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ユダヤ問題のポイント(日本 平成編) ― 第1話 ― バブルの破裂
日本が米国の敵国に
私は「日本の奪われた○○年」と表現しますが、近頃は「日本の失われた30年」と表現される「日本の失われた○○年」、この起点は一般には1991年(平成3年)とされます。外伝にて見てきたように、1991年は1月に湾岸戦争が起こされ、同年12月の年末にはソ連が崩壊・解体した年です。この年、日本ではその2月にバブルがはじけた年でもあります。
第2次世界大戦後の世界の構図となっていたのが東西対立米ソ冷戦でした。ところが米ソ冷戦は終決し、ソ連自体が解体されてしまうのです。こうなると米国の敵国は、経済でさんざんしてやられてきた日本と明瞭になったのです。アメリカにとって日本は、はっきりと「奪い・潰す」対象となったのです。そういった事情を『戦後史の正体』p323では、次のように記載されています。
冷戦時代、米国の敵はソ連でした。しかし1990年代初頭になり、日本が米国の経済を脅かす敵として、CIAから位置づけられることになったのです。
この時代に私は、米国のテレビが首脳会談のためワシントンに到着した日本の首相一行を報道していた場面を見ていたことがあります。着陸した飛行機から、ある通産審議官が降りてくるのを見て、テレビのコメンテーターは「彼は敵 だ」と決めつけました。当時日本の人びとはそれを冗談と思っていたのですが、実はそれが本音でした。米国は日本を「米国経済をおびやかす敵」とみていたのです。
この時代に私は、米国のテレビが首脳会談のためワシントンに到着した日本の首相一行を報道していた場面を見ていたことがあります。着陸した飛行機から、ある通産審議官が降りてくるのを見て、テレビのコメンテーターは「彼は
日本は現在に至るまで、アメリカの支配者たちから徹底的にその富を簒奪されていくのですが、日本を敵国とみなしたのはアメリカの支配者たちだけではなく、米国民衆もそうだったようです。こうなるとアメリカの支配者たちは、日本から「奪い・潰す」のはよりやりやすい作業となっていたでしょう。
ほとんど全ての国家の権力者・支配者は、自国民衆に対して外部に敵を作り出して注視させるようにします。実際に民衆の富や権利を奪っているのは、外国の人びとではなく支配者たちなのですが、その実態を民衆に知られないように、民衆の不満や関心を外部にそらすために外の敵を見せかけるのです。
米国もしかりでした。米国はもとは冠たる工業国家で、分厚い中間層が国家の形態でした。その米国の中間層はその富を消失して貧困層となっていくのですが、それはアメリカの支配者たちの仕業によるものです。民衆はメディアなどによって容易に騙され本当の敵を見失うのです。
ともあれ1991年(平成3年)はソ連が解体された年で、その代わりの敵国とされたのが日本であり、そしてその日本がアメリカの敵国とされたのと連動しますが、1991年はバブルがはじけて、目に見えて日本経済が坂道を転がるように転落していく年になってもいます。こういった観点から、「日本の失われた○○年」の起点は1991年との見方は成立していると言えるでしょう。しかし実際に「日本の奪われた○○年」の起点は、1991年より前の1985年だというのが私の見立てです。
仕込まれた猛毒
昭和編 第61話で見たように、日本の変換点、日本経済暗転が始まったのは1985年(昭和60年)の「日本航空123便事変」と「プラザ合意」からです。
1971年には1㌦=360円だった。これが今(編集者註:2019年現在)は110円くらいになっている。円の価値が3倍になり、ドルが3分の1に下がっている。その契機が1985年のプラザ合意だ。
(長周新聞より)
この後に日本ではバブルが発生し、日本民衆は浮足立って好景気を謳歌していきますが、バブル発生自体が日本経済を奈落に突き落とす最大とも言える罠でした。
バブルは、日本の各銀行がどんどんと不動産業や企業などにお金を貸し出していったことによって生じました。当時において銀行は、相手先に頼み込んでお金を貸し出したのです。銀行貸出が信用創造ですから、お金が青天井で作られていき「金余り」現象が生まれました。
そのバブル期に、日本経済を狙い撃ちにして潰す猛毒が仕込まれます。1988年(昭和63年)に策定されたBIS規制、同じく1988年に米国議会で制定された「新貿易法・スーパー301条」がそれです。昭和の終わり、平成の幕開けの前年には、日本は完全に米国の敵国となっていて「奪い・潰す」作業は進行していたのです。
先にBIS規制ですが、G10諸国(日本、アメリカ、イギリス、フランス、オランダ、スウェーデン、イタリア、ドイツ、ベルギー、カナダ)の中央銀行総裁会議により設立された銀行監督当局の委員会で策定されたのがBIS規制です。内容は簡単には、「国際的に活動する銀行は、総資本に対する自己資本の割合を8%以上にしなければならない」という規制です。
