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ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)3 ― 天海の出自 ―
天海は八咫烏か? 〜天海の事業実績
南光坊天海
Wikimedia Commons [Public Domain]
ご隠居、やはり天海が気になって仕方ありやせん。
明智光秀と同一人物だとの説もありやすが、一体どこの出自で何者だったんで? 徳川三代の参謀役だったのは知ってはいやすが。
明智光秀と同一人物だとの説もありやすが、一体どこの出自で何者だったんで? 徳川三代の参謀役だったのは知ってはいやすが。
そうだね。徳川三代の参謀役だったので、実質、初期の徳川幕府の舵取りをしたのが天海だったと言えるかも知れないね。
だがその天海の出自だが、ウィキペディアの彼の記事を読めば分かるように、天海は自分の出自については秘密にしていた様子が窺える。
だから天海の出自は本当のところはハッキリしない。
だがその天海の出自だが、ウィキペディアの彼の記事を読めば分かるように、天海は自分の出自については秘密にしていた様子が窺える。
だから天海の出自は本当のところはハッキリしない。
ご隠居は天海について、天海がオランダに黄金を流出させていないとしても「八咫烏のトップだった可能性は高い」と語っていやしたが、それはどういうわけで?
ウィキペディアの天海の記事には、家康の死後その祭祀を天海は「山王一実神道で祭ることを主張した」とあり、金地院崇伝や本多正純と争った結果、天海の主張が通っている。
またこうもある。「江戸の都市計画にも関わり、陰陽道や風水に基づいた江戸鎮護を構想する」と。
またこうもある。「江戸の都市計画にも関わり、陰陽道や風水に基づいた江戸鎮護を構想する」と。
ふーむ、風水は陰陽道の一端でやしたね。そして八咫烏と陰陽道はいわば一体の関係にあった。
それに山王一実神道とかいうのも八咫烏と関係が?
それに山王一実神道とかいうのも八咫烏と関係が?
そう、天海の記事で山王一実神道をクリックすると「山王神道」の記事になる。
山王一実神道のもとは「山王神道」で、その記事では「比叡山延暦寺で生まれた神道の流派である」とし、概略では「日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合したのが山王神道である」とする。
そして要は、その山王とは大山咋神(おおやまくいのかみ)としている。現に大山咋神の記事では大山咋神の別名が山王ともある。
山王一実神道のもとは「山王神道」で、その記事では「比叡山延暦寺で生まれた神道の流派である」とし、概略では「日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合したのが山王神道である」とする。
そして要は、その山王とは大山咋神(おおやまくいのかみ)としている。現に大山咋神の記事では大山咋神の別名が山王ともある。
日枝神社祭神・大山咋神の別名「山王」は、中国天台山の鎮守・「地主山王元弼真君」を模倣したもの。天台宗一派が興した神道を「山王神道」といい、後に天海が山王一実神道と改めた。太田道灌は江戸城鎮守神として川越日吉社から大山咋神を勧請し日枝神社創建、徳川家の氏神後に皇居の鎮守神とされた。
— ニコイの水芭蕉 (@bonchan1) November 28, 2015
えっと、てぇいうことは家康の祭祀は天海が主張した山王一実神道、そのもとは「山王神道」で、これは最澄が始めた大山咋神への信仰を中心した神道になるんでやすね。
大山咋神とはどういう神で?
大山咋神とはどういう神で?
八幡系の主要な一柱。比叡山の守護神だね。秦氏が祖神として松尾大社で祀っている神でもある。大山咋神の記事では次のようにもある。
『秦氏本系帳』に記載がある丹塗矢の神話によると、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の賀茂別雷大神は松尾大社の祭神、すなわち、大山咋神とされるという。
秦氏の祖神? ふーむ、それに賀茂神社といえば八咫烏の本拠だ。
なるほど、天海が山王神道での祭祀を主張していることも陰陽道と併せて八咫烏が重なってきやすね。
なるほど、天海が山王神道での祭祀を主張していることも陰陽道と併せて八咫烏が重なってきやすね。
そうだね。山王神道とは修験道の一つといえるだろう。修験道といえば役小角で八咫烏と絡んでくる。
<役小角(えんのおづぬ)>
— 妖怪・霊獣・異形の神仏 (@riox5555) April 11, 2020
役行者とも。飛鳥時代に実在した人物で山岳信仰・修験道の開祖。高下駄を履き錫杖と巻物を持ち、しばし前鬼・後鬼という対の鬼を従える。役小角や修験者(山伏)は、天狗像のルーツの一つとされる。 1.葛飾北斎『北斎漫画』 2.山伏 #桜本坊 pic.twitter.com/MOsY7KCMkw
ただし、天海の主張した山王一実神道は、もとの山王神道からは結構異端部分もあるようだが。まぁそれは置いておき、天海の出自について落合氏が面白いというか興味深い説を出しているようだ。
豊臣から回収した莫大な黄金を天海がオランダに移したとしている落合氏が?
