ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝62 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ4

 『ユダヤの告白』第5章には、ショール・アイゼンベルグがパキスタンの核保有への主導的な働きを果たし、しかも、それはアラブやイスラム国と西側の対立を煽る目的もあったことが記述されています。多国籍の巨大ビジネス展開をしていたアイゼンベルグには、パキスタンの核保有も数ある国家核保有への誘引の一つであったのが事実です。フランス、イスラエル、中国、そして北朝鮮もそうでしょう、これらの国家の核保有のキーマンがアイゼンベルグだったのです。
 アイゼンベルグに関する情報源は詳しいものとして『ユダヤの告白』、それ以外には『オルタナティブ通信』ぐらいしか無く、これではアイゼンベルグは「闇の国の謎の人物」であり、首をかしげることが多かったのです。
 しかし、『ケネディとユダヤの秘密戦争』を入手することで、かなりアイゼンベルグの輪郭がハッキリしました。『ケネディとユダヤの秘密戦争』には資料源が明記されてあるし、記載内容が他の情報と照らしても整合しているのです。戦後世界の肝心部の全体像と、そこでのアイゼンベルグの位置が見えるようになったのでした。
(seiryuu)
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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝62 ― 犯罪シンジケートの継承者 〜 アイゼンベルグ4

消滅危機にあった犯罪シンジケート


カーター政権下で、全米犯罪シンジケートとそれと一体になっていたADLが、アイゼンベルグのビジネス・パートナーのクラツニックの働きもあり、その勢力を一層拡大させたことを前回に見ました。

ところで、この勢力拡大には前段があったのです。実はこれ以前の段階で、全米犯罪シンジケートは消滅の危機を迎えています。ところが、その危機を全米犯罪シンジケートは跳ね返してしまい、それが後の一層の勢力拡大へと繋がっていました。

これ全体にはアイゼンベルグが深く深く絡み、そしてティボー・ローゼンバウムも、特に犯罪シンジケートが危機を跳ね返す部分で大きく関与もしています。

犯罪シンジケートの消滅危機とそれの跳ね返しとは、具体的にはどういうことか?

表面的なところは『ヘブライの館2』の「アメリカの暗黒街のユダヤ紳士たち」の次の記述が簡単に把握できるものです。

●1960年代に入ると、「全米犯罪シンジケート」はケネディ兄弟によって激しい攻撃を受けるようになる。彼らの妥協のない態度は、ジョン・F・ケネディが言った次の言葉に要約されている。
「遠慮せず、徹底的に調査を続けろ。ここには、1つしか規則はない。もし奴らが悪なら、単に傷つけるというようなことでなく、完璧に殺してしまわねばならない!」

●1961年、大統領にジョン・F・ケネディが就任し、司法省長官に弟ロバート・ケネディが就任すると、ケネディ内閣はかつてないほどのスケールで、シンジケート撲滅作戦に乗り出した。ケネディ兄弟は伝統的マフィアの本流、シカゴにまでその手をのばしていった。
この時、ロバート・ケネディはシンジケートに対して大がかりな戦略を練っていた。その大戦略とは、FBI、国税庁、商務省など連邦政府の全機能をフルに動かして、シンジケートの本拠地であるラスベガスを直撃することだった。
1963年の10月には、この大戦略のプランは完成していた。だが、いよいよという時になって、このプランは中止された。敢行直前にケネディ大統領が暗殺されたからである。

1960年台初期に、ジョン・F・ケネディ大統領とその実弟であるロバート・ケネディ司法省長官からの厳しい追求によって、全米犯罪シンジケートは消滅の危機を迎えていたのです。ところが、ケネディ暗殺で全米犯罪シンジケートへの追求は完全にストップ、生き延びた犯罪シンジケートはその後に更に勢力拡大を実現していったわけです。なお、ロバート・ケネディも後に暗殺されています。

ジョン・F・ケネディ
Wikimedia Commons
[Public Domain]
ロバート・F・ケネディ
Wikimedia Commons
[Public Domain]

全米犯罪シンジケートが危機を跳ね返したと表現しましたが、それはケネディ暗殺、その実行グループの主力がその内部に殺人株式会社を抱える全米犯罪シンジケートだったという意味です。

翻って、ケネディ大統領とロバート・ケネディが全米犯罪シンジケートをなぜ厳しく追求し、大掛かりな撲滅作戦に出たのか?

それを『ケネディとユダヤの秘密戦争』の表紙の帯にある次の文言が端的に示しています。

イスラエル=中国の原爆共同開発、暗殺直前、ケネディは中国核施設への攻撃を決断していた!


ケネディ大統領暗殺への動き


イスラエルの核武装は正式に発表されていないものの、公然たるものです。長崎大学核兵器廃絶研究センターの発表では、「イスラエルは核不拡散条約(NPT)体制の枠外で核兵器保有を続ける国の一つである。核兵器製造は1960年代に始まったとみられている」としています。

『櫻井ジャーナル』2010/5/26記事では、

アメリカがイスラエルの核開発に気づいたのは1958年のことである。CIAが飛ばした偵察機U2がネゲブ砂漠のディモナ近くで建設中の施設を発見したのだが、担当者は原子炉の疑いがあると判断した。

と記載されています。

1958年当時の米国大統領はドワイト・アイゼンハワー大統領でしたが、アイゼンハワーはそのイスラエルの動きを黙認したとのことでした。

これに対して、イスラエルの核開発に決然と反対の姿勢を表したのがケネディ大統領だったのです。ケネディとイスラエルの首相ダヴィド・ベン=グリオンは核開発を巡り、激しい対立関係を繰り広げることになるのです。