つま先立ち浮足立って筒いっぱい限界以上にまで貸出を増やしていた日本の銀行、貸出を増やし、信用創造を膨らましていた日本の銀行は、バブルのように総資本を膨らませてもいたのです。その総資本の内、自己資本を8%以上にしなければならないという規制をかけられてしまえば…日本の銀行は頼み込んで貸し出していた資金を逆に貸し剥がしていくしかありません。これでは必然的に不良債権の嵐となるしかなく、事実それは現実となりました。BIS規制は、バブルの破裂を発動させる日本を狙い撃ちにした猛毒の仕込みだったのです。
日銀は「バーゼル合意、バーゼルI、II、IIIとは何ですか? いわゆるBIS規制とは何ですか?」との問いの中で、「わが国では、1992年度(平成4年度)末から、バーゼルIが本格的に適用されました。」と答えています。BIS規制にまるで他人事のような回答です。
しかし表に出ている事実として、1988年のBIS規制策定には日銀も当然ながら関与しています。しかも、そもそもバブルを発生させた主犯は日銀です。日本の各銀行は日銀の統制下にあり、勝手に青天井で貸し出しを行うことなど不可能なのです。
そして、バブルを破裂させた主体も日銀です。FRBを所有するアメリカの支配者たちと日銀は連動・協力して、バブルを通じて日本経済を潰していったのです。
「円のプリンス」たちの所業
日銀創設はフランスのロスチャイルド家と深い関係がある。創設者は松方正義。松方は1878年にフランスに滞在し、フランスの蔵相レオン・セイの紹介でアルフォンス・ロスチャイルドに会い、国立銀行の創設を勧められている。日銀については秘密が多い。http://t.co/oFHsjpQnEy
— 平野 浩 (@h_hirano) July 10, 2014
日本を狙い撃ちにしたBIS規制の策定を命じたのは、FRBを所有するアメリカの支配者たちでしょうが、具体的な取り決めを主に作っていったのは日銀側のように思えます。バブルを作った彼らは、それを効果的に破裂させる方法も知悉していただろうからです。
1989年6月、窓口指導で急激な引き締めをおこなってバブルをつぶし、90年代の不況をもたらしたのは日本銀行だった。
p215でこのように指摘した後に、バブルの生成と破裂、その具体的な様子が『円の支配者』p236〜238で記されています。日銀生え抜きの「円のプリンス」たちの所業です。
三重野の公式な総裁就任の前の1988年、89年、すでに窓口指導の貸出枠は引き締められていた。しかし、当時の澄田総裁はこの政策転換について何も知らされなかった。バブルを生み出した信用創造の指導についても、彼は知らなかった。それなのに気の毒な澄田総裁はバブル発生の責任を問われ、日銀生え抜きのスタッフは資産インフレと闘う戦士、健全な金融政策の守護者とマスコミに称えられた。
1989年に総裁に就任した三重野はマスコミの喝采を浴びた。彼は責任のない傍観者のような顔でバブル時代の政策を批判し、自分は異なる政策を実施すると示唆した。
犯人は三重野だけでなかった。信用統制を実行したのは営業局である。1986年9月から89年5月までの重要な3年間にこの職にあったのは、最後の世代の日銀プリンス、福井俊彦だった。
1989年に総裁に就任した三重野はマスコミの喝采を浴びた。彼は責任のない傍観者のような顔でバブル時代の政策を批判し、自分は異なる政策を実施すると示唆した。
(中略)
澄田が日銀総裁だった1984年から89年まで、信用統制という重要な決定は副総裁がおこなっていた。その1980年代に高い貸出枠を設定してバブルを生み出した責任者こそ、三重野康だった。(中略)
しかし三重野は過去の政策から身を引き離し、何の関係もないようによそおった。(中略)
三重野は、バブルの責任は不動産投機および銀行という民間部門にあると非難した。だが不動産投機を責めるのはあたらないだろう。銀行が無責任にも、文字どおりただのような資金を提供して誘ったのだから。そして、銀行がそうせざるをえなかったのは、三重野の窓口指導によって不動産業種への貸出枠を大幅に拡大しなければならなかったからである。犯人は三重野だけでなかった。信用統制を実行したのは営業局である。1986年9月から89年5月までの重要な3年間にこの職にあったのは、最後の世代の日銀プリンス、福井俊彦だった。
逆にバブルの「火付け犯」であったのに、当時メディアで「平成の鬼平」と盛んにもて囃されたのが三重野康日銀総裁でした。日銀・円のプリンスだった三重野元日銀総裁と福井元日銀総裁が、バブルの発生と破裂の主犯だったということです。しかも彼らは、自分の悪行を他に押し付けて、自分は素知らぬ顔して非難するという手口を用いています。悪魔崇拝者の常套手段を、です。
日本経済をダメにした【日銀総裁】
話を戻します。バブルの生成と破裂、それに伴う日本経済の転落と多数の自殺者、これの主犯が日銀「日銀のプリンス」たちです。日銀のプリンスとは日銀生え抜きで、日銀副総裁から日銀総裁になった「円の支配者」であり、バブル破裂時にメディアがこぞって「日本経済の正義の執行者、救済者」として称賛していたのが彼らでした。彼らは「同胞殺し」と言えるでしょうし、それの共犯者で、犯罪を強力に幇助したのはいつも通りメディアでした。そして、彼らの背後にはアメリカの支配者たちがいました。これもいつも通りです。