ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)2 ― 江戸時代の黄金流出の時期 ー

 「分断して統治せよ」。古今東西、世界中の支配者側が鉄則として掲げる統治方法です。
 なぜ分断させるのか? 支配者側は莫大な力を専有してはいます。しかし反面、彼らは圧倒的少数派でもあります。圧倒的多数の被支配者側が、団結して自分たちに立ち向かってこられたらひとたまりもないのは、彼ら自身が知っているからです。
 数年前韓国で、朴槿恵(パク・クンヘ)大統領を退陣に追い込んだのは、大民衆となった国民のデモだったのが記憶に残っている通りです。
 被支配者を分断する基本は情報です。情報をシャットアウトし、誤った情報を被支配者に吹き込むのです。
 さて、支配者は例外なく何らかの秘密結社に所属しています。秘密結社も幾つもグループに分かれ、利益を巡り対立したりはしています。しかし対立関係にある場合でも、秘密結社間で情報のやり取りと折衝は行われているはずなのです。いつの時代でも世界中の秘密結社にこれは当てはまります。日本でも江戸時代でもそうです。
 江戸時代が鎖国だったというのは上面の庶民レベルの話です。秘密結社には当てはまりません。秘密結社が動かす情報と金が世界を左右してきたのです。特に日本からの黄金が世界に大変な影響を与えていた模様です。
(seiryuu)
————————————————————————
ユダヤ問題のポイント ― 特別編(黄金の流出から)2 ― 江戸時代の黄金流出の時期 ー


鎖国体制のはずの江戸時代の黄金の流出 〜流出は江戸時代初期に遡る?


ご隠居、黄金の流出は江戸時代に幾度もあったとのことでやしたね?
それは具体的にはいつ頃に?

そうだね。そのことは大室寅之祐の先祖がいつ渡欧したのかも含め、整理する必要があるね。

大室寅之祐の先祖の渡欧などについちゃ、本編の第19話で指摘しているように、大室寅之祐の曾孫を名乗る張勝植氏が著作で主張しているその年代内容は、クチャクチャみたいでやすが?

そうなんだ。どうしてあんなクチャクチャな内容になるのか? ご本人は良い人のように見えるが、意図的なのか?誰かにウソを吹き込まれているのか?よく分からんが、ただし黄金の流出の時期などを整理していけば、彼の先祖がいつ渡欧したのか?等も大体の年代は特定できてくるだろう。

そうでやすね。昨年の12月26日記事からの情報から見ていく作業になりやすね?

先ずはそこからだね。
日本からの金流出の一つの基点になったのが1777年の蘭芳公司の成立のようだね。蘭芳公司とは客家によって建てられたアジア初の共和国で、この蘭芳公司が黄金を集約して、後には欧州にも送ることになる拠点になったと記事にはあるね。

Author:Uwe Dedering [CC BY-SA]
編集者註:領土に関してはこちらを参考。
蘭芳公司(らんほうこうし)は、1777年から1888年にかけてボルネオ島西部に存在した客家系の華人による政権。アジア初の共和国とも言われ、現代中国語では蘭芳共和国と呼ばれる。(ウィキペディアより抜粋)

蘭芳公司、そして客家でやすか。客家とは中国のユダヤ人とも呼ばれ、本編の第11話で「八咫烏と関連は深そう」だと記していやしたが、金流出の主体がサンカというか八咫烏なら確かにそうなりやすね。

そうだね。八咫烏と客家が組んで黄金を欧州に流出させたことになりそうだね。

うーん、それと1777年頃と言えば、1773年にボストン茶会事件、1776年にはバーバリアン・イルミナティ結成と米国独立宣言、1789年にはフランス革命と、大動乱の頃でやすね。

その通りだったね。ただその当時に何があったかは後回しにし、年代を先に追っていくことにしよう。
記事ではウイーン会議後に大量の金が日本から流出したとある。ウイーン会議は1815年のことだったね。

ふーむ、ていうことは、1777年頃を基点として幕末にかけて日本から金が流出したとなりやすね?


いや、その前があるんだ。
日本では1695年貨幣改鋳がされているのだが、その原因は金銀の海外流出だったようだ。ウィキペディアの「貨幣改鋳」記事の中に次のようにある。

長崎貿易によって海外に金銀が流出したこともあって、幕府が貯蔵していた金銀を鋳潰しても貨幣の供給は追いつかなかった。

オランダ東インド会社との貿易で日本が主に輸入したのが生糸、対して輸出品が金銀だったのがその要因だ。

日本の鎖国体制というか貿易相手がオランダに絞られたのが、1641年のオランダ商館が出島に移った時でやすね。て言うことは日本からの金流出のポイントになる年代を古い順でいくと、
1641年、1777年、1815年、1860年台の幕末

こう見るといいわけで?

