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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝63 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ5
「イラン・コントラ事件」の黒幕
1986年、米国レーガン政権下にて「イラン・コントラ事件」が発覚し、世界で大騒ぎになりました。「イラン・コントラ事件」とは、ウィキペディア記事の冒頭部分で次のようにある通りです。
ロナルド・レーガン政権が、レバノンでシーア派テロリスト集団に捕らえられているアメリカ人の解放を目的としてイランと裏取引をした上に、アメリカ国家安全保障会議から同国へ武器を売却し、さらにその代金をニカラグアの反共右派ゲリラ「コントラ」の援助に流用していた事件。1986年に発覚するや、アメリカ国内のみならず世界を巻き込む政治的スキャンダルに発展した。イランゲート(Irangate)といわれた。
この事件の当時、イラン・イラク戦争(1980~1988年)の中でした。米国はサダム・フセイン率いるイラクを(利用という方が正確ですが)支援し、イランはいわば敵国扱いとしていたのです。ところが米国は、そのイランに武器を裏取引で売却していたのです。おまけにそのイランへの武器売却の代金を、これも秘密裏に反共右派ゲリラ「コントラ」の援助に流用していたのです。この問題点の一端をウィキペディア記事では以下のように記載しています。
イランへの武器輸出と、反共ゲリラへの資金流用というそれぞれの行為は、本来なら必要である議会の了解を取っていなかったばかりか、当時民主党が多数を占めた議会の議決に完全に反していた。
また、この時、アメリカのイランとコントラの双方の交渉窓口は、ロナルド・レーガン政権において副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュ(後の大統領)であったとされ、このブッシュの関与が、後の民主党政権下の連邦議会における公聴会で取りあげられたが、その真相はいまもってうやむやである。
Wikimedia_Commons [Public Domain]
この「イラン・コントラ事件」の中心的な役割の黒幕の一人は、「それが公にされることは決してなかった」がショール・アイゼンベルグである、と『ユダヤの告白』第5章の最後部は指摘しています。これはこの通りでしょう。
「イラン・コントラ事件」のウィキペディア記事では、以下の記載内容があります。
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*イラン・イラク戦争が始まるや、イスラエルが本来的には敵国ながらイランに武器を売却。
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*そこに米国が乗って、米国の武器をイスラエルを通じて売却し、人質解放に役立てた。
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*しかし、やがてイスラエルがこの米国とイランとの間接貿易の代理人であることを渋る。
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*そのため、米国はイランに直接武器を密輸出するようになり、これが発覚し事件となった。
また「イラン・コントラ事件」発覚以前に、ニカラグアの「コントラ」など反共ゲリラに対して、イスラエルが米国の代理人として米国の最新兵器を輸出していたとも記載されています。
「イラン・コントラ事件」は、米国政府がイスラエルに鼻面を引き回された事件とも言えるでしょうが、その黒幕はイスラエルのほとんどの企業を、とりわけ軍事産業を完全掌握していたショール・アイゼンベルグと見るのが当然なのです。
ショール・アイゼンベルグ
The National Library of Israel [CC-BY]
イラン・イラク戦争の最大利益収集者
「イラン・コントラ事件」は、米国のサダム・フセインのイラクに対する明らかな裏切り行為でもあります。これでサダム・フセインは米国に不信を抱き、やがてこれが後の1991年の「湾岸戦争」の伏線となっているのです。
「イラン・コントラ事件」は、ショール・アイゼンベルグらが黒幕にいたイスラエルが米国政府を振り回した事件と指摘しましたが、それ以前に、そもそもイラン・イラク戦争の黒幕の一人もショール・アイゼンベルグである、もしくは、少なくともイラン・イラク戦争を利して、ショール・アイゼンベルグが莫大な収益を手にしたのは間違いがありません。
ウィキペディアの「イラン・イラク戦争」記事には以下の記述があります。
中国は1980年から1988年までイラン最大の武器供給国であり、(中略)その裏では中国はイラクの反発を避けるために、その2倍以上の武器を同国にも供与していた。当時の中央情報局(CIA)は「中国はイラン最大の武器供給国だが、皮肉なことに中国最大の武器取引相手はイラクである」と報告している。
共産中国はイラン・イラク戦争において、イランに大量の兵器を売却すると同時に、イラクにもその2倍からの兵器を売却していたというのです。この共産中国の武器売却の裏にいたのも、ショール・アイゼンベルグで間違いないのです。ショール・アイゼンベルグは共産中国と組んで、中東地域に兵器ビジネスを展開してもいたのです。
Wikimedia_Commons [Public Domain]
Wikimedia_Commons [Public Domain]
