ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝79 ― 悪魔のいけにえとなったサダム・フセイン

 病状を深刻悪化させる、つまり毒であるにも関わらず、新型コロナの治療薬と認可されたのがレムデシベルです。これはタミフルとともにモンサント社の子会社だったギリアド社の製品です。ギリアド社のCEOはブッシュ Jr. の国防長官ドナルド・ラムズフェルドでした。ラムズフェルドはそれまでFDA(アメリカ食品医薬品局)が認可しなかった人工甘味料、毒物のアスパルテーム、これをを食品添加物として認可させた人物です。無論現在では、アスパルテームは日本でも広く多方面に使用されています。毒物のゴミを薬だとか食品添加物だとして売りつけ、暴利を得る手法が取られているのです。ラムズフェルドはネオコンのレジェンドと評される人物であり、日本がこの連中の食い物にされてきたのは明らかです。彼らのやり口は『タルムード』そのものです。
🔯 犬は異邦人より勝れたるものなり。
🔯 ユダヤ人はゴイから奪ってよい。
ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。
🔯 總べてゴイは月經時の子にして、根絶さるべきものなり。
と言った具合にです。ネオコンは悪魔そのものと表現すべきでしょう。
 このネオコンとナチスが米国を乗っ取っていったのが1980年代といえるでしょう。ナチス第3代目総統であったブッシュSr. は1963年のJ・F・K暗殺後、1976年にはCIA長官、1981年にはレーガン政権で副大統領に、そして1989年についには米国大統領まで上り詰めているのです。このブッシュSr. そしてブッシュJr. と非常に密接に動いていたのがラムズフェルドであり、ディック・チェイニーでした。1980年代は中東ではイラン・イラク戦争が行われていました。彼らはこの当時米国を乗っ取っていくと同時に、サダム・フセインのイラクを散々と食いちぎっていくのでした。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝79 ― 悪魔のいけにえとなったサダム・フセイン

イラン・イラク戦争の黒幕


イラン-イスラム革命の余波で、1979年末にソ連がアフガニスタンに軍事介入の一方、その翌年の1980年にはイラクがイランに軍事侵攻し、イラン・イラク戦争が始まりました。

🇮🇷🇮🇶イラン・イラク戦争で、イラク軍の攻撃を受けて炎上する石油精製所を見守るイラン兵。1980年9月27日。📷

イラクも世界有数の産油国であり、第1次オイルショック以降は潤沢なオイルマネーが入り込んでいました。イラクのサダム・フセインはその潤沢な資金によって軍備を拡張させており、イラン-イスラム革命にて軍部に混乱が生じているイランに、ここが好機とばかりに軍事侵攻してイラン・イラク戦争が始まったのです。

世界中の国家が隣国との間に紛争の種を抱えています。イラクとイランの間も同様であり、特に中東の国々の隣国との紛争の種は深刻なものでした。国境が意図的人為的に作られたものだからです。

中東の国家群は、第1次世界大戦後にオスマン帝国が解体されて作られていきました。その主導者としてオスマン帝国を破壊していったのは、国家としてはイギリスです。このイギリスにフランスが協力して、オスマン帝国打倒後のアラブ分割について秘密協定(サイクス・ピコ協定)を結んだのです。

サイクス・ピコ協定におけるイギリスとフランスの勢力範囲
 フランス統治領・ フランス勢力圏:レバノン、シリアが独立
 イギリス統治領・ イギリス勢力圏:イラク、クウェートなどが独立
 国際管理地域
Author:Rafy [CC BY-SA]
Wikimedia_Commons [Public Domain]

このあたり、独立を目指してオスマン打倒に協力したアラブを英国が裏切った様子などは、特別編(アラビアのロレンス)で見ています。そうやってオスマン帝国の領地を線引きしていって、イエメン、サウジアラビア、イラク、シリア、ヨルダン、アラブ首長国連邦といった中東国家が成立していきました。

意図的・人為的に引かれた国境線は部族を分断します。「分断して統治せよ。」です。宗教や民族、習俗といった違いを煽って被支配者どうしで対立させるやり口です。

1980年から始まり、1988年にようやく終結したイラン・イラク戦争も全体としてはその文脈上に勃発した戦争です。支配者たちはこの長々ダラダラと続いたイラン・イラク戦争も散々利用しています。

外伝63で見てきたことですが、イラン・イラク戦争にてイラン・イラクの両国に大量の兵器を売却していたのが共産中国でした。その共産中国の兵器ビジネスのバックにあったのがショール・アイゼンベルグでした。

ショール・アイゼンベルグ

アイゼンベルグは、本業が兵器ビジネスの「死の商人」であり、「企業乗っ取り屋」であり、全米犯罪シンジゲートの継承者であり、イスラエルの帝王の座にあった人物ともいえました。全米犯罪シンジゲートは、イスラエルを世界犯罪王国の首都にしようとしていたのです。そして、アイゼンベルグに全ての企業を牛耳られているイスラエル自体が、イラクの侵攻によって窮地に陥ったイランに対して、大量の兵器販売を行っていました。


イラン・イラク戦争において、共産中国とイスラエルを通じての大量の兵器販売で、アイゼンベルグが莫大な収益を手にしたのは間違いがないでしょう。「死の商人」にとっては戦争が勃発し、その戦争が長引くことが「飯の種」なのです。1980年から1988年までダラダラと続いたイラン・イラク戦争は、アイゼンベルグなど「死の商人」にとっては「願ったりかなったり」です。彼らが戦争の決着がつかないように操作していたのだろうな、とは容易に推測できます。


恥知らずのブッシュSr.