で、どのような説で?
で、どのような説で?
この参考文献の1つ目に目を通してごらん。
「伏見宮から極秘に丹波の郷士安藤家に入った邦茂王(安藤惟実)の息子が天海」?
ん?天海と明智光秀とは同一人物ではない?
それに伏見宮? 伏見宮といえば天皇を輩出する宮家の中でも筆頭の名門では?
それが丹波の郷士安藤家に? そんなことが?
天海の黄金の件もそうでやすが、これは一体本当のことで?
ん?天海と明智光秀とは同一人物ではない?
それに伏見宮? 伏見宮といえば天皇を輩出する宮家の中でも筆頭の名門では?
それが丹波の郷士安藤家に? そんなことが?
天海の黄金の件もそうでやすが、これは一体本当のことで?
落合史観による天海の系図
編集者註:後で触れる<参考文献2>では、摂津池田氏は楠木正儀の末裔となっていますが、楠木正行の末裔の間違いかもしれません。いずれにしても楠木正成の末裔ということにはなります。
水戸徳川と伏見宮のタッグ 〜朝彦親王は皇道会の総裁
ふむ、黄金のことは今日は一旦脇に置いておこう。天海は黄金という枠以上に重要な立ち位置にいるからね。
そうして…だ。まず、天海と明智光秀の関係だが、これは別人と見ていいだろう。そして天海の出自だが、最初に言ったように本当のところはハッキリしない。
ただし、天海が伏見宮の血流との見解は無視できないものがある。天海の父で安藤家に入ったとされる邦茂王(安藤惟実)、その「安藤惟実の後裔が水戸藩に仕えた安藤為実と為章」というのがミソになっている。
そうして…だ。まず、天海と明智光秀の関係だが、これは別人と見ていいだろう。そして天海の出自だが、最初に言ったように本当のところはハッキリしない。
ただし、天海が伏見宮の血流との見解は無視できないものがある。天海の父で安藤家に入ったとされる邦茂王(安藤惟実)、その「安藤惟実の後裔が水戸藩に仕えた安藤為実と為章」というのがミソになっている。
天海が伏見宮の血流の可能性あり?
で、更には伏見宮の血流が水戸徳川に仕えていた? ここがミソ?
ふーむ、伏見宮と水戸徳川がいわばタッグを組んだ? これがミソということで?
で、更には伏見宮の血流が水戸徳川に仕えていた? ここがミソ?
ふーむ、伏見宮と水戸徳川がいわばタッグを組んだ? これがミソということで?
その通り。
調べると天海の父と落合氏がいう安藤惟実は確かに邦茂王で、伏見宮のようだ。
そしてそしてその後裔とされる安藤為実と為章は、兄弟で伏見宮に出仕した後に水戸光圀に仕えてもいるのが分かる。伏見宮と水戸徳川のタッグが大ポイントだ。
先に水戸徳川だが、幕末に倒幕を導いたのは?
調べると天海の父と落合氏がいう安藤惟実は確かに邦茂王で、伏見宮のようだ。
そしてそしてその後裔とされる安藤為実と為章は、兄弟で伏見宮に出仕した後に水戸光圀に仕えてもいるのが分かる。伏見宮と水戸徳川のタッグが大ポイントだ。
先に水戸徳川だが、幕末に倒幕を導いたのは?
