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ユダヤ問題のポイント(近・現代編) ― 外伝83 ― ソ連の解体
「建国の精神」の完全死
1991年、1月17日の多国籍軍の攻撃によって始まった湾岸戦争は、2月28日にブッシュSr. 大統領の戦闘終了宣言にてその戦闘は終了しました。これは前回に見た「死のハイウェイ」殺戮の終了に伴う戦闘終了宣言でした。
『新版 300人員会(下)』のp30には、イラク兵はジュネーブ条約に従い、白旗を揚げて撤退中だったとあります。この卑劣で完全な戦争犯罪の攻撃は「300人委員会」の意向に基づき、ブッシュSr. 大統領の指令によって行われたようで、この攻撃実施された湾岸戦争での影響に関して、同本のp144は以下のように指摘しています。
タヴィストック人間関係研究所は、かつて大国であったアメリカのプライドを破壊することに成功した。湾岸戦争に勝利したとわれわれは聞かされた。しかし大部分の国民が気づいていないのは、戦争に勝ったことによって、自国のプライドと名誉を損なったことだ。クウェートとイラクの砂漠の中で、クウェートとバスラから正式に退却しながら殺されたイラク兵の遺体とともに国家のプライドは死んでしまった。
Aerial view of "The Highway of Death" on which Iraqi forces suffered devastating losses at the hands of Coalition Forces as they retreated from Kuwait in February 1991. Between 1,400 and 2,000 vehicles were destroyed or abandoned. pic.twitter.com/fcSNgKolL7
— Antoine Bousquet (@AJBousquet) February 21, 2019
1991年2月、クウェートから撤退するイラク軍が多国籍軍の手によって壊滅的な損害を受けた「死のハイウェイ」の空撮映像。1,400〜2,000台の車両が破壊されたり、放置されたりした。
そしてp146には、「かつての誇り高きアメリカ合衆国という共和国は単なる犯罪組織に」とした上で、以下のように記載しています。
こうしてタヴィストック人間関係研究所とウィリス・ハーモンは、われわれの反応をプログラミングした。われわれは抵抗することなく、精神を捨てていく。国民の精神と知性が破壊されてしまったのだ。
多国籍軍の中心であった米国は、湾岸戦争で一方的な勝利を収めたとされます。反対に湾岸戦争以降、イラクは徹底的に破壊されていきます。…しかし破壊されたのはイラクだけでなく、米国も破壊されたとの指摘です。アメリカという国家を形成する根本部分、国家としてのプライド、国民の精神と知性が破壊されてしまったという指摘であり、これはその通りでしょう。下にあるアメリカの「建国の精神」などは、「死のハイウェイ」の殺戮によって見る影もなく失われてしまっています。
すでにアメリカは「闇の権力」からの波状攻撃により、とっくの昔に共和国から「株式会社アメリカ」に成り果ててはいましたが、湾岸戦争によって更には「ゾンビ国家」にまで転落していったと言えるのでしょう。その国民が精神と知性を放棄してしまったならば、その国家は「ゾンビ国家」です。
湾岸戦争の与えた影響、米国への、イラク中東への、世界への、その影響はとても深いものだったのです。地上世界を破壊の方向へ向ける…。
独立宣言
(中略)
われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。
(ウィキソース「アメリカ独立宣言」より)
ソ連「8月クーデター」
1991年、外形の見た目はともかく、超大国アメリカはその国家の中身と根本が徹底的に破壊されていきました。意図され、計算された破壊劇です。
一方で、かつてのもう一つの超大国であったソビエト連邦は、この1991年に外形的にも完全に崩壊し解体されました。米国とともに2大超大国の片方であったソ連の解体など、往時には全く想像もしなかったことでしたが、それが現実となったのです。
1989年末に米ソ冷戦の終結が宣言され、ソビエト連邦に所属していた幾つかの国家が既に独立という状況で、ソ連は1991年を迎えていました。次のような状況でもありました。
1990年5月29日にはロシア連邦共和国最高会議議長に急進改革派のエリツィンが当選、同年6月12日にはロシア連邦共和国が、7月16日にはウクライナ共和国が共和国の主権は連邦の主権に優越するという国家主権宣言を行い、各共和国もこれに続いた。
(ウィキペディア「ソビエト連邦|民族問題の再燃と連邦制の動揺」欄)
こういった中で、ソ連内にクーデターが発生したのでした。ウィキペディアの「ソビエト連邦の崩壊」記事の中に、以下のようにある通りです。
1991年8月、ソ連共産党内の保守派と軍部のエリートがゴルバチョフを打倒し、失敗していた改革をクーデターで止めようとしたが失敗した。この混乱でゴルバチョフ政権はほとんど影響力を失い、その後数カ月で多くの共和国が独立を宣言した。
1991年8月にソ連内で発生したクーデターは失敗に終わりますが、ソ連共産党とゴルバチョフの権威は失墜します。力を失ったゴルバチョフは同年の12月25日にソ連大統領を辞任し、翌日には最高会議も連邦の解体を宣言しました。ソ連は解体されたのでした。核兵器の発射コードを含む大統領権限はボリス・エリツィンに移譲され、エリツィンがロシア連邦の初代大統領の権力の座に座りました。
