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ユダヤ問題のポイント(日本 昭和編) ― 第60話 ― 「日本航空123便墜落事件」の意味
①123便墜落事故の起こされた背景、根本。
123便が撃墜された要因となる背景はいくつかありますが、その最大のものは裏天皇グループの核武装への野望だったようです。日本 昭和編第34話で見たように、裏天皇グループは核武装をずっと目論んでいて、実際に太平洋戦争末期には日本も原爆技術をほぼ有していたようです。
敗戦後も彼らは日本の核武装を目論んでいました。日本が核武装し米国から独立し、最終的には日本を中心とするNWOの構築が彼らの野望でした。その核武装のために必要な技術と原料を獲得させるのが原子力発電でした。日本の原子力発電は日本が核武装するためのものに他ならず、実際に核兵器を日本で製造保有していたはずなのです。その日本製の核兵器部品を搭載していて撃墜されたのが123便ということです。
当時イラン・イラク戦争が行われており、そこで実地実験を行うため、大阪から現地に向けて日本製核兵器などを積み出す計画だったようです。それで123便に核兵器部品を搭載させ大阪に向かっていたが、これらの情報や事実を米国、そしてソ連も掴んでいたようです。つまり、123便が撃墜された要因は、裏天皇グループの核武装展開による日本の独立と軍事強国化の阻止というところなのでしょう。米軍機が123便をミサイルで撃墜した模様なのです。
そして123便撃墜の目的は、日本の経済力と軍事に直結する技術力の破壊もあったでしょう。
先に経済力ですが、基本的に米国経済は財政赤字と貿易赤字という双子の赤字の抱え、当時の日米の貿易摩擦が顕著でした。その米国は1985年1月の「先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議」で日本に「円高ドル安」を求めます。しかしこの時点では「円高ドル安」の動きは不調、当時の日本は、実際的には経済的には世界一の実力を有する状態にあったのです。しかし123便墜落事故以降はその状態が一変するのです。
軍事力に直結する技術力もそうでした。123便の乗客には、TRON(トロン)という日本製のOSのプロジェクトに関わっていた天才エンジニアたち総勢17名が搭乗していて、全員亡くなっているのです。日本製TRON(トロン)はWindows、Macをも凌ぐものでしたが、これで大打撃を受け、最終的には幻の日本製OSとなってしまったのです。コンピュータ技術は軍事技術にも直結する技術ですが、123便撃墜事故から潰されたわけでした。
日本の裏天皇グループの核武装展開もそうですが、経済力と技術力で日本が米国を凌駕する、これをアメリカを中心とするNWOを目論むデイヴィッド・ロックフェラーが容認するはずがありません。このロックフェラーとコンビを組んでいたのが第3代目ナチス総統ブッシュSr. ということです。ロックフェラー一族はナチスの始まりからの支援者であり、それは第2次世界大戦中もその後もそうであったのです。彼らが牙をむき出し日本つぶしに出たのが「日本航空123便墜落事故」ということになります。
②123便墜落事故の実際。
羽田空港を出て伊丹空港に向かっていた123便は、伊豆半島南部の上空で機体を損傷します。これは一般的には、機体後部の圧力隔壁が破損し、それによって垂直尾翼と油圧システムを失ったものとされます。
しかし、垂直尾翼は圧力隔壁の破損によって失われたのではなく、外からの衝撃によるものでした。具体的には、123便の垂直尾翼を失わせたのは自衛隊の「無人標的機」説もありますが、状況を判断すると、米軍機の誘導ミサイルで123便の尾翼が破壊されたようです。米軍機が123便を追っていたのです。
尾翼の破損にて外部からの攻撃を察知した123便の機長は、機体をレーダーに探知されないよう高度1000メートル以下の超低空飛行へと切り替え。そしてそこに現れた自衛隊機に誘導されて長野方面に。また、これら一連の動きを掴まえていたソ連のミグ戦闘機も長野方面に。現れた自衛隊機は123便の救助のために長野方面に誘導したのではなく、証拠隠滅のための誘導でした。
『航空自衛隊熊谷基地』のHPの「▶第1移動通信隊」の欄には、
第1移動通信隊は、過去において御巣鷹山日航機墜落事故や阪神淡路大震災の際、重要な役割を果たしました。
