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ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)3 ― 天海の出自 ―

天海は八咫烏か? 〜天海の事業実績

南光坊天海
Wikimedia Commons [Public Domain]

明智光秀と同一人物だとの説もありやすが、一体どこの出自で何者だったんで? 徳川三代の参謀役だったのは知ってはいやすが。

だがその天海の出自だが、ウィキペディアの彼の記事を読めば分かるように、天海は自分の出自については秘密にしていた様子が窺える。
だから天海の出自は本当のところはハッキリしない。

またこうもある。「江戸の都市計画にも関わり、陰陽道や風水に基づいた江戸鎮護を構想する」と。

それに山王一実神道とかいうのも八咫烏と関係が?

山王一実神道のもとは「山王神道」で、その記事では「比叡山延暦寺で生まれた神道の流派である」とし、概略では「日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合したのが山王神道である」とする。
そして要は、その山王とは大山咋神(おおやまくいのかみ)としている。現に大山咋神の記事では大山咋神の別名が山王ともある。
日枝神社祭神・大山咋神の別名「山王」は、中国天台山の鎮守・「地主山王元弼真君」を模倣したもの。天台宗一派が興した神道を「山王神道」といい、後に天海が山王一実神道と改めた。太田道灌は江戸城鎮守神として川越日吉社から大山咋神を勧請し日枝神社創建、徳川家の氏神後に皇居の鎮守神とされた。
— ニコイの水芭蕉 (@bonchan1) November 28, 2015※ツイートを読み込み中です...(待っても表示されない場合は、ツイートが削除または凍結されています。)

大山咋神とはどういう神で?

『秦氏本系帳』に記載がある丹塗矢の神話によると、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の賀茂別雷大神は松尾大社の祭神、すなわち、大山咋神とされるという。

なるほど、天海が山王神道での祭祀を主張していることも陰陽道と併せて八咫烏が重なってきやすね。

<役小角(えんのおづぬ)>
— 妖怪・霊獣・異形の神仏 (@riox5555) April 11, 2020
役行者とも。飛鳥時代に実在した人物で山岳信仰・修験道の開祖。高下駄を履き錫杖と巻物を持ち、しばし前鬼・後鬼という対の鬼を従える。役小角や修験者(山伏)は、天狗像のルーツの一つとされる。 1.葛飾北斎『北斎漫画』 2.山伏 #桜本坊 pic.twitter.com/MOsY7KCMkw※ツイートを読み込み中です...(待っても表示されない場合は、ツイートが削除または凍結されています。)


で、どのような説で?

ん?天海と明智光秀とは同一人物ではない?
それに伏見宮? 伏見宮といえば天皇を輩出する宮家の中でも筆頭の名門では?
それが丹波の郷士安藤家に? そんなことが?
天海の黄金の件もそうでやすが、これは一体本当のことで?

落合史観による天海の系図
編集者註:後で触れる<参考文献2>では、摂津池田氏は楠木正儀の末裔となっていますが、楠木正行の末裔の間違いかもしれません。いずれにしても楠木正成の末裔ということにはなります。
(続きはこちらから)
水戸徳川と伏見宮のタッグ 〜朝彦親王は皇道会の総裁

そうして…だ。まず、天海と明智光秀の関係だが、これは別人と見ていいだろう。そして天海の出自だが、最初に言ったように本当のところはハッキリしない。
ただし、天海が伏見宮の血流との見解は無視できないものがある。天海の父で安藤家に入ったとされる邦茂王(安藤惟実)、その「安藤惟実の後裔が水戸藩に仕えた安藤為実と為章」というのがミソになっている。

で、更には伏見宮の血流が水戸徳川に仕えていた? ここがミソ?
ふーむ、伏見宮と水戸徳川がいわばタッグを組んだ? これがミソということで?

調べると天海の父と落合氏がいう安藤惟実は確かに邦茂王で、伏見宮のようだ。
そしてそしてその後裔とされる安藤為実と為章は、兄弟で伏見宮に出仕した後に水戸光圀に仕えてもいるのが分かる。伏見宮と水戸徳川のタッグが大ポイントだ。
先に水戸徳川だが、幕末に倒幕を導いたのは?

水戸徳川出身の徳川慶喜が将軍になって僅か一年で大政奉還になってやすね。倒幕の主力が水戸徳川…。

実は落合氏は幕末は一尹政権だったとしている。一尹政権の一とは一橋慶喜、つまり後の最後の将軍だ。
尹とは尹宮朝彦親王を指す。尹宮朝彦は久邇宮や中川宮、または青蓮院など次々に名前を変えている掴みどころのない男だが、彼は伏見宮の人間だ。
そして幕末の政治の中心人物がこの一橋(徳川)慶喜と尹宮朝彦の二人だったのは確かにそのようなんだ。

で、幕末に政治を動かし、明治維新を導いたのが水戸徳川と伏見宮のタッグであり、そのタッグは天海の時にまで遡る可能性があるということになるんでやすね?

また天忠党総督で自害した中山忠伊は、光格天皇が中山家に養子に出した息子でやしたね。
天忠党と伏見宮家は、天皇家と宮家の絡みで更に何か深い関係にでもあったので?

この皇道会、そして大日本皇道立教会の会長に就任したのが中山忠伊の息子中山忠英だよ。ただ皇道会の総裁は尹宮朝彦こと久邇宮朝彦親王が勤めている。
天忠党
総督 中山忠伊
光格天皇皇子
(武生宮長仁)
(武生宮長仁)
皇道会
総裁 久邇宮朝彦会長 中山忠英
大日本皇道立教会
(大正三年)
会長 前宰相 中山忠英(大正三年)
会頭 土方久元
副会長 前法相 千家尊福
副会長 中山忠宗
幹事長 頭山満
貴嶺会関係組織図より抜粋



てぇことはその総裁の朝彦親王は天忠党のトップだった? そして八咫烏のトップでもあったということで?

