルグがハイテク事業も展開していたことも意味します。なぜならば、殺人兵器の開発に使用された技術が後にハイテク技術として降りてくるからです。軍事部門には核兵器が当然入ります。ここからアイゼンベルグは原子力発電にも事業展開していたことも分かります。
 彼はこのようにして「30か国で事業を行っている20社を所有」でビジネス(死の商人主体)展開していたわけです。それも「闇の国の住人」として。
 そのアイゼンベルグが北京で死亡したということは、彼が中国で大きな事業展開をしていたことの表れでもあるでしょう。事実、AP通信記事には「イスラエルの中国との貿易関係の先駆者であるアイゼンバーグ」とあります。
 彼の多国籍での巨大事業展開に当然必用なのが銀行です。アイゼンベルグのパートナーだった銀行家は、マイヤー・ランスキーとも特別な関係を持っていました。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝61 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ3

アイゼンベルグのパートナー


マイヤー・ランスキー
Wikimedia Commons
[Public Domain]

マイヤー・ランスキーが創設した犯罪シンジケート、その継承者を追うことで犯罪シンジケートの暴力支配の展開を見ています。マイヤー・ランスキーはその犯罪地下シンジケートを世界最強のビジネス・金融集団に、イスラエルを自分の「合法的」組織犯罪帝国の世界本部とする夢を持っていたとのことでした。

そのマイヤー・ランスキーは、1970年にイスラエルに一旦落ち着くことになりますが、2年後に帰化申請が却下され、国外追放されます。ランスキーはそれからはイスラエルに居住することはならず、組織犯罪帝国イスラエルの帝王になる夢は叶いませんでした。

しかし、ランスキーが目論んでいた「“合法的”組織犯罪帝国の世界本部イスラエル」自体は、その継承者たちによって実現していきます。

犯罪シンジケートを継承した代表が組織的にはADL、人物としてはサミュエル・ブロンフマン、ショール・アイゼンベルグ、表の企業としてはイスラエル・コーポレーション
と表現するのが適切でしょう。

Wikimedia_Commons [Public Domain]

もともとアーノルド・ロススタインからランスキーが受け継いだ犯罪シンジケートのスタイルは、銀行と弁護士をセットにするものでした。犯罪シンジケートには銀行が極めて重要な位置づけとなります。

犯罪シンジケート継承の企業体であるイスラエル・コーポレーションはショール・アイゼンベルグ設立とされますが、そのパートナーとして特に重要人物と前回指摘したのがフィリップ・クラツニック(ウィキペディアでは「クルズニック」と表記。)、もう一人はタイバー(ティボー)・ローゼンバウム。両者とも銀行家でもあったのです。

フィリップ・クルズニック
Wikimedia Commons
[Public Domain]
ティボー・ローゼンバウム

『ユダヤの告白』の第5章の以下の記述をご確認下さい。銀行名など細かな?はありますが、概ねは事実と見て良いでしょう。

フィリップ・クラツニックは、アメリカのシオニスト・ロビーの中でも最も力のある人物の一人である。彼はカーター大統領の下で商務長官を務めたばかりではなく、ブナイ・ブリスとADLを今日のアメリカの社会の中で最強の組織に変身させた人物でもある。
(中略)
シオニスト・ロビーがアメリカの政治を締め付ける力を強固なものにすることができたのは、カーター政権時代のことだった。クラッニック(編集者註:クラニックの誤りだと思われる。以下同様)は、ソル・リノヴィッツをカーター政権内に招き入れた。リノヴィッツは、クラツニックとアイゼンバーグの友人であるだけではなく、彼らの仕事上でのパートナーでもある。
(中略)
アイゼンバーグ、クラッニック、リノヴィツといった人物からなるこの人脈ができたのは、単に運が良かったからとか、ロスチャイルド家の支援があったからというだけのものではない。これには、もう1人の不可解な人物、ティボー・ローゼンバウムが果たした役割が大きい。彼はハンガリー出身のユダヤ人でジュネーブにスイス・イスラエル貿易銀行を設立した。ロスチャイルドが3分の1を直接出資していたこの銀行が、スパイ工作の隠れ蓑として利用されたアイゼンバーグの数多くのハイテク企業に資金を供与したのである。
(中略)
1960年代にローゼンバウムが設立したスイス・イスラエル貿易銀行の別会社として、もう一つの銀行が設立された。それを動かしたのがクラツニックと、アルゼンチン生まれのユダヤ人デヴィッド・グラヴィエだった。このもう一つの銀行は、アメリカン・バンク・アンド・トラスト(ABT)と称した。CIAとモサドが所有するこの銀行は、麻薬の利益の洗浄(ローンダリング)を行う機関であった。


» 続きはこちらから

ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝60 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ2