それは「尊皇攘夷」の嵐で、尊皇攘夷運動は光圀がその祖となる水戸学からきていやした。
水戸徳川出身の徳川慶喜が将軍になって僅か一年で大政奉還になってやすね。倒幕の主力が水戸徳川…。
水戸徳川出身の徳川慶喜が将軍になって僅か一年で大政奉還になってやすね。倒幕の主力が水戸徳川…。
そう。そして次はそれに伏見宮の絡みについてだ。
実は落合氏は幕末は一尹政権だったとしている。一尹政権の一とは一橋慶喜、つまり後の最後の将軍だ。
尹とは尹宮朝彦親王を指す。尹宮朝彦は久邇宮や中川宮、または青蓮院など次々に名前を変えている掴みどころのない男だが、彼は伏見宮の人間だ。
そして幕末の政治の中心人物がこの一橋(徳川)慶喜と尹宮朝彦の二人だったのは確かにそのようなんだ。
実は落合氏は幕末は一尹政権だったとしている。一尹政権の一とは一橋慶喜、つまり後の最後の将軍だ。
尹とは尹宮朝彦親王を指す。尹宮朝彦は久邇宮や中川宮、または青蓮院など次々に名前を変えている掴みどころのない男だが、彼は伏見宮の人間だ。
そして幕末の政治の中心人物がこの一橋(徳川)慶喜と尹宮朝彦の二人だったのは確かにそのようなんだ。
尹宮、なんかジョーカーのような男でやすね。
で、幕末に政治を動かし、明治維新を導いたのが水戸徳川と伏見宮のタッグであり、そのタッグは天海の時にまで遡る可能性があるということになるんでやすね?
で、幕末に政治を動かし、明治維新を導いたのが水戸徳川と伏見宮のタッグであり、そのタッグは天海の時にまで遡る可能性があるということになるんでやすね?
へい。天忠党と同盟関係にあったのは、確か水戸徳川と薩摩の島津氏、そして坂上一族でやしたね。
また天忠党総督で自害した中山忠伊は、光格天皇が中山家に養子に出した息子でやしたね。
天忠党と伏見宮家は、天皇家と宮家の絡みで更に何か深い関係にでもあったので?
また天忠党総督で自害した中山忠伊は、光格天皇が中山家に養子に出した息子でやしたね。
天忠党と伏見宮家は、天皇家と宮家の絡みで更に何か深い関係にでもあったので?
天忠党の後継組織が、皇道会であり、それに続く大日本皇道立教会だ。
この皇道会、そして大日本皇道立教会の会長に就任したのが中山忠伊の息子中山忠英だよ。ただ皇道会の総裁は尹宮朝彦こと久邇宮朝彦親王が勤めている。
この皇道会、そして大日本皇道立教会の会長に就任したのが中山忠伊の息子中山忠英だよ。ただ皇道会の総裁は尹宮朝彦こと久邇宮朝彦親王が勤めている。
天忠党
総督 中山忠伊
光格天皇皇子
(武生宮長仁)
(武生宮長仁)
皇道会
総裁 久邇宮朝彦会長 中山忠英
大日本皇道立教会
(大正三年)
会長 前宰相 中山忠英(大正三年)
会頭 土方久元
副会長 前法相 千家尊福
副会長 中山忠宗
幹事長 頭山満
貴嶺会関係組織図より抜粋
そして重要なのは、この天忠党の後継組織が八咫烏直属の五龍会の中心である黄龍会ということさ。
え?天忠党の後継組織が五龍会の中心である黄龍会?
てぇことはその総裁の朝彦親王は天忠党のトップだった? そして八咫烏のトップでもあったということで?
てぇことはその総裁の朝彦親王は天忠党のトップだった? そして八咫烏のトップでもあったということで?
その通り。
2015/11/16の記事で竹下さんは次のようにコメントされている。
2015/11/16の記事で竹下さんは次のようにコメントされている。
明治維新の陰謀の中心に伏見宮家があったことがはっきりとわかります。おそらく、久邇宮朝彦こそ陰謀の中心人物だったと考えられます。私の直観では久邇宮朝彦と息子の多嘉王は、孝明天皇、睦仁親王(初代裏天皇)を守護する八咫烏の12烏だったと思います。
うへー、こいつは強烈だ。…しかしちょっと待ってくだせぇよ。
朝彦親王と徳川慶喜がタッグを組んでいたということは…、慶喜も、そして水戸徳川も陰謀団の中心だった? 八咫烏だった?
朝彦親王と徳川慶喜がタッグを組んでいたということは…、慶喜も、そして水戸徳川も陰謀団の中心だった? 八咫烏だった?
ハルマゲドン計画の中心人物だった天海 〜天海が伏見宮の血流に転生か?