とあります。撃墜現場に駆けつけていたのは、熊谷基地の部隊が担当したようです。
そして、2015/10/26の竹下さんの記事にリンクする『るいネット』11/06/09記事には、次のようにあります。
当時、自衛隊の人事権を握っていた中曽根首相によって、熊谷基地をはじめとする数ヶ所の基地は全員が旧陸軍勢力で占められていた(中略)...その3ヶ所の基地に秘密の武器製造工場があったこと、熊谷基地は来るべき軍事クーデターの拠点であったことや、御巣鷹山近くの神流川発電所の地下には旧陸軍勢力の秘密軍事基地があった...(以下略)
中曽根元首相は、八咫烏(裏天皇)直属の黒龍会第3代総裁です。つまり、熊谷基地などは裏天皇組織に支配されていたということになります。御巣鷹山近くに秘密基地も持っていた模様の彼らが、米国そしてソ連の戦闘機とも対しながら証拠隠滅に動きます。
123便はどうも米軍機の核ミサイルで御巣鷹山の上空にて撃墜されたようです。そしてその御巣鷹山上空では、自衛隊機と米軍機そしてソ連のミグ戦闘機など、米ソ日の最先端戦闘機が入り乱れて空中戦が繰り広げられたようです。物的証拠品が出てきています。その中、最終的には自衛隊機、米軍機、ミグ戦闘機など全ての航空機が一瞬で撃墜させられたようです。この全機を撃墜させた兵器とはなにか?については、2015/10/26の竹下さんの記事にリンクする『るいネット』11/06/09記事には、次のようにあります。
①SPY=日本製HAARP兵器によって全機殲滅した。
【編集者註:日本製HAARP兵器については、その代表格 京都大学MUレーダー(1984年完成)に関する記事を参照】
②至近距離で核弾頭が爆発したので、強力な電磁波によって全機が墜落したという可能性も考えられる。 ③123便墜落事故からの影響と展開。
事故当日の報道では、123便の動向そして墜落場所の情報が二転三転しました。撹乱情報が発せられてわざと救助が遅らされました。墜落機体から救助された4名は、全員が地元消防団の人たちの救助によるものでした。現場では救助どころか証拠隠滅のために生存者が殺害され、焼却された模様です。その数約100名との情報もあります。当日に自衛隊員も射殺されているのでしょう。
123便墜落とイルミナティの関わり~日本人は殺されている~
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✅ 00:00〜:日航123便墜落の様子と事故発生当時の報道の様子
✅ 02:22〜:森永卓郎氏の日航123便墜落事件に対する疑問 〜 青山透子著『日航123便墜落の新事実』の証言より
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墜落する直前の日本航空機を追尾していた2機の自衛隊のファントム機
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最初から判明していた墜落地点 〜 県や国に通報していた地元と、一切無視されたその情報
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あり得ないほど炭化した遺体と、ガソリンとタールを混ぜたような現場の異臭 〜(火炎放射器で)焼き尽くして証拠隠滅を図ろうとした?自衛隊
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日本航空機に向かって後ろから飛んできたオレンジ色の物体
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自衛隊の捜索現場から離れたところで、地元の消防団員によって発見された生存者4名
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ANNの「相模湾で日航機の部品の一部とみられるものが発見された」というニュースと、引き揚げようという動きの全く無かった政府
✅ 10:23〜:ANNニュース「相模湾海底に“残骸”か」〜 情報公開請求で得た資料に基づくANNの相模湾海底調査により、発見された123便の部品の可能性のある物体
✅ 11:41〜:墜落現場の目撃証言と生存者の証言
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墜落するジャンボ機を目撃し、その9分後に正確な位置情報を警察に寄せていた女性の証言