 ショール・アイゼンベルグが1968年にイスラエル・コーポレーションを設立したことはやはり重要であり、それを巡る『ユダヤの告白』以外の情報があります。マイケル・C・パイパー著『ケネディとユダヤの秘密戦争』という図書があり、p200に、
シオニスト運動に共鳴したフランスの貴族エドモン・ド・ロスチャイルド男爵の助けを借りて、ローゼンバウムは「イスラエル・コーポレーション」を設立した。この団体の役割は世界中のユダヤ人から資金を集めてイスラエルのさまざまな国営・半国営事業に投資することだった。
とあります。ここの記述は事実と見て間違いがなく、これで2点の見えてくる事柄があります。
 先ずは1点目は、ショール・アイゼンベルグのイスラエルでの事業のパートナーがローゼンバウム[タイバー(ティボー)・ローゼンバウム]だったことです。彼はユダヤ教ラビであり銀行家であり、イスラエル・コーポレーションの金融を担当したのです。
 2点目はイスラエル・コーポレーションの設立者たち、つまりショール・アイゼンベルグ、ローゼンバウム、ランスキーの犯罪シンジケートのシオニストメンバーたち、彼らのバックには、やはりロスチャイルドがいたということです。
 また、アイゼンベルグを追っていくとそのバックにはロスチャイルドもありますが、英国、ソ連、全米犯罪シンジケート、裏天皇グループと複雑に絡み合うスパイ網が見えてきます。スパイ網は敵と味方、所属がどこか?と複雑ですが、スパイ網を概ね束ねていたのは英国情報機関であり、英国情報機関がアイゼンベルグのバックにあったのも明らかです。
 そして複雑なスパイ網ですが、裏天皇グループも古代イスラエルの末裔だと考慮すれば、スパイ網のそれぞれを掌握していたのは“いわゆるユダヤ人”の確率が非常に高いのも事実です。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝60 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ2

上海に向かったアイゼンベルグ


1938年11月9~10日の夜に、ドイツ全土のユダヤ人を襲った迫害(ポグロム)を「水晶の夜」といいます。1921年にミュンヘンに生まれたショール・アイゼンベルグがナチス下のドイツを出国したのは、この「水晶の夜」のあった後の1938年から1939年にかけてであり、スイスからの脱出だったようです。

『ユダヤの告白』第5章によると、1938年以降にドイツから脱出できたユダヤ人はほぼ皆無だったということで、これはその通りでしょうが、その上でそのような状況下でショール・アイゼンベルグと同様に、1938年以降にドイツを脱出したユダヤ人がヘンリー・キッシンジャーだったと指摘し、次のように記述しています。「不可解」との記述に同感です。

アイゼンバーグとキッシンジャーの両者について言えるのは、二人のナチス・ドイツから脱出した経緯、そして後に情報合戦の国際舞台で大きな役割を果たすようになったことを考え併せるとき、もともといかなる基盤もなかったところからどうしてかかる権力者の地位にまで上りつめることができたのかが、不可解だということである。ところでキッシンジャーは大々的に名前が売れ、世間の脚光を一身に浴びているのに対し、アイゼンバーグの方は全くその逆である。

さて、『AERA dot.』にNissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)という人物のショール・アイゼンベルグを紹介する記事が掲載されています。そういった情報も参考にすると、1940年にアイゼンベルグは上海に向かい滞在していた模様です。阿片売買の上海ネットワークの本拠地です。


この時分は既に阿片王と称された里見甫は上海に里見機関を設立していて、莫大な阿片による収益をあげていました。もちろんここに全米犯罪シンジケートも深く絡んでいたはずです。

そして外伝58で見たように、ヘンリー・メイコウ氏によれば、全米犯罪シンジケートのシオニストは裏天皇グループに対して、阿片事業だけではなく、軍事からイスラエル建国、そして世界再編を見越したような同盟関係を強めつつあったとのことでした。

ともあれ、1940年に上海に滞在していたアイゼンベルグでしたが、同年には早くも日本に向かい移住したのでした。『ユダヤの告白』では、

(筆者註:リヒャルト・ゾルゲ)は日本国内での活動のために人脈を作り、要員を徴募し、訓練を行っていた。その人脈の中にショール・アイゼンバーグも含まれていたと思われる。

と、アイゼンベルグは、ドイツとソ連の二重スパイで、昭和天皇と西園寺公一の兄弟からの日本の機密情報を流していたリヒャルト・ゾルゲ、彼と共に日本に潜入したとの見方を示しています。

上海阿片ネットワークの上海はもとより、英国、ソ連、全米犯罪シンジケート、裏天皇グループと複雑に絡み合うスパイ網の集約地でしたが、アイゼンベルグはそういったスパイ人脈に元々から繋がっていた特異な家庭の人物だったと見るのが自然に思えます。


» 続きはこちらから
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 158