2015/11/16の記事で竹下さんは次のようにコメントされている。
明治維新の陰謀の中心に伏見宮家があったことがはっきりとわかります。おそらく、久邇宮朝彦こそ陰謀の中心人物だったと考えられます。私の直観では久邇宮朝彦と息子の多嘉王は、孝明天皇、睦仁親王(初代裏天皇)を守護する八咫烏の12烏だったと思います。

朝彦親王と徳川慶喜がタッグを組んでいたということは…、慶喜も、そして水戸徳川も陰謀団の中心だった? 八咫烏だった?
ハルマゲドン計画の中心人物だった天海 〜天海が伏見宮の血流に転生か?

その意味で善悪はともかくも、慶喜は腹が座った非常に頭脳明晰な人物だったと言えるだろうね。
そして慶喜たちも八咫烏か?と言えばそうなるだろう。古代イスラエルの血流を引くカバラの霊能集団の一員に慶喜がはまるかはともかくも、朝彦親王を含めて、彼らが八咫烏の政治部門集団のトップだったろうさ。水戸徳川が明治以降も日本の支配者だった。

ふーむ、そういえば、『本物黒酒』さんも慶喜が孝明天皇を守護していたとの見解を出されていた。八咫烏の業務の第一は天皇の守護でやしたね。
拙訳<帝は、側近の手に落ちて誘導されている子供に過ぎない〜余はその質問に対する回答を書面で受け取った。その時、その勅令は帝のものではないことが余には明白であった。〜>
— 本物黒酒 (水原紫織)『もう一人の「明治天皇」箕作奎吾』好評発売中 (@honest_kuroki) March 2, 2020
慶喜は孝明天皇親子を保護している事を隠しつつ維新政府が偽勅書を発布していることを伝えた模様https://t.co/YNXMQKAiie※ツイートを読み込み中です...(待っても表示されない場合は、ツイートが削除または凍結されています。)

で、もとをただすと、どうも天海がこの陰謀団の中心人物たちに絡み、大きな影響を与えていたようでやすね。
改めて天海とはどういう人物で?



そして明治維新は天界でのクーデターの現れでもありやしたね。たしか武甕槌神が色上姫様から大君の座を奪取した…。

ハルマゲドン計画にも幾つかのヴァージョンがあるが、日本を中心としたハルマゲドン計画が作動していた。
天海は日本を中心としたハルマゲドン計画全体の中心人物の一人だったろう。

2019/03/11の竹下さんの記事に基づき、日本中心のハルマゲドン・NWO計画書となっているのが「日月神示」で、この日月神示を降ろした霊が天海であると。
天海は日本中心の計画を進めてきた陰謀団にずっと所属し、計画を進めていたというわけでやすね。

推進してきたのは基本的にはホワイト・ロッジで、日本では秘密結社八咫烏となるだろう。そしてこういった秘密結社では、世界中にネットワークを構築し稼働させてきたと思える。


最澄はあの時代にすんなりと唐に渡り、大成功といえる成果を挙げている。その背景には日本と当時の唐の間に秘密結社ネットワークがあったと見ると納得がいくだろ?
最澄は三津首家という氏族で、三津首家は秦氏や漢氏と同様に渡来氏族、まぁ古代イスラエルの流れだろうね。その秘密ネットワークがあったと見ている。
最澄は、大山咋を祀る漢人系民族の「三津首氏(みつのおびと)」の出身で、大山咋の神域についての深い知識を持っていた。大山咋神の別名「山王」は、中国天台山の鎮守、「地主山王元弼君」を模倣したもの。最澄は漢人系秦氏だな。空海も秦氏。日本の新興宗教は秦氏だらけ。
— ニコイの水芭蕉 (@bonchan1) October 28, 2015※ツイートを読み込み中です...(待っても表示されない場合は、ツイートが削除または凍結されています。)

最澄といえば仏教でやすが、実際には神道といおうか修験道も興している。ふーむ、そうかも知れやせんね。
それにしても八咫烏が広がっていく、それにネットワークか…。

一方、江戸時代に一貫して明治維新への流れ、つまりハルマゲドン計画に繋がる動きを最有力で取ってきたのが水戸徳川だ。
その伏見宮家と水戸徳川は幕末には明瞭に目にも見える形でタッグを組み、明治維新を導いた。で、この伏見宮家と水戸徳川のタッグは、伏見宮の後裔とおぼしき安藤為実と為章の兄弟が水戸光圀に仕えた時には既に始まっていたように見える。

この見方は、話の筋としては通っており、重要だいうわけでやすね。


ただし、事実だとしたら色々なことの辻褄があってくるのも確かではあるのだがね…。
ただし、天海でハッキリしているのは、彼が日本を中心としたハルマゲドン計画の中心人物だったことです。具体的には日月神示を降ろしたのが彼だったのです。
この天海のことを調査していると思いがけないことが浮き彫りとなってきました。筆頭宮家の伏見宮家と水戸徳川の関係です。
明治維新の最功労者は最後の将軍徳川慶喜であり、慶喜の出自である水戸徳川が維新に向けた大きな働きをしたことは、本編でこれまで見てきたとおりです。
一方、伏見宮家については言及しないままでいました。2015/11/16の竹下さん記事で、伏見宮家、そしてその伏見宮家の朝彦親王が明治維新の陰謀の中心にあったとの情報は見ていたのですが、私自身が理解・認識できていなかったのです。「意識にないことはたとえ視界に入っていても見えない」ことの典型です。
今回、天海が伏見宮家の血流との落合氏の説に触れて調査することで、伏見宮家などのこともようやく認識の対象となってきた次第です。