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生存者が他にもいた可能性を示す生存者の証言
✅ 14:04〜:空から現場の特定を急いでいた航空自衛隊、捜索・救難のため現場に直行した機長の証言
✅ 17:10〜:米空軍横田基地司令部から日航機の捜索を命じられた元米軍人の証言 〜 救助しようとして地上15メートルのところで帰還命令が出された米軍の救援ヘリと、上官からのマスコミには何も喋るなという口止め
(以下略)
当日のNHK速報に「待機命令を無視して救助に行こうとした隊員を射殺」として、「現地に救助に 向かった自衛隊員数名が、何者かに銃撃され死者負傷者数名が出ている模様」とアナウンスされていました。
これっすよねpic.twitter.com/eUo0SZVuxc
— 新世界おじさん (@NewWorldOzisan) June 13, 2022
日航機墜落事故の翌年には、自衛隊員が90名も自殺(口封じされた?)したとの情報もあります。これらの徹底した証拠隠滅で同胞も同僚も殺害に動いたのが、裏天皇グループの「別班」ということなのでしょう。
「日本国民には秘密で核兵器を製造し、それを実戦で使用実験しようとしていた。
その隠蔽のためもあって、裏天皇組織の航空自衛隊は米ソ相手に空中戦をやらかした。」
これは、中曽根元首相たちは米国のロックフェラーやブッシュなどに決定的な弱みを握られたことになります。この弱みから脅しをかけられたのでしょう。日本は徹底的に毟られていくことになるのです。その手始めが「プラザ合意」となります。その隠蔽のためもあって、裏天皇組織の航空自衛隊は米ソ相手に空中戦をやらかした。」
123便墜落事故の約1ヶ月後9月22日に「プラザ合意」が発表されます。「プラザ合意」とは、米国プラザホテルで行われた「先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議」で締結した内容です。先に触れたように同年1月に行われた「先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議」では、「円高ドル安」は不調でした。しかし、同じこの9月の「先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議」の「プラザ合意」にて、それまで1ドル240円台前後だった為替レートが150円台になるという、急激な円高が始まります。ここから日本はバブル経済なるものに踊らされ、その上で叩きつけられ、現在に至る道順をたどるのです。
しかし、この繁栄の1980年代のど真ん中あたりで、その後の日本を暗転させる出来事が発生してもいました。1985年に発生した「日本航空123便墜落事件」とそれと連動するはずの「プラザ合意」がそうです。
1985年8月12日、 羽田空港を発し伊丹空港 に向かっていた日航ジャンボ123便は、伊豆半島南部の上空で機体を損傷し、操縦不能に陥り迷走飛行の末、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(標高1,565メートル、通称御巣鷹の尾根)に墜落。乗客乗員524人のうち死亡者数は520人、単独機の航空事故の死亡者数として過去最多の事件となりました。米国はレーガン政権、日本は中曽根政権下に起きた事故でした。
当時1980年代、ネオコン・ナチス勢が米国を目に見える形で乗っ取っていきながら、同時に世界支配に向けてその凶暴な牙をむき出し始めた時代でした。そしてこの「日本航空123便墜落事件」も、ネオコン・ナチス勢力が世界支配に向けての凶暴な牙をむき出したその一環として起きた事故であり、これは事故というよりは事変と表現したほうが正確ではあるでしょう。
2021/08/02の時事ブログ記事にて、ベンジャミン・フルフォード氏の「日本中に散らばっていた巨額の資金を掌握するために、ブッシュSr. は日本航空123便をミサイルで撃墜し乗客を殺害するよう命令、その後、日本の事実上の支配権を握っていた。」との見解が示されています。
これはこの見解通りだったでしょう。また「日本航空123便墜落事件」については、他にも既に時事ブログでいくつもの記事が出されています。詳細はそちらにてご確認いただくとして、ここではこの事故のざっとしたポイントを、以下のような形にて押さえていきたいと思います。