アレキサンドル・イワノフ氏の「元ソ連外交官が語る『ロシア-ユダヤ闘争史』の全貌」では、ソ連にトドメをさした8月のクーデターを「ユダヤ第2革命」だったとしています。「ユダヤ第1革命」は1917年の「10月革命」で、帝政ロシア・ロマノフ王朝を屠った革命です。「ユダヤ第2革命」はソ連を解体させた革命ということになります。イワノフ氏は次のように語っていました。
1991年8月、世界を揺るがしたソ連のクーデターはあっけない失敗に終わった。しかしその結果起きたことは、紛れもない革命だった。これはユダヤ人によるクーデターであり、「ユダヤ第2革命」と呼ぶべきものだった。過激派のユダヤ人たちは、穏健なゴルバチョフ政権を倒して自らが政権を握ろうとしたのである。
クーデター失敗後、エリツィン・グループが政権を握ったが、エリツィン大統領を取り巻くロシア政府高官のほとんどがユダヤ人であった。
ソ連崩壊の実情構図
ソ連の「8月クーデター」は世界に中継されており、そこではエリツィンが体を張ってクーデターを止める映像が流され、ヒーローとして映し出されていました。
イワノフ氏は、このエリツィンの補佐官の80%はユダヤ人であり、その中には20人のアメリカ人がいて、エリツィンは彼らのロボットに過ぎないともして、以下のように指摘してもいます。
ロシア国内のユダヤ人たちは、8月クーデターでロシア政府内の実権を握ったことを幸いに、次に海外のユダヤ人と相呼応して、ロシア経済を支配下に置こうとした。そのため、欧米の、中でもアメリカのユダヤ資本が怒涛のようにロシアになだれ込むことになったのである。
これはこの通りだったでしょう。『ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表』p273〜274にも以下の指摘があります。
(1992年)ロシアで国営企業の民営化が本格的に始まる。その結果、贈収賄によってロシアの莫大な富が「7人のオルガリヒ」と呼ばれる新興財閥の手に渡った。いずれも金とメディアの力とボリス・エリツィンを支持した億万長者たちである。7人のうち、ボリス・ベレンゾフスキー、ウラジミール・グシンスキー、ミハイル・ホドルコフスキー、ミハイル・フリードマン、アレクサンドル・スモレンスキー、ピョートル・アーヴェンの6人はユダヤ人であり、ウラジミール・ポターニン一人がロシア人だった。
(中略)
ロシアが西側諸国から受け取った援助もまた、直接ユダヤ系金融グループに行く。これは「ワシントン・タイムズ」紙の報道で明らかになった。ちなみにイワノフ氏は、「エリツィンはユダヤ人の妻を持つが、彼自身は純粋のロシア人である。」としていますが、『ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表』p259では、エリツィンの妻は、ヨシフ・スターリンとローザ・カガノヴィッチの娘としています。要は、ハザール王室(カガン)直系の子孫だった「怪物ラーザリ・カガノビッチ」の姪がエリツィンの妻との指摘です。真偽は不明ですが、事実であっても不思議でもありません。
『ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表』に基づく系図
Wikimedia Commons [Public Domain]
Wikimedia Commons [CC0]
Author:DVRozhkov [CC BY-SA]
Author:kremlin [CC BY]
ともあれソ連の崩壊・解体とは、ロシア内外の「いわゆるユダヤ人」が中心となって連携し、ソ連国家を崩壊・解体して国富を私物化して食い物にしていった構図で間違いないでしょう。「国家、公共、自然、人間」全てを私有化したいというロックフェラーの野望、「パクス・アメリカーナ」「アメリカを中心としたNWO」具現の動きの一つがソ連解体だった、と言っても間違いないでしょう。
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「ユダヤ問題のポイント」の連載の最初期に紹介した「元ソ連外交官が語る『ロシア-ユダヤ闘争史』の全貌」は、1993年夏に来日されたアレキサンドル・イワノフ氏の講演録です。1991年末にソビエト連邦が解体され、元ソ連に大混乱と経済崩壊が生じ、この1993年頃は、その国富がさんざんとオルガリヒと呼ばれる新興財閥の食い物にされていた時期でした。ソ連崩壊に伴う混乱やオルガリヒのことは当時のメディアでは盛んに取り上げられており、オルガリヒはロシア内のユダヤ人が中心で、アメリカの資本家ユダヤ人とも連携している様子も見て取れていました。その困難のロシアから来日されたイワノフ氏は講演の最後に、ユダヤ人たちは再びロシアの権力を握ったと思っているだろうが、しかしそれは続かないだろう、「やがてロシア人の解放運動が巻き起こるだろう。私(イワノフ)は固く信じている。」と締めくくられています。
そしてその予言は事実となりました。その後も「闇の支配」を払い除け続けてきたロシア、現在、そのロシアが世界の光の存在になっているとも言えるでしょう。
ちなみにソ連崩壊当時の報道では、「現在のソ連では食料も民衆に行き届かいない状況だ。」とされました。しかし、実際に映像に写っているロシア人のおばさんたちは揃ってコロコロと太ったお姿だったのです。「本当に食料がない?」と私は当時に疑ったものでした。
このソ連崩壊の大危機の民衆を救ったのがダーチャでした。郊外の菜園付き小屋のダーチャでのじゃがいもなどの食料自給にて、民衆は危機を乗り切っていったのでした。