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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第61話 ― 日本経済暗転の始まり
裏天皇組織の行動の謎
前回見たように、物質的意味での繁栄に盛り上がっていた1980年代の日本、その繁栄日本の岐路となってしまったのが1985年8月12日の「日本航空123便墜落事故(事変)」でした。そして日本の暗転の始まりとなったのが、その約1ヶ月後の9月22日に締結発表された「プラザ合意」でした。
「123便事変」発生の最大の要因になっていたのが、裏天皇組織による日本の核武装の展開でした。核兵器部品を搭載し飛行中であった日航123便が、米軍機による追跡の末にミサイルで撃墜されたのでした。この「123便事変」にはソ連軍機も絡んでいて、123便撃墜現場上空では日米ソで空中戦を行っていた模様でした。
【特別手記】「御巣鷹山」48時間の地獄絵図https://t.co/j2dLvfEgm4
— デイリー新潮 (@dailyshincho) August 11, 2020
現場の「御巣鷹の尾根」上空に到着し、降下を開始したのが8時48分。
空挺隊員にとってリぺリング降下は日常茶飯事ですが、急峻な斜面に着地した瞬間、強烈な違和感を覚えました#御巣鷹山 #日航機墜落事故 #岡部俊哉 #デイリー新潮
このような事態を誘発させた旧陸軍勢力つまり裏天皇組織の一連の動向に対し、『るいネット 』11/06/10記事には以下のような前提からの疑義を呈しています。
米ソに自分たちの動きが筒抜けになっていることは最初からわかりきっている話である。
日本が米ソに戦争を仕掛けたわけである。なぜ旧陸軍勢力は米ソ相手に空中戦をやらかしたのか?もちろん、勝ち目など全くない。 彼らは一体、何を考えているのか?
米に戦争を仕掛ければそんな羽目(筆者註:日本の財産が巻き上げらる)に陥るのは、やる前から分かり切っている話である。にもかかわらず、何で仕掛けたのか? 尋常な神経では考えられないが、一体、どんな神経をしているのか?
上の疑義は私も全く同感です。日本の戦後の状況を顧みれば、裏天皇(八咫烏)組織は自分たちの核武装への動きの情報は、筒抜け(特にアメリカ側)になっているのは当たり前のことだから、そう認識できていたはずです。それにも関わらず核武装を進め、それでその延長線上で「123便事変」が起き、それにて米ソと空中戦を起こし、それの隠蔽に躍起となって同胞を犠牲にし、アメリカから徹底的に富を巻き上げられる展開にしてしまっています。
もちろん、裏天皇組織が日本の核武装を進めたのは、アメリカ側にもそれを推進させる動きがあったからでしょうが、それが日本を利用しながら、日本から富を奪うアメリカ側の罠であることぐらいは察知できていなければおかしいのです。
裏天皇組織は、
① それぐらいのことを察知できないほど愚かだったのか?
② 分かっていて敢えて破滅型の行動を選択したのか?
おそらく、①②のどちらの面もあっての選択行為だったように思えますが、いずれにしても本当に彼らの神経を疑います。裏天皇組織の選択行為は日本国民にとっては大迷惑で、その後の苦境を強いられる行為でした。その行為を選択した当時の裏天皇の前田ゴロウ[堀川辰吉郎は1966(昭和44)年に死去]の神経は不明で理解が難しいのですが、しかしこういった行動を選択する理由に心当たりがないわけでもありません。彼ら裏天皇(八咫烏)組織が破滅型行動を選択する理由は、彼らはその始めからカバラ(迦波羅) を奉じる集団だったからでしょう。
行動原理となっていた『日月神示』
改めて、日本編 基本情報1で押さえた裏天皇つまり八咫烏組織の特徴を確認します。以下のようなものでした。
① 秦氏(ユダヤ人末裔)によって結成された日本最古最強の霊能集団。
② 藤原氏の敵対勢力として結成。
③ レビ族がその中心にあり、カバラを駆使するカバラ熟練集団。
④ カバラの源流が原始エルサレム教会なので、
a. 思想として終末論と救世主到来を持つ。
b. メシアつまりユダヤ王(世界王)を自分たちから輩出する目的を持つ。
c. 基本的にはホワイトロッジ(悪魔崇拝でない)に所属。
上の②に関しては結成当時はそうでしたが、八咫烏と藤原氏は日本の支配者として互いに関係し合うので、単に敵対関係というものではなく交じっていきます。ただし①③④は基本的にそのままです。特に重要なのは、彼ら八咫烏は終末論と救世主到来の思想を持って、世界王を自分たちから輩出しようとしていた点となります。
この八咫烏組織を霊導していたのが南光坊天海であり、天海が降ろしたのが『日月神示』でした。『日月神示』のウィキペディア記事には、次のように記載されています。
昭和19年から27年(昭和23・26年も無し)に一連の神示が降り、6年後の昭和33、34年に補巻とする1巻、さらに2年後に八巻の神示が降りたとされる。
つまり、太平洋戦争の終わり頃からの八咫烏の行動原理は、この『日月神示』に記載されてある内容にあったということになります。