更に、ウィキペディアの「イラン・イラク戦争」記事の次の記述にも留意が必用です。
イスラエルは、イラクとも敵対していたために「敵の敵は味方」の方針でイランに武器を援助しており、米国製部品をイスラエルが調達する代わりに、イスラエルはマーク・リッチを通じてイランから石油を得ていた。
イスラエルはマーク・リッチを通じてイランと兵器と石油のビジネスをしていたとのことですが、このマーク・リッチこそがショール・アイゼンベルグの遺産相続人であるデニス・アイゼンバーグ・リッチの婿(1966年結婚、1996年離婚)だったのです。
old 9 July 2012
— alicelilly (@alicelilly1) April 22, 2020
Wealthy socialite and top Democratic donor Denise Rich renounces her U.S. citizenship - saving ... https://t.co/dVGBMvsMMA via @MailOnline
左端:ショール・アイゼンベルグの孫デニス・アイゼンバーグ・リッチ
戦争は巨大ビジネスの一面があります。莫大な戦費融資の銀行業務、大量高価な兵器売買、この2つは必然ですが、それに麻薬取引と人身売買もついて回ります。
イラン・イラク戦争では、当事者国のイラン、イラク、それにイスラエルと米国や中国の背後にあって、巨大戦争ビジネスを取り仕切っていたのがアイゼンベルグ一族だったということです。
秘密裏にアイゼンベルグ社が戦争ビジネスを取り仕切るこの構図は、無論イラン・イラク戦争に限ったものではなく、以降の戦争全部にアイゼンベルグ社が何らかの大きな絡みがあっただろうことは十分推測できます。
日本人貧困化の背後
更には、ショール・アイゼンベルグのビジネスは戦争ビジネスに限ったものではなく、イスラエル・コーポレーションを見れば、「企業乗っ取り」「投機」ビジネスも世界規模で巨大に展開していたのはあきらかです。
他には原発ビジネス、ハイテク事業などもそうです。ショール・アイゼンベルグは1997年に死亡とされますが、彼の一族のアイゼンベルグ社は現在もビジネス展開を行っているでしょう。
東日本大震災の原発事故の福島原発(日本全ての原発も?)はイスラエルのマグナBSP社が保安管理していましたが、このマグナBSP社はアイゼンベルグ社の子会社との情報がありました。これまでアイゼンベルグを追ってきて判明した事実から勘案すれば、この情報は間違っていないように思えます。
そして日本 昭和編 第45話でみたように、日本の原発建屋を全て設計施工管理して、日本の原発を取り仕切っていたドレッサー・ジャパン、これとマグナBSP社は極めて密接な関係にあったでしょう。そもそもドレッサー・ジャパン社を創業したジョージ・パーディとショール・アイゼンベルグも密接な関係にあったと見て間違いありません。ジョージ・パーディはGHQから買収によって裏天皇グループに寝返った人物です。
ジョージ・パーディは日本人妻を娶り、日本で米国とイスラエルの要人として活動する一方で、「年次改革要望書」の原案である「対日規制緩和要望書」を起草したとされます。これによって1997年には独禁法が改正され日本で持株会社が解禁、「日本の金融自由化、農産物輸入自由化、 企業乗っ取り=M&A自由化」が進展していきました。
ショール・アイゼンベルグも来日後に日本人妻を娶り、黒龍会の第2代目総裁で新日鉄の永野重雄氏の援助のもと戦後間もなく東京にアイゼンベルグ商会を創業、これを皮切りに世界で巨大ビジネスを展開していきます。
そして、アイゼンベルグはジャパン・バッシング、日本売りにも絡んでいます。1985年頃から米国を中心に始まり、激しくなっていったジャパン・バッシング。『ユダヤの告白』第5章では、ショール・アイゼンベルグが日本財界から追い出され、それに深い恨みを持っていること、それ故に「アメリカの情報関係者の中には、アイゼンバーグの恨みから、ADLのジャパン・バッシング計画は徹底したものになると見る人たちがいる。」としています。
アイゼンベルグが日本財界に本当に深い恨みがあったのか不明です。ただし、アイゼンベルグがバックにいたADLが、激しい日本たたきを行ったことは事実です。このあたりから「日本の失われた30年」が始まるのです。
日本人貧困化の裏には米国とCIAがあるのは無論ですが、その他にイスラエル、モサド、ADL、犯罪シンジケート、アイゼンベルグ、ブロンフマンなどがいたわけです。そして、日本の中にも裏天皇グループが…。
イスラエルの全産業は、事実上アイゼンベルグ社の子会社であった。このイスラエル国家そのものであるアイゼンベルグ社、建国の原動力であるアイゼンベルグ社を優遇し、アイゼンベルグの全活動を無税にするという、「アイゼンベルグ法」という法律がイスラエルにはあった。アイゼンベルグにだけ適用される、アイゼンベルグのためだけの法律であった。
1948年ではありませんが、1968年にアイゼンベルグによってイスラエル・コーポレーションが創立され、その「この会社の所有者の30年間の税免除と、他に利益の受け取りを保証する」取り決めは、確かに「アイゼンベルグ法」でした。そして、イスラエル・コーポレーションがイスラエルの殆どの企業を支配下に置いたのも、どうも事実に近いようです。
また、本人というよりもアイゼンベルグが継承した犯罪シンジケートが、イスラエル建国の原動力であったのも事実でした。犯罪シンジケートがイスラエルを乗っ取ったとも言えるし、アイゼンベルグが1948年から僅か20年で犯罪帝国世界本部の帝王になったとも言い得るでしょう。