そうだね。幕末の大量の金の流出が倒幕のトドメになり、その上実は米国の南北戦争、リンカーンの北軍の軍資金となったのが、駐日大使タウンゼンド・ハリスが日本から持ち去った大量の金だったようだから、1860年台の幕末をポイントに見るのは世界的な視線の意味でも正しいだろう。


編集者註:上記の「人権の踏み絵」さんのアカウントが凍結されたため、画像を追加。(20/04/29)
Author:As6673 [CC BY-SA]
Wikimedia_Commons [Public Domain]

えっ? リンカーンの北軍の軍資金となったのが日本からの大量の金?

そうだ。タウンゼンド・ハリスはいわばリンカーンの子分だった。ただこのあたりの詳細は省こう。
そして江戸時代の金の流出についてだが、非常に気になる情報がある。大変な大量の金が流出したのは江戸時代の始まり頃にまで遡るかも知れない。

えっ?江戸時代の始まり? それは一体どのような情報で?

豊臣の莫大な黄金がオランダに? 〜混乱する情報の真偽


落合氏の『國體アヘンの正体』150頁に、徳川家康が1615年に「大阪夏の陣」を仕掛けた秘めた目的は「國體黄金の回収」とある。
また、その後を差配したのが南光坊天海で、彼が國體参謀総長だったとある。

??えっ?徳川家康? 天海? 1615年? 國體黄金?

ふむ、内容の真偽はともかく、この本の152頁には豊臣から徳川方へ國體黄金を移動させるのに協力したのが真田幸村とある。そして肝心部分が153頁の次の記述だ。

天海が回収した太閤黄金は、國體ワンワールドの方針により、大半が大阪湾で待機していたオランダ東インド会社の武装商船でオランダに運ばれ1588年から始まった80年戦争(オランダ独立戦争を、ヴェルム1世が続行するための軍資金とされた。その残りを預かったのが真田幸村で、配下の畑中衆に命じて下北半島の小目名に隠匿させたので「幸村黄金」が誕生した。

南光坊天海
Wikimedia Commons [Public Domain]
ウィレム1世
Wikimedia Commons [Public Domain]

うーん、?? 豊臣を滅ぼし、回収した黄金の大半がオランダに? オランダ独立戦争のため?
それに家康や天海だけでなく真田幸村も関わっていた?
豊臣秀吉が莫大な黄金を有していて、それを大阪城で保管していたというのは、まぁそうだと思いやすが、しかし、うーん、こりゃ、あっしの手には負えない。お手上げだ。

この情報の真偽を判断するには周辺の莫大な情報が必要で、真偽の判断に関してはあたしもお手上げだ。ただし、この情報を仮に事実だと仮定して検討してみる価値はありそうなんだ。
しかしこの情報も張勝植氏じゃないが、かなりクチャクチャだ。なぜこうも黄金流出に関わる情報はクチャクチャになるのやら…。

え?この情報もクチャクチャでやすか? 具体的には?


そう、修正・整理し直す必要がある。
具体的には通史上80年戦争開始は1588年ではなく1568年だ。それにオランダに黄金を移し、ヴェルム1世つまりオラニエ公ウィレム1世だね、彼を支援したとあるが、ウィレム1世は通史上は1584年に51歳で没している。

ということは…大阪夏の陣の31年も前だ。すでに死んでた人間の支援などできっこないと…。

そうだ。これも偽装死と落合氏は言うかも知れないが、それを言い出すと検証も何もできないし、仮にウィレム1世が生きていたとしても大阪夏の陣の時には既に82歳の老人だ。当時の平均寿命を考えれば、ウィレム1世を支援したとする説は無理がありすぎる。

て言うことは、この情報は端から与太話の類ということで?

いや、そうではないだろう。支援したのがウィレム1世の後継者だとすれば話は通じる。

ふーむ、ウィレム1世といえば「王家の血流」、ダヴィデ王、マグダラのマリアの血流を引いていやしたね。当然彼をその血統を守護する勢力があり、その守護勢力に天海たちが協力した?
ご隠居の見立ては?