ふむ、慶喜そして水戸徳川も陰謀の中心にいたのは間違いないね。彼らは陰謀計画全てを知っていたと言うか、計画を具体化し、巧みに推進させてきたと言えるだろう。
その意味で善悪はともかくも、慶喜は腹が座った非常に頭脳明晰な人物だったと言えるだろうね。
そして慶喜たちも八咫烏か?と言えばそうなるだろう。古代イスラエルの血流を引くカバラの霊能集団の一員に慶喜がはまるかはともかくも、朝彦親王を含めて、彼らが八咫烏の政治部門集団のトップだったろうさ。水戸徳川が明治以降も日本の支配者だった。
その意味で善悪はともかくも、慶喜は腹が座った非常に頭脳明晰な人物だったと言えるだろうね。
そして慶喜たちも八咫烏か?と言えばそうなるだろう。古代イスラエルの血流を引くカバラの霊能集団の一員に慶喜がはまるかはともかくも、朝彦親王を含めて、彼らが八咫烏の政治部門集団のトップだったろうさ。水戸徳川が明治以降も日本の支配者だった。
慶喜が八咫烏、こりゃ〜、思ってもいやせんでした。意外な人物群が八咫烏だったわけだ。
ふーむ、そういえば、『本物黒酒』さんも慶喜が孝明天皇を守護していたとの見解を出されていた。八咫烏の業務の第一は天皇の守護でやしたね。
ふーむ、そういえば、『本物黒酒』さんも慶喜が孝明天皇を守護していたとの見解を出されていた。八咫烏の業務の第一は天皇の守護でやしたね。
拙訳<帝は、側近の手に落ちて誘導されている子供に過ぎない〜余はその質問に対する回答を書面で受け取った。その時、その勅令は帝のものではないことが余には明白であった。〜>
— 本物黒酒 (水原紫織)『もう一人の「明治天皇」箕作奎吾』好評発売中 (@honest_kuroki) March 2, 2020
慶喜は孝明天皇親子を保護している事を隠しつつ維新政府が偽勅書を発布していることを伝えた模様https://t.co/YNXMQKAiie
うーん、しかし…なるほど水戸の黄門さんが、ず〜と、テレビでヒーローの正義の味方とされ続けてきたわけだ。
で、もとをただすと、どうも天海がこの陰謀団の中心人物たちに絡み、大きな影響を与えていたようでやすね。
改めて天海とはどういう人物で?
で、もとをただすと、どうも天海がこの陰謀団の中心人物たちに絡み、大きな影響を与えていたようでやすね。
改めて天海とはどういう人物で?
明治維新が世界革命の一端であり、それはハルマゲドン計画実現のための重要なステップであったことは知っているね?
へい。ハルマゲドン計画は天界レベルでは天照政権を転覆させる計画でやしたね。
そして明治維新は天界でのクーデターの現れでもありやしたね。たしか武甕槌神が色上姫様から大君の座を奪取した…。
そして明治維新は天界でのクーデターの現れでもありやしたね。たしか武甕槌神が色上姫様から大君の座を奪取した…。
その通り。
ハルマゲドン計画にも幾つかのヴァージョンがあるが、日本を中心としたハルマゲドン計画が作動していた。
天海は日本を中心としたハルマゲドン計画全体の中心人物の一人だったろう。
ハルマゲドン計画にも幾つかのヴァージョンがあるが、日本を中心としたハルマゲドン計画が作動していた。
天海は日本を中心としたハルマゲドン計画全体の中心人物の一人だったろう。
ああ、そういえば本編第9話で触れていやしたね。
2019/03/11の竹下さんの記事に基づき、日本中心のハルマゲドン・NWO計画書となっているのが「日月神示」で、この日月神示を降ろした霊が天海であると。
天海は日本中心の計画を進めてきた陰謀団にずっと所属し、計画を進めていたというわけでやすね。
2019/03/11の竹下さんの記事に基づき、日本中心のハルマゲドン・NWO計画書となっているのが「日月神示」で、この日月神示を降ろした霊が天海であると。
天海は日本中心の計画を進めてきた陰謀団にずっと所属し、計画を進めていたというわけでやすね。
そう見るのが自然だね。前の旅路で見てきた通り、ハルマゲドン計画は古代から発動している。
推進してきたのは基本的にはホワイト・ロッジで、日本では秘密結社八咫烏となるだろう。そしてこういった秘密結社では、世界中にネットワークを構築し稼働させてきたと思える。
推進してきたのは基本的にはホワイト・ロッジで、日本では秘密結社八咫烏となるだろう。そしてこういった秘密結社では、世界中にネットワークを構築し稼働させてきたと思える。
秘密結社の世界に広がるネットワークでやすか…、具体的には?