ケネディとベン=グリオン(1961年)
Wikimedia Commons [Public Domain]

イスラエルの建国にはロスチャイルドの主導やナチス・ドイツの協力もありましたが、(現在も続いている)アラブへの非道なテロと、全米犯罪シンジケートの協力、特に武器・兵器の供与なしにはあり得なかったのです。

また、パレスチナのハガナーやイルグン、レヒといったユダヤ・ギャング団は、全米犯罪シンジケートとイスラエル建国に向けて一体化していました。そして、そのパレスチナのユダヤ・ギャング団がイスラエルの中枢となっているのです。つまりは、全米犯罪シンジケートがイスラエル支配の中枢となったとも言い得るのです。

従って、ケネディ大統領の核開発を巡るイスラエル追求と攻撃は、同時に犯罪シンジケートへの追求・攻撃ともピタリと重なるのです。これがケネディ大統領暗殺へとも繋がります。

『ケネディとユダヤの秘密戦争』のp033「写真資料」には次のようにあります。

イスラエルのダヴィッド・ベングリオン首相とジョン・F・ケネディ大統領(写真左、二人一緒に)。イスラエルの核兵器保有の決意をめぐり、二人は激しくぶつかりあった。その対立のすえ、ベングリオンは1963年6月に首相を電撃辞任しJ・F・K暗殺計画にイスラエルの情報機関モサドが加担する下地をつくった。

続きの部分では以下の記述もあります。

J・F・K暗殺計画(およびドゴール暗殺計画)はパーミンデクスという国際企業を通して組織、資金提供されていた。この企業はイスラエルの情報機関モサドの「資産(アセット)」として機能していたダミー会社である。上の写真はパーミンデクスの設立を記念して開かれた会合で撮影された。背後からこの企業を動かしていたのは、モサドの武器供給・資金調達を取り仕切っていたラビのティボール・ローゼンバウム(写真右枠内)が創設したジュネーブのBCI(国際信用銀行)だった。

ケネディ大統領暗殺は問題が巨大でもあり、詳細は別機会にしますが、ケネディ大統領暗殺のキーワードがダミー会社パーミンデクスであり、暗殺実行部隊の中心人物の一人にティボー・ローゼンバウムがいたのです。

ティボー・ローゼンバウム


イスラエルと共産中国の核開発のキーマン


ケネディ大統領暗殺の約1年後の1964年10月、共産中国は核実験を成功させて核保有国となっています。繰り返しますが、『ケネディとユダヤの秘密戦争』の表紙の帯には「イスラエル=中国の原爆共同開発、暗殺直前、ケネディは中国核施設への攻撃を決断していた!」とあります。この結論部分がp179で次のようにあります。

今では、イスラエルが核兵器を保有していることは「公然の秘密」だが、イスラエルはその能力をどこかで試さなければならなかった。そして、1964年、イスラエルはその最初の核爆弾の実験を行った可能性がある。すなわち、秘密の同盟者である中華人民共和国と共同という形をとってである。(中略)...
共産中国の秘密の同盟者モサドが、CIAやランスキーの犯罪シンジケートの仲間と協力して実行したジョン・F・ケネディの暗殺は、J・F・Kが生きていれば妨害されていただろうイスラエルと中国の核爆弾開発計画の成功を可能にしたのだ。

一連の動きを整理してみます。
  • イスラエルの核兵器保有を強く懸念するケネディ大統領のイスラエルへの追求と攻撃。
  • ケネディ政権のランスキーの犯罪シンジケートへの撲滅作戦、犯罪シンジケートは消滅寸前の危機に。
  • 共産中国の核兵器保有を懸念したケネディ政権は、中国の核施設への秘密の攻撃を計画し実施寸前にあった。
  • 1963年11月、ケネディ大統領暗殺。実行役として犯罪シンジケート、モサド、ADL、CIAなどが関与。
  • ケネディ暗殺によって、犯罪シンジケートは生き延びその後に勢力拡大。イスラエルと中国は核兵器保有に成功。

この一連の動き全てに深く関与し、繋いでいったのがショール・アイゼンベルグです。アイゼンベルグはイスラエル、犯罪シンジケート、モサド、ADLの最重要人物だったのはこれまで見てきた通りで、イスラエルと中国の核開発を主導したのもアイゼンベルグと言えるでしょう。『ケネディとユダヤの秘密戦争』p158に次のようにあります。

1963年には、中国とイスラエルがひそかに裏ルートを使った共同の核開発計画を進めていた。さらに、この両国の共同プログラムでの鍵となった人物は、故ショール・アイゼンバーグその人だった。J・F・K暗殺の陰謀で中心的役割を果たすパーミンデクスを動かしていたティボール・ローゼンバウム(モサドの武器調達および財政担当)の古くからのビジネスパートナーである。

また、p174には以下の記述があります。

アイゼンバーグ(すでに登場した)はJ・F・K暗殺の陰謀の網をつむいだパーミンデクスと(J・F・K暗殺の時期に)深い直接の関係を持っていた。(中略)...イスラエルの核開発プログラムにおける鍵となる人物だっただけでなく、スイス・イスラエル貿易銀行として知られるモサドの財政機関では、パーミンデクスの銀行家ローゼンバウムの共同経営者でもあった。

犯罪シンジケートの継承者であるアイゼンベルグが、イスラエルと中国の核開発のキーマンであると同時にケネディ暗殺のキーマンでもあり、全てを繋げる人物だったようです。

ショール・アイゼンベルグ


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

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