そうだね。中身は置いておき、先ず事実関係を修正整理しよう。
大阪夏の陣が1615年、その3年後1618年に30年戦争が開始されている。日本から黄金がオランダに移されたとしたらこの30年戦争に使われたのだろう。
オランダ独立が国際的に承認されたのが1648年で、オランダ側から見れば30年戦争も80年戦争の一部になるからね。

なるほど、話の筋はこれで通りやすね。
そうすると日本からの金流出を年代だけに絞ってポイントを挙げると、

🔯 大阪夏の陣の1615年
🔯 オランダ商館が出島に建てられた1641年
🔯 蘭芳公司成立の1777年
🔯 ウイーン会議の1815年
🔯 南北戦争の1861年

こんなところでやすか?


日本の黄金が世界に与えた影響 〜オランダとの密接な関係


そうだね。それでいいだろう。そのポイントからその当時の近辺で何があったかを見ながら中身を検証していくしかないだろう。大変な作業にはなるがね。

うわー、ほんとに大変そうだ。どこから手を付けやす?
やはり古い順で、天海たちが黄金をオランダに移したとされる件からでやすか?

そこから検証していくのが筋だろうね。
ただしこの情報には幾つものポイントがある。整理と確認をしながら進んでいこう。この情報が事実だったと仮定した上でね。

そうしやしょう。
黄金は「オランダ東インド会社の武装商船でオランダに運ばれ」とありやすね。イギリス東インド会社に続いて1603年にオランダ東インド会社が発足していて、その船で黄金は1615年にアムステルダムの銀行に移動保管され、30年戦争に使用された。こうなりやすね。
それにしても気になるのが日本側のその主役の天海だ。彼も金流出の主役なのでサンカ?八咫烏だった?

そう、天海がこの情報の大きなポイントだ。この情報を差しひいても天海が八咫烏のトップだった可能性は高い。
しかしこの件は今日は先送りし、オランダ東インド会社の主力がブラック・ロッジの黒い貴族たちだったことは改めて確認だけしておこう。

てぇことは、天海たちは既に王家の血流とともに黒い貴族とも関係を結んでいたということになりやすね。

そうなるね。まぁ外伝27に記してあるように、王家の血流と黒い貴族との関係自体に謎が多いんだが、これにどうも八咫烏も絡んでいたことにもなりそうだ。
それに1600年台に彼らの手によってイギリスが乗っ取られてもいる。

Wikimedia Commons [Public Domain]

ああ、そうでやしたね。1600年代半ばには黒い貴族に買収されたクロムウェルによる清教徒革命で、チャールズ1世が処刑されている。そしてその後にはオレンジ公ウイリアムが英国王になっている。このようなイギリス乗っ取りに日本からの黄金が使われた?

間違いないね。天海の話が事実でなかったとしても、長崎貿易でオランダ側は日本から大量の金銀を入手しているからね。オランダ東インド会社の株主は黒い貴族であり、王家の血流だっただろうさ。

なるほど、1641年オランダに貿易相手を限定したのはやはり一つのポイントでやすね。何しろイギリス乗っ取りという世界にとってもとんでもない影響に絡んでいる。

そうだね。今日の旅路はこれぐらいとするが、最後にひとつだけ確認を。
八咫烏というかサンカのことだ。

サンカ? 黄金でやすね? 豊臣から回収されオランダに移された黄金、その残りの黄金を真田幸村が預かり、配下に隠匿させた件でやすか?
しかし、確か真田幸村は大阪夏の陣で討ち死にしたのでは?

ご察しの通り。それと幸村の死については偽装というのが落合氏の説で、これはまぁ何とも言えないが、幸村の死を巡っては諸説あるのは確かだ。
そして、問題は幸村が黄金の隠匿を命じたとされる畑中衆と下北半島の小目名という地だ。本編の第23話に出てくる落合氏の7つのサンカ分類に小目名サンカがあるが、これを指すようだ。

あ、なるほど。確かに。
小目名サンカが幸村の配下ということは、以前の落合氏のサンカ分類では小目名サンカは第2種でやすか? それに真田氏は第1種のサンカで上田サンカと関係が?

小目名サンカが第2種に分類されるのはその通りだろう。
真田氏についてだが真田氏の本拠は信州上田、上田サンカの名称も信州上田にちなんでいるとのことだが、真田氏がどうかは天海との関係も含め、さて、どうか?といった具合だ。

ふーむ、それにしても、やはりどうしても気になるのが天海の存在だ…。

あたしもそうだよ。


Writer

seiryuu様プロフィール

seiryuu

・兵庫県出身在住
・いちおう浄土真宗の住職
・体癖はたぶん7-2。(自分の体癖判定が最も難しかった。)
・基本、暇人。(したくないことはしない。)
・特徴、酒飲み。アルコールには強い。
・歯が32本全て生えそろっている(親不知全て)原始人並み。

これまでのseiryuu氏の寄稿記事はこちら


Comments are closed.