そうだね。さっきの山王神道の最澄だが、あたしは彼も八咫烏ではないか?と見ている。
最澄はあの時代にすんなりと唐に渡り、大成功といえる成果を挙げている。その背景には日本と当時の唐の間に秘密結社ネットワークがあったと見ると納得がいくだろ?
最澄は三津首家という氏族で、三津首家は秦氏や漢氏と同様に渡来氏族、まぁ古代イスラエルの流れだろうね。その秘密ネットワークがあったと見ている。
最澄はあの時代にすんなりと唐に渡り、大成功といえる成果を挙げている。その背景には日本と当時の唐の間に秘密結社ネットワークがあったと見ると納得がいくだろ?
最澄は三津首家という氏族で、三津首家は秦氏や漢氏と同様に渡来氏族、まぁ古代イスラエルの流れだろうね。その秘密ネットワークがあったと見ている。
最澄は、大山咋を祀る漢人系民族の「三津首氏(みつのおびと)」の出身で、大山咋の神域についての深い知識を持っていた。大山咋神の別名「山王」は、中国天台山の鎮守、「地主山王元弼君」を模倣したもの。最澄は漢人系秦氏だな。空海も秦氏。日本の新興宗教は秦氏だらけ。
— ニコイの水芭蕉 (@bonchan1) October 28, 2015
最澄が八咫烏でやすか。
最澄といえば仏教でやすが、実際には神道といおうか修験道も興している。ふーむ、そうかも知れやせんね。
それにしても八咫烏が広がっていく、それにネットワークか…。
最澄といえば仏教でやすが、実際には神道といおうか修験道も興している。ふーむ、そうかも知れやせんね。
それにしても八咫烏が広がっていく、それにネットワークか…。
さて、話が少し脱線したので戻すが、日本中心のハルマゲドン計画を進めてきたのが八咫烏で、どうもその中核に筆頭宮家である伏見宮家があった様子だ。
一方、江戸時代に一貫して明治維新への流れ、つまりハルマゲドン計画に繋がる動きを最有力で取ってきたのが水戸徳川だ。
その伏見宮家と水戸徳川は幕末には明瞭に目にも見える形でタッグを組み、明治維新を導いた。で、この伏見宮家と水戸徳川のタッグは、伏見宮の後裔とおぼしき安藤為実と為章の兄弟が水戸光圀に仕えた時には既に始まっていたように見える。
一方、江戸時代に一貫して明治維新への流れ、つまりハルマゲドン計画に繋がる動きを最有力で取ってきたのが水戸徳川だ。
その伏見宮家と水戸徳川は幕末には明瞭に目にも見える形でタッグを組み、明治維新を導いた。で、この伏見宮家と水戸徳川のタッグは、伏見宮の後裔とおぼしき安藤為実と為章の兄弟が水戸光圀に仕えた時には既に始まっていたように見える。
ふーむ、伏見宮家と水戸徳川の果たした役割を見れば、天海が伏見宮の血流に転生に入り、計画実現への工作を行った。
この見方は、話の筋としては通っており、重要だいうわけでやすね。
この見方は、話の筋としては通っており、重要だいうわけでやすね。
ええっ?水戸光圀が楠木正儀の末裔??(編集者註:楠木正行の間違いかもしれません。) これは一体?…
天海の出自と同様、事実か否かは分からんよ。裏が取れないからね。
ただし、事実だとしたら色々なことの辻褄があってくるのも確かではあるのだがね…。
ただし、事実だとしたら色々なことの辻褄があってくるのも確かではあるのだがね…。
ただし、天海でハッキリしているのは、彼が日本を中心としたハルマゲドン計画の中心人物だったことです。具体的には日月神示を降ろしたのが彼だったのです。
この天海のことを調査していると思いがけないことが浮き彫りとなってきました。筆頭宮家の伏見宮家と水戸徳川の関係です。
明治維新の最功労者は最後の将軍徳川慶喜であり、慶喜の出自である水戸徳川が維新に向けた大きな働きをしたことは、本編でこれまで見てきたとおりです。
一方、伏見宮家については言及しないままでいました。2015/11/16の竹下さん記事で、伏見宮家、そしてその伏見宮家の朝彦親王が明治維新の陰謀の中心にあったとの情報は見ていたのですが、私自身が理解・認識できていなかったのです。「意識にないことはたとえ視界に入っていても見えない」ことの典型です。
今回、天海が伏見宮家の血流との落合氏の説に触れて調査することで、伏見宮家などのこともようやく認識の対象となってきた次第です。