イラン・イラク戦争におけるイスラエルの動き(正確にはアイゼンベルグとういうべきでしょうが)に乗っかったのが米国(ここもより正確には米戦争屋グループ、軍産複合体)でした。

米国はイラン-イスラム革命にて、国家としてはイランとは敵対関係となりました。イラン・イラク戦争では当然ながらサダム・フセインのイラクを支援することになります。『世界史の窓』の「イラン=イラク戦争」に次の記述がある通りです。

イラン=イラク戦争が起こると、イラン革命でアメリカ大使館員人質事件など被害を受けたアメリカ(カーター政権。1981年からレーガン政権)は、シーア派原理主義政権に敵対するイラクのサダム=フセイン政権を支持し、大量の武器、資金の援助を行った。サダム=フセイン政権はアメリカによって維持されたとも言われる。

イラン・イラク戦争にてサダム・フセインのイラクを支援したアメリカ、しかし、実はアメリカ(国家の米国とは表現していません。米国国家を食い物にしている米企業群の意味です。)はイラクを支援しながらも、その敵国であるイランにも兵器を売り渡していました。裏切りです。

それが発覚したのが、これも外伝63で見てきたことですが、1986年にレーガン政権下で大騒ぎとなった「イラン・コントラ事件」でした。アメリカはイランに兵器を売却し、その資金でニカラグアの反共ゲリラの「コントラ」を支援していたのです。

イラン:コントラ事件の概略
Author:Addicted04 [CC BY-SA]
Wikimedia_Commons [Public Domain]
Wikimedia_Commons [Public Domain]
Wikimedia_Commons [Public Domain]
Wikimedia_Commons [Public Domain]

イランへの兵器売却と「コントラ」支援、この汚い裏切り行為を主導していたのが、CIA長官を経過し、レーガン政権では副大統領にまでなっていたブッシュSr. でした。

ウィキペディアの「ジョージ・H・W・ブッシュ」記事では次の記載がある通りです。

ブッシュはホワイトハウス内の危機管理センターという独自情報機関の責任者に就任し、様々な危機への対応策を計画・実施した。その一つがイラン・コントラ秘密工作であった。この悪名高い工作はブッシュ副大統領率いる危機管理センターのSSGで計画が練られ、ウィリアム・ケーシーCIA長官が中心となって実施した。ブッシュやケーシーらは反共勢力を支援するためにラテンアメリカの麻薬王とも手を組んだ為、アメリカ国内への麻薬の流入も急増した。後に敵対することになるイラクのサッダーム・フセイン政権との国交正常化とイラン・イラク戦争での対イラク援助の決定にも関わり、「イラクゲート」と呼ばれるフセイン政権に武器援助を行った疑惑で追及されることになる。

Wikimedia_Commons [Public Domain]

ナチス第3代目総統であったブッシュSr. は、サダム・フセインのイラクには武器援助といった支援名で利用しながら、イランへの武器売却などの裏切りを平気で行っていたわけです。それだけではなく、裏切りが発覚し、サダム・フセインをブッシュSr. は危険視したのでしょう。ブッシュSr. はその後自分の政権時にはサダム・フセインをそそのかし、罠にはめて湾岸戦争にて叩き潰しにいっています。


ラムズフェルドとサダム・フセイン


サダム・フセイン(1996年)
Wikimedia_Commons [Public Domain]

ブッシュ政権がサダム・フセインを罠に嵌めた具体的な事実、サダム・フセインと駐イラク米大使エープリル・グラスピー会談は、2013年3月19日の『マスコミに載らない海外記事』にて読むことができます。

散々利用し、食い物にした上で平気で裏切り、最後は叩き潰す。このようにしてイラクのサダム・フセインと深い因縁を持っていくのがブッシュSr. であり、その息子であるブッシュJr. でした。

そして、このブッシュ親子以外にサダム・フセインと最も深い因縁を持っていくのが、ドナルド・ラムズフェルドとなります。でっち上げの騙しによる犯罪戦争、サダム・フセインを抹殺した2003年の(第2次)イラク戦争、ブッシュJr. 、ディック・チェイニーらとともにこの戦争の主犯だったのがドナルド・ラムズフェルドでした。

チェイニー副大統領(左)とラムズフェルド国防長官(右)(2003年)
Wikimedia_Commons [Public Domain]

ラムズフェルドは、フォード政権で大統領首席補佐官から史上最年少の43歳で国防長官に就任、この時ラムズフェルドの部下であったのが、ブッシュJr. 政権で副大統領であったディック・チェイニーだったのです。後に抹殺するサダム・フセインとラムズフェルドとの馴れ初めはウィキペディアの「ドナルド・ラムズフェルド」記事に以下のように記載があります。

(ラムズフェルドは)イラン・イラク戦争中の1983年にはイラクとの国交正常化のための特使に任じられ、12月19日と1984年3月にイラクを訪問しており、ターリク・ミハイル・アズィーズとは2時間以上、サッダーム・フセインとは90分に及ぶ会談を行い、ベクテルのパイプライン建設とそのためのイスラエルとの関係改善などが話し合われた。

先に見たように、対イラク工作を主導し、イラクとの国交正常化を図ったのはブッシュSr. であり、ラムズフェルドはその代理人としてイラクに赴いたのです。こうやって米国はラムズフェルドを窓口としてイラクと国交正常化をして、イラクへの軍事支援を公式のものとしていたのです。

しかし繰り返しますが、彼ら(ブッシュSr. 、ラムズフェルド、チェイニーたち)は裏切っていたのです。彼らはまずは米国を食い物にし、次いでイラクを、イランを食い物にし、散々利用しながら裏切るのです。そして、最終的には自分たちが利用し裏切ったあげくに、サダム・フセインを抹殺したのです。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

これまでのseiryuu氏の寄稿記事はこちら


Comments are closed.