『日月神示』には膨大な量の記述があり、読解は難解とされますが、一定の方向性は見て取れるのです。「建壊し・大建替」「天岩戸開き」「神一厘の仕組み」「ミロクの世が来る」などがそうです。日本が、世界がほぼ破滅、これで世界の建壊しとなり、そこで「天岩戸開き」が始まる。つまりその九分九厘が灰燼となった日本から「神一厘の仕組み」が作動し、救世主が現れ「ミロクの世」が現出するといったものです。終末となってこの世界は破壊され、その灰燼の中から日本から救世主が現れる。その救世主が八咫烏だ、というものでしょう。
Author:Eugenio Hansen, OFS [CC BY-SA]
より具体的にはウィキペディア記事では次のような記載もあります。
「黄金の巻」第五十九帖(参10)(書記日、昭和24年12月7日)では「金で世を治めて、金で潰して、地固めしてみろくの世(ミロクの世)と致すのぢゃ。」と語られているが、これは近年興った「バブル景気」とその崩壊を指しているのではないかと考えられている。
八咫烏と同じくカバラを奉じていたサバタイ・ツヴィやヤコブ・フランクなどは、この世界の終末を迎えるため自分たちがこの世界を破壊する行為を選択していました。八咫烏は自分たちではなく、ネオコン・ナチス勢力にあえて日本を、世界を破壊させるようにしたとも考えられます。
バブルと不況の犯人
その後にバブル景気が巻き上がり、浮足立ってその好景気を日本民衆は謳歌しますが、1985年9月22日の「プラザ合意」から日本の暗転は始まります。「プラザ合意」から1年後には、それまで為替レートで1ドル=240円程度だったのが150円台となります。アメリカの意向がそのまま丸ごと日本で反映されるようになったのです。
この中で日本はバブル景気を迎えます。バブル景気でいよいよ日本経済は絶頂期にあるよう見えながら、それは見せかけで、日本経済の転落ははっきりと進んでいたのです。
バブル景気とはウィキペディア記事では、
1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされる。
とあります。このバブルがはじけた1991年から日本は不況に陥り、それが現在にまで至っています。「日本の奪われた30年」です。日本は「誰に奪われたのか?」、いうまでもなくアメリカであり、それを認可し誘導したのが裏天皇(八咫烏)組織ということになるでしょう。「バブルの創出と消滅そして終わらない大不況」、これはアメリカ側の指示で実行されるのですが、その実行役つまり実行犯は日本銀行でした。しかし日本国民はその長い大不況、自分達の苦境の原因がどこにあるのかを知りませんでした。
「日本経済産業構造改造計画(前川リポート)*」の主な内容
〇 内需拡大による海外製品の輸入促進(公定歩合の引き下げ、公共投資の拡大等によって景気を刺激し、外国製品の輸入を拡大する)
〇 国際的に調和のとれた産業構造への転換(産業構造を戦時型から平時型の新自由主義経済体制に転換することで日本企業の競争力を削ぐ)
〇 規制緩和(外国企業の日本参入障壁を低くする)
〇 金融自由化(外国金融機関が日本市場で活動しやすくする)
〇 市場開放と対外投資の促進(外国企業や投資家の日本参入を促し、日本の対外投資を促進する=外国に工場を作り現地労働者を雇用する)
〇 為替相場安定のための協調介入(「プラザ合意」で決めた円高維持政策)
※「外国」とは、主に米国を指す
(note「アルジャーノン」より)
*「プラザ合意」の翌年の1986年、前川春雄日銀総裁からアメリカに提案された日本経済の構造改革を迫る具体策。
『円の支配者』の「まえがき」には次のような記載があります。
【編集者註:『円の支配者』を取り上げている映像配信「家族の絆 〜夫婦」シリーズも参照。】
2001年1月5日、長く華々しい歴史は幕を閉じた。過去半世紀、少なくとも法律の条文によれば「大蔵省」は日本で最も強力な機関だった。それが消えたのである。だが、大蔵省の衰亡に市民は涙しなかった。平時の日本の歴史で最も目にあまる経済政策の失敗の責任は大蔵省にあるというのが一般的な見方だ。1980年代のバブル生成とこれに続く90年代の長期不況である。
バブルと90年代から始まった長期不況の犯人は大蔵省とされ、その責任を大蔵省はとらされ、その看板が剥奪されたのでした。
90年代の長期不況の中、それを理由として「戦後の日本型資本主義ではもうだめだ。アメリカ型の資本経済を」との構造改革が大きく叫ばれるようになりました。構造改革を叫んだのは、バブルと不況を作った張本人たちでした。
これに先立っていたのが「プラザ合意」です。「プラザ合意」であっという間に日本円とドルのレートは変動し、円はドルに対して倍額以上の円高となりました。急激な円高状況で、企業は日本国内で製造した製品を輸出できないので、海外に製造工場を移転することになります。これが日本産業の空洞化になります。
その中、日銀は窓口指導で銀行に企業融資を膨らませに膨らませます。高額となった円をじゃぶじゃぶと蛇口を全開して市場に注ぎ込みます。この全開の信用創造でバブルが生成されます。「金余り」現象が生み出されたのです。
お金の原理は実に単純です。銀行の貸付によってお金は生まれ、生まれたお金は返済で消失します。日銀は金余りでバブルが膨らみきった機を見計らって銀行に融資の蛇口を閉めさせます。そして貸し付けた債権の回収に走らせました。これで市場に溢れかえっていたお金は消失、バブルははじけました。企業は過剰に回転させていたお金のやりくりが急にできなくなり次々と倒産しました。企業経営者は自己責任だとして首を括りました。バブルと不況、これはそれでどうなるか予め分かっていた上で意図的に起こしたものです。